『今日から明日へ』のヤン・フイロン監督
第26回東京国際映画祭の「アジアの未来」部門でワールド・プレミア上映され作品賞を受賞した『今日から明日へ』は、北京郊外の唐家嶺(タンジャーリン)という集合住宅を舞台に、そこに住む若者たちの日常と青春模様を描いている。ヤン・フイロン監督は、現在32歳。「蟻族」と呼ばれる、大学卒の高学歴を持ちながら非正規雇用の生活を余儀なくされている主人公たちと同じ境遇を経験したことをベースに、現地でロケを敢行し、若者の希望や葛藤を瑞々しいタッチで捉えている。監督、そして出演者たちに中国インディペンデント映画制作の現状を聞いた。
初の長編映画は、自分の資金をつぎ込んだ
── 本作は、初の長編映画ということですが、映画の構想から今回の映画祭上映まで、いちばん大変だったところは?
ヤン・フイロン:どの過程も大変でしたけれど、やはりいちばん大変だったのは資金繰りですね。自分のお金も入れましたし、友達から借金もしました。その借金はまだ返していません(笑)。今僕はほんとうに一文無しの状態です。
── どれくらいの予算がかったのですか?
ヤン・フイロン:製作費は、2,800,000元(約4千700万円)です。
映画『今日から明日へ』より
── 中国でインディペンデントで映画を作る困難さのため、海外に活動の場を求める監督もいます。
ヤン・フイロン:もちろんそうです。でも国内・国外に関わらず、資金があればと思うのですが、それさえ僕にはなかった。ですから、自分たちのお金をつぎ込むしかありませんでした。今後は、日本でも他の国でも、投資してくれる方がいたらいいなと思います。
── 日本で中国のインディペンデント映画は、ロウ・イエ監督など、いわゆる第六世代の作品は公開されていますが、あなたの世代の中国の映画監督の作品はまだあまり紹介されていません。
ヤン・フイロン:ジャ・ジャンクー監督、それから王小帥(ワン・シャオシュアイ)監督、ロウ・イエ監督が好きです。第六世代の監督からは、やはり物語の形式や方式、カメラワークに多かれ少なかれ影響を受けています。
映画『今日から明日へ』より
中国だけはなく、世界中の各地にある問題
── 最初の長編作をこの集合住宅に住む若者たちの日常というテーマにしたのは?
ヤン・フイロン:これが僕にとって最も身近なテーマだったからです。僕はこの映画と同じような経験をしてきました。中国だけでなく世界中そうだと思うのですが、大学を卒業して仕事が見つからない、あるいは職を探しているという人はたくさんいます。正確な統計はないのですが、中国では報道によると毎年約600万人が大学を卒業しています。
この映画を撮るまでに10年かかりました。数年前にこの映画を撮りたいと準備をはじめましたがなかなか資金が集まらず、ずっと準備という状態が続きました。僕はこの映画を通して皆さんにこうした弱い一群の若者たちがいる、でもこうして頑張っているのだということを伝えたかったのです。
最初に考えた脚本の段階から、自分の経験を盛り込みました。実際にこの住居に住み込んでの撮影を行ったのですが、すごく大変でしたが、やってよかったです。役者もスタッフもみんなその過酷な条件のところで撮影に臨みました。絵コンテは準備していないですけれど、頭のなかにこういう感じという画があるので、それに合う画を探していきました。
── 現在の北京にもこのような若者は多いのですか?
ヤン・フイロン:数年前にこの「蟻族」を撮ったドキュメンタリーがありましたが、今もまだ彼らのような若者は存在していますし、北京に限らず中国の他の大都市にもいると思います。これは中国だけの問題ではなく、世界中の各地にある問題なのです。
映画『今日から明日へ』より
── 恋愛や友情など個人的な葛藤だけでなく、社会的なテーマについても描きたいと?
ヤン・フイロン:そうですね、実は次の作品も、非常に現実的な家庭の倫理を問う作品になる予定です。小さな街のある家庭を描きたいと思っています。誰もが知っているけれど、あまりおおっぴらに言わないような家の恥とか、どの家庭にも悩みがあって人様には言わないような、子供や老人の問題などを描くつもりです。やはり自分の経験に根ざしたものに興味があるのです。
── 同じ世代の若い映画作家が世界で活躍していくために、どんなことが必要だと思いますか?
ヤン・フイロン:実際中国には、たくさんの若い才能のある人が、自分の撮りたい作品をもって海外に羽ばたきたいと思っています。しかし、なかなかそのチャンスにすら恵まれない。こうして東京国際映画祭に出品できることになった僕はまだラッキーなほうです。でもいつかきっと、何か小さなことでもきっかけを得ることができれば、世界に出ていくができると思います。
夢の為に残って頑張る人、北京を去っていく人
── 物語のなかで、北京で夢を目指してがんばっている仲の良い3人のグループのなかでも、仕事に恵まれなかった男シャオジエは、最終的にグループから離れていきます。
ヤン・フイロン:やはり現実でも、夢の為に残ってがんばり続ける人もいれば、残りたいけれど様々な理由から残れずに、結局北京を去っていく人もいます。ただ、彼ももしかしたら田舎に帰っても自分の夢を諦めずに持ち続けるかもしれないと思ったので、こうした設定にしました。
映画『今日から明日へ』より
── 3人の暮らしが描かれるなかで、シャオジエは部屋で、パソコンでずっとゲームをやっていて、映画を観たり、DVDを観たりするシーンが出てこないのですが、今の中国の20代、30代の若者は映画を観ないのでしょうか?
ヤン・フイロン:そうですね、彼ら「蟻族」にとって映画は贅沢なんです。そのお金があったらお腹を満たしたりするでしょう。このような生活をしている人は、収入がとても少ないので、娯楽に使えるお金はほとんどない。それが現実なんです。
── 俳優のみなさんにお聞きします、狭い部屋に住み込んでの厳しい撮影現場だと、一体感も生まれたのではないですか?
シュー・ヤオ(女優・ランラン役):そうですね、お互いに助け合いました。実は私は、決まっていたヒロインが事情があって辞めることになり、出演することになりました。それで他の俳優よりも遅くクルーに入ったので、他の俳優はいろいろ進めているのに、私だけ追いつけない、そして何を撮るのか、ということに関しても私だけがはっきり分かっていないところがありました。でもカメラマンや監督の助けがあって、なんとか演じることができました。ドラマやCMや司会といったことはしてきましたが、映画は初めての出演だったので、とても緊張していました。それから、いちど監督と細かいシーンでやりあったことがあって、それはすごく寒い時期だったんですけれど、薄いパジャマで外に出るシーンがあって、私は辛いからやりたくない、と言ったのですが、監督がどうしてもこの画が欲しいと言われてやることにしました。後に完成した作品を観て、監督が主張した理由が分かりましたので、少し反省しました。
ワン・タオティエ(男優・シャオジエ役):この映画の撮影はロングカメラの長回しが多く、細かい動きを事前に決めますが、撮っている間は監督からなにも指示がもらえないので、それが大変でした。監督は、イン・シャンシャン演じるチャン・フイとワン・シュー役のタン・カイリンが一緒に歩くシーンを80テイク撮りました。ふたりはそのたびに違う演技をしていましたね。
イン・シャンシャン(女優・チャン・フイ役):私は演技を学んだことがなく、心理学を勉強していたんです。ですから人物の心理の分析は好きなので、今回、他の役者さんたちの演技も含めて、撮影の現場でも心理分析をしていましたね。
右より、映画『今日から明日へ』ヤン・フイロン監督、ワン・タオティエ(男優・シャオジエ役)、シュー・ヤオ(女優・ランラン役)、イン・シャンシャン(女優・チャン・フイ役)
── 監督は、俳優の演技についてはどのような指示を?
ヤン・フイロン:僕はそんなに演技について細かく指示できるほど分かっていないのですが、でも自分が「こういう画がほしい」というものと演技がしっくりきているかどうか、そこに強いイメージを持っていました。ですから細かい演技は役者さんにまかせて、自分とぴったりくるものを探します。
── とても狭い部屋での生活がリアルで描かれていますが、カメラは?
ヤン・フイロン:RED EPICを使いました。『ホビット』や『スパイダーマン』でも使われているデジタルカメラで、すごく軽いし小さくて、画の効果は素晴らしい。とても高いので、借りたのですが、それでも高かったですね。アリMPレンズも使ったので、仕上りには満足しています。僕が撮影科出身なので、カメラとレンズについてはこだわりがあります。
── そのRED EPICはどこで借りたのですか?
ヤン・フイロン:北京にある小さな会社、北京阿王電影有限公司から借りました。アリMPレンズは撮影監督の私物です。でも次の作品は35ミリのフィルムで撮ります。すごくお金がかかりますけれど、フィルムで一本撮りたくて、それをもって、また東京国際映画祭に来たいと思っています。
(2013年10月18日、六本木にて 取材・文:駒井憲嗣)
ヤン・フイロン プロフィール
北京電影学院を卒業後、数多くのCM作品、ドキュメンタリー映画などを手掛ける。初の長編映画『今日から明日へ』が第26回東京国際映画祭の「アジアの未来」部門に出品され、作品賞を受賞した。
映画『今日から明日へ』
監督:ヤン・フイロン
脚本:リン・シーウェイ
撮影監督:スン・ティエン
プランニング・ディレクター:チョウ・イェンミン
プロデューサー:ワン・ヤーシー
録音:リウ・ヤン
出演:タン・カイリン(唐凯林)、シュー・ヤオ(舒遥)、ワン・タオティエ(王道铁)、イン・シャンシャン(尹姗姗)
88分/2013年/中国
▼映画『今日から明日へ』予告編