骰子の眼

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2013-03-29 18:15


「恥をかくのも、得をするのも画面に映る役者だからこそ」寺島しのぶインタビュー

若松孝二監督作品『千年の愉楽』に出演している、俳優・寺島しのぶ氏のインタビュー
「恥をかくのも、得をするのも画面に映る役者だからこそ」寺島しのぶインタビュー

宿命なのか業なのか。過酷な生き様を辿るしかない男たちの呪われた肖像を見つめる、中上健次原作の映画『千年の愉楽』。その世界観をかたちづくっているのは、小さな集落の産婆に扮した寺島しのぶの存在である。彼女は、あるときは中心に、あるときは外側にいることで、この物語が紡ぎ出す「円」のフォルムを描き出す。見守られること。抱きしめられること。そのような安堵を、寺島はただそこにいるだけでわたしたちに与えてくれる。それは母のようでもあり、神のようでもある。ひとつの宇宙を、一筋の光を作り上げた彼女に訊く。


人々の意気込みを感じて、ようやく役になれる

「やはり、見守るってことだなと思ったんです。映画の景色にある大きな海のように、彼らを見守る。だから私自身は仕掛けていくお芝居というよりも、彼らの生き方をずっと見守って、すべてを受け入れている。とても度量の大きな女性だと思うんです。『キャタピラー』とはまったく違う。『キャタピラー』は攻撃的な面もある役でしたが、これは本当に豊かな気持ちで彼らを見守る。そういうことを心がけました。なるべく豊かな気持ちでいようかなって」

窓を開ければ風景がある。その風景は圧倒的に人を包み込む強さを持っている。けれどもそうした風景もまた刻一刻と変化を重ねている。だからこそ風景は豊かなのである。『千年の愉楽』の寺島しのぶもまた風景のように豊かにそこにいる。

「毎日毎日、同じところで彼女は景色を見ているけど、でも毎日違うことが起こって、その違う状況を受け入れつつ、いちばん上から見守っている存在という感じです。自分自身も演じていて、こういう女性ってすごいなあ、こういう女性がいたらいいだろうなあと思いながらそこにいましたね」

理想的な存在。けれどもこのヒロインには辛い過去がある。

「それがあってこそ、でしょうね。その辛い想い、子供を失くした想い、自分の人生も含みつつの彼女ですから。自分の年齢からは程遠い役なので、そういう過去の部分を表現するのは難しいなと思いました。監督にこの役で、と言われたときは、『キャタピラー』のときより、できるだろうか?と思っていました。人生経験がまだまだなので、そこの(人間的な)深みは画面に出るものなのかと心配でした」

監督の若松孝二とは『キャタピラー』からのコラボレーション。確かな信頼関係があったからこその難役。最も大きな力になったのは何だったのだろう。

「いちばんはあの景色。監督もあそこに行かれて、一目で気に入られて『ここだ!』って。私も、この景色があるからこそ、そのいちばん上で集落を見守っていけたのかなあと思います。景色に助けられた部分はあるかもしれない。あとは高良(健吾)君とか高岡(蒼甫)君とか染谷(将太)君とか、彼らの芝居を見て、私が受ける。そこで余計なことはなるべくしない。そこは考えてました」

そこに自分が存在できる風景だった。

「信じられるというか。ここに(ヒロインが)いるのかなと思っていたので自分自身、すーっとそのロケーションに入れました。それはありがたかった。信じられる、ということはとても大事なことだと思います。メイクをして――若松組はほとんどしないんですけど(笑)――、その現場に立って、その相手役の人を見て、その相手の役を信じることができて、だんだん自分が自分の役を信じることができてくる。準備万端で(撮影)現場を迎えるということはないですね。『よーい、スタート!』という声を聞いて、色々な人の意気込みを感じて、自分がその役になっていく。とても豊かな時間でした」

映画『千年の愉楽』
映画『千年の愉楽』より (C)若松プロダクション

カメラの前に立ったら、役者は映りに行かなければ

ヒロインは、ただ見守り、ただ受けとめているわけではない。相手が変われば、対応も違ってくる。そこに人間性が感じられる。しかし、その変化は決してあからさまに見えるわけではない。その穏やかで細やかな、波のような拡がり方。単に大らかな女性がそこにいる、というだけではないふくよかさ。

「やはり愛ですね。深い愛。愛情でもあり、母性でもあり。彼らが女性を連れてきたら、ちょっとムッとする一瞬があったり。『頑張れや』と言ってる反面、女性としての嫉妬の部分は絶対にあったほうがいいなと思いました」

自身が産婆として出産に立ち会った男の子たち。だから彼らが一人前の男として成長しても、本来であれば我が子のように接するのが常套かもしれない。しかしヒロインは、あくまでもひとりの女として彼らに接する。そして彼らもまた彼女に甘えながら、しかしどこかで女性として扱っている。言葉の交わし方、距離の取り方など、コミュニケーションのありように、その微細な固有の感覚が息づいている。

「そこがカメラに映ってればいいなあって。あからさまに女を出していくっていうのではなく、そういうちょっとしたときの『この人、やっぱり女だよね』という感じ。微妙な流れが映ってたらいいなとは思ってました。映画が出来上がったら、辻(智彦/撮影監督)さんがそこをひろってくださっていたので、ああ、ありがたいなって思いました」

映っていたらいいな。ひろってくれた。謙虚な言葉に、この女優の姿勢がよくあらわれている。

「『ここにカメラがあるんだから(演じる側は)そこに映らなきゃどうしようもないんだ』という監督の教えがあるんですよ(笑)。だから『映るようにやってみせないと意味がない』という考えです。『映らないところでいくらやっててもしょうがない』っていうのは監督の口癖で、それは監督から学びました。いままではそんなこと何にも考えずに、自分が演じればカメラが勝手に撮ってくれるだろうって思っていましたが、そうではなくて、スクリーンに映っている自分自身の責任として『自分のやりたいことは映せ』っていう監督の教えはすごく新鮮でしたよね」

気持ちだけでは、何も映らない。

「カメラが『撮ってくれる』ではなくて、自分から『撮ってもらいに行け』『それが映画だ』『映ってなきゃ映画じゃない』っていう監督の考え。『お前、見えないところで芝居してんじゃねえ!』って他の役者に怒鳴ってるのを見て、あ、そうだな自分もって。辻さんがもう監督の意向をほとんどわかっていらしたので、それを全部レシーブするんです。辻さんはフットワークの軽い方なので、だから撮り損ないはないという信頼の下で私はできているんですけど。待ったなしの撮影なんです、監督の場合。できなかったら、そのカットはもういいやというぐらいなので、自分が映ってるそのカットがなくなっちゃったら困るから、役者は必死でやらなきゃいけないし、スタッフさんも必死でやらなきゃいけない。そのギリギリのところでやっている感じは、若松組でしか味わえない快感なんです。もし、撮られてなかったら、どうしよう! とかね。そういう精神状態と緊張感と刺激のある現場っていうのは、もうないんじゃないのかなっていうくらい。心臓飛び出しそうな緊張感ですよ。本番一発っていうのは」


編集中の監督が、ちょっと楽しんでくれますように

若松孝二はやさしい人間である。そして彼の映画もまたやさしかった。若松作品はどんな犯罪者を描いても、どんなアウトローを見つめても、その人間を断罪することがなかった。人が生きていることを肯定していた。だが『千年の愉楽』のやさしさは破格の領域にあるといってよい。若松がもっていたやさしさが包み隠さず表現されている。

「私もびっくりしたんです『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』も『キャタピラー』も『17歳の風景 少年は何を見たのか』も、どこか厳しい部分を映すというのが監督だったと思っていましたけど、『千年の愉楽』は監督の生き様というかそれを見た感じがして。いままでと違うテイストですごくやさしくて愛にあふれた作品になっている。監督とは『キャタピラー』『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』と一緒にいさせてもらう時間がありましたが『千年の愉楽』を観たときに、こんな顔の監督まったく知らなかったと思いました。やわらかい愛が作品にはあって。監督は『この作品をやるまで死ねない』って、ずーっとおっしゃってた。もちろん他にもやりたい企画はあったでしょうけど、これは特別だったみたいです。これがほんとに遺作になってしまいまいたが。でも……『これが、最後かな』って、ふっと思ったときがあったんです。監督の身体は本当に疲れていたので『千年』の現場でも、毎日高い階段を登っていくときに大丈夫かなって。一作ごとに疲れきってそしてリカバリーをして、次の作品に取り組むのが監督だったので、それぐらい産みの苦しみがあったんだなあとは思います。でも『千年』の現場には、やけに平和な空気が流れていて、観終わったときも、ざわざわした感じがまったくなくて。監督は次は何をやるんだろう? いったん、行き止まりまで行ったような感じがしました。最後のほうは涙が止まらなかったんです。自分が出た映画だからというのではなく、監督が生きたということ、この作品を残すのか若松監督はということにじーんとしてしまって。結果論になってしまいますけど、これが最後にならなきゃいいな、と思う瞬間はありました」

一映画ファンとしては、これが若松孝二の最後の映画になってしまったこと、そして、その画面の中心に寺島しのぶがいたことは、やはり幸福なことだったと考える。死はかなしい。しかし、達成された映画のことを考えれば、それはかなしいばかりではないと思うのだ。

「私ができたことは微々たることです。監督から与えられたものが大きすぎるので。監督と出逢えたひとりになって本当によかったなあと思います。ひよっこの私を『キャタピラー』で呼んでくださったことに感謝しているし。監督から台本を受けとっていなかったら、ベルリン(映画祭)にも行けなかった。賞(ベルリン映画祭銀熊賞=最優秀女優賞)だっていただけなかった。いただいたものが大きすぎて、返せたものがまったくなかったのではと思います。でも編集のときに、『寺島はこんな顔してるんだ』っていうのを気づいてくださったらいいなと思っていました。監督は撮影になるとものすごく集中なさるから、たぶん細かいところは見てらっしゃらなかったと思うんです。役者は『お前が映れよ』という言葉で渡されているし。編集のときにそこをちゃんと映ってることを確認しつつ、あ、こういう顔してたんだと思ってもらえることがあればいいなあと思っていました。『キャタピラー』のとき『寺島さん、こんな顔してたんだね』とおっしゃってくれたシーンがひとつあったので『千年』もそういうところがあればいいなあって。(監督というものは)現場中は、色々なことに目を向けなければいけないし、スタッフさんひとりひとりにダメ出しをして『オレが照明やるか!?』っておっしゃるので(笑)。どこでも、いつでも、常に戦闘態勢に入ってらっしゃるから、役者ひとりに集中できないんです。編集のときに、ちょこっと楽しんでもらえればいいなってそれは思ってました。きっと監督にとって編集っていちばん楽しいんじゃないかと思うんです。『そんな下手な芝居するならカットするからな』ってしょっちゅうおっしゃってましたし。ありきたりの芝居ではなく、あ、このときこんな顔してたんだ、って監督を驚かせたいなあという気持ちでいたかな。
そういえば高良君も(撮影)初日、緊張していました。若松監督とご一緒できるってそういうことなんですよね。私も『キャタピラー』のとき、『連赤』を観ていたから、いったいどんな撮影現場なんだろう? ってわなわなしながら初日を迎えたことを思い出しました。高良君も高岡君も挑戦の意欲――もう監督に挑んでいく、っていう姿があって。彼らも、若松監督に出逢えて良かったなあって思います」


すべてに責任をもって臨めば、その分すがすがしくなれる

さて、寺島が若松から受けとったものは、いったい何だったのだろう。

「結局、いちばん恥をかくのも、いちばん得するのも、役者だということでしょうか。映るのは役者だから。スタッフさんがどんなに優秀だろうが、芝居が駄目だったら、『ヘッタクソな芝居』と言われてしまう。だからこそ、『責任持ってやれ』という監督の考え方も一理あるなって思うんです。監督は経費削減で、『そんなの役者が自分でやればいいんだよ』っておっしゃるんだけど、ふっと考えるとこういう髪型にしたいとか、こういうメイクはないほうがいいとか、衣装は汚したほうがいいというのも、自分の身体を通してる演技の一部だから。そこに役者が責任を持つっていうのは、当たり前のことなんだなっていうのは気づかされた。役者は(スタッフに)やってもらうことが多いからやってもらうのが当たり前って思ってしまいがちですけど。シンプルにシンプルに削いでいく監督の現場にいると、役者自身がもっと責任を負ってやらないといけない部分っていうのはあるんだ、やろうと思えば全部ひとりでできるんだって。たしかに疲れるけど、自分が映る責任ってそういうことなんじゃないかっていう感じはしましたね。髪型や、メイクひとつにしても、それを見て『このヘアメイクを担当したのは誰だ?』と思うお客さんってそんなにいないと思うんです。見て不自然だったら、やっぱり役者がヘンだと思われるから。監督をはじめスタッフさんの仕事の全部を背負って役者は映りにいかないといけないんだ、って改めて感じました。それは監督から学んだことですね。恥をかくのがイヤだったら、ちゃんと責任を持ってやれってことなんだと思うんですよね。ふと思えば当たり前のことだなって思います。全部やってもらえる立場になっているけど、マネージャーさんも付き人さんもいなくて、ひとりで衣装の管理からメイク、髪型まで自分の身なり全部に責任を持って、そのシーンに臨む。それはとても大変なことだけど、すがすがしいんですよね。やり終わったあと。充実感が違う気がします」

寺島しのぶというひとの存在には、湯上がりの心地よさに通ずる爽快感が感じられる。彼女が言う通り「すがすがしい」のだ。

「自分に課されている負担が大きい分、その作品に深くかかわっているような気がして、楽しかったなあって思います。それを忘れないってすごく難しいことですけどね。役者は楽をしようと思えば、楽ができるんですよ。自分が好きなことをやってお金ももらえて、楽しいことやって、みんなにちやほやされて……ということになったら、それは気持ちいいことですよね。でもインディペンデント系の映画はやり続けなければいけないなって思います。若松組は二度とないわけだから……忘れたくないなあって思います」

取材:相田冬ニ
撮影:taro
スタイリング:河部菜津子 ヘアメイク:片桐直樹


寺島しのぶ'S ルーツ

「板の上」ということかな。歌舞伎では「板の上に立つ」って言うんですけど、「板の上に立っている役者」である表現者としての父(七代目尾上菊五郎)を、ずっと小さい頃から見て、生きているから。

寺島しのぶ(てらじま・しのぶ)

1992年文学座に入団。1996年に退団後は舞台を中心に活躍。2004年に『赤目四十八瀧心中未遂』『ヴァイブレータ』(2003年公開)の高い演技力が評価され、第27回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を始め国内外の映画賞を多数受賞。2008年には舞台『私生活』で第63回文化庁芸術祭賞優秀賞を受賞。2010年には映画『キャタピラー』(若松孝二監督)で、日本人として35年ぶりのベルリン国際映画祭・最優秀女優賞(銀熊賞)受賞の快挙を成し遂げた。最新作『千年の愉楽』が現在公開中。




映画『千年の愉楽』
2013年3月9日よりテアトル新宿ほかにて公開中

監督:若松孝二
原作:中上健次「千年の愉楽」(河出文庫刊)
脚本:井出真理
出演:寺島しのぶ 佐野史郎 高良健吾 高岡蒼佑 染谷将太 山本太郎 原田麻由 井浦新 他
配給:若松プロダクション/スコーレ株式会社
公式サイト





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