骰子の眼

cinema

2014-02-07 23:08


言語をほどき紡ぎなおす者たち───海外文学界の第一線で活躍する翻訳家9名の仕事場を訪ねて vol.1 <柴田元幸/きむふな/野崎歓>
映画『ドストエフスキーと愛に生きる』より

ドストエフスキーの新訳でドイツ文学界に旋風を起こした女性翻訳家の数奇な半生を追ったドキュメンタリー映画『ドストエフスキーと愛に生きる』が、2月22日(土)から公開となる。

翻訳家を題材とした本作の公開にちなみ、日本で活躍する文芸翻訳家9名に「翻訳」という営為の魅力について訊ね、仕事風景を捉えた連載がスタート。第一回は、柴田元幸さん(アメリカ文学研究者・翻訳者)、きむふなさん(日本・韓国文学翻訳家)、野崎歓さん(フランス文学者・翻訳家)が登場。

続く第二回は、野谷文昭さん(東京大学名誉教授・ラテンアメリカ文学翻訳家)、松永美穂さん(早稲田大学教授・ドイツ文学翻訳家)、飯塚容さん(中央大学教授・中国文学翻訳家)、第三回は和田忠彦さん(東京外国語大学教授・イタリア文学翻訳家)、鴻巣友季子さん(翻訳家・エッセイスト)、沼野充義さん(東京大学教授・スラヴ文学者)が登場する予定だ。

[撮影/荒牧耕司 http://kojiaramaki.com
[取材・構成/隅井直子]




アメリカ文学
柴田元幸

しばた・もとゆき  1954年生まれ。ポール・オースター、スティーヴン・ミルハウザー、スチュアート・ダイベックなどアメリカ現代文学の訳で知られる。2010年、トマス・ピンチョン著『メイスン&ディクスン』で日本翻訳文化賞受賞。村上春樹、川上弘美、古川日出男らを執筆陣に迎えた文芸誌『モンキービジネス』を2008年から11年まで編集、2013年に『MONKEY』を創刊。また、英語版『MONKEY BUSINESS』を米国の出版社と共同で毎年発行し、日本文学の紹介に努めている。

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東京大学文学部・現代文芸論研究室にて

Q.翻訳の仕事を始めたいきさつ

中学・高校時代から英語を訳すのが好きで、教科書以外に副読本を買ってきて訳してみたり、大学入試の受験勉強でも、文法や作文より英文和訳が一番好きでした。ただ、その後、大学院に入って文学専門の研究者になりかけた時点では、翻訳の仕事ができるとは思っていませんでした。重要な作品はあらかた訳されてしまっていたし、その頃、1970~80年代は実験文学の時代で、翻訳不可能な小説ばかりだったからです。大学で英語の教師をやっていると、翻訳のアルバイトがいろいろなかたちで舞い込んでくるのですが、それらをこなしているうちに、だんだん編集者の知り合いもできて、自分の好きなものを訳せる環境になりました。いざそうなった時に見渡してみたら、アメリカのおもしろい現代小説がほとんど訳されていないという状況だったので、どんどん訳しはじめたのが1980年代末のことです。

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Q.「翻訳」という営為の魅力はなにか

この映画のテーマともつながると思いますが、凡人でも天才と関われる点です。自分がクリエイティブでなくても、クリエイティブなものと触れることができる。そして、その天才自身ができないこと、つまり日本語で書くことをお手伝いできるというのは、大きな喜びです。作家に対する圧倒的な敬意、あるいは崇拝のようなものが翻訳家には必要です。

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Q.翻訳家を目指す人へのアドバイス

日本語でも英語でも、好きなものをたくさん読むことに尽きるのではないでしょうか。好きでもないことを努力しても、言葉については身に付かないと思うので。面白い本を見つけるには、最近はインターネットでずいぶん情報が得られますが、結局もともと自分が興味を持っているものしか見つからない気がする。できれば現地の書店に行って、あまり知られていない良い本を、手に取りながら探すのが理想ですね。

Q.現在、進めている翻訳

以前、僕が『マジック・フォー・ビギナーズ』という小説を訳したケリー・リンクの、原題が『プリティ・モンスターズ』という小説で、まだ邦題は決まっていません。

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柴田元幸さんから『ドストエフスキーと愛に生きる』に寄せられたコメント
スヴェトラーナ・ガイヤーは、言葉や行為はむろん、その住まいや持ち物まで、静かな威厳と、優しさに満ちている。あたたかく毅然としたその姿を見ていると、彼女がすぐれた翻訳者かどうかすら、どちらでもいいことに思えた。




韓国文学・日本文学
きむ ふな

金 壎我  1963年生まれ。韓国出身。ソウルの誠信女子大学大学院で日本文学を専攻。専修大学大学院日本文学科で博士号取得。韓国語・日本語双方向の翻訳をこなす。2008年、津島佑子『笑いオオカミ』の韓国語訳で板雨翻訳賞受賞。他にこれまで韓国語に翻訳した作家は辻仁成、重松清、柳美里など。日本語訳出では、申京淑〔シン・ギョンスク〕、孔枝泳〔コン・ジヨン〕、韓江〔ハン・ガン〕、金愛爛〔キム・エラン〕ら、李箱文学賞受賞経験のある実力派女性作家たちの作品を数多く手がけている。

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自宅の仕事場にて

Q.翻訳の仕事を始めたいきさつ

韓国の大学で日本文学を専攻したのは、日本で勉強した父の影響で家に日本語の本がたくさんあり馴染みがあったことと、一番近い国なのに文化流入が制限されていたりしたので、自分で確かめたかったからです。九〇年代から日韓文学のシンポジウムで通訳をするようになり、日本の小説は韓国でたくさん紹介されているように見えて、実は作家や作品がすごく偏っていることを知りました。そこで、自分が好きな津島佑子さんをはじめ、まだ知られていない日本の純文学を韓国語に訳すようになりました。日韓文学の交流に携わっていると、いつも日本人作家の皆さんが「読んだことがなくて申し訳ありません」とおっしゃるのです。それほど韓国文学が日本で紹介されていない状況にショックを受け、母語ではない言葉に訳すのは無謀でもあるし怖いのですが、ある意味、自分が日本にいる理由の一つとして、韓国文学の日本語翻訳も手がけるようになりました。

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Q.「翻訳」という営為の魅力はなにか

もつれた糸が、ある瞬間にすっとほどける、その嬉しさでしょうか。それと、特に韓国文学を日本語に訳す場合は、その作家の初邦訳になることが多いので、読んでいただいた読者からの反応や共感してくださったりしたときの、架け橋になったという喜びが一番大きいです。

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Q.翻訳家を目指す人へのアドバイス

まずはたくさん読むことです。映画に寄せたコメントにも「言の葉」と書きましたが、自分の葉っぱがたくさんあれば、春夏秋冬で色彩も豊かになると思うのです。それから、まだ知られていない自分が好きな作家を見つけ、「この作家を紹介したい」という思い入れも大切です。

Q.現在、進めている翻訳

現代韓国文学を代表する作家の一人、 金衍洙〔キム・ヨンス〕の『ワンダーボーイ』という長編で、出版社は未定です。韓流ブームの頃は韓国文学に興味を示した大手出版社もあったのですが、社会もこういう雰囲気の今、版元探しは難しくなりそうです。ほかに、次号の『すばる』(2014年3月号)に掲載予定の、鄭梨賢〔チョン・イヒョン〕の短編『三豊百貨店』を進めています。

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きむふなさんから『ドストエフスキーと愛に生きる』に寄せられたコメント
数奇な人生を乗り越え、丁寧に静かな時を刻んでゆく彼女は、まるで大木のよう。その大木には言の葉が美しく茂り、かすかな風にも波打ち輝く。彼女のまっすぐな眼差しが導きだす言の葉は気品に溢れ、冬の時代でさえ芳醇な香りを放つ。




フランス文学
野崎 歓

のざき・かん  1959年生まれ。東京大学文学部教授。フランス文学者。トゥーサン、ウエルベックらの翻訳で知られるほか、映画、文芸批評も手がける。専門であるネルヴァルを論じた『異邦の香り──ネルヴァル「東方紀行」論』(講談社/2010年)で読売文学賞を受賞。近著に『文学と映画のあいだ』[編](東京大学出版会/2013年)、『フランス文学と愛』(講談社現代新書/同)、『翻訳教育』(河出書房新社/2014年)、『映画、希望のイマージュ──香港とフランスの挑戦』(弦書房/同)などがある。

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東京大学文学部・仏文研究室にて

Q.翻訳の仕事を始めたいきさつ

とにかく翻訳小説を読むのが大好きだった、ということが原点です。海外文学を読み始めたときに、日本文学とは異質なものと出会ったような、自分の中で、翻訳ものの方が読みごたえがある気がしたのです。次第に、自分も翻訳家になれたらと憧れるようになり、特に高校の頃はフランス文学に入れあげていたので、この道で行くしかないと思い定めて大学は仏文科に進みました。

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Q.「翻訳」という営為の魅力はなにか

研究と創造のあいだ、という境界に身を置く楽しさでしょうか。いや、それ以上に、ティーンエイジャーの頃に感じた翻訳小説のスリルを追い求め続けてやっているわけですから、言うなれば「子供の遊び」的側面も大きいと思います。つまり翻訳の本質には、真似する楽しさがある。何かおもしろいもの、好きなものができると、それを繰り返したくなる、コピーしたくなる衝動。だれでも子供のころは日々、そんな衝動に突き動かされていますよね。大人の言葉を繰り返して、言葉を学んでいくプロセスと共通するでしょう。真似すること自体が、ワクワクするものを含んでいて、きっちり真似たという手ごたえを得られると、無性に嬉しいものです。しかも真似ているはずが、いつの間にかあるオリジナルなものに到達しているのかも、という期待もひそかにあります。

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Q.翻訳家を目指す人へのアドバイス

存分に楽しむことだと思います。特に文学に限って言えば、心底魅力を覚えたたからこそ翻訳するのであって、苦しみながら辞書だけ引いて、とりつく島もないような訳文を作っても、読者を引きつけることはできません。そこに楽しみがなければ成り立たない仕事だと思います。表現自体を楽しむこともあれば、調べ物を楽しむこともあるし、ネイティブの人に質問する楽しみもある。人に読ませてみて反応を楽しむこともある。いろんな楽しみとともに進行させていくのがいいと思いますよ。

Q.現在、進めている翻訳

アンドレ・バザンの名著『映画とは何か』、そしてネルヴァルの絶品「シルヴィ」を含む魅惑の作品集『火の娘たち』の翻訳。いずれも翻訳家冥利に尽きる仕事です。

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野崎歓さんから『ドストエフスキーと愛に生きる』に寄せられたコメント
テクストとはことばの織物である。翻訳家はその事実をだれよりも直接的に体験する者だ。織糸をほどいては紡ぎなおす作業は、ときとして人生そのもののような貴さを帯びる。84歳の女性翻訳家の美しく澄んだ瞳に、異国の言葉と対話し続けた一生の豊饒を見た。




映画『ドストエフスキーと愛に生きる』
2014年2月22日(土)よりシネマート六本木、渋谷アップリンク他
全国順次公開

84歳の翻訳家スヴェトラーナ・ガイヤーの横には、華奢な姿に不似合いな重厚な装丁の本が積まれている。『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』『悪霊』『未成年』『白痴』──言わずと知れたロシア文学の巨匠・ドストエフスキーの長編作品。それらを"五頭の象"と呼び、生涯をかけてドイツ語に訳した。1923年ウクライナ・キエフで生まれ、スターリン政権下で少女時代を過ごし、ナチス占領下でドイツ軍の通訳として激動の時代を生き抜いた彼女の横顔には、戦争の記憶が深い皺となって刻まれている。一人の女性が歩んだ数奇な半生に寄りそう静謐な映像が、文学の力によって高められる人の営みを描き出す。

webDICE Dostevski

■監督:ヴァディム・イェンドレイコ
■撮影:ニールス・ボルブリンカー、ステファン・クティー
■録音:パトリック・ベッカー
■編集:ギーゼラ・カストロナリ・イェンシュ
■出演: スヴェトラ-ナ・ガイヤー、アンナ・ゲッテ、ハンナ・ハーゲン、ユルゲン・クロット
■製作:ミラ・フィルム
■配給・宣伝:アップリンク
(2009年/スイス=ドイツ/93分/ドイツ語・ロシア語/カラー・モノクロ)

映画公式サイト:http://www.uplink.co.jp/dostoevskii/
映画公式ツイッター:https://twitter.com/DostoevskiiJP
映画公式facebook:https://www.facebook.com/DostoevskiiMovieJP


▼2014年2月22日(土)公開『ドストエフスキーと愛に生きる』予告編


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