骰子の眼

cinema

2014-06-17 17:10


「ドストエフスキー翻訳者の役割は、目の粗い文章にアイロンをかけて整えること」主人公と同じくドストエフスキーの新訳で旋風を起こした亀山郁夫さんによる映画解説
フォーラム山形で映画『ドストエフスキーと愛に生きる』の上映後、講演を行なった亀山郁夫さん。

ドストエフスキーの新訳でドイツ文学界に旋風を起こした女性翻訳家スヴェトラーナ・ガイヤーさんの数奇な半生を追った、全国順次公開中のドキュメンタリー映画『ドストエフスキーと愛に生きる』。山形市にある映画館フォーラム山形で去る5月10日(土)、本作の上映後に、ロシア文学者で翻訳家の亀山郁夫さんによる講演会が開催された。ガイヤーさんと同様に、ドストエフスキーの画期的な翻訳が反響を呼び、日本の海外文学界に新訳ブームをもたらした亀山さんならではの深い洞察に基づいた講演内容を採録する。


“5頭の象”というガイヤーさんの比喩が、同じドストエフスキー翻訳者の私にとっては、とても心強く思えます


私は昨年5月に産経新聞のコラムで、次のような文章を書きました。

「私には使命がある、と、いつからか思いこむようになった。70歳までにドストエフスキーの5大長編をすべて翻訳する。残された時間は、6年。残された作品は、『白痴』と『未成年』。400字詰め原稿用紙に換算して、約5千枚。単純計算で、1日3枚。体調さえ崩さなければ、けっして不可能な分量ではないと思う。
翻訳という作業は、九割九分が苦行で、歓びは、一分にも満たない。老い先長くもないのに、なぜ、こんな割にあわない苦行を引き受けるのか。そんな不条理感につきまとわれることもある。しかし一分にも満たない歓びが、どうやら何にも代えがたい意味を持っていたらしい。月並みな比喩だが、アルピニストが山頂を目指すように、マラソン選手がゴールを目指すように、私もまたひたすら達成感を求めて翻訳を続けてきた〔以下略。全文はこちら)〕

この文章を書いた時は、スヴェトラーナ・ガイヤーさんについてまったく知りませんでした。翻訳というのは、無限に人の話を聞き続ける非常にストレスフルな辛い作業です。私は2006年に『カラマーゾフの兄弟』、2008年に『罪と罰』を訳し、『悪霊』の翻訳が2010年に終わった段階で「もう、やめよう」と思ったほどです。しかし、ガイヤーさんの仕事に、とても刺激され、励まされました。今、『白痴』の翻訳がなかなか進まず苦しい思いをしていますが、この映画の原題(『5頭の象とともに生きる女[Die Frau mit den 5 Elefanten]』)の“5頭の象”という比喩がとても心強く思え、ガイヤーさんに感謝しています。彼女が5大長編に取り組み始めたのは60歳代の後半からですから、私の方が時間的にやや余裕があるわけです。

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映画『ドストエフスキーと愛に生きる』より。最後の翻訳書となったドストエフスキー『賭博者』に取り組むスヴェトラーナ・ガイヤーさん。

ドストエフスキーと改めて向き合おうと決心したのは、9.11がきっかけです


私がドストエフスキー文学に出会ったのは、中学校3年生のときです。中央公論社から出ていた「世界と文学」シリーズで池田健太郎訳の『罪と罰』を読み、自分にとって重要な体験をしました。主人公ラスコーリニコフがあたかも自分であるかのようなシンクロナイゼーションが起きたのです。小説を読んでそういう体験をしたのはこのときだけで、これ以後の50数年間は一度もありません。高校の頃はシェイクスピアにかぶれたりと、典型的な文学少年でした。大学時代はドストエフスキーに没頭し、東京外国語大学に入学すると同時にドストエフスキー研究会を開きましたが、集まったのはたった2人でした。

大学3年生のときに『罪と罰』を、4年生のときに『悪霊』を、原書で読み通す経験をしたことが、私の人生を変えました。『悪霊』という小説は、1869年にモスクワで起こったある秘密結社内の内ゲバによる殺人事件がモデルになっています。それから約100年後に日本で連合赤軍による事件が起こるわけですが、私はそういった革命のモティーフに関心を持たず、ひたすら主人公ニコライ・スタヴローギンの悪魔性に魅了されました。そして卒業論文で“使嗾(しそう)=人をそそのかす”というテーマを発見し、これが自分が50歳代以降ドストエフスキーを論じる際の基本となりました。50代の終わりに“黙過(もっか)=見捨てる”というキーワードに辿りつくのですが、出発点はその卒業論文にあったわけです。その卒論の講評で恩師である原卓也先生[※1930- 2004。ロシア文学者。東京外国語大学名誉教授。トルストイやドストエフスキーをはじめロシア文学の訳書多数]に、「文章が生硬で誤字脱字が多い」と書かれ、自分はドストエフスキーに向かないと思い、大学卒業と同時にドストエフスキーと縁を切り、“ロシア・アバンギャルド”と呼ばれる20世紀前半の前衛芸術の研究に向かいました。

ガイヤーさんも映画の中で「翻訳は全体を見ろ」と言っていましたが、原先生も原書の1ページをジッと見たあとは、ほとんど読まずに訳していく、天才肌の翻訳者でした。その方をずっと間近に見てきたので、記憶力に劣る自分に翻訳は絶対できないと思っていました。それでも、原先生の紹介で、『キリスト教文学の世界』というチェーホフ短編集の作品や、自分が研究テーマとしていた詩人フレーブニコフの最も難解とされている詩劇『ザンゲジ』などをほそぼそと訳していました。

ドストエフスキーと改めて向き合おうと決心したのは、とってつけた動機のように聞こえるかもしれませんが、2001年の9.11の事件でした。ニューヨークのツインタワーの崩落を、私はロンドンの小さなホテルの古ぼけたテレビで観ていたのですが、そのとき『悪霊』のある一節が思い出されました。悪魔的主人公スタヴローギンが、自分が凌辱した少女の遺体を覗きこむ場面です。人間の最も悲惨な状況を平静な気持で見てしまう現代人の宿命の一端を、ドストエフスキー文学が予言していたと感じたのです。このときから、精力的にドストエフスキーを読み直し、2004年に『ドストエフスキー 父殺しの文学』という書籍を出しました。そしていよいよ「君子豹変す」のごとく、『カラマーゾフの兄弟』の翻訳に取り組み始めたのです。ガイヤーさんも「なぜ翻訳するのか、究極への憧れかもしれない」と語っていましたが、私もそれに近い経験を『カラマーゾフの兄弟』を通して経験しました。

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映画『ドストエフスキーと愛に生きる』より。アイロンをかけながら、「文章(テキスト)と織物(テキスタイル)の語源は同じ」と話すガイヤーさん。

スヴェトラーナ・ガイヤーさんの足跡について


ガイヤーさんの足跡を反芻しておくと、「ガイヤー」はドイツ名で、本名はスヴェトラーナ・ミハイロヴナ・イワーノワ。つまりお父さんの名前がミハイロヴナ、姓がイワーノワです。3つとも平凡な名前で、ここからは彼女の出自がロシアなのかウクライナなのか分かりませんが、ユダヤ人ではないことは確かです。

彼女は1923年にキエフで生まれ、2010年に(ドイツの)フライブルクで没しました。早くからフランス語とドイツ語の勉強をし、1941年にキエフの大学で西欧語学部に入学。その傍ら、ウクライナ・アカデミー地質学研究所の通訳として働きます。ドイツ軍の侵攻後、ドイツの橋梁建設連合会社で通訳をし、それに対してドイツの大学への留学と奨学金を約束されました。1943年のスターリングラードの戦いでソ連軍が勝利しドイツ軍の敗色が濃くなると、彼女と母親はナチ協力者の追及を逃れるためにドイツ軍とともにドイツに行きます。

そしてドイツで一時、収容所に入れられますが、友人たちの助力があって解放され、1944年にフライブルク大学院に入学。文学と比較言語学を学び、結婚して二人のお子さんを授かりました。その後、1960年からカールスルーエ大学でロシア語を教え始め、1979年から83年にかけてヴィッテン大学でロシア語とロシア文学を教えます。トルストイ、ブルガーコフ、ソルジェニーツェンなどの翻訳で知られ、1990年代以降はドストエフスキーの5大長編の翻訳に携わります。この映画の中で彼女が取り組んでいたのはドストエフスキーの『賭博者』の翻訳で、それを終えてまもなく、彼女はこの世を去ります。

本作のパンフレットに寄稿したエッセイにも書きましたが、このドキュメンタリーの監督であるスイス人のヴァディム・イェンドレイコ氏は当初、目的は手段を正当化するか、という大テーマのもとに、16世紀スイスの宗教改革で起こったカルヴァン派による大虐殺を題材に映画を考えていたらしいんですね。ところが、あるとき彼はその構想とよく似たドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」の章〔15世紀の終わり、カトリックが支配するスペインのセヴィリヤで異端審問が行なわれ、多くの人たちが火あぶりの刑に処せられた翌日、突然イエス・キリストが降臨したという物語〕をガイヤーさんの新訳で読み、さらに彼女の数奇な生涯を知ることで、構想に劇的な変更が生じたということです。

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映画『ドストエフスキーと愛に生きる』より。原書をめくるガイヤーさんの手。

「翻訳とは、方向性を失った繊維を整える作業」というガイヤーさんの言葉を、ドストエフスキーの翻訳をしながらよく思い出します


ガイヤーさんの手とお孫さんの手が折り重なるシーンや、ガイヤーさんがページをめくる手などがとても印象的で、おそらくこういう映像がこの映画の主役ではないかと思います。それと、ガイヤーさんの語る美しい言葉がたくさん出てきますが、中でも「翻訳とは、洗濯をして方向性を失った繊維を、もう一度整える作業」という彼女の言葉を、私はドストエフスキーの翻訳をしながらよく思い出すのです。というのは、ドストエフスキーの翻訳には、原文を読んだ人にしかわからない苦しみがあるんですね。

正直言って、ドストエフスキーは必ずしも優れた文章家とはいえないところがあります。常に締め切りに追われていたせいもあって、口述を彼の奥さんが速記して清書するという進め方をしていました。50~59歳までのわずか9年間に『白痴』『悪霊』『未成年』『カラマーゾフの兄弟』が書けたのは、口述という手法を使ったからで、そのせいでテキストの荒さが否定できません。まさにこのねじれた繊維を、きちんとアイロンをかけて目の整った状態にするのが、ドストエフスキー文学の翻訳者なんです。したがって、このガイヤーさんの言葉は、ドストエフスキーのみにあてはまるものだと解釈した方がいいかもしれません。

たとえば、『カラマーゾフの兄弟』の日本語訳は、米川正夫さん以来7~8種類あります。それぞれ見事な織物でできた服をまとっています。逆に原文を読むロシア人は、ひどい悪文によって物語への没入が妨げられ、われわれ日本人ほど深い読書経験ができないのです。ドストエフスキー文学の全体を読み通すという意味では、訳文より原文で読む方が良いということはまったくなく、日本人の方がはるかに特権的な場所にいます。

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映画『ドストエフスキーと愛に生きる』より。故郷ウクライナの大学に講師として招かれ、「翻訳は常に全体から生まれるもの」と講義するガイヤーさん。

この映画の中で、語られたこと、語られなかったこと


また、ガイヤーさんは「翻訳は左から右へとはっていく芋虫ではなく、常に全体から現れるもの」と言っています。私は1ページをパッと視覚的に再現できる能力がないので、いつも芋虫スタイルで翻訳しています。そして、関係詞が出て来ても、絶対にひっくり返して訳すことはしないと決めています。そうすると意味があいまいになりますが、日本語の訳文として大変に読み易くなるんです。ガイヤーさんの考え方と反しているように思えるかもしれませんが、個々の一部がそれぞれ有機的につながって作品全体を形成するわけですから、実際は矛盾しません。

キエフのウラジーミル大聖堂を訪れる場面でも、ガイヤーさんは「全体(ソム)を見なければ、一つ一つの彫像は理解できない」と言っていましたね。千年の歴史の中で培われたロシア正教には、「全体」という観念が支配しています。全体の中に調和し溶け込むことによって、個は初めて本来の輝きを持つという理念です。ヨーロッパ的な考え方だと、教会を出た瞬間から“個”がはじまりますが、ロシア的精神は逆で、教会の中で司祭の話に耳を傾けたときに、人間は最も理想的な状態になるのです。そして全体や集合へのロシア人の傾斜が、20世紀における全体主義の誕生をロシアに促し、ラーゲリ〔強制収容〕と粛清という悲劇も生み出しました。ガイヤーさんは、翻訳と全体主義の間に横たわる微妙な親和性を発見しているのです。

そして、映画の中で語られなかったことが、この作品にドキュメンタリーとしての無類の価値とリアリティをもたらしているように思います。少しメロドラマティックな読みになりますが、それはガイヤーさんと、彼女の語学力に注目し彼女を庇護したナチス将校ケルシェンブロック伯爵との間に潜むひとかけらの神秘です。監督が彼のことを聞くと、彼女は目を何度もしばたたかせてほとんど言葉を語れない状態になる。親友を失ったバビ・ヤールの悲劇にケルシェンブロックが関与した事実も認めず、どこまでも彼を守ろうとします。「ゲーテやシラーは、ヒトラーとは違う」という彼女の発言からもそれはうかがえます。映画の冒頭でガイヤーさんは「私には負い目がある」と言います。彼女のお父さんがスターリンの粛清の犠牲者になっているので、ある種、ロシアへの憎悪もあるのかもしれない。にもかかわらず、彼女がドストエフスキーをもって恩返しをするという意味には、なにかステレオタイプな理解を拒む深いものがあるように思います。

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映画『ドストエフスキーと愛に生きる』より。若き日のガイヤーさんとゲシュタポの将校ケルシェンブロック伯爵。


亀山郁夫 プロフィール

昭和24年、栃木県生まれ。前東京外国語大学長。現名古屋外国語大学長。東京外国語大学名誉教授。2013年2月、著書『謎とき「悪霊」』(新潮選書)で読売文学賞受賞。主な訳書にドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』(毎日出版文化賞)のほか『罪と罰』『悪霊』など、近著に『新訳 地下室の記録』(集英社刊)。




映画『ドストエフスキーと愛に生きる』
渋谷アップリンク他にて、全国順次公開中

84歳の翻訳家スヴェトラーナ・ガイヤーの横には、華奢な姿に不似合いな重厚な装丁の本が積まれている。『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』『悪霊』『未成年』『白痴』──言わずと知れたロシア文学の巨匠・ドストエフスキーの長編作品。それらを"五頭の象"と呼び、生涯をかけてドイツ語に訳した。1923年ウクライナ・キエフで生まれ、スターリン政権下で少女時代を過ごし、ナチス占領下でドイツ軍の通訳として激動の時代を生き抜いた彼女の横顔には、戦争の記憶が深い皺となって刻まれている。一人の女性が歩んだ数奇な半生に寄りそう静謐な映像が、文学の力によって高められる人の営みを描き出す。

webDICE Dostevski

■監督:ヴァディム・イェンドレイコ
■撮影:ニールス・ボルブリンカー、ステファン・クティー
■録音:パトリック・ベッカー
■編集:ギーゼラ・カストロナリ・イェンシュ
■出演: スヴェトラ-ナ・ガイヤー、アンナ・ゲッテ、ハンナ・ハーゲン、ユルゲン・クロット
■製作:ミラ・フィルム
■配給・宣伝:アップリンク
(2009年/スイス=ドイツ/93分/ドイツ語・ロシア語/カラー・モノクロ)

映画公式サイト:http://www.uplink.co.jp/dostoevskii/
映画公式ツイッター:https://twitter.com/DostoevskiiJP
映画公式facebook:https://www.facebook.com/DostoevskiiMovieJP




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◆映画の中でスヴェトラーナさんが作る、ロシアとドイツそれぞれの伝統料理をベースにした彩りも美しいレシピをLIKE LIKE KITCHENの小林紀代美さんが再現

◆毎日の暮らしを丁寧に過ごすスヴェトラーナさんの家をイメージし、人気雑貨店Roundaboutのオーナー小林和人さんと、fog linen workの関根由美子さんが、いつまでも愛着を持って使い続けられる生活雑貨をセレクト

◆名翻訳家スヴェトラーナさんにちなみ、柴田元幸さん、野崎歓さんなど、日本国内で活躍中の気鋭翻訳家9名の仕事風景をとらえた貴重な写真とインタビューを掲載

◆ドストエフスキーの新訳が大反響を呼んだ亀山郁夫さんによるエッセイ

◆平野啓一郎さん、太田直子さん、伊藤聡さんらによる、お薦めドストエフスキー作品の紹介

◆小林エリカさんによる描き下ろしイラスト

【図書コード】ISBN978-4-90072-859-2
【定価】800円(税抜)
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▼『ドストエフスキーと愛に生きる』予告編


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