映画『黒四角』より © 2012 Black Square Film Gootime Cultural Communication Co., Ltd
『波』『青い車』の奥原浩志監督が中国で作り上げた映画『黒四角』が5月17日(土)より公開される。奥原監督は、2008年に文化庁の在外研究制度で中国に渡ったのをきっかけに、日中のスタッフを集め中国で撮影を敢行し今作を完成。2012年の東京国際映画祭でワールド・プレミア上映されたものの、尖閣諸島問題により中国スタッフ・キャストの来日が実現せず、現在もまだ中国本土での公開は認められていない。『2001年宇宙の旅』のモノリスを思わせる「黒四角」の登場をきっかけに現在と過去の世界が交錯するなか、日本と中国の「戦争と現在」というテーマを描いた今作の製作の背景、そして現在の中国映画の実情について、奥原監督に聞いた。
文化庁の在外研究制度
まず酒飲んだりすることからしか始まらないんじゃないか
──この『黒四角』の製作の前に、2008年に文化庁の海外研修制度を利用して中国に行かれたそうですが、どうやってエントリーをするのですか?
文化庁のホームページに載っている募集要項をもとに、書類を作って提出しました。最初は書類審査があって、その後面接があります。
映画『黒四角』の奥原浩志監督
──中国を研修先に選んでいる人は多いのですか?
いえ、少ないです。音楽やダンスなどの分野のアーティストもいるので、たくさんいる面接官のなかから映画担当の人から質問を受けます。ほかにも、園子温監督も行っていますが、大道具の人が行っていた年もあったので、よほど映画での応募者がいなかったのかなと思いましたね。ちなみに2008年度の研修員は総勢160数名いまして、そのうち僕を含めて2人だけが北京でした。もう一人は現代美術をやっている男でいい友達になったのですが、彼を通じて北京で美術方面の友人関係が広がり、『黒四角』は彼らに刺激を受けた部分が多くあります。
──研修期間中はどんなに近い国でも帰ってこられないんですよね。お金はどうやりくりするのですか?
日給として支給されます。それも行く国によって甲乙丙のランクがあって、中国・北京はそもそも書いていないので、自動的にいちばん安いランクですね。日給7,000円ちょっとでした。一ヶ月で22万くらい。円高の当時のサラリーマンの普通の初任給で2,500元(30,000円)だから、北京では超高給です。日給は、日本の銀行に年2回に分けて振り込まれます。北京にはだいたいの場所にATMがありますから、ATMからクレジットカードでキャッシングするのがいちばんいいんです。元で引き出して、カード会社の決済がかかるのが2、3日くらいかかるので、3日後にぜんぶ返済すると、3日分の利子しかかからないし手数料も安い。だから自分の日本の口座から返済するのがいちばんお得でした。お金は生活費と自分の創作活動に使うことができます。使わなかったら、そのまま映画の製作費に使えるので、とっておけばいいし、そのお金でなんとか中国に長くいようという考えがあったので、倹約していましたよ。
──一年間の北京の研修の後は、どんな風に報告するのですか?
こんな活動をしていました、と月1回レポートを送るんです。最後の回以外は、そんなに長くなかったです。
──研修中はどこか学校に通うのですか?
なんでもいいんです。最初は電影学院の語学学校に入りました。学費が100万くらいかかりますし、授業に出たところで言葉が分からなければ意味がないので、授業には出ませんでした。
──しゃべれない状態で中国に行って、最初はどうするのですか?
まずこの土地がどんな感じか分からなかったので、人とも知り合わなければいけないけれど、撮る目的で誰かに近寄って、そのために友達になろうという考えが俺はあんまりないので。適当に酒飲んだりして、そういうところからでした。結局そういうことからしか始まらないじゃないかと思うんです。そのときたまたま知り合った人と徐々に世界を広げていって、というぐらいのことしか考えていなかったですけれどね。
──でも結果的に、映画を作っている人たちと出会うことができたんですよね?
だけど、そんなに多くないですよ。出会った人に「こういうことをやりたいんだ」という話をすると、友達を呼んできて、そこでまた知り合ったりする。あとは、そのとき電影学院にも友達が少しできたので、撮影を見にいったり、学生の宿題みたいな映画で照明を手伝ったりしていました。それから、リム・カーウァイが次の年の5月くらいに自主制作で彼の最初の長編『アフター・オール・ディーズ・イヤーズ』を北京で撮ったので、それはがっちり参加しました。その後、9月から1ヶ月くらい、電影学院に来ていた湖南省の友達が映画を撮るというので行きました。リムのときは大勢スタッフがいたので、照明をやったりしていたんだけれど、湖南省では、最初は8月くらいに撮るつもりだったのを、1年に1回日本に戻らなければいけないので8月は難しいと言うと「いつなら来れるんだ、お前が来られるときに撮るから」と言われて。現場に行ってみると、その監督と、もうひとり電影学院の学生と3人で映画撮ったことがあるのは俺だけだった。撮影は今デジタルなので監督でできるし、録音もなんとか後でなるかなということで、いちばんみんなが分からない照明をやったんです。しかも機材がなくて、電気屋行ってぜんぶ材料を買ってきて、自作の照明をいっぱい組み立てました。その監督は、恩を返そうと『黒四角』では出演をしてくれたんです。
製作と予算
検閲があるから中国のインディペント映画が苦しい、
という図式は成り立たない
──研修から、この映画に至るまでにはどういうプロセスなのですか?
その前からこの中国で撮る企画は自主でやろうと思っていたので、準備もしていました。撮影したのは2012年の3月なんですが、その1年くらい前から出資を探していたけれど、結局あまり相手にされなくて。結局、金持ちの日本の友達がいまして、彼にお金を借りて、撮影を乗り切るくらいのお金は自分で作ったんです。だけどこの5年で中国の社会はガラッと変わって、大金持ちがどんどん増えて生活のレベルはかなり上がる一方で、一般庶民の初任給自体はそんなに上がっていない。
映画『黒四角』より © 2012 Black Square Film Gootime Cultural Communication Co., Ltd
──中国インディペンデント映画祭の取材のときに、監督たちから「製作費60万元(約1,000万円)では、トイレくらいしか作れない」という話を聞きました。
まず今は電影学院はコネと金がないと入れないんです。受験のとき書き込む書類に「いくら寄付できるか」という項目がちゃんとある。それからみんなひとりっこだと思うのですが、普通の親だったらひとりっこの子どもをビジネスの勉強をさせたい。そこを芸術系の学校に行かせることができるのは、余裕がある家庭です。今はまた変わってきていて、映画は金になる、ということになってきていますけれどね。
──ハリウッドのSFやアクション映画も中国のほうが日本よりも興行収入が4、5倍になってきていますし、アメリカのAMCを中国の大連万達グループが買収したから、まずアメリカにプラットフォームを作って、そこに中国映画を公開していく。中国が文化大国を目指すために、文化を世界に輸出していき、官民一体で中国人の価値観を押し付けていこうとしている、という話を聞きます。一方で、スクリーン・クォーター制度があるから、1年間に上映できる外国映画が34本と決められていて外国映画が容易には市場に入ってこられない。
その一方で、ボックスオフィスでは半分以上が外国映画になっている。
──だからそれを全面解禁してしまったら、中国映画が消えてしまうだろう、という話ですよね。
思うのは、いわゆるインディペンデント系の映画が苦しいのは別に中国だけではない。中国は検閲があって上映ができないというかせがあるからクローズアップされるけれど、苦しいのはどの国も苦しい。日本では興行はできるけれど、だからこそ余計お金が出ていってしまう苦しさもある。検閲があるから中国はインディペント映画が苦しい、という図式は関係ないですね。
──そうですね。この映画はどれくらいの予算で作られたのですか?
具体的な金額は差し控えたいのですが、一般的な新車2~3台分くらいです。半分は中国のプロデューサーの李さんが出しました。彼は酒の輸入販売の会社を経営しているんです。もともと映画や演劇に興味があって、まず金を稼いでからやろうと思って、会社が成功して余裕ができたから始めたんだ、と言っていました。
──でもお金を出すときに、これで回収できるとは思っていないでしょう。
そこは中国人は回収するつもりでみんな出しますよ。だから李さんも、最近やっと諦めがつき始めたのかな。最初から俺は「これは回収は無理だよ」というところから始めて、「分かった、それでもいい」と言ったのは、彼なりにある程度、俺に対して政治力を発揮して、自分がいろんな部分を変えて、中国のマーケットに乗せる作品にしたかったからだと思うんです。
検閲を通すべくプロデューサーが何回もチャレンジしている
──そうすると、製作の企画の時点でいろいろ議論があったのですか?
1回だけ駆け引きがありました。彼が入ってきたのが3月の撮影の直前でしたが、「やっぱり全額出す。その代り一回この撮影を止めて、もっと商業映画のスタイルに変えてやらないか」と言ってきた。でもそもそも李さんが入る前からずっと準備していたし、俳優の中泉英雄やカメラマンのスケジュールも押さえていた。撮影が終わるまでなんとかできる、くらいのお金は自分で用意していて、撮影後のポスプロは、時間がかかってもいいからまた別に集めてやろう、というつもりだったんです。だから、「別に出資しなくてもいいよ、そもそも自分でやるつもりだったから」と答えたら「やっぱり出す」と言ってきて。
──今中国では、プロデューサーとして映画を製作することはステイタスになるのでしょうか。
中国の映画は現在、地方の炭鉱会社の社長のような人がスポンサーとして支えている部分が大きいので、そういう人たちはもしかすると大雑把な考えで参入しているかもしれないですね。ただ李さんは北京の人だし、プロデューサーとしてこれまで2、3本手がけているのでそうは考えていなかったと思います。
──李さんは、商業公開するなら、脚本からなにから電影局に通さないといけないことを知っているんでしょう?
脚本は通しましたよ。でも、最初に脚本をそのまま出したら、「こんな訳の分からないものを撮らせるわけにはいかない」という返事が来たんです。
──政治的とか性描写よりも、訳が分からなかったらだめなんですか。
「歴史を捏造している」とか、いろいろ書いてありました。それから黒い四角から人が出てくるのもだめなんです。大衆を惑わすから。唯物論なので、霊魂とかだめなんですよ。さすが共産主義ですね。
──でも香港のキョンシーや、空を飛んだりするワイヤーアクションは大丈夫なんですか?
キョンシーは特例として大丈夫、と聞いたことがあります。
──では脚本は最終的にどうなったのですか?
その後プロデューサーが通るように直してくれました。しかも通ったのは、撮影が終わってからかなり経ってからだったんです。日本で撮影許可というと、現場でロケバスで見せて撮るというイメージだけれど、中国での撮影許可というのは、完成後の検閲までの間国内で大手を振って存在していい映画、という証明みたいなものです。
──通した脚本と違うことを撮ってもいいのですか?
別にいいんですよ。撮っているうちにこういう風になってしまったということは映画ではあるので。
──プロデューサーによる脚本では黒い四角は全く出てこなかったのですか?
俺は一切見ていないから分からない(笑)。
──では完成した作品は電影局には通しましたか?
プロデューサーが何回もチャレンジしているんです。編集を変えて、今100分くらいのヴァージョンになっているらしいんです。もし検閲が通っても、公開はまた大変なんですけれど、中国には単館に近いかたちの映画館が広州と北京と何ヶ所かだけあって、そこではやってくれるんですよ。その劇場の人とも李さんは話をつけていて、検閲が通ったら上映してもらうことになっているんです。でもどちらにしても、週1回ぐらいの上映で、その代り半年ぐらいやってくれるシステムなので、そこで興行収入を、というのは見込めない話なんです。
──中国の劇場の入場料金は?
場所と曜日で違っていて、週末のいい場所でいい時間で観ると、2,000円くらいするけれど、平日の午前中のへんぴな劇場だと10元くらい。今はみんなむしろネットで買うんです。
──では李プロデューサーは公開はまだ模索している状況なんですか?
検閲を通すとテレビ局とネットで上映してもいいので、値段は安いかもしれないけれど売れるんです。もともとそんなに大きな予算の映画じゃないから、それがあるだけでもかなり助かるんじゃないでしょうか。
──もし検閲が通れば、こういう芸術映画もネットやテレビで放送されているんですか?
きっと買ってくれますね。あと中国にはCCTV-6チャンネルという映画専門チャンネルがあって、そこで流すためだけのテレビ映画というジャンルがあって、それが規模でいうとこれと近いんです。1,000万円で80分くらい。その金額でやらなくてはいけないから、わりと小さい物語も作っています。ただ、これを作ったときも、ライン・プロデューサーから「撮影は1週間くらい?」と聞かれましたが、これは1ヶ月かかりました。
物語と撮影現場
日本と中国、異なる現場の意識の違い
──ではこの映画の内容についてですが、このストーリーを中国で撮るのか、という驚きがありました。そもそも人心を惑わすドアが飛んだり、ふっと出てきたりというアイディアは何を元に生まれたのですか?
撮影したソンジャンという北京郊外の芸術家村の気分、行ったときの感じからかな。9月に行って、一緒に派遣された現代美術をやっている日本人の男ふたりで行ったんだけど、そいつがすぐそこに住み始めたんです。そこに遊びに行くようになって、そのときに、ここで映画作ったら面白いんじゃないか、やっぱりSFかなとそのとき思ったんです。
映画『黒四角』より © 2012 Black Square Film Gootime Cultural Communication Co., Ltd
──そこに過去の戦争の物語をミックスさせようと思ったのは?
それはまた別で、やっぱり行ってから日中戦争について興味が高まって。最初は知識として持っていたほうがいいなと資料を読み始めたんだけれど、中国のほうが戦争の記憶というテーマについては身近なので。あの戦争を今もずっと引きずっていると思うし、実際大問題になっている。そうすると、過去のことだけれど、現在の問題と繋がっていることをちゃんと描かないといけないんじゃないかと思ったんです。でも、この映画が中国で上映できないいちばんの問題は、日本人が脚本を書いて監督したということです。種田陽平さんは中国映画でひっぱりだこですし、カメラマンでも中国で活動する人は多いですから、スタッフは中国に行っていますけれど、脚本と監督は日本人だと、今はなにをやってもだめですね。
──それは、この映画の撮影の後、東京国際映画祭での上映の前に、尖閣諸島問題が勃発したからですか。
あそこからだと思いますよ。だから中国人の友達が言うには、もし中国人が撮っていたら別に問題はないと。戦争自体の話はなにも引っかかるところはないんです。
──日本のインディペンデントの現場と中国のインディペンデントの現場、何がいちばん違ったのですか?
スタッフの意識が違います。日本で小さい自主映画をやると、映画原理主義のような、宗教っぽいところもあるじゃないですか。みんなとりあえずこの作品のために、という同じ方向を向ける実感がある。そうじゃないと居づらいし。でも中国でやると、個人個人で意識がバラバラなので。今回は自分で集めてきたスタッフで足りない部分を中国のライン・プロデューサーが集めてきました。
──今の中国には、中国での商業映画や海外から中国に来て撮影する場合も、チャンスがあればスタッフとして入ってくるフリーの人がある程度いるということですか?
ただ、底辺もお金がすごく上がっているのに、日本のレベルから考えると、わりと酷かったりする。なかにはちゃんとできる人もいるんですけれど。あとは人間関係もあります。今回の場合は、ライン・プロデューサーとふだん一緒に仕事をしているから参加するか、ということもあります。
──奥原監督以外に、作品の内容について話すチームは?
内容については役者と話しますし、撮影に関してはカメラマンの槇憲治さんと話しました。助監督は東伸治さんという現地採用の方で、この映画では現場の仕切りだけですが、仕事ができるので助かりました。電影学院を卒業して、中国の現場のほうが経験が多い人で。あとは美術と録音、撮影助手、照明助手が現地のスタッフです。
──でも美術は作品を理解しないとデザインできないですよね。
まず脚本を理解してもらうのが大変でした。ただ、中国だと美術のポジションが違って、ロケ場所を探したりするのも美術の仕事で、プロダクション・デザインの考え方なんです。そこは勉強になりました。
──黒いドアはスタッフのなかではどういうことを考えていたのですか?
これは日本で全部CGで作ったんです。
──では現場では誰も見ていないんですね。
黒四角が空を飛ぶシーンがありますが、「どうやって飛ぶと思う?」という話でみんな盛り上がったりして(笑)。「縦に飛ぶ」「横になって飛ぶ」とかいろんな意見が出ました。俺は最初にくるくる回りながら飛ぶというのを考えていたんですが、CGでお金がかかってしまうのでやめました。
──日中戦争については、意識の違いはありましたか?
役者と話して、向こうも意見を出してきました。でも一回、40年代のシーンを撮っているときに、軍隊が山道を歩くところでカメラマンがポジションを決めるために、出演もしている助監督の東さんが軍服着たままスコップで樹を倒していたら、中国人スタッフが環境問題を持ち出してものすごく怒りだして、険悪なムードになったことはありました。撮影の終盤で中国人のスタッフみんなストレスが溜まっていたのかもしれないけれど、「軍服を着た日本人が樹を切っている」というその画に対して感情的になったんでしょうね。
──向こうの衣装屋に日本の軍服は並んでいるんですか?
毎日テレビで抗日ドラマをやっているからものすごくありますよ。国営の伝統的なスタジオで八一映画撮影所というのがあって、衣装を借りに行ったんです。そこには軍服がずらっと揃っていて、「設定は何年だ」と聞かれて「1943、4年の設定だ」と言うと「分かった」と装備も一式出てきて。借りるのも安いんですよ。エキストラは50人くらい大型バス1台で来てもらったんですが、軍服を揃えてエキストラ50人使っても、10万円かからなかったかな。そうした経費は安いですね。
──中国スタッフとキャストには初号試写を見せたのですか?
自宅で編集していたので、部屋によく飯を食いがてら編集を見にきていました。ちゃんと上映したのは、電影学院のイベントで、みんな喜んでいましたよ。李さんもすごく喜んでいました。というのは、この予算で映画を作るということは普通の中国の商業映画ではありえないから。あの値段でよくこんなものを作れてすごい、というようなところはあったんでしょうね、きっと。
中国のインディペンデント映画事情
中国映画に出資するには
──今年ベルリン映画祭でディアオ・イーナンが『白日烟火』で金熊賞を取ったけれど、「自分の映画は商業的じゃないので、こういう映画は中国では公開するのはなかなか難しい」とプレスに答えていました。中国では今、ほんとうにインディペンデント映画の見せ場がない状況なんですか?
そうですね、検閲を通さないと興行してはいけないですし、通ったとしても劇場でかけるのが難しい。
──それは配給側が商売にならないと判断するからですか?
配給も中国電影集団というひとつの会社がすべて吸い上げる構造になっているから。ジャ・ジャンクーの映画とかはいちおう公開するけれど、3日くらいで終わったりしますからね。お客さんが入らないと切ってしまう。
映画『黒四角』より © 2012 Black Square Film Gootime Cultural Communication Co., Ltd
──今中国には映画にお客さんが入っているのですか?
スクリーン数がめちゃくちゃ増えた。だからスクリーン単価だと落ちたらしいですよ。北京でも、ほとんどお客が入ってない映画館はいっぱいある。
──そこに、ローバジェットでエンターテインメントを作って当ててやろうというプロデューサーは出てこないのですか?
たくさんいます。それで成功例がいくつかあります。『CRAZY STONE(瘋狂的石頭)』という低予算でものすごく儲かった映画があって、寧浩(ニン・ハオ)監督は今超売れっ子です。去年いちばんヒットしたタイで撮った映画『泰囧(タイジョン・『旅の男はつらいよ』)』もそんなにお金がかかってないはずです。だから博打としては魅力があるんじゃないでしょうか。
──インディペンデント映画、あるいは芸術的映画というのがマーケットに受け入れられない、というのは中国だけの問題ではなく世界中の基本で、でも『CRAZY STONE』みたいな発想というのは日本もアメリカも考えていると思うんです。
インディペンデント映画といっても幅が広いでしょう。昔はフィルムというものがあったから、映画といったときに分かりやすいイメージがあった。映画とはなにかというのが線引きできたけれど、今はそうではない別に映画と呼ばなくてもいいわけですし、人によっては、現代美術の人たちがやっているインスタレーションに近づいていってもいい。でも、俺はもともと〈物質〉だった頃の映画に憧れて始めたので、自分が思っている映画をやりたい。そうすると、やっぱり難しいんですよ。
──今の中国の状況だと、リアリティショーみたいなドキュメンタリー的なものを『あいのり』のようにビデオで撮って作ったら、ヒットする可能性はあるかもしれない。
そういうことは思います。中国は映画に対してはまだうぶなので。『泰囧』はサモ・ハン・キンポーがやっていたような香港コメディっぽい雰囲気があって、俺からすると懐かしい感じがしたんだけれど、今のお客さんにとっては新しいんだと感じましたし。このあたりを色気を出してやってみたいということも思います(笑)。
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中国映画はハリウッドの規模になりつつある
──また中国で撮りたいという気持ちはありますか?
撮りたいですね。内容によっては日本より予算が押さえられますし、日本人が中国で商業映画をやろうというのは現実味がないですが、この規模の映画だったら少しはノウハウができたので、もっといいやり方ができると思います。場所も人も面白いですし、物語もたくさんあるし、北京じゃなくても、地方でも撮りたい。でも、『黒四角』で借金を作ってしまったので、もう一回これをやるというのは今は無理なんだけれど、例えば日本で1,500万くらいの予算で中国を舞台に映画製作しませんか、という話があったら喜んでやりますよ(笑)。俺じゃなくても、中国でインディペンデントで映画を作ってみたい人がいれば、相談はいくらでも受けます。
──出資を受けて製作というのも?
『CRAZY STONE』くらいそこそこの予算(『CRAZY STONE』の予算は300万元/約4,800万円)がかかる作品なら、完全自主企画ではなくて、出資先を探して製作したほうがいいですね。しかも、日本人が中国映画に直接投資して進めるとリスクが大きく、黒沢清監督の『一九〇五』のように製作開始時と政治的・社会的状況が全く変わったことで製作中止になってしまったり、完成しないままお金を吸い取られて返ってこない可能性もあります。だから、例えば中国映画に出資している台湾の会社に投資する、というかたちのほうがいい気がします。
──中国語や北京語が分からなかったら、チェックしようがないですからね。
仮に大ヒットして100億円利益があったとしても、向こうに「100億円宣伝費として使ってしまったんです」と言われたらおしまいですから。
──でも、もし中国のマーケットに一獲千金の可能性があるとしたら、面白いですよね。
ハリウッドの規模になりつつあって、日本が太刀打ちできないところまで行っています。
──『ゼロ・グラビティ』でも中国の宇宙ステーションを出したり、ハリウッドが中国が悪者になっている脚本を全部変えて、どれだけ中国に受け入れられるかを考えている。売上が日本を超えた時代になったんだから、それは意識しますよね。
『アイアンマン3』も中国版でファン・ビンビンが脈略もなく出てきたり。10倍の人間がいるんだから、まだまだこれからですよ。
──最後に、『黒四角』は海賊盤DVDにはなっていないのですか?
出ていないですね。流出が怖いのできちんとデータの管理はしています。ただ、もし日本でDVDがリリースされたららすぐ出るでしょう。今は海賊盤はDVDではなくネットです。正式な動画サイトは課金制で、中国国内の映画に関してはネットでの権利が整備されて、ちゃんとお金をとれるようになったらしいんですが、非正規のネット業者は広告で儲けている。
──誰かが字幕を入れているんですか?
それが字幕集団がいるらしく、日本で放映したテレビ番組が翌々日くらいにはぜんぶ字幕入りでアップされている。冒頭に中国の企業のCMが1分くらい入っていて、スキップできないようになっている。でもきっとメリットもあると思います。例えば向井康介が俺と同じように研修で北京に来ていますけれど、彼が手がけているドラマ『深夜食堂』は中国でも有名で、みんなネットで観ている。だから日本の脚本家だと言ってもいまいちピンとこないけど、「『深夜食堂』を書いてる」というと羨望の眼差しで見られる(笑)。海賊盤業者が無料で営業をしてくれているんです。
(取材・浅井隆 構成:駒井憲嗣)
奥原浩志 プロフィール
1968年生まれ。『ピクニック』がPFFアワード1993で観客賞とキャスティング賞を、『砂漠の民カザック』がPFFアワード1994で録音賞を受賞。99年に製作された『タイムレス・メロディ』では釜山国際映画祭グランプリを受賞した。その後『波』(01)でロッテルダム国際映画祭NetPac Awardを受賞するなど、高い評価を受ける。その他の作品に『青い車』(04)、『16[jyu-roku]』(07)がある。本作品は、5本目の長編劇場作品に当たる。
映画『黒四角』
5月17日(土)より新宿K's cinemaほか全国順次ロードショー
北京郊外の芸術家村。売れない芸術家チャオピンは、ある画廊で「黒四角」という名の黒一色に塗りつぶされた不思議な絵を目にする。翌日、チャオピンは空を飛んでいく黒い物体を発見し、それに誘われて、荒野にたどり着く。黒い物体は荒れ地に降り、そこから裸体の男が現れる。その男は自分の名前さえ憶えておらず、どこから来て、どこへ向かうのかも分からないと言う。チャオピンは男を家に連れて帰り、「黒四角」と名付ける。チャオピンと妹のリーホワはこの男に既視感を覚える。次第に惹かれあっていく男とリーホワの前に一人の日本兵が現れ、物語は60年前、悲惨な戦争に従軍した日本兵と中国人兄妹の儚い愛と友情の記憶へと変転していく。
監督・脚本・編集:奥原浩志
出演:中泉英雄、ダン・ホン、チェン・シーシュウ、鈴木美妃、ゴウズ、ジャン・ツーユー、ワン・ホンウェイ
プロデューサー:李鋭、奥原智子
撮影監督:槙憲治
照明:高根沢聡志
美術:高鵬
録音:張陽
音楽:サンガツ
視覚効果:オクティグラフィカ
助監督:東伸治
協力:尾崎元英、星空壹禾影視發展有限公司
2012年/日本・中国合作/カラー/HD/144分
配給:太秦
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