ケルアック・ハウスの書斎。机はケルアックが使っていたものではないが、彼の息吹は感じられる。
映画『オン・ザ・ロード』公開とともにジャック・ケルアックとビート・ジェネレーションに再び注目があつまるなか、かつてケルアックが住んでいたフロリダ州オーランドの家が現在レジデンス制度に利用され、作家や詩人たちの創作の場として使われていることをご存知だろうか。今回はノンフィクション作家檀原照和氏がまだ日本では実例のないライターズ・イン・レジデンス施設の現地取材レポートを掲載する。
レジデンス制度と「ケルアック・ハウス」
ジャック・ケルアック原作の映画『オン・ザ・ロード』が全国公開される。期を同じくして先月、つまり2013年7月、ジェラルド・ニコシアとアン・マリー・サントスの共著『ガールズ・オン・ザ・ロード』(河出書房新社)が発売された。ケルアックとニール・キャサディの旅に同道し、歴史に名を残した女性ルーアン・ヘンダーソンの評伝である。
この本の中で主人公ルーアンが1957年に「ジャック(ケルアック)がお母さんと暮らしていた小さな家」を訪ねる、という話が出てくる。家に関する描写は一切なく、場所も明かされていない。文字通り詳細不明。手がかりなしだ。
これまで日本で紹介されたことがなく、ケルアックの伝記にも書かれていなかったこの家に、足を運んだ。5月下旬のことだ。
この家を訪ねたのは「ライターズ・イン・レジデンス」とよばれる滞在制作型の作家支援システムの調査のためだった。欧米のみならず韓国や台湾、中国、東南アジアなどでも実施されているこの制度は、日本ではまったく行われていない。「アーチスト・イン・レジデンス(以下、AIR)」と呼ばれるアーチストや舞台人をサポートする制度であれば、日本にもある。しかし文字の書き手を支援するレジデンス・プログラムは、紹介さえされていないのが現状だ。
『路上』の出版当時ケルアックが住んでいた住んでいた家は「ケルアック・ハウス」とよばれ、10年ほど前から「ライターズ・イン・レジデンス」の施設として活用されている。伝説的な人気作家の旧宅に寝泊まり(レジデンス)しながら、三ヶ月間集中して執筆できる。しかもひとりじめの状態で、である。なんとも贅沢だ。
折しも「オン・ザ・ロード」公開が迫っていた。レジデンス制度を紹介するなら、このタイミングでこの家を取り上げれば間違いない。そう思えた。
たまたまGoogle検索で見つけただけなので、ここになにか特別な思い入れがあったわけではない。特にケルアックのファンというわけでもない。逆にケルアックやビートニクスのファンだったら、既存の書籍を読み漁って満足してしまい、この家を見つけることはなかったと思う。
6月の中旬、日暮里の古書店でビート・ジェネレーションに関するトークイベントが催された。数人いるケルアック作品の訳者の一人とその盟友ともいうべき詩人が主役だったが、お二人にケルアック・ハウスの話をした所、目を見開いたままぽかんとしていた。ビートに思い入れのある日本の知識人にとって、この家の現状は理解を超えている部分があるかもしれない。
文化不毛の地に移住したケルアック
目的地であるフロリダ州オーランドは、それこそ20世紀の後半に入るまで果樹園と湿地しかない文化不毛の地だった。21世紀に入った現在でも軽く一走りすれば、フロリダの原風景がひろがる。突き刺さるような天空からの光線。青々と茂る大樹の陰。だらしなくつづく平原。スパニッシュ・モス。アリゲーター。点在する数百にも及ぶ湖水。フロントポーチを備えた素朴な木造家屋。すべてがオールド・フロリダそのままだ。ダウンタウンには高層ビルこそ建っているものの、大都会というほどではない。
ケルアックは、文化不毛のこの地に輝く宝石になってもおかしくなかった。しかし保守的なフロリダは、ケルアックを受け入れるだけの寛容さを持ち合わせていなかった。『路上』出版の前年、オーランドと同じフロリダ州のジャクソンヴィルでエルヴィス・プレスリーがライブを行った所、「腰の動きが卑猥だ」と少年裁判所判事が勧告を出すような状況だった。ケルアックの本もタブー扱いされ、著者本人が住んでいたにも関わらず、出版当時この街の書店では扱っていなかった。
彼の作品は、全米各地で賛否両論の渦を湧き起こしていた。しかし、彼がこの街に住んでいることは親しい友人たちしか知らなかった。また彼は街の人々とわずかな関わりしか持たなかった。だからトラブルが起きることはなかった。『路上』をめぐる一連の騒動を嫌ったケルアックには、この土地の刺激のなさが逆に救いになったのかもしれない。
初稿を書き終えてから既に6年が経過していた。この作品の出版を契機に、ケルアックは疾走の人生にブレーキを踏んだ。その日暮らしの刹那的な旅から外れ、安住をつかもうとした。人生の後半を永久に変えることになる『路上』が出版されたちょうどその頃、彼は母親と共にこの「小さな家」に暮らしていた。わずか2ブロックしか離れていない場所には、姉夫婦も住んでいた。
ケルアック・ハウス外観
無頼のイメージとは異なり、ケルアックは放浪の終えると必ず母ガブリエルの許に戻った。後半生の大部分は母親との二人暮らしだった。カナダ系フランス人の子供であり、フランス語を母語としていたせいか、ケルアックはアメリカのなかに居場所を見いだせずにいたようだ。そのせいかケルアック家は家族の絆が強い。映画『オン・ザ・ロード』でニール・キャサディが愛車で乗り付け、ケルアックを旅に誘う場面があるが、そのときもケルアックは母共々姉夫婦の家(この当時はオーランドではなく、ノースカロライナ在住)に居候中だった。
姉カロリーヌの家族がオーランドに移住したのがきっかけとなり、ケルアックと母もこの地にやって来る。はじめこそ姉夫婦と同居していたが、しばらくするとケルアックは母とともに一軒家を借りるようになる。それがルーアンが訪ねた「小さな家」だが、日本人の感覚からすると少しも小さく感じられなかった。間取りは2LDKで、リビングは15畳くらい、一番大きな部屋は25畳くらい。むしろ二人で暮らすには大きいくらいではないだろうか。
ケルアック・ハウスの居間。ケルアックが住んでいた当時、壁の色は緑ではなく、白っぽかったという。
ケルアック・ハウスのゲストブック。充実したレジデンスだったことが伺える
まだ開発の進んでいなかったオーランド。ケルアックは『路上』の騒々しい躍動とは無縁な生活を送っていたに違いない。木々のざわめきに夭折した兄ジェラルドを思い、氷で冷やしたみかんを食べながら蒸し暑い夜のフロリダに身を浸す日々。しかし1996年に地元のジャーナリストがこの家を「発見」するまで、ケルアックとオーランドを結びつけて考える者はいなかった。
文学をライブ体験する
主要道路の一つ、州道50号線(コロニアル・ドライブ)を北に折れ、二つの湖に挟まれたウォーターエッジ・ドライブを北上する。天高い蒼空がきらめく湖面に映る。視界の端々に緑が萌える上品な界隈は、アメリカの埃っぽいイメージとは若干異質だ。この通り沿いに、メッシュ状の格子が目を惹くユニークなカフェが鎮座している。
インフュージョン・ティー。
文系人間の溜まり場でオーランドでは知られた店だ。「ローカルアーチストが作成した小物やオブジェを飾るスターバックス」といった雰囲気のこの店は、ケルアック・ハウスから徒歩5分の距離だ。レジデンスすると必ずここに顔を出すようになる、という。
インフュージョン・ティー外観。メニューの主力はオーガニック・ティー。かつて街一番の人気書店「アーバン・シンク」(2010年に閉店)のフロア内にも出店していた。
この日、インフュージョン・ティーで、レジデンス中のライター、モニカ・ウェンデルを交えたオープン・マイクが催された。オープンマイクとは文字どおりマイクを解放し、誰でも飛び入りできるイベントで、主に自作の詩や歌、ラップ、お笑い、パフォーマンスなどを披露できるが、今回は詩に限定しているようだ。この店は、しばしばこうしたイベントの舞台となっている。
このときの参加者はみんな知り合いだったり、常連だったりしたらしく、司会者の上手なしきりに乗って和気藹々とした雰囲気のなか、次から次へと詩人たちが自作を披露した。十数分に及ぶ長大な作品を流れるように暗唱してみせる話者も登場し、会場の空気は心地よい熱気に包まれた。
インフュージョン・ティーのオープンマイクにて朗読する地元の詩人ナオミ・バターフィールド
日本ではこういう催しは見たことがない。詩や小説の受容の仕方が日本と西洋ではかなり違うのだ。西欧では、文学は文字を目で追うものであるのと同時に、その場にいる人たちとライブ空間で共有するものでもある。カフェや居間などで議論する楽しみもある。こうした文学体験は、ビートニクスの世界でもおなじみだ。
この日はモニカの友人でサンフランシスコから遊びに来たという小説家やシアトルからきた友人など、アメリカ各地から集まった参加者がちらほらいたらしい。イベントが終わるやいなや、そのままケルアック・ハウスに移動してパーティーになだれ込む。
まずは詩の朗読から。インフュージョン・ティーのときとはメンバーが替わり、雰囲気も出し物っぽくなる。なぜか野太いムチを持ち込んだ人間がいて、猛獣使いのように超然としたかと思えば、それをひったくって蛇使いのようにムチと戯れている者もいる。気がつくとカラオケが始まっており、小芝居を打ちながら延々と大熱唱がつづく(そう。カラオケはケルアック・ハウスにも入り込んでいたのだ)。
スマホ片手にパーティーでの朗読。調教師の監督つき?
冷蔵庫には冷えたビールがぎっしり詰まっていて、家屋には楽しいひとたちが揃っている。参加者の多くは20代から30代前半だが、地元の文学好きな中年女性や国語の先生も混じっている。ここには特にビートのファンが集まっているというわけではなく、話題はロボット工学から文学、日本のことにまで及んだ。
驚いたのは村上春樹の人気ぶりである。ほんとうにたくさんの人たちが彼の作品を読んでおり、滞在中なんどか「新作(『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』)の日本での評判はどうだ?」と訊かれた。
日本文化の浸透ぶりは予想以上で、桐野夏生の『OUT』やビジュアル系バンドのマリスミゼルのファン、日本の「廃墟ブーム」を知っている者など、ケルアックゆかりの家でこれほど日本のことを知っている人たちに出会うとは考えてもみなかった。
居間ではハウスミュージックが鳴り響き、みんな踊り出した。誰かが「今夜フロリダでいくつパーティーがあるのか知らないが、絶対ここがベスト・パーティーだ」と言うと、みな口々に賛同した。
車社会だけあって、電車の時間を気にしながら飲まないのが素晴らしい。一人減り二人減りしながらパーティーは朝まで続いた。
創作の培養室に徹する
ケルアック・ハウスには映画『オン・ザ・ロード』のポスターは貼られていなかった。それどころか看板の類は一切ない。だから予め写真で建物を確認しておかなければ、気がつかずに通り過ぎてしまうだろう。
街の人たちに訊いても、ほとんど誰もこの家のことは知らなかった。プロジェクトの運営委員に訊いたところ、「ケルアックの生地や没地とも連絡は取ってはいるものの、活発に交流しているわけではない。それよりも前途有望な作家たちを地元文学コミュニティーのゲストとして迎え入れ、気持よく過ごしてもらうことを心がけている」という。
この家のポリシーは戸口の張り紙に集約されている。
ザ・ジャック・ケルアック
ライターズ・イン・レジデンス
プロジェクト・オブ・オーランド Co.Ltd.
そっと歩いて下さい…
才能ある「滞在執筆中の作家」が
つぎのすばらしいアメリカ文学を
書いています!!
一月に一人か二人程度ではあるが、現在もケルアックのファンがこの家へ「聖地巡礼」に訪れるそうだ。しかしこの張り紙を見ると、みんながみんな、どうしたらよいか分からず、固まったようになってしまうという。
この施設は典型的な、それこそよくあるフロリダの古い木造平屋の建築で、ありふれている。ケルアックが住んでいたという事実さえなければ、だれも気に留めないだろう。
内部には、作家の遺品は一切ない。正確に言えば、ケルアックが「借りパク」したタイプライターが形見と言えば形見だ。しかし本来の持ち主がニール・キャサディー夫妻だとハッキリしているので、遺品というのもはばかられる。ほかにめぼしいもの、目立つものは一切見当たらない。ケルアックの写真が数枚飾られている程度で、机や椅子、蔵書、その他の調度類でケルアックが使っていたものは一切残っていない。
現地に行っても、関係者以外立ち入り禁止で作家がお籠もりしてるだけ(パーティーの参加者は全員顔見知り)。
つまり、ここは観光施設ではないのだ。だから、感動を求めてここにやって来ると戸惑いを覚えるのではないだろうか。
レジデンス中の詩人、モニカ・ウェンデル
今回の取材に関して言えば、「最大の感動」は、
1.あれだけ有名な作家なのに未発見の家があった
(そして発見後15年も経っているのに、まだ日本に紹介されていなかった)
2.それが博物館や記念館ではなく、創作の場として使われている
という二つの部分だ。
現地に行っても、これ以上の驚きはない。この施設の面白味はもっと別の部分だ。
そもそもケルアック自体、本来は前衛畑の人である。ちょうど6月初旬、ナローパ大学ジャック・ケルアック・スクールのディレクターであるミシェル・ナカ・ピアスが来日していたので質問したところ「ケルアックはアンダーグラウンドな世界では一貫して知名度の高さを保っているが、一般人の間ではそれほど知られているわけではない」とのことだった。
もしこれが日本であれば、ここぞとばかりケルアックでまちおこしを図っただろう。オーランドの街は退屈きわまりないファスト風土の集積として語られるのが通例だ。しかし、彼らは安易なまちおこしには走らなかった。アメリカ文学史に名前を刻むことさえ出来たかもしれないが、それをしなかった。
オーランドは文化不毛の地かもしれない。しかし自分たちの文化資産を安売りして低俗な観光商品にするほど愚かではなかった。主を失った部屋はかなしい。創作の培養室としての役割を終え、もぬけの殻となった資料館であればなおさらである。しかしここは創作に寄与する空間として、いまだ現役なのだ。この家に関わる人々は、ケルアックに敬意を払いながらもビートとは距離を置き、より客観的な視点から次世代の作家のゆりかごに徹しているように見えた。資本主義の本場とは思えないケレン味のなさ。これもまたアメリカの一面だろう。
ライターズ・イン・レジデンスに参加するには
具体的にどんな手続きが必要なのか
最後に応募要項について簡単に説明したい。
まずレジデンス制度そのものの概略について。
ライターズ・イン・レジデンスは世界中に何百というプログラムが存在し、主催者や規模、予算、文化圏なども一様ではないので一般論を説明するのはむずかしい。大まかに言うと
1.招待制……主催者が招聘する作家を決定する
2.公募制……審査によって参加者を決定する
の2種類に大別される。
金銭面で考えた場合、参加に際し参加費が必要なプログラムと、逆に生活費が支給されるプログラムに分けて考えることができる。
上記1の場合は、生活費やギャランティーが支給されるのが通例だと思われるが、2の場合はケース・バイ・ケースである。ケルアック・ハウスは2だが、毎月800ドルの生活費が支給されている。リッチなプログラムの場合は渡航費も支給されるケースや、レジデンス期間中、留守にしている日本のアパート代を立て替えてくれるケースもあるが、待遇はそれこそ千差万別である。
滞在期間は1ヶ月と3ヶ月が多いように思われるが、1~2年という長期滞在プログラムも存在する。レジデンス期間が終了したら速やかに出て行かなければならないので、レジデンス施設を渡り歩くジプシーのような参加者も少なくないらしい。
また海外には
1.ライター専門
2.アーチスト、建築家、舞台人、音楽家、文学人など英語で「アート」の範疇に含まれるジャンル全般
というふたつの系統のレジデンス・プログラムが存在する。
1について補足説明すると、レジデンスの世界で「ライター」という場合、小説家、劇作家、随筆家、詩人、歌人、俳人など純文学系の人を指すのが一般的だ。ノンフィクション作家を受け入れているのは半分くらい。ジャーナリストの応募を受け入れている例は聞いたことがない。日本語の「ライター」は「それ以外の著述家」というニュアンスが強いが、だいぶ勝手が違う。応募に必要なのは「クリエイティブ・ライティング」と呼ばれる系統の制作実績だ。過去の作品が店舗や観光地、インタビューの記事ではお話にならない。もし日本のフリーライターがレジデンスに挑戦するとしたら、なにか戦略が必要かもしれない。
2だが、英語圏では文学もアートの1ジャンルと受け止められているため、「アーチスト・イン・レジデンス(AIR)」に作家が参加できるケースが割と多い。しかし日本のAIRでは文学は除外されているのが一般的だ。日本では文学とアートは切り離されており、接点がない。アートへの文化助成は広く行われているものの、文学へのサポートは寡聞にして聞いた試しがない。ライターズ・イン・レジデンスは文学への助成の一形態なので日本で行われていないのはある意味当然と言えるだろう。
日本人のレジデンス経験者は少なく、私が把握している作家は以下のとおりである。
#アイオワ大学創作学科・国際創作プログラム(IWP)
田村隆一、吉増剛造、白石かずこ、吉原幸子、中上健次、平出隆、水村美苗、島田雅彦、野村喜和夫
#井上ひさし
オーストラリア国立大学(ANU)
#村上春樹
ハーバード大学(ボストン)
プリンストン大学(ニュージャージー)
#小林エリカ
2003年 カナダ・バンフセンターにアーティスト・イン・レジデンス(国際交流基金)
2006年 エストニアEAA、フランスCAMACにアーティスト・イン・レジデンス(野村国際文化財団)
2007年~2008年 アジアン・カルチュラル・カウンシルの招聘でニューヨークに滞在
※上記レジデンスについて、小林さんはライター枠ではなくアート枠での参加だったため訂正いたします。
# 永井真理子
2012
- December 2012: A residency fellowship from Ventspils House (ラトヴィア)
- November 4 - 25, 2012: A residency fellowship from Sangam House (インド)
- Sept 25 - October 25: Residency at the Akademie Schloss Solitude (ドイツ)
- July 30 - August 26, 2012: A residency fellowship from Kimmel Harding Nelson Center for the Arts (ネブラスカ州ネブラスカ・シティ)
2011
- September 2011 - November 2011: A fellowship at the Akademie Schloss Solitude (ドイツ シュツットガルト)
2010
- October 2010 - April 2011: a 7-month fellowship at the Akademie Schloss Solitude (ドイツ シュツットガルト)
- April - May 2010: a month long fellowship at Djerassi Resident Artists Program (米国カリフォルニア州)
2009
- December 2009: a two-week artist-in-residency at PEN-Flanders flat (ベルギー アントワープ)
- August 2009: a month long fellowship at the Yaddo (米国ニューヨーク州サラトガスプリング)
-April - May 2009: a month-long fellowship at the Rockefeller Foundation Bellagio Center (北イタリア ロックフェラーセンター主催のベラジオセンター)2008
- November 2008: a month-long fellowship at the Hawthornden International Writers Retreat (英国エジンバラ)
- October 2008: a month-long fellowship at Fundacion Valparaiso (スペイン)
- August 2008: a month-long fellowship at Chateau de Lavigny(スイス ローザンヌ)
- May 2008: a fellowship from Elizabeth Kostova Foundation (ブルガリア)
2007
- October/November 2007: a six-week fellowship from Headlands Center for the Arts (米国カリフォルニア州)
- August/September 2007: a six-week fellowship from the Civitella Ranieri Foundation (イタリア)
- UNESCO-Aschberg Bursaries for the Arts Laureatship (2007)
Before 2006
Hedgebrook Foundation(米国シアトルの沖にあるヘッジブロック島)
Chateau la Napoule (フランス)
Ledig House/Art Omi (米国ニューヨーク市)
the Remarque Fellowship (米国ニューヨーク市)
Tasmanian International Writers Retreat (タスマニア)
#多和田葉子
writer-in-residence in the Department of Foreign Languages and Literatures at the Massachusetts Institute of Technology in 1999.
#Sally Ito(カナダの日系人)
fall 2012 writer-in-residence at Centre for Creative Writing and Oral Culture (CCWOC).
ビッグネームが揃っているが、それは日本からの挑戦者がベテランばかりだからだ。若手を中心にしたプログラムも少なくないので、知名度や実績が足りなくても審査をパスすることは十分可能だと思う。
取材時にレジデンスしていたモニカはニューヨーク大学のクリエイティブ・ライティング・コースの卒業生で、MFA(芸術修士)を取得。「まだ字を書けるようになる前から、母親に口述筆記してもらって詩を書いていた」という。インタビュー当時27歳で、詩集を二冊出していた。
欧米の応募者はMFA取得者が多く、バックグラウンドに関しても日本とはだいぶノリが違う。日本から参加したら、きっと刺激的な体験になるだろう。なお、MFAはなくても問題はない。
上記はすべて海外の事例だが、国内での事例も一件だけ把握している。
横浜で行われているAIRのひとつ「KOTOBUKIクリエイティブアクション」を利用したライター/小説家/美術家の川崎昌平さんが、エアコンのない夏のドヤ街に泊まりこみ、町での体験を元に小説を執筆した例(2008年)が、それである。私が知る限りでは、これが国内唯一の「ライターズ・イン・レジデンス」事例だ。
つぎに応募手続きについて。
「具体的な手続き」と言っても特記するような事柄は何もない。一般の文学賞への応募とほとんど同じである。
つまり
・定められた言語と文字数に則った作品
・レジュメもしくはプロフィール
といったものを提出し、審査結果を待てばよい。
多くの場合、字数制限のほかに言語制限(レジデンス開催地の言語、もしくは英語)があるので、日本語ではなく英語などで作品を書くか翻訳するかして審査を仰ぐ必要がある。海外からの参加者を求めているケースはかなり多いので、日本からの応募もまったく問題ない。
とはいえレジデンス中、トークショーやワークショップの開催を求められることが多いので、現地の言葉、それが無理なら最低でも英語でレクチャーができないとレジデンスは厳しいかもしれない。舞台芸術や現代アートとは異なり、言葉がそのまま表現の一部となっている文学系の場合、言語の壁は小さくないが、よく探せば日本語で乗り切れるプログラムも見つかるかもしれない。
ケルアック・ハウスの場合は、応募に際して10ページ以内の英語で書かれた作品見本とレジュメの提出が定められている。応募は一年中受け付けているが、審査は毎年4月に一度行われるだけである。一年間で4人の合格者と4人の予備候補が選出される。現在までに日本人の参加者はいないが、来年度の予備候補の中に東京在住の日本人女性が1名含まれている。
詳しいことは直接ケルアック・ハウスの公式サイトを参照し、疑問点は直接主催者に質問して欲しい。
【参照リンク:ケルアック・ハウス】
・レジデンス・ライターのアンソロジー “Mad Ones (Resident Writing Series)”
http://www.amazon.co.jp/dp/B00B5YGKRW/
タイトルは勿論『路上』の有名な一文「狂ったように生き、狂ったようにしゃべり、狂ったように救われたがっている、なんでも欲しがる奴ら」から。
・ケルアック・ハウスを発見したジャーナリスト、ボブ・キーリングがフロリダ時代のケルアックについて語った動画(セントラルフロリダ大学提供)
・ケルアック・ハウスが所有する「ダルマ・バムズ」の生原稿。オーランドのロリンズ・カレッジに委託して公開中
http://social.rollins.edu/wpsites/libraryarchives/2012/01/27/the-dharma-bums/
【参照資料:レジデンス】
・水村美苗・著『日本語が滅びるとき』第1章(筑摩書房)
・「美術手帳」1998年3月号-レジデンス特集号
・サムワンズガーデン・監修 「世界の、アーティスト・イン・レジデンスから」(ビー・エヌ・エヌ新社)
・「アーティスト・イン・レジデンスAIR研究会報告書 ('93-'95) 」アーティスト・イン・レジデンス研究会
・水声通信 -Web Version
http://www.suiseisha.net/tsushin/vol02/nomura01.html
檀原照和 プロフィール
ノンフィクション作家。1970年東京都生まれ。横浜在住。法政大学法学部政治学科卒業。 2006年「ブラックカルチャーの基層」という視点からヴードゥー信仰を扱った『ヴードゥー大全』(夏目書房)でデビュー。他の著作に『消えた横浜娼婦たち』(データハウス)、『平凡なフリーメイソンの非凡な歴史』(kindle)『ネオンライト』(kindle)など。
twitter id は@yanvalou
映画『オン・ザ・ロード』より (C)Gregory Smith
映画『オン・ザ・ロード』
8月30日(金)よりTOHOシネマズ シャンテ他全国順次ロードショー
監督:ウォルター・サレス
サム・ライリー、ギャレット・ヘドランド、クリステン・スチュワート、エイミー・アダムス、トム・スターリッジ、キルスティン・ダンスト、ヴィゴ・モーテンセン
製作総指揮:フランシス・フォード・コッポラ
音楽:グスターボ・サンタオラヤ
2012年/フランス・ブラジル/英語/カラー/シネマスコープ/139分
字幕翻訳:松浦美奈
原題:ON THE ROAD/R-15
配給:ブロードメディア・スタジオ
公式サイト:http://www.ontheroad-movie.jp
公式Facebook:https://www.facebook.com/ontheroad.movie2013
公式Twitter:https://twitter.com/OnTheRoad_mov