骰子の眼

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東京都 新宿区

2014-02-14 10:00


フランソワ・オゾン監督が新作『17歳』で思春期の自我とセクシャリティをテーマにした理由

男たちとの情事にのめり込んでいく少女イザベルの日常を綿密に描く
フランソワ・オゾン監督が新作『17歳』で思春期の自我とセクシャリティをテーマにした理由
映画『17歳』より ©MANDARIN CINEMA-MARS FILMS-FRANCE 2. CINEMA-FOZ

フランソワ・オゾン監督の新作『17歳』が2月15日(土)より公開される。裕福な家庭に育った17歳の少女・イザベルが、SNSを介して男性たちと知り合い情事を重ねていく過程を、彼女自身の自我の変化や、彼女の秘密を知ることになる家族や友人たちとの関係を交え描き出している。四季の移り変わりとともに、思春期の少女のセクシャリティの変化をダイレクトに捉えたオゾン監督が、今作のテーマや制作のきっかけについて語った。

思春期とホルモンの関係を掘り下げる

──最初に『17歳』の制作のきっかけからお願いします。

『危険なプロット』の監督として、エルンスト・ウンハウアーとバスティアン・ウゲットと仕事をし、充実した時を過ごせたから、若手俳優や女優ともう一度仕事をしたいと思った。初期の短編や長編映画では、思春期のテーマを掘り下げたが、『まぼろし』以降、主に年齢層が上の俳優と働いてきた。だから、『17歳』は、現代の若者たちを取り上げた映画を撮りたいという希望から始まった。前作で少年たちとの撮影を終えたばかりだったから、若い女性が中心の映画を撮りたいと思ったんだ。

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映画『17歳』のフランソワ・オゾン監督

──主人公のイザベルはただの若い女性ではなく、売春をしています。

この作品では、17歳の感覚がどういったものなのか、そして肉体が変わっていく経験をテーマとして取り上げた。映画では思春期がよく理想化されて描かれる。僕にとっては、思春期は人間としての複雑な移行期だ。それは痛々しいものだし、僕は何ら郷愁を感じない。僕は思春期を単に感情が揺れ動く時期としてだけ描くことから一歩踏み出し、思春期とホルモンの関係を掘り下げたかった。僕たちの体は強烈な生理学的変化を経験していくが、僕たち自身はそれを敏感に感じ取れていない。だから、何かを感じるために体をあえて傷つけたり、肉体的な限界を試したりする。売春というテーマにより、それをクローズアップして取り上げられるし、思春期に持ち上がる自我や性の問題を綿密に描くことができる。そこでは、性はまだ感情と密接な関係で結ばれていないんだ。

──イザベルの家庭はお金に不自由していません。つまり、彼女はお金のために売春をしているわけではないのですね。

イザベルは生きるためや学費を払うために客を取っているわけではない。彼女は何かに突き動かされて、そうしている。彼女は、秘密なことや禁じられたことをしたいから、薬に走っていたかもしれないし、拒食症になっていたかもしれない。思春期という時期は何でもできる年齢だし、実りも多い。だからこそ思春期は刺激的だし、それがランボーの詩「物語」で謳われている精神だ。世界に対して心を開き、道徳には縛られない。イザベルは人生という旅路に足を踏みだし、実体験を積み始めたわけで、性的に倒錯しているから売春に手を染めているわけではない。

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映画『17歳』より ©MANDARIN CINEMA-MARS FILMS-FRANCE 2. CINEMA-FOZ

──イザベルは、特に彼女が処女を失う時に顕著にみられるように、快楽を追い求めているというよりも、自分の希薄な感情と向き合っているように感じます。

マリナ・ドゥ・ヴァン(脚本家/オゾン監督の『まぼろし』や『8人の女たち』の脚本を手がける)と話し合っている時に、イザベルが大人になるその大事な局面で、キャラクターの二面性を見せるという着想を得た。少年も少女も、性というものを発見した時、超現実的な感覚を経験する。その場にいる感覚がすると同時に、いないような感覚もする。自分が主役であるが、客観的に見ている部分もある。そのシーンには、イザベルのその後の人生の二重性を観客に予感させる意味を持たせた。

──映画は、イザベルの弟が双眼鏡で彼女を見ている場面で幕が上がります。彼女は、始まってすぐに、プライバシーが「侵害」され、盗み見られる対象として登場します。

その通りだ。イザベルの振る舞いは、近くにいる人たちから強い反発を受け、強烈な反応を引き出してしまう。映画の中の四季は、異なる登場人物の視点で始まる。夏はイザベルの弟、秋は彼女の顧客、冬は彼女の母親、春は継父だ──どの季節のシーンもすぐにイザベルの視点に戻ることになるけどね。四季が移り変わる円のようなイメージで物語を展開したかった。『ふたりの5つの分かれ路』のように、ストーリーをより綿密に描くために、そういった特別な瞬間に集中したんだ。

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映画『17歳』より ©MANDARIN CINEMA-MARS FILMS-FRANCE 2. CINEMA-FOZ

彼女が売春をする理由は、背徳を通してある種のすがすがしさを得られるからだ

──それぞれの季節にフランソワーズ・アルディの歌が使われています。

そうだね。ある秩序立った枠組みを設けて、その中で完全な自由を手に入れたかった。僕にとって、物語が一学年度にわたり展開するということが大事で、歌で区切りをつけながら、成り行きをかたずをのんで見守る構成にしたかった。アルディの歌を使ったのは、『焼け石に水』の中に使った曲「夢を追って」、『8人の女たち』で使った曲「告白」に続いて3回目だ。アルディは、失恋や幻滅といった10代の恋愛の本質をとらえているから好きなんだ。良く知られる彼女の歌にのせて、若々しいイザベルを描写するのは面白いと思った。イザベルは、心の奥底では、そういう感傷的で理想化されたよくある思春期像を受け入れたいと思っていて、彼女の両親もイザベルにそういう思春期を送ってほしいと思っている。だが、イザベルは本当に誰かと恋に落ちる前に、まず本当の自分を見つけたり、心の中の葛藤を直視しなければならないんだ。

──イザベルが顧客に会いに行く時、地下鉄のエスカレーターやホテルの廊下を繰り返し通ります。遊び心を持って、そういったロケーションをうまく使っていますね。

人が秘密の経験をする時に見られるように、衣装や、繰り返し出てくるロケーションには、儀式的な意味合いがある。イザベルは、その儀式的な側面を好んでいる──ネットに接続し、相手がどんな人か想像し、料金を交渉し、会いに行く、といったような流れだね。イザベルは、実際に顧客と寝る時には、ほとんど何も感じていない、と彼女の精神科医に打ち明ける。彼女が売春をする理由は、冒険的な側面や、ともすれば退屈な10代の日常を突き破り、背徳を通してある種のすがすがしさを得られるからだ。僕の映画の多くの登場人物は、日常から抜け出したい欲求を持っている。観客の中には、映画の最後の方で、彼女は薬物中毒のように売春がやめられなくなり、また顧客を取り始めると感じる人もいるかもしれない。

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映画『17歳』より ©MANDARIN CINEMA-MARS FILMS-FRANCE 2. CINEMA-FOZ

──10代の売春は大きな問題になっています。イザベルの行為を安易に現実の社会問題に置き換えて捉えられないように、どう工夫してこの物語を構築しましたか?

社会状況は僕が10代の頃とは違うからリサーチをしたよ。特に性情報について携帯やネットが果たす役割などについてを。僕が10代の時はミニテル(80~90年代にかけて全盛期を誇ったフランスの情報通信サービス)を使っていたからね!リサーチのために、非行少年・少女を担当している警察官や、新手の売春を専門に取り締まる警察官、問題を抱えるティーンエイジャーを見てきた精神分析医のセルジュ・ヘフェズと会った。この作品で僕が持っていた直感が正しいと確認し、それを掘り下げたかったんだけれど、一方で物語がフィクションとして受け入れられるように心掛けた。

──イザベルの父親が不在ですが、それと彼女の振る舞いを結びつけた説明はありませんね。

そういう説明はしなかったが、観客が理解できるような手掛かりをいくつかちりばめたつもりだ。イザベルの行動を説明する理由はたくさんある。作品を見る人それぞれが、自由に解釈したら良いと思うよ。観客に、そういう自由裁量を与えたい。僕だってイザベルの理解できない点がたくさんある。いわば昆虫学者が研究している生き物の魅力に取りつかれるように、僕の方が理解しようとして彼女というキャラクターを追いかけていたね。イザベルは口数の少ない女性で、唯一、心を開いて話すのは、彼女が2回目に精神科医と話す時だ。そういう構成にしたのは、観客がイザベルに付き添うような感覚を持ったり、感情移入してもらうためだ。観客は、イザベルや彼女の両親が経験する多くのことに共感を持つことができる。それを達成できたのは、そういう登場人物の置かれた状況が現実に根差したものであり、出演者の演技がリアルだからだ。どのキャラクターも複雑な状況下であがいているが、その中でも自分なりに最善を尽くして問題に対処しようとしている。

──どんなことを念頭に置いてセックスのシーンを撮影しましたか?

セックスシーンはリアルに描きたかったが、下劣にならないように心掛けたし、不道徳という判断が下されないように気をつけた。ご覧の通り、イザベルの顧客の中には少し変人もいるが、要はイザベルが行為に適応する様子を見せたかった。イザベルは、まだ自分の欲望が何なのか不確かな時に、他人の欲望を受け止めなければならない。ある面では、他人が彼女のもとで欲望を感じることは、彼女にとって意味のあることだと思う。僕は現実に尾ひれをつけるつもりはないが、ある意味では、イザベル自らがそういう方向を欲したのかもしれないね。

──顧客の1人のジョルジュは、ほかの顧客と比べて異色です。

そうなんだ。イザベルとジョルジュには、互いに通じ合うものがある。彼女は彼との関係を快楽とさえ感じているかもしれない。彼が彼女を見つめたり、体に触れたりする様子は、特別なものだ。2人の関係には優しさがあふれ、他の顧客との間にある実務的な側面がない。ジョルジュは高齢にもかかわらず、とても魅力的だし、セクシーで、女性が誘惑されやすい男だ。それを踏まえて、僕はヨハン・レイゼンをキャスティングした。観客が見た時、本当にイザベルに魅力をアピールしていると信じるに足る役者が必要だった。レイゼンは、美しく彫りの深い顔をしているし、人をうっとりさせる声やアクセントを持っている。さらに、クリント・イーストウッドなどアメリカ人俳優のような体つきをしているしね!

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映画『17歳』より ©MANDARIN CINEMA-MARS FILMS-FRANCE 2. CINEMA-FOZ

イザベルの美しさにより、周囲の人間は自らの偽善に正面から向き合わざるをえなくなる

──マリーヌ・ヴァクトをイザベル役に選んだ理由は何ですか?

『危険なプロット』の主人公役を演じた若者のように、成熟さや達観したところを持ち、演じる役よりも少し年が上の女優と仕事をするべきだと思った。マリーヌのことは、セドリック・クラピッシュ監督の『フランス、幸せのメソッド《未》』で見ていた。会った時に、とてつもないもろさを感じてびっくりしたが、彼女には力強さもある。スクリーン上でも栄えるし、内面からにじみ出るものも見えるんだ。彼女と仕事をしながら、『まぼろし』で撮影したシャーロット・ランプリングを思い出したよ。イザベルの顔や、皮膚感を見るにつけ、その内側には何か特別なものがあると思わざるをえない。彼女の肉体的な美しさは神秘や秘密といったものを内包しているよ。だから、僕たちの好奇心がそそられ、もっと彼女について知りたいと思うようになる。

──彼女にとって初の主演作品です。

しかも重みのある役だね。事前に徹底的に話し合ったし、他の役者と本読みやリハーサルも重ねた。脚本の改訂も踏まえながら、彼女が役作りに没頭できるように気を配ったほか、彼女自身にもイザベルにふさわしい衣装を考えてもらった。彼女には僕を信用してもらいたかったし、僕たちが作ろうとしているものを理解し、ジェラルディン・ペラスやファンティン・ラヴァなど他の演者との絆を深めてほしかった。モデルの仕事をしているから、体を道具のように自由に使えるという利点もあったね。ほかの女優が同じ役を演じていたら、彼女みたいに自分の体に心地よさを感じることはなかっただろう。

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映画『17歳』より ©MANDARIN CINEMA-MARS FILMS-FRANCE 2. CINEMA-FOZ

──イザベルの母親役もとても重要です。

そうだね。作品のある時点で、焦点をイザベルから母親に移すべきだと思った。娘の恋愛ではなく性生活に対する彼女の反応をきちんと描写するためにね。もちろん、売春がそこに関わると極端な例になるが、どの親も直面する問題というものがある──-子供の性行動は、どういう影響を親に及ぼすか、親が抱える恐怖や不安とはどういうものなのか、親は子供の私生活についてどの程度知るべきなのか、そしてどの程度介入するべきなのか、といった問題だ。

──娘と母親の関係について、どう描こうと思いましたか?

母と娘が友達みたいに見えるのを避けつつも、年齢を近づけようと思った。そして観客には、良い母親と映るように心掛けた──母親との関係から、イザベルが売春に手を染めたと受け止められるのを防ぐためにね。僕たちの世代の多くの母親のように、イザベルの母親はとても現代的な女性だ。近年の多くの映画に見られるような母と娘のライバル関係を避けるために、この作品の母親はとても美しく、性的にも満たされている女性にした。2人の関係はライバル関係とは程遠いものだ。母親が、娘が夜遅く義理の父と話をしているのを見てしまった時でさえ、彼女は別に脅威を感じない。この作品は、娘が母親の居場所を乗っ取るような映画ではないんだ。だが、イザベルには悪魔的な側面がある。それは、母親の友人が、夫が彼女を家に送ることに反対するシーンでも描かれている。

──その友人は、イザベルの振る舞いそのものよりも、欲望のメカニズムに対して恐れを抱いているわけですね。

まったくその通りだ。イザベルの周囲にいる人間の頭の中にだけ、彼女が売春婦のような振る舞いをし、みんなをその毒牙にかけるという考えがある。イザベルは、そうは考えていない。周りの人がそう考えている。イザベルの美しさや官能性により、周囲の人間は、欲望に対する自らの偽善に正面から向き合わざるをえなくなる。

──イザベルは、母親に恋人がいることに対して怒っているというよりも、自分を信頼せずにそれを秘密にしていたことに対して怒っています。

思春期というものは、子供が両親のことをいろいろと発見するため、難しい時期だ。親は子供が思っていたようなヒーローではないし、物事を子供から隠すし、嘘もつく。ティーンエイジャーには真実や誠実さを持って接するべきだ。子供たちは、大人の世界は偽善やウソに満ちていることを突き止めるし、信頼を失った親に対して敵意を持つことになる。

生徒の朗読のシーンはドキュメンタリーのように撮った。

──母親が娘をぶつシーンに、衝撃を受けるというよりも、感動を覚えました。

僕はそのシーンについて、複数の女友達と長い時間をかけて話し合った。イザベルの母親のように、娘が売春をしていると知ったらどうするか聞いた。大勢の意見は「そんなことが起きると考えたら、ゾッとするわ。自分を責めるでしょうね。どうしてそうなったか理解しようとするわ」といったものだった。多くは、前向きで、娘に理解を示す姿勢を見せていた。だが、ある女性が、娘が薬物に手を出したことが分かった時、彼女をなぐったと打ち明けてくれた。僕にはそれが自然に思えた。親が、ムスッとして内にこもったティーンエイジャーに対し、どうしていいか、何を言っていいか分からない時、衝動にかられてなぐってしまうことは、ありえることだ。ジェラルディンは母親として、たたくという行為に理解を示してくれたが、感情にまかせた悪い行為だということに気づき、すぐに謝ることも大事だと感じていた。

──ジェラルディン・ペラスを母親役にキャスティングした理由は何ですか?

マリーヌの出演が先に決まっていたから、肉体的に母親として通用する女優を探した。つまり、自然に母性のオーラが出ているような女性が理想だった。ジェラルディンは、『ふたりの5つの分かれ路』に脇役で出演してくれたので、面識はあった。今回の撮影前にいろいろ試してみて、とてもうまくいったよ。彼女はこの母親に感銘を受けていたし、自分自身の経験をストーリーに重ね合わせていた。この作品に深くかかわってくれたし、いろいろな面でマリーヌを保護してくれ、そういう姿は美しく見えたよ。2人は強い絆で結ばれ、ライバル関係などはまったくなかった。

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映画『17歳』より ©MANDARIN CINEMA-MARS FILMS-FRANCE 2. CINEMA-FOZ

──イザベルと、シャーロット・ランプリングが演じるジョルジュの妻の間にもライバル関係はありませんね。

そうだね。ジョルジュの妻はイザベルと意気投合する。シャーロット・ランプリングも、ジェラルディンも女優として、自分自身の姿を投影してマリーヌを見ているね。2人ともかなり若い時に女優としての道に進み、体を露出するシーンを多く経験してきた。作品の中のほかの女優たちには、マリーヌに対して善意ある気持ちを感じてほしかった。僕にとって、ほかの女優たちが、何らかの形でマリーヌと相通じるものを持っていることが重要だった。マリーヌをキャスティングしたあと、シャーロットを選んだのは自然なことだったよ。彼女は、不道徳で性的に特徴づけられた役を多く演じてきたからね。彼女は、映画の中で、よく性的ファンタジーを具現化された人物として受け止められているから、善悪の判断を押しつけることなくイザベルのことを理解する女性の役として、理想的な選択と言える。彼女がイザベルをホテルの一室に連れていく時、シャーロットにはまだ以前と同じような不道徳で危険なオーラが強く感じ取れる。

──そのシーンですが、現実のものですか?それともイザベルが想像している世界ですか?

最後のショットは、イザベルが想像しているだけかもしれないが、現実か空想かは重要ではなく、そのどちらであってもそのシーンには癒しがある。イザベルが母親と交わすことのできなかった、真実味を帯びたコミュニケーションがそこにはある。それにより、イザベルは、自分の行動の責任に思いをはせることができるんだ。

──実際に精神科医であるセルジュ・ヘフェズが、イザベルのカウンセラーとして出演しています。

僕が脚本を書いている時に、リサーチの一環として彼に会った。彼に脚本を読んでもらい、ポイントになる箇所について意見を聞いた。特に、イザベルが、売春で稼いだお金で精神科医に支払いをしようとすることについて、どう思うか聞いてみた。配役については、数人の有名な俳優の名前が念頭にあったが、セルジュ自身が魅力的で知的なので、彼に出演を打診したら、受諾してくれたよ。彼の実際のオフィスから着想を得て、映画の中のオフィスを考えたし、彼は僕たちに彼のオフィスのイスを貸してくれたんだ!彼は撮影前のスクリーンテストでとても見映えが良かったが、少し微笑み過ぎると感じた。だが彼は、現実にティーンエイジャーにカウンセリングをする場合、そういう風にして接すると言っていたよ。彼らはたいてい、自分の意思に反して、親の命令でカウンセリングを受けさせられるから、カウンセリングの始めに意気投合することが大事らしい。親は精神科医にそう望んでない場合でも、自分は彼らの味方ということを態度で示すんだ。僕はイザベルが母親と精神科医に会うシーンにその考えを取り入れ、精神科医がイザベルの味方であることを描写した。

──生徒たちがランボーの詩を朗読し、意見交換するシーンについて教えてください。

僕はそのシーンで、思春期のもろさや美しさを表現したいと思った。そのシーンの生徒たちは、マリーヌと、彼女の友達を演じた役者以外は、すべて普通の学生だ──アンリ4世高等学校の生徒たちも、その中に含まれている。詩を朗読した後、本当の授業で行われるようにそれを分析し、何を感じたか表現し、どう解釈したか僕たちに伝えてくれるように指示した。そこで生徒が話す言葉は脚本に書かれたものではなく、ドキュメンタリーのようにそのシーンを撮影した。最近、青春や売春について描かれた『女と男のいる舗道』という映画を改めて観てみたが、その中でゴダールが、本物の売春婦にインタビューしている。僕の映画も現実に根ざしたものにしたかったから、今の若者の考えや物の見方に耳を傾けた。もしかしたら、その目的は、今の若者も僕が17歳の時と同じような目で世界を見ていると確認したかったのかもしれないね。

(オフィシャル・インタビューより)



フランソワ・オゾン プロフィール

1967年、フランス・パリ出身。90年、国立の映画学校フェミスの監督コースに入学。次々に短編作品を発表し、『サマードレス』(96)でロカルノ国際映画祭短編セクション・グランプリを受賞。97年の中編『海をみる』を経て、翌年に発表した長編第一作目『ホームドラマ』がカンヌ国際映画祭批評家週間で大きな話題となる。99年には『クリミナル・ラヴァーズ』がベネチア国際映画祭に正式出品され、続く『焼け石に水』(00)で、ベルリン国際映画祭のテディ2000賞を受賞。01年、『まぼろし』がセザール賞の作品賞と監督賞にノミネートされ国際的にも高い注目を集め、翌年には『8人の女たち』で、ベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞。その後『スイミング・プール』(03)、『しあわせの雨傘』(10)など多種多様な作品を発表し続けている。待機作として『Je suis femme(原題)』が控えている。




映画 『17歳』
2014年2月15日(土)新宿ピカデリー、シネスイッチ銀座ほかにて全国ロードショー

夏のバカンス先で初体験を終え、17歳の誕生日を迎えたパリの名門高校生・イザベル。バカンスを終えてパリに戻った彼女は、SNSを通じて知り合った不特定多数の男たちと密会を重ねるようになる。そんなある日、馴染みの初老の男が行為の最中に 急死、その場から逃げ去ったイザベルだったが、まもなく警察によって彼女の秘密が家族に明かされた。快楽のためでも、ましてや金のためでもないと語り、あとは口を閉ざすイザベル。いったい彼女に何が起きたのか……?

脚本・監督:フランソワ・オゾン
出演:マリーヌ・ヴァクト、ジェラルディン・ペラス、フレデリック・ピエロ、シャーロット・ランプリング 他
製作:エリック&ニコラス・アルトメイヤー
撮影:パスカル・マルティ
録音:ブリジット・テイランディエ
美術:カティア・ウィスコップ
衣装:パスカリーヌ・シャバンヌ
編集:ロール・ガルデット
音楽:フィリップ・ロンビ
配給:キノフィルムズ
2013年/フランス/94分/R-18

公式サイト:http://www.17-movie.jp
公式Facebook:hhttps://www.facebook.com/pages/映画17歳/689814121042897
公式Twitter:https://twitter.com/17jyunanasai


▼映画『17歳』予告編


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