骰子の眼

cinema

2013-05-26 23:18


ニューヨークを駆け巡る神出鬼没の野外上映プロジェクト「ルーフトップ・フィルムズ」

創立スタッフのダンさんインタビューとレポートにより話題のインディペンデント映画コミュニティを紐解く
ニューヨークを駆け巡る神出鬼没の野外上映プロジェクト「ルーフトップ・フィルムズ」
ブルックリンのTHE OLD AMERICAN CAN FACTORYで行われたルーフトップ・フィルムズ(2012年)

神出鬼没の野外上映集団「ルーフトップ・フィルムズ」は、5月-9月にかけてニューヨークの様々な野外スペースで約50-60上映イベントを開催し、毎年ニューヨーカー約3万人を動員する、ニューヨークのインディー映画界における夏の風物詩的な存在である。サステイナブル・フィルムメーキングについて考察するシリーズの一環として、今回はそのルーフトップのプログラム・ディレクターであるダン・ヌクサール氏に取材した。自分たちの作品制作と生活維持のために、前回の記事から大分時間が空いてしまったことをお詫びいたします。

ルーフトップ・シネマ・ヒストリー

始まり 1997

「アンダーグラウンド映画を野外で」(筆者訳。オリジナルは “Underground Movies Outdoors”)をタグラインに1997年に生まれた“ルーフトップ・フィルムズ夏の上映シリーズ”は、超低予算・劇場未公開の優れたインディー/アバンギャルド映画の新作を紹介するイベントである。始まりは、ニューヨーク州ヴァッサー大学卒業後マンハッタンに帰郷したマーク・ローゼンバーグ氏が、こんなに沢山の映画が作られているのに見せる場所がないことを不可解に感じ、自分の借りていたイーストヴィレッジのアパートの屋上に16ミリの映写機と白いシーツと安い音響システムを持ち込み、友人・近所の住民を集めて行った一度の上映会であった。その日に集まった300人ほどの観客の中には、自作の映画の缶を持参した輩も多かったらしく、記念碑的となったその夜の上映は深夜まで及んだという。その後家主に見つかってマーク氏は家を追い出されてしまう。

ブッシュウィック時代 1998-2003

イーストヴィレッジのアパートを追い出されたマークは、大学時代の友人達に助けを求める。そのうちの一人が今回取材したダン氏である。ダンともう一人の友人は当時、プエルトリコとドミニカ共和国からの移民の街であり、高犯罪率の貧困地区であったブルックリンのブッシュウィックに、もと倉庫をロフトに改築して住んでいた。3人はそのビルの屋上に骨組みのしっかりしたスクリーンを組み立て、そこで上映を始める。98年夏に1回、99年夏に5回、2000年夏には8回の上映が行われている。その頃ブッシュウィックにはアーティストやミュージシャンが安い住居/活動スペースを求めて移り住み始めており、ルーフトップはそれら若いアーティスト(白人系が主体)と、長年の住民たち、また彼ら貧しい移民を支えて来た地元のNPO団体などをつなげる役割として、活気溢れる新コミュニティ作りの一翼を担う。2001年に、マークをアーティスティック・ディレクター、ダンをプログラム・ディレクターとして、彼らを含めてスタッフは全員ボランティアながら、正式な非営利団体として登録する頃には、夏を通しての金曜日上映が始まり、上映前には新進バンドの演奏も取り入れた。ブルックリンだけでなくマンハッタンからの客も増え、動員数も応募数もかなりの数を保ち続ける人気スポットになっていた。

ガワナス時代 2004-現在

ニューヨークの街は、移民や黒人地区にアーティスト達がまず入り込み、カフェやレストランが建ち始め、次第に地価と家賃が跳ね上がり、人口分布がまた変わる。ブッシュウィックのコミュニティ作りに貢献したルーフトップも、2003年、再度ヴェニューを失った。しかし翌年、ブルックリン・パークスロープにほど近い工業地帯ガワナスで、もとはオールド・アメリカン缶工場だった巨大なビルに移る機会を得た。そのビルをアート&デザイン空間として再生するプロジェクトを進めていた若手の建築デザインチームとの共同事業の話がまとまり、その屋上に幅19メートルを超える大型スクリーンを設置、パーマネントな上映スペースを確保できたのである。またその一室に初めてオフィスを構えた。それ以来、缶工場の巨大な屋上をホームグラウンドとしながら、夏にはブルックリン各地及びマンハッタンやスタッテン島まで、野外上映可能なおもしろい場所があれば遠征し、労を厭わずスクリーンを張りめぐらし、ニューヨークの町を縦横無尽に駆け巡る忍者的上映集団になった。2008年には通年フルタイムの有給スタッフ7人を抱える非営利団体に成長、最近は夏以外のシーズンにも時勢に合わせた内容の上映会などを行っている。毎夏の動員数2-3万人は、ある意味偉業に思える。アングラ系映画やドキュメンタリーに多くのお客さんを集めるのは、ニューヨークでも至難の業なのだ。1920年代初期ロシアの未来派詩人マヤコフスキーが「街路はわれらの絵筆、広場はわれらのパレット」と言い、70年代の日本で寺山修司がそれを映像化しようとしたが、ルーフトップはニューヨークという生き物みたいな街そのものを、野外劇場に変えているように見える。

ダン・ヌクサール(Dan Nuxoll)さんに聞く

ルーフトップとは

── まず、ニューヨークのインディー映画界についてよく知らない日本の読者の皆さんに、ルーフトップ・フィルムズとは何か、説明していただけますか。

創設当初のルーフトップはもっと若くて小さな団体だったけれど、僕たちのゴールはずっと変わっていないんです。僕らがいなければ支援も受けられずオーディエンスも見つけられないような映像作品に、その二つを提供すること。マークが屋上でやるようになったのは、金銭的な理由からでした。ニューヨークで劇場を借りるのは高いし、ここには劇場も映画祭も五万とある。アート関連イベントもどこかしこで毎夜開かれているから、競争が激しすぎる。巨額な広告費がない限り、名もない映画の上映に人を集めるのは簡単ではありません。そこで、アクセスのあった自分たちのアパートの屋上でやってみたら意外と皆が気に入ってくれたので、毎年4回、8回、16回、30回、50回……と年々拡張してやってきているというわけです。そのうち団体として成長して、活動も多岐に渡るようになったけれど、核である夏の上映シリーズは基本的にずっと同じです。おもしろい場所、景色のいい場所でやることにも重点は置いているけれど、何より大切なのは楽しいイベントにすること。誰もが来やすいイベント作りが僕たちの信念です。だから入場料は普通の映画館より安いです。上映前にはライブ演奏もあるし、上映後には何らかの形でパーティを企画して、皆がリラックスして飲んで話して、フィルムメーカーに会えるようにしています。夏の上映シリーズがルーフトップが世に知られている姿ですが、その他にも色々やっています。フィルムメーカーのためのグラントや、他の上映会を企画運営したり。

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ダン・ヌクサールさん

団体としての成長のヒケツ

── ルーフトップの躍進はめざましいものがあると思うのですが、年々次第に成長したのでしょうか。それともある年に急に大きくなったのですか?

 2003-04年が急成長の年だったと思います。始めてから5-6年が経って、マークと僕と、もう一人当時大学時代の友人の女性スタッフがいたんですが、その3人が他のプロジェクトをとりあえず手放して、これにフルタイムで携わるようになってから、だと思います。マークは実は今はルーフトップの仕事から少しまた離れて、自分の作品の制作に戻っているんです。長編処女作の脚本を書いて、監督もするので、そっちに今は集中しています。でも、 成長の過程は決して奇蹟ではなく、秘訣もなく、次第に大きくなって行ったもので、勤勉な労働とたゆまぬ努力によるものです(笑)!助成金の確保、上映機材レンタルビジネスの拡張、スポンサー探し、それにいい評判を保つ努力、などなどです。特にルーフトップは制作者コミュニティに支えられているから、彼らを大切に扱って、ルーフトップでの上映で彼ら自身が多くを得られるようにすることは最重要項目です。彼らにとっては無料のプロモーションになるわけだから、どの映画祭で上映するかを選ぶにあたってルーフトップを選んでもらえるように、制作者間での評判を落とさない事は大切ですね。

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コニー・アイランドで開催されたルーフトップ・フィルムズ

── ルーフトップで上映される作品の監督は、宿泊も含めてNYに招待してもらえるのですか?

長編の監督はどうにか招待できるように工面しています。ホテル代が捻出できなければ、スタッフのアパートに泊まってもらう、とかね(笑)。

── お客さんの数は、創立当初、2003-4年、そして今、と変遷があったのでしょうか。

最初からずっと大勢の人が集まってくれてはいたんです。3-400人はいつでも来てくれていました。でも、それまでずっと年に一度か二度のイベントで、多くて五回でしたから、問題は、夏の上映本数、イベント回数を増やしていく中で、観客動員数をいかに維持できるか、でした。今は一夏50回くらいの上映で、約3万人の動員数なので、平均一回600人の人が来てくれていることになります。

── 毎年の応募数と選考プロセスを教えてください。

毎年2200-3000作品の応募があり、そのうち2/3が短編です。選考委員は25名くらいです。

── 現在のスタッフ数は?

 今は6人が通年フルタイムとして働いていて、3-4月にあと数人夏のイベントマネージャーを雇います。夏に増員するフリーランスの上映テクニシャン系人材も入れると、夏は全体で20-25人くらいの大所帯になります。それにボランティアの皆もいます。 その他にも機材レンタル部門もあって、通年上映イベントなどに雇われて機材/テクニシャンの貸し出しをしているので、そこにもフリーのテクニシャンが出入りしています。

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ブルックリン実業高等学校で開催されたルーフトップ・フィルムズ

野外上映スポット選び

── 昨年のシリーズで野外上映した場所を教えてください。

いくつかのコア会場で10-20回ずつ上映して、あとは他の色んな場所で1-2回ずつやりました。人気のスポットは、マンハッタンのロウアーイーストサイドにある公立高校の屋上にある“オープン・ロード・ルーフトップ”という、壁という壁がグラフィティに埋め尽くされた素晴らしい会場、それにここオールド・アメリカン・カン・ファクトリー、1860-70にかけて建てられたこのビルですね。今では様々な新進気鋭アート団体が入っていますが、5つのビルディング・コンプレックスであるこの建物の屋上は、昔の工業地帯の香りがプンプンしてとてもいい。他に、コニーアイランドの大観覧車のすぐそばのビーチに巨大スクリーンを立ててやったのも見物だったし、セントラルパークでもやったし、マンハッタンのイースト23丁目のイーストリバー沿いにある太陽発電で電気を回しているアート・センターのビルの屋上での太陽発電上映もやりました。それと、スタッテン島の水際にあるヤンキーズのマイナーリーグである“スタッテン島ヤンキーズ”の野球場でもやりました。フェリー乗り場のすぐそばで、かっこいい場所なんです。クイーンズの水際のソクラテス彫刻公園でもやりました。水を挟んでマンハッタンが見えて雰囲気のいい場所です。

── 水……がキーなのでしょうか?

ははは、そうですね。水があると、景色がいいですから。でも、町中の公園など野外スペースでもやりますよ。セントラルパークなどもそうだったのですが、市のイベントの一環として大きな非営利団体に雇われて、スタッフを送り込んで上映する時もあります。そういう時には王道系映画の上映の場合が多いのですが。そういう雇われ系上映で稼いだお金はまた、ルーフトップのコア事業に回されますから。長年かけて色々試行錯誤してやってきて、ビジネスプランを調整しながら今に至っています。

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空中公園ハイラインで行われた際の様子(2011年)

ヒミツの予算情報

── 予算についてお聞きしたいのですが、 差し支えないでしょうか。

もちろん……かなり複雑ですが。非営利団体ですから、予算は公表されていますし、隠せませんよ(笑)。うちの場合は予算年間は10月締めで、昨年度の予算は80万ドル強(1ドル100円として、約8000万円強)でした。そのうち収入の部は、概算で、助成金が15万ドル(約1500万円)、チケット売り上げが15万ドル(約1500万円)、商業スポンサーからの資金協力が20万ドル弱(約2000万円弱)、レンタルビジネスや他のイベントでの出張上映サービスが昨年度は大分伸びて最大収入源になったんですが、それが22万ドル(約2200万円)、それにコンサルティングや他団体への上映支援サービスが10万ドル(約1000万円)、そして一般の方々からの寄付(クラウドファンディングなどを通して)が4万ドル(約400万円)くらい、という感じでしょうか。

── ルーフトップ・フィルムメーカー・グラントの内容はどんなものですか。

これは、過去にルーフトップで上映したフィルムメーカーが次の作品制作のために応募できるというグラントで、総額2万5千ドル(約250万円)の助成金に加えて、総額4万ドル(約400万円)相当のサービス・グラントも出しています。現金の助成金の出所は色々で、まずルーフトップのスクリーニングの入場券のうち1ドルは、すべてグラントに回されて貯められる仕組みになっています。これが短編部門のグラントになり、一人につき最高額3000ドルが与えられます。昨年のシリーズではスポンサーである電話会社のAT&Tが1万ドル(約100万円)のグラントも出してくれたので、それも特別グラント枠として選ばれたフィルムメーカーに渡すことができました。サービス・グラントとしては、編集/マスタリングのラボから1万ドル(約100万円)相当のサービス券や、撮影照明器具会社から2万ドル(約200万円)相当のトラック一台分の照明機器が与えられます。応募作品はどれも低予算で、2万ドル(約200万円)が全体予算の長編作品もあるのが現実ですから、助成額はそれほどではなくても、実際には助かっていると思います。

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スタッテン・アイランド・ヤンキース・スタジアムでのルーフトップ・フィルムズ(2012年)

ルーフトップが助成する作品

── 助成を受けた作品で、映画祭サーキットで成功を収めた作品にはどのようなものがありますか?

 最近では、ベン・ザイトリン監督。2005年に彼が大学の卒業制作で作った短編をルーフトップで上映。その後の短編『グローリー・アット・シー』にはルーフトップの機材グラントが与えられています。それがSXSW映画祭で初上映されて、その成功をもとに資金を集めて作られたのが『ビースト・オブ・ザ・サザン・ワイルド』。この作品はサンダンスで初上映、最優秀作品賞を受賞し、ご存知の通り、今年のアカデミー賞監督賞にノミネートされました。フォックスが買い上げ、売り上げは15-17ミリオンドル(15-17億円)と聞いています。

── アメリカ国外からの応募も受け付けていますか?

もちろん海外の監督にも助成金を出しています。イギリス人のルーシー・ウォーカー監督の『津波、そして桜』(作者注:東日本大震災の津波被災者を追った短編ドキュメンタリー、2012年アカデミー賞ノミネート作品)にルーフトップ短編グラントが与えられていますし、スエーデンの監督ヨハネス・ニホルムが撮った、超笑える酔っぱらい赤ちゃん短編映画『ラス・パルマス』もルーフトップ・グラントで作られました。この作品は人気で、youtube予告編のヒット数は17億、カンヌ映画祭で最優秀短編映画賞を受賞しています。

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コニー・アイランドで開催されたルーフトップ・フィルムズ(2012年)

ルーフトップのビジョン

── 今後のビジョンは?ルーフトップはこれからどのように成長を続けていくのでしょうか?

何より大切なのは、今まで築き上げたものをどう維持して行くか、だと思っています。非営利団体はどこでもそうだし、レイコ達も映画祭をやっておられるからご承知だと思うけれど、やめないでいる事、存在し続けること自体が最大の試練、一番大切なことでしょう?(汗笑) ルーフトップを始めた時、僕らはまだ21歳で、無限のエネルギーに満ちていて、誰もが独身で養う家族もなかった。どんなに重労働で見返りがまるでなくてもオッケーだった。今でもお金に縁はないし、それでよしとしている人生だけど、でも、スタッフも増えたし、とにかくきちんと維持していけたらいいな、と思っています。かと言って、野心がないわけでもないんですよ。ルーフトップはただ映画を観せる場所ではなく、心を揺さぶる場所、おもしろい事に出会える場所、存在自体がアート的に意義のあるイベントであり続けたい。それをいつも考えている。だから、上映できる新しいスポットの開拓から、インディー映画界で今何か新しいか、見落とされている大切な作品はないか、など、いつもアンテナを張っています。そういうことが実現できていれば、団体としてハッピーでいられると信じているんです。

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ルーフトップのホームグラウンド、缶工場の屋上で

また、ルーフトップを別の町にも作れたら、なんていう夢も膨らみますが、資金的にそれはすぐにできるものじゃありませんよね。出張上映はこれまで何度もしているんです。天然ガスの水圧破砕(ハイドロ・フラッキング)の問題を取り上げたドキュメンタリー『ガスランド』を、その問題を抱える東海岸の地域に持って行ってツアー上映したり、ロス、スエーデン、トロント、モントリオールなどでも上映ツアーはしたことがあります。でも、新しいルーフトップをインフラから別の町に作るとなると大変です。この町にもあれば住人の人達は喜ぶだろう、とはよく感じるんですが、どこよりもアート活動の多いニューヨークでインフラを作り上げ、それを維持するのにこれだけ苦労なんだから、他の町ですぐまた始められる事ではないですよね。その町で是非やってほしいというスポンサーが現れるか、または僕らがものすごいグラントをゲットしてから、の話ですね。

── 私がルーフトップを見ていてすごいなあ、と思うのは、現代の事件やイベントに敏感に反応する足の速さです。例えばウォール街占拠運動(オキュパイ)が起きた少し後には、オキュパイを取り上げた作品を集めた上映会を開いたり、スーパーストーム・サンディーの後には、ルーフトップが上映したこともあった水際の地域で堤防が決壊し野外劇場が壊れてしまったのを受けて、掃除ボランティアを組織したり。また、サンディーがもうすぐ来るという晩には、人々が家で不安な一夜を過ごしている中、新型バッテリー搭載のタブレットをスポンサーに、「電源要らず8時間連続上映だから、途中で停電しても映画が観れる」というフレコミで、ハロウィーン仮装上映マラソンをブルックリンでされていませんでしたか?

ははは。あの日は結局地下鉄も止まってしまって、あまり沢山の人は来られなかったのですが、それでも100人くらいが集まりました。他州から制作者が来てくれていたので、延期できなくて。ルーフトップは小さいから、小回りが利くんです。リンカーンセンターやBAM(ブルックリン・アカデミー・オブ・ミュージック)みたいな大手のアート団体は、何ヶ月も前からスケジュールが決まっていて簡単に変更できない。僕らは気分次第で、「明日上映するぞ」って言う事ができる。もちろんできても、商売を潰してしまってはいけないので注意が必要なんですが(笑)。オキュパイの時は、優れた短編をいくつもたまたま見たし、僕らが小回りが利く事を知っているから、上映会リクエストも沢山いただくんです。なので、これは大切だ、と思う時は、上映機材も何セットもあってレンタルに出ていても1セットは必ず余っているのだから、やらなくては、という社会的義務感を持って対処することもあります。

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BAM(ブルックリン・アカデミー・オブ・ミュージック)で行われたルーフトップ・フィルムズ

── 上映前に演奏するバンドを選ぶ基準は何ですか?

ミュージック・コーディネーターと呼ばれるスタッフがいまして、年間を通じて新進気鋭のインディー・バンドを探してくれています。メジャーなバンドがうちに来ることはほとんどなく、まだ発掘されていないバンド、そのうちメジャーになりそうな勢いのいいバンドばかりです。上映作品が決まるとすぐに、コーディネーターに作品の内容やバイブを伝えて、上映作品と何らかのつながりが感じられるバンドや曲を選び、連絡を取ってもらいます。ロマンチックな映画ならそういう音楽、アナーキーな内容ならパンクロック、とかね。直接のつながりが持たせられる場合、例えば映画に楽曲を提供した人がバンドを持っているような場合は彼らを招いたりもします。レスリングのドキュメンタリーを見せた時は、レスリングのリングをレンタルし、Q&Aの代わりに、というか、途中から、言い争いになってリングに上がって戦う、みたいなイベントもやりました(笑)。これもまた予算との相談をしっかりするべきなんですが(笑)、イベント性のあるのは、好きですね。ドキュメンタリーにはユニークな方々が多くでてきますし、彼らに映画から飛び出すような形でそのままイベントをやってもらったり。

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ローワー・イースト・サイドで開催されたOPEN ROAD ROOFTOP(2012年)より

サステイナブル・フィルムメーキングとルーフトップ

── 今までお答えいただいた中に既に大分答えがあるとは思うのですが、サステイナブル・フィルムメーキングという意味で、ルーフトップが果たしている役割は何だと思いますか。

サステイナビリティーは大きな問題だよね。これだけの数の作品、特にドキュメンタリーがここアメリカで作られているという事実は、本当にすごいことだと思う。他の国では、政府や財団からの助成なしで、劇場公開用の長編映画を個人が作るなんて、完全にバカげているとみなされることが多いでしょう?ヨーロッパに行って、ドキュメンタリーを作っている、って言うと、どうやって?と聞かれる。「いや……ただ作ってるんだ」って答えると、眉が上に上がる。アメリカには、誰にも頼らずに自分で作品を作っている制作者がこんなにいることには、僕は本当に日々驚かされる。この国のインディペンデント映画コミュニティは多様で、多産で、すごい。それはいいことなんだけれど、一方で、あまりに作品数が多すぎて、一般のマーケットに乗っかれない作品もあまりにも多い。たとえスターを起用していても、すごいスペシャルエフェクトを使っていても、爆発シーンがあっても、そのすべてが詰まった作品であっても、一般の人々がエンターテイメントに使うお金は限られている。これは、見落とされがちな点だと思う。競合する作品の数が2倍になれば、それだけ使った制作費を回収できるチャンスは減るわけだ。僕たちは映画の商業的側面に注目しているわけでは決してないし、皆それぞれが辛くても信じる道を自分の選択で歩んでいるのは知っている。それを承知の上で、彼らがサバイブし、アート作品制作を続けて行けることが、ルーフトップの願いです。

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ローワー・イースト・サイドで開催されたOPEN ROAD ROOFTOP(2012年)より

そのために、僕らは自分たちができる範囲で、サステイナブル・フィルムメーキングを実現するために様々な支援活動を行っています。まず第一に、前述のルーフトップ・フィルムメーカー・ファンド。自分たちのチケット売り上げから、年間15作品に最高額3000ドルの助成金を提供しています。3000ドルでは作品は作れない、というフィルムメーカーも多いかとは思いますが、予算ゼロ・ドルで手持ちのカメラとコンピューターで仲間と短編を制作している人々、彼らにとって3000ドルは決して意味のない金額ではないんです。他には頼らず、その3000ドルだけで作品を仕上げる人達もいます。そして彼らの作品は決してとるに足らないアマチュア作品ではなく、サンダンスやロッテルダムやベルリン映画祭で上映されています。彼らがプロフェッショナルでないわけではないのに、お金が回って来ないだけなのです。政府のグラントも、特にアメリカの人口に対しては、他国に比べて非常に少ないですし。第二の支援活動は、自主映画コミュニティを築いて行くのに貢献すること。すでに皆、 機材やオフィスを共有し、役者からスタッフまで無料で助け合いながら制作を続けていますが、それはとても大切なことだと思います。彼らのそういうスピリット、コミュニティ意識を盛り上げていくのがルーフトップの使命、そう思いながら様々な活動を組織し、雰囲気作りに努めています。アメリカの年間ベストに入るインディーズ映画のクレジットを見てみると、出演している役者が他の作品の監督だったり、お互いの作品で演技し合ったりしているでしょう?二人のフィルムメーカーがそれぞれの作品で監督とカメラを交代でやったり。映画は一人では作れないから、チームを作って助け合うのが必須なのです。それで、彼らの作品を見せ合える場になれば、とも思っています。スターや監督をステージに上げて特別視するのではなく、観客と制作者が皆で楽しんで、上映後にはバーで飲んでまた新たな仲間を見つけて一緒に作品を作って行く、そんな場を創れたら、と願っています。

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この質素な小さな空間から夏のルーフトップ・ワールドが創り出されているとは!

また、ルーフトップはお金儲けの面では協力できないけれど、オーディエンスを提供する事はできます。これが僕らの第三の支援活動です。たとえニューヨークで劇場公開にたどり着けた作品でも、その一週間の上映各回の総来場者数を上回るような人数の聴衆を、僕らは一晩の上映で集める事ができます。集客に関しては僕らには実績と評判があります。彼らをリッチにはできないけど、違うものが与えられると思います。何年もかけて一つの作品を作っている人、予算なしで制作を続けている短編制作者、彼らにとって苦労して仕上げた作品を見てもらえない、聴衆が見つけられないというのは恐怖です。ルーフトップの評判がいいことで、家族や制作仲間ではない、作品のことを聞いた事もない人々に作品を見てもらえる、しかもクールな雰囲気の中で上映される、というのは、彼らにとって、新たな聴衆を開拓するチャンスにつながる、意義ある経験だと思います。これが、ルーフトップが果たしている一番大きな役割かもしれません。

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ローワー・イースト・サイドで開催されたOPEN ROAD ROOFTOP(2012年)より

── ルーフトップは、映画祭、なのですか?

便宜上、そう呼ぶ時もあります。正式名称はルーフトップフィルムズ・サマー・フィルム・シリーズ。商業ベースの大手映画祭とは大分違う面もありますが、映画祭的要素も上映シリーズ的要素も両方持ったイベントなので…。どう呼んでもらってもいいのだけど、「劇場公開されていない優れた自主制作映画を長編短編問わず夏に野外上映する非営利団体」というよりは、映画祭の方が簡単でしょ(笑)。新しい言葉を作ればいいのだけど、一般のお客さんにとっては、何だそれ?となってしまうでしょう?

── 以前に一度、公立高校の屋上でのルーフトップ上映会に行ったとき、始まる前にダンは屋上のネットでバスケのシュート練習をしていましたよね。それを見て本当に驚きました。私たちもルーフトップにインスパイアーされて、日本の岡山で夏の野外上映シリーズを2010年に始めましたが、上映前はとにかく確認・準備で大わらわで主宰の二人はテンパっていて、リラックスして遊んでいるダンの姿は、非常に衝撃的でした。うちのスタッフはこれを読んで笑うと思います(笑)。

あの日はたまたまそうだったんですよ(笑)。会場について、たまに、あの日みたいに、ああ、準備できてるな、皆に任せられるな、という日があって。そういう日は、いいですね。友達と話したり、バスケできちゃったりして(笑)。あの日は雨が降らないという予報で、前日の金曜の晩に機材を搬入しケーブルも置いておけたので、普段なら機材を持って屋上まで階段を上がったりして5時間かかる作業が2時間ですんだのです。そうじゃない日がほとんどですよ(笑)!

きさくで、誠実で、ユーモアがあって、楽しいことが好きで、しかも社会的な責任感とインディー映画コミュニティへの愛を持ってルーフトップを切り盛りするダン・ヌクサールさん。彼は、私たちが岡山で夏に開催する宇野港芸術映画座(Uno Port Art Films)でテクニカルな問題に直面した時に、上映の適切なアドバイスをくださった方でもあります。ソフト的にもハード的にも、ルーフトップフィルムズという集団の存在そのものに、彼と彼の仲間たちの気持ちが表れているなあ、だからこんなに人を動かすのだろうか、と感動を新たにした取材でした。今年もすでにシーズンが始まっており、いい映画と元気をニューヨーカーに届けてくれることでしょう。お天気の週末が続きますように!

(文責:タハラレイコ)



ルーフトップ・フィルムズ公式HP http://rooftopfilms.com/

▼ルーフトップ・フィルムズ2013年トレイラー

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ニューヨーク / ルーフトップ


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