映画『収容病棟』より © Wang Bing and Y. Production
中国の映画作家ワン・ビンの新作『収容病棟』が6月28日(金)より公開される。ワン・ビン監督は、精神病患者が1億人を越えているという中国の南西部雲南省にある社会から隔離された公立精神病院で3ヵ月あまりの間2人のクルーで撮影を行った。この病院には200人以上の患者が家族、警察、裁判所からの措置により収容されている。入院して20年以上になる人や、精神異常犯罪者とされた人、薬物・アルコール中毒者、治安案乱行為や喧嘩、浮浪罪に問われた人、神経衰弱者、過度の信仰・政治的陳述、「一人っ子政策」への違反など“異常なふるまい”を理由に収容されている人々。監督は普段通りの日常を送って欲しいという考えから、収容者と2メートル以上近づかないことを決め、彼らの生活をカメラに収めている。4時間に及ぶ今作制作のきっかけ、撮影の模様、そして収容者たちとのエピソードをワン・ビン監督が語った。
閉じこめられた世界が私をひきつけた
──この映画をつくったきっかけを教えてください。
始まりは2003年の秋でした。北京の郊外を歩いていた時、ある廃墟のような建物の前を通りかかり、敷地の中へ入ってみました。そこはとても神秘的な空間に思えました。しばらくすると建物の扉が開いて、鉄格子の向こうに男性のグループの姿が見えました。女性が一緒にいて、その人は看護士さんで、ここは精神病院で、彼らは患者であると教えてくれました。患者の中には十数年も病院に収容されている人もいて、中には戸籍自体を病院に移されている人もいると聞きました。つまり、一生そこで生きるという意味です。その時の印象がとても強かったので私は精神病院に興味を持ち、ぜひ撮影をしたいと思い、その病院に交渉したのですが、許可してもらえませんでした。それから長い時間が経過し、2009年に、もう一度この題材に戻ってみようと思い、再びその病院に相談しましたが、撮影は拒否されました。そして、『三姉妹~雲南の子』を北京で編集していた2012年に、雲南省の友人がやってきて、雲南省の精神病院が撮影させてくれそうだと言うのです。そこで、すぐに相談してみたところ、撮影許可が出たので、2013年の1月から撮影を始めました。
映画『収容病棟』のワン・ビン監督
──最初の北京の病院と、実際に撮影した雲南省の病院では、何か大きな違いはありましたか?
北京郊外の病院は、雲南省の病院に比べるとはるかに大きくて3、4棟の建物がありましたが、両者に共通しているのは、世の中から遮断された世界である、閉じこめられた世界である、ということで、それが私をひきつけました。雲南省の精神病院はごく普通の病院だとは思いますが、中国は地域によって経済の格差も大きいので、病院の設備や治療に必要な薬品などのレベルが富裕地区と違っているとは思います。
──雲南省の病院は、よく撮影を許可してくれましたね。ここは国立の病院ですか?医師たちは撮影を嫌がりませんでしたか?
突き詰めれば国の病院といえますが、地方行政に属する病院です。たしかにこの病院には、特に衛生的な面で問題があるかもしれませんが、病院のスタッフは医師を含め、みな今の状況の中で精一杯仕事をしていると思いますし、私が病院スタッフを批判する映画を撮りたいわけではないと理解してくれていましたので、嫌がられることはありませんでした。また、病院を撮ったとしても、そんな映画は誰も見たくないだろうから、放っておいてもいいだろうと思っていたようでした。
──これまでに中国の精神病院を撮影したドキュメンタリーはあったのでしょうか?
私の記憶ではありません。ですが、私は誰も撮っていないから撮りたいと思ったわけではないので、今までにそういうドキュメンタリーがあったかどうかは重要ではありません。
映画『収容病棟』より © Wang Bing and Y. Production
何気なく撮ったシーンに予期しなかった効果が現れる
──撮影期間について具体的に教えてください。
撮影は、2013年1月3日から4月18日まで3ヶ月間、ほとんど毎日、撮影しました。病院からは、病院の中で食事をすることや泊まることは禁止されていましたので、朝早くに病院に行き、お昼は外へ食べに行き、少し休息をとり、それから夜の11時、12時まで撮影し、近くに宿泊していました。
──撮影した病院についてもう少し詳しく教えていただけますか?
病院は、雲南省北西部の昭通市にあります。最も若い収容患者は17歳くらいで、年長者は50代、60代で、20年以上収容されている人もいました。病院の一日は規則正しく、朝7時半頃に朝食、10時に1回目の投薬や注射など、11時半に昼食、午後4時半に夕食、午後5時か5時半頃に2回目の投薬や注射、それ以降は基本的に自由で就寝時間も個々自由です。食事は1階で、男性患者も女性患者も一緒に摂ります。シャワーは1週間に1回と決まっていて、撮影はしましたが映画には入れませんでした。日々の生活に密着して撮影するので、男性がカメラを持って女性の病棟に入るのは良くないと考え、女性病棟は撮影しませんでした。映画の最後にテロップで出てくるように、ここには様々な事情で多種多様な人が収容されています。どうやらこの人には精神疾患はなさそうだと感じた人は数多くいましたが、どの人がどうだとはっきり断定することはできませんでした。
──この映画では、患者たちの名前や収容年数は紹介されますが、なぜこの病院に入ったのか、病名は何なのかは出てきませんね。
精神病はさまざまな病名がありますが、その病名を出してしまうことで観客が先入観をもつことを避けたいと思いました。私は、精神病を患った人を撮ったつもりはなく、人間そのものを撮ったつもりです。
──雪のシーンが美しかったですが、雪が降る季節なのに、ほぼ裸で歩いている患者もいましたね。この地方の気候は?
海抜の高い高原なので、1日の気温差がとても激しく、寒い時は0℃にも下がり、温かい時には25~27℃まで上がることがありました。平均すると5~6℃だったと思います。
映画『収容病棟』より © Wang Bing and Y. Production
──この映画では十数人の患者が撮影されていますが、たくさんの人の中から彼らを選んだ基準は何ですか?
今回はまったくリサーチなしに撮影を始めました。というのも、撮影を許可してもらえても、いつまた拒否されるかわからないので早く撮影を開始しなくてはいけなかったからです。撮影をしながら、いろいろな人物に会い、徐々に決めていきました。とても個性的な人物が多かったのですが、この人を撮りたいと思っても拒否されることもありましたので、自然に選択されたという感じです。
──どの人物を撮影しようと決める時に、どんな映画にしよう、何を伝える映画にしようということを意識しましたか?
私は、あらかじめ固定化された映画の作り方は好きではないのです。何気なく撮ったシーンが、編集され、作品となってスクリーンで見られた時に思いもよらない、まったく予期しなかった効果が現れるからです。計画を万全にすると、かえって平坦になってしまいます。ですから、撮影前には何の計画もしませんでした。今回は特に、撮影許可があってもいつまで撮影できるかもわからない状況でしたし、病院の日常はある意味で単調な繰り返しですが、いつ何が起こるかはまったく予想ができない状況でした。撮影の1日目、2日目はどんなふうに撮影するかもまったく定まらず、次第に定まってきたのは1週間くらい経った頃からでした。そして撮影をつづけるうちに撮っている人それぞれの物語が見えてきて、次第に映画の構成が浮かび上がってきたのです。それでも、何を観客に見せたいのかということは、編集のために撮影した素材を見ながら、深く考える時間を持ってからでした。
──いつ撮影がストップさせられるかわからない状況だと、焦る気持ち、早く撮ろうという気持ちにはなりませんでしたか?
ドキュメンタリーには忍耐が必要です。焦らずに撮影をつづけることで、撮りたかったものが水面に浮かび上がってくるのです。事前に何も予想せずに、撮影をしながら構想していった今回の撮影を通して、私はまた映画に新しい可能性を見つけられた気がしています。
──登場人物の中で特にこの人はここに惹かれて撮影したという具体的なお話をいくつか聞かせていただけますか?
廊下を走っている青年、馬健(マー・ジェン)は、病院に来て間もないので、まだ外の空気を体にまとっていることに惹かれました。また彼の行動はアクションが豊かです。長期収容の患者たちの物語だけでは、映像の動きとして単調になりがちなので、彼の存在はとても重要でした。また同様に、ウーはまだ十代の幼さを持っていて、彼の若さはこの映画に生き生きした活力をもたらしてくれたと思います。
映画『収容病棟』より、廊下を走る青年、馬健(マー・ジェン) © Wang Bing and Y. Production
映画『収容病棟』より、体に文字を書く10代の青年、ウー © Wang Bing and Y. Production
何を撮って撮るべきではないのかの判断は、
自分自身の道徳観、倫理観しかない
──撮影クルーは何人でしたか?
映画に関わったスタッフは最終的には8人ですが、病院に入ったのは2人だけです。カメラは1台で、ほとんどは自分で撮影しましたが、ところどころ、もう一人のカメラマンに撮ってもらっています。
──監督の作品は、いつも音が素晴らしいと感じますが、録音はどのようにしたのですか?
マイクはカメラについているものをそのまま使ったり、別のマイクをカメラに取り付けたりしているだけで、特別なことはしていません。私は、いつも同録でその場にある音だけを使っています。あとから別の音をつけたり、ミキシングで音を変えてしまうことはしません。音を変えてしまうと、その人物の動きが違うものに見えてしまい、その人の情緒を体験できなくなってしまうからです。
──また、被写体がいつも自然なことに驚かされ、カメラと被写体の距離に独特なものを感じます。撮影に入る前に被写体と親交を深めるとか、カメラの位置をあまり目立たないところにするとか、何か工夫していることはありますか?
特に何もしていません。それでも、皆、カメラを拒否しないのです。もちろん映画によって、色々と違いはあります。『鳳鳴―中国の記憶』の場合は、鳳鳴さんと友人になり、彼女のことを良く知ってからの撮影でした。反対に『名前のない男』は、あの人と出会ったのも偶然ですし、どんな人なのかまったくわからないうちにカメラを回し始めました。
──被写体が自然でいられる理由は何だと思いますか?
私は、撮影中はとてもカメラに集中しているので、自分から彼らに話しかけることがほとんどないために、カメラの気配を感じないのかもしれません。また彼らには普段通りの日常生活を送って欲しいので、2メートル以上は近づかないようにしています。それでも時には相手から話しかけられることもあるので、言葉を交わしている撮影素材は非常に少ないですが、あるにはあります。ただそんな時でも、カメラの存在を隠すために、その部分をすべてカットすべきとも考えていません。その場面が重要でなければカットしますし、重要であれば彼らが私に向かって話しかけていても編集で残します。私の映画では、カメラの気配を消すことが大切なわけではなく、カメラを持った私がいることも彼らの日常になることが重要で、だからこそ彼らが自然にふるまえるのだと思います。撮影中はほとんどカメラのレンズ越しに撮る対象の人を見つめて目を離さずに、静かにリラックスして、とにかく集中することだけを考えています。それくらいに集中していないとその人物の変化を捉えることができないからです。こうした撮影に慣れる前は、カメラをのぞいたまま動くので、よく物にぶつかることがありましたが、最近ではもう慣れたのでぶつからなくなりました。
映画『収容病棟』より © Wang Bing and Y. Production
──精神病院を撮るということは、いつも以上に被写体への配慮が必要だったのではないかと思いますが、被写体との信頼関係についてお聞かせください。
撮影する相手との信頼関係は、私の映画にはとても大切です。信頼といっても、契約書を交わせば関係性ができるということではなく、心の交流、心から相手を尊重することが大事なのだと思います。私は「撮らないでくれ」という人を撮影することはありません。そして、何を撮って、何を撮るべきではないのか、その判断をするのは最終的に自分自身の道徳観、倫理観しかないと思います。たとえば今回でいえば、患者たちは私のカメラの前で日常生活を見せてくれるのですが、それを映画として観客に見せるのは、彼らの存在を知って欲しいからに他なりません。けれども、たとえばヤーパが強い発作に襲われた時などは撮影はしません。倫理観によって、カメラを止めること。それも重要だと思っています。この前、今回撮影した雲南の病院の医師が北京に来た時に会ったのですが、患者たちが「監督は元気ですか?」と医師によく聞いてくると言ってくれました。もちろん私も彼に会うと、「患者さんたちは元気ですか?」と聞いています。
──撮影した素材は何時間くらい?また、編集期間はどれくらいかかりましたか?
撮影した素材は300時間ありました。編集は、順撮り編集でしたが、3ヶ月ほどかかりました。編集を始めた最初の頃に、病院の中にいる人たちと外にいる人たちと一体どこが違うのだろう、同じなんじゃないかと思い始めました。食べる、眠るという人間の基本を繰り返すことで、人間そのものを描きだせるのではないかと考えました。また、中にいる人と外にいる人のどちらが自由なのかということも考えました。彼らは不自由な閉鎖された空間の中でもお互いをいたわりあっている。同じ日常をずっと繰り返さなければならない残酷さはあるけれど、彼らの精神はその中でも自由であろうとしているのではないかとも思いました。そして最終的には、私がこの映画で見せたいものは、人間が「生きる時間」であり、どこにあっても人間が求める「愛」というものだと気づきました。
──中国語の原題「瘋愛」とはどういう意味ですか?
精神が狂った人同士の愛という意味で、私が考えました。英語のタイトルは、この映画も含めて私の映画の英語字幕をいつもやってくれている女性がつけたものです。日本でのタイトルの『収容病棟』は、実は「瘋愛」にする前に、私も考えていたタイトルなので、とても良いと思います。というのも、この映画が描いているのは、まさに閉鎖された場所に収容されている人々だからです。彼らは、今の中国社会にあっては、見えない人々なのです。注目されない人々に注目して映画を撮ること、そこにこそ私が存在する意味があるのだと思います。
──今作を観て、自分も収容病棟に閉じ込められいるような閉塞感とともに、患者たちをとても親密に、そして愛しく感じました。
映画とは、他者の人生を経験する事に他なりません。映画の素晴らしさとは自分の知らない世界で生きる人を知ること。同じ時間に生きているのに交差することのない人物が、同時に存在していると知り、異なる人生を知り、違う運命を知ることだと思います。普段の日常の中では、その人の持つ生命力や悲劇性に気づかないことも多いですが、人間には一人一人の中に物語があり、それが映画になった時、強く現れてきます。中国の精神病院の患者たちと日本での暮らしは遠いと感じる人がいるかもしれませんが、病院の中の人物の生活を体験するというリアルな感覚を持って映画を見ていただくのも良いと思います。この映画は4時間もありますが、皆さんが映画を見終わった後も、この収容病棟にいる人たちは同じ時間を繰り返し生きていることをぜひ忘れないでほしいと願っています。
(公式インタビューより)
ワン・ビン プロフィール
1967年11月17日、中国陝西省西安生まれ。瀋陽にある魯迅美術学院写真学科に入学。映像へと関心を移し、卒業後、北京電影学院映像学科に入学。1998年から映画映像作家として北京で仕事を始め、インディペンデントの長編劇映画『偏差』で撮影を担当するが、仕事に恵まれず、瀋陽に戻り、1999年から『鉄西区』の撮影に着手。9時間を超える画期的なドキュメンタリーとして完成させる。続いて『鳳鳴―中国の記憶』(2007年)、2010年には、初の長編劇映画『無言歌』を発表。初めて日本で劇場公開された。2012年には雲南省に暮らす幼い姉妹の生活に密着したドキュメンタリー『三姉妹~雲南の子』を発表し、ヴェネチア国際映画祭オリゾンティ部門グランプリなど数々の国際賞に輝いた。2014年には現代アートの殿堂、ポンピドゥー・センター(パリ)にて1カ月以上にわたるワン・ビン監督の回顧展が開催されている。
映画『収容病棟』より © Wang Bing and Y. Production
映画『収容病棟』
6月28日(土)シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
雲南省の精神病院。男性患者の収容病棟。中庭を囲む回廊。病室のいくつものドア。カメラが患者たちの日常を映し始める。誰かと一緒に眠りたがる唖者のヤーパ、ひたすら家を恋しがる青年マー、騒ぎをおこして手錠をかけられるインらに目を奪われる。
収容患者たちの繰り返される日常にもドラマがある。階下の女性患者と心通わせるプー、夫が12年も収容されているマー夫婦、そして病院を出て家に帰ることになるジュー……。ジューの背中を追う長いショットの動揺するほどの美しさは何を語るのか。
監督:ワン・ビン
撮影:ワン・ビン、リュウ・シャンフイ
編集:アダム・カービー、ワン・ビン
製作:Y.プロダクション、ムヴィオラ
2013年/香港、フランス、日本/237分(前編122分/後編115分)
配給:ムヴィオラ
公式サイト:http://moviola.jp/shuuyou/
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