(写真上)サイクロンの街頭募金を呼び掛けるNLD国民民主連盟のメンバー
サイクロン被害に苦しむ国民をよそに、憲法草案の国民投票を決行したミャンマー(ビルマ)政府。「日本人ができることは? ODA(政府開発援助)は有効か?」という質問に対して、「全て軍政府にお金がいくだけ。私たちはODAをしないでくださいと訴えています」と答える、ビルマ人のティンアウンさんとテーテーイスェさんのトークショーが行われた。
5月3日に行われた映画『ビルマ、パゴダの影で』の上映後のトークイベントでは、私たちがビルマの為に具体的に何が出来るのかを訴えかけた。
「まずビルマの状況を知ることです。インターネットやイベントから情報を得たり会合に参加したりすること。その上で日本政府によるODAの見直しを要求する署名活動に参加し、現地への援助活動をおこなう個人や団体のための活動資金や物資の支援をしてください」
「国民は生きることに必死で、死の一歩手前の状態です。軍政が統治しているビルマで最もひどいことは人権がないということです」
5月11日にはティンアウンさんが上映後観客に語りかけた。
「死の一歩手前というのは言いすぎだと思われるかもしれませんが、今回のサイクロンのケースを例にとると決して言い過ぎではない事がおわかりでしょう。軍政は48時間前からサイクロンの動きを把握していたにもかかわらず新憲法草案の強行的な国民投票を優先させ国民を守ろうとしなかった。そして国際社会による支援表明に関しては物資および経済援助のみ受け入れ人的支援を拒絶した。その事によって支援は国民に全く届いていません」
トークイベント終了後、イベントに来場したお客様と共に渋谷の代々木公園で街頭募金を行うビルマ人達のもとを訪れた。いち早くこうした活動を行っていた国民民主連盟NLDのメンバーは本国より届いた被害者の写真を掲げ、市民レベル・草の根レベルで祖国への資金援助を人々に呼び掛けていた。
■テーテーイスェPROFILE
1979年ヤンゴン生まれ。幼少期をビルマで過ごした後、1991年に祖国を出国し、タイを経由して家族で日本へ移住。オーバーステイによる強制送還の危機を乗り越え、二十歳の時にようやく在留特別許可を受けた。現在は「ビルマに自由と融和と民主主義を」をモットーにウェブ上のコミュニティー”Change Burma Community”を運営している。
■ティンアウンPROFILE
1960年ヤンゴン生まれ。ヤンゴン大学卒業後、外語大学在籍中に1988年のデモに学生として参加。翌年に出国を余儀なくされ、1991年に日本へと逃げてきた。現在、ヤンゴンでデモを取材中の長井健司さんが殺害された映像を世界へ配信した、亡命ビルマ人によって運営される<ビルマ民主の声 Democratic Voice of Burma(DVB)>の記者として活躍している。アウンサンスーチー率いる国民民主連盟NLD日本支部の情報局長を務めた後、2002年から現在まで日本国内で民主化運動の活動を取材し、国内外へ向けて情報発信を続ける一方、日本のに向けてビルマの惨状を強く訴えている。
<関連サイト>
サイクロン被害に関する情報(ビルマ情報ネットワーク)
ビルマに自由と融和と民主主義を-Change Burma Community
ビルマ民主の声 Democratic Voice of Burma
ドキュメンタリー映画『ビルマ、パゴダの影で』アップリンクXにて上映中