映画『ダブリンの時計職人』より 主演のコルム・ミーニイ(左)、コリン・モーガン(右)
現在ロードショー中の映画『ダブリンの時計職人』。公開を記念して渋谷アップリンクで去る3月26日(水)、近著『アイルランドモノ語り』で読売文学賞を受賞された早稲田大学教授の栩木伸明さんをゲストに迎え、アフタートークが開催された。日本から遠く離れた小さな国で慎ましやかに住む人々の息づかいを描いた本作のバックグランドを、優しい語り口で多方面から紐解いてもらった。
アイルランドの今、新しい問題を扱った作品
この映画はまさに今のアイルランドです。2010年に撮影された作品で、ちょうど僕もその年アイルランドにいたのですが、雪が何度も降って寒い冬でした。それが良く表れています。ダブリンらしい街角のシーンは意図的に出していない。でもダブリンらしい言葉、空気感が出ていますね。何よりも不景気な様子、リーマンショック後のアイルランドの経済状況が表れています。95年からリーマンショックの間まで約15年『ケルティックタイガー』と呼ばれる好景気があったのです。しかしその後、誰がホームレスになってもおかしくない状況が続いて、14%くらい失業率が続いている。現在では失業率はバブル崩壊前の水準まで上がっています。
映画『ダブリンの時計職人』トーク・イベントに登壇した栩木伸明さん
今作でもテーマになっている麻薬については、80年代、90年代初めまでは問題にさえならなかったんです。なぜなら貧しすぎて麻薬に手を出せる人があまりいなかったから。同じ時代にはスコットランドでは『トレインスポッティング』という映画でドラッグの問題を描いています。スコットランドでは麻薬の問題は深刻でしたが、アイルランドではまだ新しい問題なんです。移民についても、フィンランド人の未亡人ジュールスが登場しますが、外国人が仕事を持ってアイルランドにくるという事も最近です。アイルランドはむしろ移民を出す側でした。
映画『ダブリンの時計職人』より
ステレオタイプではないが、アイルランドらしい登場人物 カトリック的なイノセンスもつアイルランド人
フレッドは50代の後半でも「うぶ」なところありましたが、アイルランドには彼のような人が本当にいるんですね。基本的にカトリックの教えは日本の儒教に近いところがあって、男女交際については厳しいのです。1922年にアイルランドは英連邦の自治領として独立しますが、政府とカトリック教会は非常に強い関係を結んでいました。だから生命倫理、性倫理が強い。さらに文化検閲も行われました。1920年から60年代までカトリック的な思想に反するようなもの、コミュニズム的なもの、新しい思想、例えば実存的なものも検閲されていました。文学者もイギリスやアメリカで活躍することが多かったのです。それ故イノセントなものが残ってしまった国だと思います。アイルランドでは90年前半まで離婚はできなかったし、妊娠中絶は今でも禁止です。90年代はじめまではコンドームを店頭で販売するのも禁止されており、医師の処方により夫婦間の使用のみと制限されていました。同じ頃まで同性愛も刑罰の対象になっていました。非常に厳しい制限がありましたので、みんな生真面目です。1回結婚しそこなったフレッドの生真面目さは本当にリアルですね。女の人の手を握ったことのない独身男性がほんとうにいるんです。それであんな愛すべきキャラクターになっています。
映画『ダブリンの時計職人』より
カハルも中学生のような、本当にピュアな青年です。思いやりのある、天使みたいな人ですが、自分の事はできないのに他人を助けて、人の恋愛も応援してくれて、まさに無私の愛を注ぐわけです。でも自分は破滅してしまう。駐車場での悪戯も、強盗しようとかではなくただ驚かせたいだけですしね。ドライブのシーンもそうですね、ただ『きもちいい!』だけで行動する。こういう人はアイルランドで本当にいる。アイルランドに行きますと、そういう仲間に入りたい、男同士つるんで中学生のように一緒に遊ぶ、そういう感じなんです。刺激に対して免疫がないと思ってもらえればいいと思います。貧しい国でしたから。麻薬も入ってこなかったし、民族衣装すらないんです、それすらも失うほど貧しかった。マテリアル、モノは失ってきたのです。でも言葉や音楽は残った。カハルが「葉っぱが落ちる瞬間を見たことがある?」と歯が浮くようなことを言います。なぜならアイルランド人は生まれながらに詩人で、そういったものの見方をするのです。即興でピアノを演奏し唄を歌うシーンがありますが、曲は友人フレッドを讃える歌。それができるのがアイルランド人なのです。
映画『ダブリンの時計職人』より
寓意をちりばめることでローカルカラーの無さが生きてくる
ダブリン名所などのローカルカラーが描かれていない分、プールの飛び込み台、パンクした車、時計、花火など、寓意的な意味合いの深いイメージがいくつか出てきたと思います。この監督はイメージの使い方がうまいですね。「止まった時間を動かす」ということがこの映画の大事なテーマだったと思いますが、そのテーマがイメージで表現されている。映画的にはこのようなイメージの使い方は初歩的かもしれませんが、それらをちりばめることによって、ローカルカラーの無さがかえって生きてくる。観客がそれぞれ、自分の物語として映画を読み取れるからです。「人生の半ばで道に迷い、気づいたら森の中にいた……」、とフレッドが手帖に書き留めたことばを読み上げるシーンがありましたが、これはダンテの『神曲』の冒頭部分の引用です。道に迷った主人公ダンテを助けてくれるのが、ローマ詩人ウェルギリウスの亡霊です。生き身のダンテはウェルギリウスに導かれて、地獄を見て回った後、「地獄篇」の最後に、地球の裏側の地上に出ます。そのときダンテは、「わたしたちはふたたび星を見た」とつぶやくのです。カハルに「その続きはどうなの?」と聞かれた答えはこれだったのです。フレッドがカハルに手帖を与えることにも、何層かの象徴的な意味合いを読み込むことが可能です。フレッドが「ふたたび星を見た」という文句を読み上げ、カハルに手帖を与えたことは、フレッドにとっての「地獄」——人生のつらかった時期——の終わりであった、などと読み取ったら、文学的すぎるでしょうか?
(2014年3月26日、渋谷アップリンク・ファクトリーにて 取材・文:鈴木正志、構成:駒井憲嗣)
栩木伸明(とちぎ・のぶあき) プロフィール
1958年東京生まれ。早稲田大学文学学術院教授。アイルランド文学・文化を研究・翻訳。著書に『アイルランドモノ語り』(みすず書房)、『アイルランド紀行 ジョイスからU2まで』(中公新書)など。
映画『ダブリンの時計職人』より
映画『ダブリンの時計職人』
新宿K's cineama、渋谷アップリンク他、全国順次公開中
監督:ダラ・バーン
出演:コルム・ミーニイ、コリン・モーガン、ミルカ・アフロス
プロデューサー:ドミニク・ライト、ジャクリーン・ケリン
脚本:キーラン・クレイ
撮影:ジョン・コンロイ
美術:オーウェン・パワー
製作:Ripple World Pictures Limited, Ireland
2010年/アイルランド、フィンランド/90分
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▼映画『ダブリンの時計職人』予告編