映画『ウィ・アンド・アイ』のミシェル・ゴンドリー監督
アート系映画からハリウッド大作までを監督するミシェル・ゴンドリー。『グリーン・ホーネット』の次に選んだ企画は、25年前に思いついたという路線バスを舞台にそこに乗り込んだハイスクールの学生たちの群像劇。iPhoneで撮られた映像やYoutubeの映像が挟み込まれたり、ほぼバスの中だけでの撮影といったようなインディーズスタイルの本作は、ハリウッド映画を制作した反動で作ったとゴンドリー監督は語っている。
カメラは乗客の学生たち全員を主人公として各自のエピソードを紹介する。群像劇特有の最後の大団円は起こらない、なぜなら、ニューヨークのブロンクスを走るバスは進むにつれ停車駅で一人二人と降りていくからだ。カラフルな人物描写で始まる映画は最後に夕刻を迎える。それが、決して寂しく終わらないのは、また明日があることを想起させる毎日のバスだからなのだ。
若い子たちの変化に応じて脚本を書き換えた
──『ウィ・アンド・アイ』のアイデアを思いついたのはいつでしたか?
もう25年以上前になる。当時はパリの80番線バスを利用してたんだけど、ある時どこかの高校前の停留所から20人ぐらいの生徒が乗ってきたんだ。その子たちは別々の停留所で降りていくんだけど、残った乗客が少なくなるにつれて、彼らの話す内容や振る舞いが変わっていくんだよね。そのとき閃いたんだ――ただし会話劇ではなく――アミーナ・アナビのミュージックビデオ用のアイデアがね。僕はつねづね集団心理というものに興味があるんだけど、それは僕自身がどんな集団にも属したことがないから。第三者として観察していると、ひとの人格は一人の時と群れている時とでは別ものだってことがわかるんだよ。奇妙なことだと思ったね――僕らはあんなに「自分自身であれ」と教わってきたのに。素のままであるべきだって。
映画『ウィ・アンド・アイ』より (C)2012Next Stop Production. LLC
──そのアイデアを映画化しようと思ったのはいつですか?
少しずつ、ほんとにじわじわとだね。僕の頭の中は、温存中の映画のアイデアが山積み状態になっている。書き留めたものもそうでないものもね。5~6年前にようやく、20ページ程度の人物ノートを書いた。たとえば、80年代の後半、セーヴルの高校で音楽仲間だった連中や、僕が実際に知ってる人間をモデルにしたんだ。3~4人の男たち、それから太めの女の子が1人いつも僕らにくっついて来てた。というのも、僕らはその子に対してまわりの女子がやるような邪険な態度をとれなかったからさ。でも、仲間たちだって彼女には不親切で、それが僕には耐え難かったんだけど。まあともかく、そんな感じで彼女も一緒だった。この映画のテレサのキャラクターは、その子自身をヒントにした部分もあったんだ。
──その原稿を元に、どんなアプローチで脚本の執筆を進めていきましたか?
ニューヨークの学校でグループを組んで撮りたかった。強力なストーリーを背負った何人かの生徒たちを登場させ、映画の始まりから終わりまでその子たちの変化を追う形にしたかったんだ。卒業後カレッジに行く子と行かない子、あとは下級生たちなんかもいた。撮影をしたブロンクスのいわゆるコミュニティ・センターは、別名「ザ・ポイント」って呼ばれてる。放課後の子供たちが写真や演技を習ったり、ただ運動をしたりして、大変な熱気に溢れてるんだよ。積極行動プログラムまであるんだ。今でも厳しい生活を強いられてる住民が少なくないブロンクス地区で、「ザ・ポイント」は地域の人たち全てに開かれた場所だ。僕はそこを基点にして若い子達にインタビューを始めた。3年も費やしたよ。その間に彼らも成長していくから、単なる子供のお話の世界では収まらなくなる。僕はその変化に応じて脚本を書き換えた。子供たちの生活にも、悲喜こもごもの色んなことが起きた。父親を亡くした子もいたし、どうしようもない卑劣漢から性的虐待を受けた女の子もいた。人の注目を集めたいばっかりに、友だちを秘書のように扱ったりする子もいたしね。
──彼らへのインタビューはご自身で行ったんですか?
僕自身、大量にこなしたよ。それから『グリーン・ホーネット』などの別のプロジェクトで現場を離れなくてはならない時は、何人かの脚本家に僕の後を引き継いでもらった。ポール・プロックとチャーリー・カウフマンには何年間も協力してもらったし、最後はジェフ・グリムショーにも助っ人を頼んだ。けっこう混乱していたよ。彼らが本筋から大幅に脱線しそうになった時は、僕が最初に書いた20ページの草稿を読み返してくれって言ったんだ。連続ものの寸劇ドラマみたいな映画にはしたくなかったから。
映画『ウィ・アンド・アイ』より (C)2012Next Stop Production. LLC
あの子たちの日常をそのまま作品に活かしたいと思った
──集団的側面という概念は、昨年あなたがポンピドゥー・センター内に設立した「アマチュア・ムービー・ファクトリー」とも関係性がありそうですね。一般社会における創造的活動の可能性を信じていますか?
『僕らのミライへ逆回転』でトライしたのがまさにそれだった。ニュージャージー州のパセーイクの若い製作集団と一緒にファッツ・ウォーラーのビデオ作りのアイデアを出し合ったんだ。組合の規定で、子供たちは俳優ではなくダンサーとして雇用していたから、彼らには何か振り付けを考えてくれと言ったよ。大ホールの中をウジャウジャしてる子供たち60人を相手にしたおかげで、僕は自己管理のやり方を身につけたね。メチャクチャになんかならなかったよ。うまくいった。街を上げての行事やお祭りなどの地域文化がすごく好きだし、クリエイティブな仕事に興味がありながら運悪くこの世界に縁のない人たちに、その機会を提供したいという気持ちもあったんだ。「ザ・ポイント」に集まった子供たちにも同じことが言える。いつの間にか、彼らと僕の間には道徳的な決めごとが出来上がっていた。インチキは一切なしで映画を作るべきだと信じるようになっていた。例を挙げるなら、バスのドライバー役にも女優ではなく本物の運転手を起用するとかね。感動することを忘れかけたような人間ではなく、本気で目をキラキラさせて演じられる人と撮影ができるなんて、本当に素晴らしい体験が出来たよ。
──出演者はみんな自分自身を演じたのですか?
かなりの部分はそうだけど、時間差が生じて手こずったところもある。例えば、当初テレサ役に決まっていた女の子は精神的な問題を抱えていて、撮影が始まる前に降板してしまった。それで、可愛くてちょっと大柄でオーラもある別の子を選んだんだ。もともとその子がやるはずだったのは、母親がケーブルテレビの料金を滞納してるだの、週末にタダ働きをしろだの言って他の子をいたぶる何人かの女の子役の一人だった。そのくだりを残したくて苦労したよ。映画の主題に関わるシーンではないけど、あの子たちの日常をそのまま作品に活かしたいと思ったから。
映画『ウィ・アンド・アイ』より (C)2012Next Stop Production. LLC
結末が決まらないまま始まってしまった映画を目撃したような気分になってくれたら
──撮影が始まったとき、脚本はどこまで進んでいましたか?
あまりにも長くなり過ぎた!こんなの撮影不可能だろうって言われたけど、僕には若い連中との道徳的な取り決め――尺の長さに関わらず彼ら自身の物語を撮ることと、全員が少なくとも一度は画面に登場すること――があったからね。この上なく単純な、やや愚かでもある約束ごと――「アマチュア・ムービー・ファクトリー」の規定みたいだけど――それはつまり、民主主義のやり方を通すってことだ。出演者全員を撮るって決めてしまったんだよ。自然な演技ができなくて、カメラをまともに見ちゃうような人間も含めてね。バスが発車する場面ではまだ誰が主人公かわからないでいて欲しいんだ。連続ものの寸劇ドラマが始まるような雰囲気でね。次第に何本かの糸が撚り合わされてひとつになっていく。アメリカ式の脚本の書き方はよく考えられていて、観る人の心を巧みに操作するようになっている。スクリーン上のさまざまな出来事から人生のエッセンスを搾り取る感じ。映画の中のどの断片もストーリーの一部を成しているし、僕にとってはその全てがそれぞれ違う意味を持っている。エンディングまで観たとき、物語は始まったばかりだという感覚になると思うよ。結末が決まらないまま始まってしまった映画を目撃したような気分になってくれたらいいなあ。
──撮影は順調でしたか?BX66番線というバスは実在するのですか?
実在はしない。あの路線は僕たちが考え出したんだけど、使ったのは本物のニューヨークシティ・トランジット・オーソリティのバスだよ。ブロンクスで長距離ドライブをする気にはならないかもしれないけど、動物園やヤンキー・スタジアム、イースト・リバーや公園、それに大規模産業エリアなど、街の景観は変化に富んでいる。僕らは毎日、10分単位で循環ルートを組み立てたんだ。20日間の撮影期間で、20種類の路線を走行した――その結果、切り返しのあるショットもうまく押さえることが出来た。
──もはや心の旅といってもいい映画ですね。人生そのものの暗示というか……。
そうだと思う。この映画は、開発が進む街の中、バスが河に近づいていく夕暮れのシーンでエンディングを迎える。実はちょっとだけズルをしたんだ。太陽が沈み始めたから、僕たちは大急ぎで最後のシーンの撮影スケジュールを組み替えたよ。これを除いたほとんどのシーンは、ストーリーの順番どおりに撮影していった。この方法の素晴らしいところは、出演者が物語を追体験できることだ。表面的な作りものの世界からより深い次元へと到達できる。ただし骨も折れるけどね。なぜなら子供たちの反応はストレートだから。たとえば、これは僕の失敗談なんだけど、準備期間中からテレサに金髪のカツラをかぶってもらったんだ。それで彼女がバスに乗ったらみんな大騒ぎになった。だけど子供だから、最初に彼女を見たときの驚きの表情を何度も再現したりはできない。彼らをもう一度ビックリさせなきゃと思って、パッとしないオレンジ色のカツラを探し出す羽目になったよ。
映画『ウィ・アンド・アイ』より (C)2012Next Stop Production. LLC
アレックスはマイケル・ジャクソンみたいだ
──チェン家の子供たちがバスを降りる場面にはドキッとしました。彼らの態度が一変した理由がわからなくて。姉妹の動画を観たせいなのか、それとも何か別の原因が?
彼らの気分の変わりやすさを伝えたかったんだ。文字画面から写真そしてムービーへと、次々に移り変わる携帯の画面と同じようにね。僕らにはひとつひとつの情報をじっくり噛み砕く時間なんてないよね。たとえばマイケルは常に携帯をチェックしてたから、彼とは話をすることができなかった。あの子は撮影中、叔母さんの訃報を携帯で知らされたんだよ。あとは、イライジャが演じたのとそっくり同じことがあの子の友人の身に起こったんだ。その子はたった10ドルのために路上で刺殺されてしまった。チェンの親友だった子だよ。彼はエンディングでその部分を演じた。つらくて出来ないなんてことはなかった。彼らにとって悲劇は日常茶飯事なんだ。明日は我が身と言うことだ。僕はよく、自分の息子やその友人たちと彼らを比べて考えてみる。もしもうちの子やその仲間が悪さをしでかしたら、親たちはすぐに警察に駆け付け、家に連れて帰るよね。彼らが地下鉄の自動改札バーを飛び越えでもしてごらん、そのまま朝まで留置所にぶちこまれたままだろう。
──最後に映画の中心人物になるのはアレックスですね。彼は実際にお父さんを亡くしたのですか?
違うんだ。最初にあの役に決まってた子が降板してね。その子はアレックスよりも人間味や洗練度に欠けていた。アレックスのことは気に入っていたけど、本来あれは彼の役ではなかったんだ。他の子たちとは対照的で、虚勢を張ってるつもりでいながら本当は自信がないタイプだ。彼も役を降りようとしてたんだよ。あの子たちの日常は楽じゃない――家計を助けるために自分も働いてるからね。アレックスは母親を亡くしてて、体に麻痺のある祖母の面倒を見なくてはいけなかった。何とかして現場に残れるよう、彼には製作スタッフ側の仕事を用意したよ。それで、あの役にも取り組んでくれたんだ。
──以前あなたが言ったように、アレックスはあなたの分身だと考えてもいいのでしょうか?
違うんだ!彼は僕なんかよりずっと強い子だよ。人の気持ちを和ませるし、いざとなったらボス面した奴に対してもはっきりものを言えるようなカッコいい奴なんだ。あんな存在感を出せる子は他にはいないよ。大勢の子供たちの中でも、あの子は初めから目についていた。彼をよく知らないうちからね。で、あるとき彼がダニエル・クロウズを読んでたんだ。違う本だったかもしれないけど、まあそんなやつだ。彼は最高だよ。僕はマイケル・ジャクソンみたいだと思ってる。
映画『ウィ・アンド・アイ』より (C)2012Next Stop Production. LLC
──この映画には『グリーン・ホーネット』を撮ったあとの反動――超大作のあとのリアルなインディ系作品――という部分もありますか?
そう思われても構わない。ただ、これと同時にアニメ作品も手がけていたけれどね。当時の僕にはやるべき仕事が山ほどあったんだよ。『グリーン・ホーネット』を撮るために子供たちの元を離れなければならなかった。彼らにはせめてものお詫びとして、『グリーン…』のDVDを進呈したよ。あの子たちはこの映画が大好きだからね!
(公式インタビューより転載)
ミシェル・ゴンドリー プロフィール
1963年フランス・ヴェルサイユに生まれる。ビョークの「ヒューマン・ビヘイヴィアー」の他ダフト・パンク、ケミカル・ブラザーズ、ザ・ホワイト・ストライプスといったミュージシャンたちのために作品を提供し、その評価を高める。2001年の『ヒューマンネイチュア』で映画監督デビュー、第77回アカデミー賞脚本賞を獲得。『ブロック・パーティー』(05)、『恋愛睡眠のすすめ』(06)、レオス・カラックス、ポン・ジュノとのオムニバス『TOKYO!』(08)の後『僕らのミライへ逆回転』を発表。ジャック・ブラック主演のこの作品は、彼のアマチュアによる映像表現の新鮮さに対する評価を示す重要な作品であり、その後ポンピドゥー・センターで開催された『アマチュア・ムービー・ファクトリー』における映像制作の指導や実践につながってゆく。また、本作『ウィ・アンド・アイ』に採用されたアマチュア高校生たちとの撮影もこの考え方に沿ったものである。2011年にハリウッド大作『グリーン・ホーネット』を発表、並行して製作を進め2012年に発表された今作『ウィ・アンド・アイ』がカンヌ国際映画祭監督週間のオープニング作品として上映された。最新作は2013年春フランス公開予定で、ボリス・ヴィアンの小説『うたかたの日々』を原作にした『L’ecume des Jours(原題)』。
映画『ウィ・アンド・アイ』
4月27日(土)よりシアター・イメージフォーラム、シネ・リーブル梅田にてロードショー
監督・脚本:ミシェル・ゴンドリー
出演:マイケル・ブロディ、テレサ・リン
2012年/アメリカ/カラー/ビスタ/ドルビーデジタル/103分
原題:THE WE AND THE I
配給:熱帯美術館