骰子の眼

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東京都 渋谷区

2014-05-29 22:59


「あの悪魔は子供の頃のトラウマから生まれた」『闇のあとの光』レイガダス監督が明かす魔術的リアリズムの源泉
映画『闇のあとの光』より ©No Dream Cinema, Mantarraya Productions, Fondo para la producci'ón Cinematogr'áfica de Calidad (Foprocine-Mexico), Le Pacte, Arte France Cinema.

メキシコの鬼才、カルロス・レイガダスの『闇のあとの光』が5月31日(土)より公開される。今作は2012年のカンヌ国際映画祭で上映され、賛否両論を巻き起こしつつも監督賞を受賞、その後同年の東京国際映画祭でも上映された。メキシコの村を舞台に、ある家族のもとに赤く発光する〈悪魔〉が訪れたことをきっかけに起こる日常の歪みを、自伝的要素も含めながら、様々なイメージを折り重ねた魔術的リアリズムで描いている。レイガダス監督が、今作制作におけるディティールや撮影手法について答えた。

あるのは私自身の制限だけです

──とても自由に作られた映画という印象を受けました。自分が作りたいものを作るのだという作家の意思表明だと捉えていいのでしょうか?

はい。私は映画を作る時、自分が何を感じ、何を考え、何を想像しているのかを伝えようとします。幸運なことに、それをするにあたって制限は存在しません。あるのは私自身の制限だけです。私には制限はありますが、それでも完全に自由だと感じています。

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『闇のあとの光』のカルロス・レイガダス監督

──随所に万華鏡のようなエフェクトが用いられています。あの縁がぼやけたイメージを採用した理由は?

屋外で撮ったシーンは縁がぼやけていています。室内シーンはぼやけていません。この手法を選んだ理由は、単純に人生をどう見るかという美学の問題です。これは人生についての映画です。私たちは人生を二重に捉えることがあります。

──この作品は、フアンとナタリアという白人夫婦の家族の光景を中心に、様々なイメージの映像が挟み込まれます。なかでも、夫婦の友人であるセブンが自らの首をはねるシーン、そして10代の男の子たちがラグビー競技場で激しくぶつかり合っているシーンがとても気になりました。どのように発想されたのですか?

あの切断される首は、大多数のメキシコ人が眠りにつく前に思い浮かべるイメージです。悲しいことに今、メキシコは世界でもっとも頻繁に首が切断されている国です。メキシコ人にとっては身近なイメージなのです。斬首シーンはメキシコの苦しみの象徴として自然発生的に生まれました。一方、ラグビーのシーンも自然発生的に生まれたものですが、シーンが持つ意味は対照的です。私たちはまだ若く、遊ぶことが好きで、先に進み続けることを表しています。

──山の中の木が倒れるのも人生のメタファーですか?

そう捉えることもできると思います。映画のラストで世界は崩壊します。

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映画『闇のあとの光』より ©No Dream Cinema, Mantarraya Productions, Fondo para la producci'ón Cinematogr'áfica de Calidad (Foprocine-Mexico), Le Pacte, Arte France Cinema.

現実と同様に、映画の中でも人々が感じるままに動き回ること

──光がとても重要な役割を果たしていると思いました。監督にとって光とは? また、過去や未来や夢やファンタジーが地続きであるこの映画のナラティブ(話法)は独特ですが、ナラティブに関するあなたの考えを聞かせてください。

前作『静かな光』(2007年)に引き続きタイトルに「光」が入っているので、この監督は光に関して何か問題を抱えているのか?と思われるかもしれませんね。それはさておき、『闇のあとの光』という表現は、劇中で主人公が経験することを完璧に言い表していると思いました。多くの人の人生がそうであるように、主人公の周りにはあまり光がありません。しかし最終的に彼は何かを見つけ、すべてのものが光り輝いていると言います。このモチーフを私はとても気に入っています。同じことを素晴らしいかたちで描いているのがトルストイの『戦争と平和』です。『戦争と平和』は私が今まで読んだ中でもっとも美しい小説です。インスパイアされたと言えるかもしれません。

ナラティブに関しては、私はできるだけ現実的な映画を作ろうとしているに過ぎません。私たち人間は普段の生活の中で、過去のイメージ、夢、思い出、幻想、将来のビジョン―大抵は想像した通りにはいかないものですが―といったものを生きています。そしてある状態から別の状態に変わる時に、何らかの印が出てくることはありません。ですから映画にも印を入れたくないと思いました。観客は賢明ですし、映画の読解力も進んでいますから、劇中の何が過去で、何が将来で、何がファンタジーかを示す必要はないと思ったのです。私の映画は観客をリスペクトしているからこそ、このような語り口になるわけです。観客は成熟した大人で、知性を持っています。この映画が好きではない人がいることは、私にとって好ましいことです。なぜならそれは、他の人たちはこの映画が好きだということですから。現実と同様に、映画の中でも人々が感じるままに動き回ることは、素晴らしいことです。

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映画『闇のあとの光』より ©No Dream Cinema, Mantarraya Productions, Fondo para la producci'ón Cinematogr'áfica de Calidad (Foprocine-Mexico), Le Pacte, Arte France Cinema.

──子役の二人は監督のお子さんですよね?

そうです。子どもたちは最高の俳優です。子どもを撮ることは、水や木を撮るようなものです。映画の撮影であることを意識していない彼らは、その存在すべてが自然です。彼らは演技をするのではなく、ただそこにいます。普段走り回っている時と同じように、素の自分でそこにいる。私は大人の俳優を演出する時も、そのような状態を目指しています。

──あなたの作品は深刻で複雑な事柄を描いていますが、同時にユーモアも感じられます。あなたにとってユーモアとは?また、上流階級の人々がサウナに集まり乱交するシーンはどこから発想したのですか?

ユーモアと言えば……たとえばバスター・キートンは私のヒーローです。コミカルな監督の作品は何度も観たくなります。私の映画は陰気で悲観的だと言われるとびっくりします。自分ではユーモアのセンスにあふれた人間だと思っていますし、普段からよく笑っていますよ。サウナのシーンに関しては、いろいろな人から聞いた経験談が基になっています。

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映画『闇のあとの光』より ©No Dream Cinema, Mantarraya Productions, Fondo para la producci'ón Cinematogr'áfica de Calidad (Foprocine-Mexico), Le Pacte, Arte France Cinema.

──マーティン・スコセッシがジョルジュ・メリエスの映画『ヒューゴの不思議な発明』を作りましたが、今、多くの人が映画の未来について考えています。特にアートハウス映画は絶滅するのではと危惧する人もいますが、レイガダス監督はどう思われますか。

私はある時、映画館にいてふと気づいたのですが、映画というのは、昔からある絵画の様式、つまり私たちの祖先が洞窟に動物の絵を描いていた時から変わらない絵画の伝統を汲むものです。映画のもっとも重要なアスペクトはフレーミングです。このフレーミングが消えてしまうと、絵画の伝統も失われます。ただ私にはアートハウス映画が絶滅するとは思えません。エンターテインメントに徹した映画が存在するのと同じように、アートハウス映画も存在し続けると思います。文学と同じです。文学のカンファレンスでは、誰も三文小説の話はしません。文学に多種多様なジャンルが存在するように、映画にも様々なジャンルがあります。

──今作には〈悪魔〉が二度登場します。フレンドリーにも見えるあの〈悪魔〉は一体何を意味しているのでしょう。

悪魔が何を意味しているかは説明できませんが、悪魔がどこから来たかは言えます。あのシーンを撮影したアパートは、私が人生の最初の5年間を過ごした場所です。悪魔が手にしているツールボックスは私の父のものです。私が生まれる前から父が持っていて、今も使い続けているものです。そしてあの夢は子供の頃に何度も見た夢です。映画に入れたということは、私にとってあの夢はトラウマだったということなのでしょう。

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映画『闇のあとの光』より ©No Dream Cinema, Mantarraya Productions, Fondo para la producci'ón Cinematogr'áfica de Calidad (Foprocine-Mexico), Le Pacte, Arte France Cinema.

──映画の撮影手法に関して、他の作品からの影響はありますか。

他の映画から影響を受けることはありません。この映画は私の潜在意識から生まれたものです。直感で作ったと言えます。実際、脚本はあっという間に書き上げました。内容の合理性を考えたり、何かを理屈で説明したりする必要性を感じませんでした。ただ感じたことをそのまま綴っていったのです。ですから新しいことをしてやろうという気持ちは特にありませんでしたが、他の作品を参照しなかったのは事実です。撮影時のカメラの構図については、私はカメラを使う時、対象をただ見るのではなく、感じます。前から撮るとか、後ろから撮るとか、何かの隣に置いて撮るとか、そういうことは問題ではありません。フォーマットは撮影場所に合わせました。壮大な地平線が広がる場所では、対象が小さく見えてしまわないように18mmの短いレンズを使いました。フォーマットに高さがあることは、山を撮る上で非常に重要でした。またこのフォーマットは人間を撮る時も力を発揮します。人間を美しく見せます。そのことは私にとって大きな発見でした。

──冒頭の少女が動物たちと戯れているシーンは、とても自然で幸せで平穏な光景でありながら、不穏さも感じさせます。映画のトーンを決定づけているように思いました。

映画のトーンは非常にはっきりしています。そしてそれは時に相反する要素を含んでいるのです。

(カンヌ国際映画祭 記者会見より)



カルロス・レイガダス プロフィール

1971年、メキシコシティ生まれ。高校時代、本作のラグビーの場面の撮影地でもあるイギリスのMount St. Mary’s Collegeに1年間留学。メキシコシティの大学で法律を学んだ後、ロンドンで紛争解決学の修士号を取得。メキシコ外務省の一員として欧州委員会で働く。1997年、映画作家になることを決意。翌年、ベルギーはブリュッセルの映画学校を受験するが、提出した短編の完成度が高過ぎるという理由で入学を拒否され、独学で映画作りを始める。1998年から1999年にかけてベルギーで4本の短編を制作。2000年、メキシコに帰国。2002年、初の長編『ハポン』を発表。本作は2005年の『バトル・イン・ヘブン』、2007年の『静かな光』に続く長編第4作目となる。




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映画『闇のあとの光』より ©No Dream Cinema, Mantarraya Productions, Fondo para la producci'ón Cinematogr'áfica de Calidad (Foprocine-Mexico), Le Pacte, Arte France Cinema.

映画『闇のあとの光』
5月31日(土)よりユーロスペースほか全国順次ロードショー

メキシコのとある村。愛らしいふたりの子供と美しい妻ナタリアとともに暮らすフアンは、何不自由ない恵まれた日々を送っていた。ところがある夜、赤く発光する“それ”が彼の家を訪問したときから、なにげない平和な日常は一転し、様々な問題が露わになってゆく。フアンの家に現れた“それ”とはいったい何だったのか?禍をもたらす「悪魔」なのか、それともどこかに彼らを導こうとする「神」なのか……。

監督・脚本・プロデューサー:カルロス・レイガダス
出演:アドルフォ・ヒメネス・カストロ、ナタリア・アセベドほか
原題:Post Tenebras Lux
メキシコ=フランス=ドイツ=オランダ/2012年/カラー/115分
提供:フルモテルモ、コピアポア・フィルム、日本スカイウェイ
配給:フルモテルモ、コピアポア・フィルム
宣伝:Playtime、平井直子

公式サイト:http://www.yaminoato.com/
公式Facebook:https://www.facebook.com/yaminoato
公式Twitter:https://twitter.com/yaminoato

▼映画『闇のあとの光』予告編

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