映画『ドストエフスキーと愛に生きる』アフタートークに登壇した岸本佐知子さん
ドストエフスキーの新訳でドイツ文学界に旋風を起こした女性翻訳家の数奇な半生を追った、現在公開中のドキュメンタリー映画『ドストエフスキーと愛に生きる』。渋谷アップリンクで去る3月2日(日)、翻訳家の岸本佐知子さんをゲストに迎え、アフタートークが開催された。翻訳家から観た本作の魅力や、ご自身の仕事観などについて語ってもらった。岸本さんならではのユニークな洞察に満ちたトークに、しばしば会場が笑いに包まれる楽しいひとときとなった。
「スヴェトラーナさんがチームを組んで翻訳している様子は
翻訳者として衝撃でした」
──まず、本作をご覧になった感想をお聞かせください。
いろいろなことを考えさせられましたが、まっさきに感じたのは“尊い”ということです。スヴェトラーナさんの言葉はもちろん、彼女の日常生活すべてが、たとえばアイロンをかけたり、買い物に行ったり、しわだらけの手でドストエフスキーの本を開いたりという、動作のひとつひとつが尊いと感じました。
私は“100歳まで現役”を目標にしているのですが、おばあさんになっても翻訳を続けている姿の具体的なイメージがなかったので、この映画を観て多少、可視化されました。だけど、「無理だ!」と思いました(笑)。現在進行形で混乱が続いているウクライナと比べ平和な日本で生まれ育ち、ぼんやり翻訳している私は、人生の重みがスヴェトラーナさんと違うし、とても彼女のようにはなれないと思いました。
スヴェトラーナさんはドストエフスキーのあの分厚い5大長編を、10年間に5冊、しかも70代で訳したわけです。それやこれやを考えると、彼女は普通のおばあさんに見えて、実は怪物だと思います(笑)。時々チラッと、なんともいえない眼つきをしますよね。『ムーミン』に出てくる、モランという孤独な魔物をほうふつさせるような。あの眼差しは、背負ってきたものがワッと出てくる瞬間ではないでしょうか。
もう一つ考えたのは、彼女が翻訳者ではなく普通のおばあさんだったら、はたしてこの映画はつまらなかっただろうか?ということです。私は、おもしろかったはずだと思うのです。この映画は、翻訳者映画でもあるけれど、おばあさん映画でもあります。彼女が買い物に行ったり、粉をこねたり、トマトを切ったりしている様子を観ているだけでおもしろい。私は、すべてのおばあさんはおもしろいと思っています。どのおばあさんの普段の暮らしを撮っても、価値ある映画になるんじゃないでしょうか。野菜の切り方や、アイロンのかけ方も、十人十色のはずで、その人の人生がすべて出る気がします。
映画『ドストエフスキーと愛に生きる』より
──特に印象的だったシーンはありますか?
故郷のキエフを訪れる旅の最後に、彼女が幼い頃、夏を過ごしたダーチャ(山荘)のコウノトリが来た泉の水をもう一度飲みたいと訪ねて行くけれども、結局、果たせませんね。とても辛いシーンで「飲ませてあげたかった」と思いますが、同時に「やはり、この人は飲めない運命だったのだ」とも思います。祖国から裏切り者とされ、敵性語のドイツ語で身を立てていくけれども、ドイツでは強制収容所に入れられ、どちらの国にも属さない、いわば漂泊者なわけです。でも逆にどちらにも属さないからこそ、言葉を使ってその二つの架け橋になるという使命にたどり着いたのだと思いました。
それから、これは翻訳者として衝撃でもあったのですが、彼女はチームを組んで翻訳していますね。一緒に作業する相手が二人出てきますが、一人はマシンガンのようにタイプライターを打つおばあさんです。さっきまで洗濯物を畳んでいたスヴェトラーナさんが、その人と向かいあって翻訳を始めると、急に居合い抜きのような、「いくわよ」みたいな雰囲気になるのがおもしろかったです。もう一人のおじいさんも、「カンマを打つべきだ」とか自分の意見を相当、遠慮なく言いますよね。スヴェトラーナさんも「原文には書いてない」と言い返して。あの緊迫感たるや(笑)。
ああいったシステムで作業している翻訳者は少ないと思います。私も歳をとったら採用したいと思いますが。普通は第二外国語を母語に訳しますが、彼女の場合は逆なので、ネイティブの人にチェックしてもらうためのシステムとも言えます。スヴェトラナーナさんは、マシンガンおばあさんには言葉のニュアンスなどについて意見を聞いて、音楽家のおじいさんには訳文を読んでもらい、原文と呼吸が合っているかを確かめています。翻訳にはいろんなレベルがあるけれども、一番高度なのは原文と息の長さを合わせる、呼吸を合わせるということで、彼女はそれを自分ではできないとわかっていて、ケンカをしながらでも人にやってもらっている。そこがこの映画でとても感動したところです。「このおばあさんすげぇ」と。
映画『ドストエフスキーと愛に生きる』より
──映画の中でスヴェトラーナさんは「人はなぜ翻訳するのか? きっと逃れ去っていくものへの憧れかもしれない。手の届かぬオリジナルを……究極の本質を求めて」と語っていましたが、岸本さんにとっての翻訳という営為の魅力はなんでしょうか。
重い歴史を背負っているスヴェトラーナさんと自分を同列に語るのはおこがましいですが、私がなぜ翻訳をするかというと、一つには、これしかできないからです。上手くできているかはわからないけれど、自分がやっても人に迷惑がかからないと思える唯一のことが翻訳なんです。そういう意味では社会との絆でもあって、自分が存在していてもいいのかな、と思えるのが翻訳という仕事です。
「翻訳が好き」というより、たとえば目の前においしい食べ物があったら食べますよね。それと同じで、すごく面白い小説があったら、訳さずにいられないんです。それは体質みたいなもので、「訳さないと苦しい」という極めて動物的で生理的な感覚です。正直なところ、「これを日本の皆さんに読んでほしい」といった使命感は二の次です。
映画『ドストエフスキーと愛に生きる』より
「私にとって翻訳は、自分がただの道具になる気持ちよさがあります」
──岸本さんはインタビューなどで「翻訳の喜びは、空っぽであることの喜び」とおっしゃっていますが、これはどういう意味でしょうか。
自分の中に何も言いたいことはないし、メッセージもない。翻訳は、そんな空っぽな私の中に、何か言葉が入ってきて共鳴するような感じなんです。それが自分にとっては、とても気持ちのいいことで、道具になる喜びというか、そこに自分はなく、ただの道具であることの気持ちよさを感じるのです。よく柴田元幸さんも、「奴隷根性」とおっしゃっていますが、作家の奴隷であり、作品の奴隷であり、言葉の奴隷であることが、私にはとても気持ちいいんです。
──岸本さんはエッセイストとしても大変な人気ですが、エッセイのお仕事はお好きではないそうですね。
私は翻訳が好きで、エッセイの仕事は嫌々やっているのですが、止めない理由の一つは、翻訳の師匠(中田耕治先生)から「翻訳の仕事だけやっていると頭がおかしくなる。だから、もし書く仕事の依頼が来たら、絶対に引き受けて手放すな」と言われたからです。確かに、他人の言葉をずっといじっていると、砂漠でまっすぐ歩いているつもりが知らぬうちにだんだん曲がっていってしまうような、どこかアンバランスになってしまうところがあるかもしれません。
それから、私の書くエッセイはすごくバカバカしい内容なので、「この人が訳した本なら難しくないかも」と、翻訳小説に興味を持ってくださる方がいらっしゃるようなんですね。「なんとなく難しそう」とか「外国人の名前が覚えられない」といった理由で海外文学は敬遠されがちなので、その敷居が少しでも下がればいいかなと思っています。
──エッセイを書くことも、翻訳の仕事と似た側面があるのでしょうか。
これまでは、翻訳と違ってエッセイは自分の中から絞り出して書くものだと思っていました。でも、最近になって、絞り出しているのではなく、受信しているんだと感じるようになりました。締切が近づいてるのに書くことがなくてふて寝していると、言葉が聞こえてくることがあるんです、「コアラの鼻」とか(笑)。それで「コアラの鼻の材質って何だろう?」と考え始めて書けたことがあります。あと、「小さい小さい富士山」とか。「え、なにそれ?」って考え始めて「家に飾れる小さい富士山がほしい」という内容のエッセイを書いたこともあります。つまり自分で考えているわけではなくて、空気中に漂っている皆さんの無意識が私の中に入ってくる気がするんです。そうやって書いたエッセイは、「私も同じことを思っていた」という反響も多くて、それがとても嬉しいです。
──現在、岸本さんが翻訳中の作品についてお聞きかせください。
ショーン・タンという絵本作家の新作が、今年の夏に出る予定です。絵が素晴らしいので、ぜひ読んでみてほしいです。それと、これまでに私が2作(『ほとんど記憶のない女』『話の終わり』)を訳したことのあるリディア・デイヴィスという作家の短編集を今、進めているところです。あとは、私が以前『いちばんここに似合う人』という短篇集を訳した、ミランダ・ジュライの2冊目の本(『It Chooses You』)を訳しています。彼女が一般人にインタビューするドキュメンタリーなんですが、べらぼうにおもしろいです。
会場からの質問
翻訳の勉強をしているのですが、上達するためのアドバイスを伺えますか。
一番のアドバイスは“やめないこと”です。翻訳学校時代に、私など比べものにならないくらい翻訳が上手い方がクラスに何人もいました。もし彼らが今でも翻訳を続けていたら優れた翻訳家になっていたはずですが、残念ながらみなさん途中でやめてしまわれたようなんですね。私はただやめなかっただけで。
それから、上手い翻訳家の訳文を徹底的に研究するのも一つの手です。自分で原文を訳してみた上で比較すると勉強になります。あと、私がよくやっていたのは、英語に訳されている日本の作家、村上春樹さんや小川洋子さん、あるいは川端や三島といった古典でもいいですが、彼らの小説の英訳の一部を自分で日本語に訳して、原文と比べてみるというのも良いトレーニング法です。英語にとらわれて、いかに自分が不自然な日本語で訳しているかがよくわかります。
それと、これは突拍子もないアドバイスかもしれませんが、よくテレビ番組で人がしゃべっている下にテロップが出ますね。そのテロップを見てしまうと、てきめんに耳が悪くなるので、私は見ないようにしています。私は、翻訳の上手さは、半分は耳の良さだと思っています。英語を読んだときに、どういう日本語が聞こえてくるかというような、翻訳には聴覚を使う面もあると思うからです。
岸本佐知子 プロフィール
1960年生まれ。上智大学文学部英文科卒業。洋酒メーカー宣伝部勤務を経て翻訳者に。ショーン・タン、 リディア・デイヴィス、ミランダ・ジュライ、ジャネット・ウィンターソンなどの訳で知られる。編訳書に『変愛小説集』(講談社)、 『居心地の悪い部屋』(角川書店)ほか。著書に『気になる部分』(白水社)、『ねにもつタイプ』(筑摩書房/第23回講談社エッセイ 賞受賞)、『なんらかの事情』(筑摩書房)等がある。
映画『ドストエフスキーと愛に生きる』
渋谷アップリンク他にて、全国順次公開中
84歳の翻訳家スヴェトラーナ・ガイヤーの横には、華奢な姿に不似合いな重厚な装丁の本が積まれている。『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』『悪霊』『未成年』『白痴』──言わずと知れたロシア文学の巨匠・ドストエフスキーの長編作品。それらを"五頭の象"と呼び、生涯をかけてドイツ語に訳した。1923年ウクライナ・キエフで生まれ、スターリン政権下で少女時代を過ごし、ナチス占領下でドイツ軍の通訳として激動の時代を生き抜いた彼女の横顔には、戦争の記憶が深い皺となって刻まれている。一人の女性が歩んだ数奇な半生に寄りそう静謐な映像が、文学の力によって高められる人の営みを描き出す。
■監督:ヴァディム・イェンドレイコ
■撮影:ニールス・ボルブリンカー、ステファン・クティー
■録音:パトリック・ベッカー
■編集:ギーゼラ・カストロナリ・イェンシュ
■出演: スヴェトラ-ナ・ガイヤー、アンナ・ゲッテ、ハンナ・ハーゲン、ユルゲン・クロット
■製作:ミラ・フィルム
■配給・宣伝:アップリンク
(2009年/スイス=ドイツ/93分/ドイツ語・ロシア語/カラー・モノクロ)
映画公式サイト:http://www.uplink.co.jp/dostoevskii/
映画公式ツイッター:https://twitter.com/DostoevskiiJP
映画公式facebook:https://www.facebook.com/DostoevskiiMovieJP
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◆毎日の暮らしを丁寧に過ごすスヴェトラーナさんの家をイメージし、人気雑貨店Roundaboutのオーナー小林和人さんと、fog linen workの関根由美子さんが、いつまでも愛着を持って使い続けられる生活雑貨をセレクト
◆名翻訳家スヴェトラーナさんにちなみ、柴田元幸さん、野崎歓さんなど、日本国内で活躍中の気鋭翻訳家9名の仕事風景をとらえた貴重な写真とインタビューを掲載
◆ドストエフスキーの新訳が大反響を呼んだ亀山郁夫さんによるエッセイ
◆平野啓一郎さん、太田直子さん、伊藤聡さんらによる、お薦めドストエフスキー作品の紹介
◆小林エリカさんによる描き下ろしイラスト
【図書コード】ISBN978-4-90072-859-2
【定価】800円(税抜)
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▼『ドストエフスキーと愛に生きる』予告編