骰子の眼

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東京都 渋谷区

2013-02-18 10:12


「自分から出かけていって人と出会うこと」高橋久美子が語る〈止まない熱〉

初のエッセイ集『思いつつ、嘆きつつ、走りつつ、』刊行、そして歴史と詩のイベントを渋谷アップリンクで開催
「自分から出かけていって人と出会うこと」高橋久美子が語る〈止まない熱〉
『思いつつ、嘆きつつ、走りつつ、』を上梓する高橋久美子

チャットモンチーのドラマーを経て、現在、作家・作詞家として活動する高橋久美子が初の書き下ろしエッセイ集『思いつつ、嘆きつつ、走りつつ、』を2013年2月21日に出版。刊行直前となる2月20日には、〈歴史〉と〈詩〉という、彼女の文章で欠かすことのできないモチーフをテーマに取り上げるイベント『高橋久美子が行く! 第一回「小江戸 川越 歴史詩作の旅」』を渋谷アップリンク・ファクトリーで開催する。詩やエッセイにとどまらず、脚本、小説と活動の幅を広げ続けている彼女に、創作への思いを聞いた。

歌詞はブラウス、詩は丸裸

── 今回の『思いつつ、嘆きつつ、走りつつ、』はすべて書き下ろしということですが、構想はいつぐらいから?

チャットモンチーを脱退したのが2011年の10月なのですが、その後の3ヵ月は何もせず寝て過ごしていたんです。そこで、それまで味わったことのないような気分で、現在の自分を書いたり、高橋上半期みたいな感じで(笑)生きてきた30年間を振り返ったりする絶好のチャンスだと、2012年の1月から始めて、約1年かけて書き上げました。

最初は政治とか社会的なことも書こうかと思っていたんです。けれど、自分の書いている詩はいつも、ミニマムな世界のことばかりだけれど、後になって読むと、すべて社会の縮図のような気もしていて。エッセイもその延長のように、自分の日常や過去の思い出を書くだけでも伝わることはあるんじゃないか、そこにチャレンジしたいと、あまり気取らず、読みやすくて柔らかいものを多めにしました。

── 基本的に高橋さんのご自宅から発信されていますよね。その半径数十メートルが世界を象徴している、という意識は、小さい頃からあったのですか?

詩を書きはじめた中学生のときからいつも、大事なものって、すぐ傍にあるんじゃないかと思っていました。詩を書くことで、自分を確かめることができていたし、家族の存在もここに社会全体の真実があるということの象徴だったきがします。

── 冒頭から、「詩を書かずにはいられない」と突き動かされる感情が、そして、歌詞と詩は明らかに違うということが書かれていますよね。

詩は「書かんかったらやりきれないぜ」というところから始まっているので、まったく飾り気がなくて。でも歌詞は、やはり責任を伴っているんです。チャットモンチーというバンドに出会ってなければ私は歌詞はここまで書いていなかった。私ではない人が歌うということ、それにオーディエンスが最初は少なかったけれど、だんだん多くなればなるほど「みんなが絶望してしまいそうなことを言いたくないな」と思うようになっていました。少なからず私の歌詞の役目は、希望に向かうものを書こうという使命とともにあったんです。

歌詞というのは、体全体のトータルバランスで言うとブラウス。ズボンがあって靴があって帽子があって、お似合いとなりますよね。曲もパフォーマンスもあるなかで全部のバランスを通して、良いとなります。でも詩の場合は丸裸、何も着ていない私だけ、という感じがします。

── 内面に向かって書いていた詩が、震災を機に外に向かうようになってきたということも触れられています。

目の前に哀しい状況を見る機会が多くなったから、歌詞に近い気持ちが生まれてきた、ということだと思うんです。

自分の熱が入っていることを書く

── 『思いつつ、嘆きつつ、走りつつ、』は詩と音楽と旅と歴史と家族、というのが軸となるテーマになっています。読者層というのはイメージしていましたか。

読者層は特にありません。30前の葛藤の時期に書いたので、その時期の方には是非読んでほしいです。最初は感情のままに書いたので、ちょっと息苦しかった。感情は、書いていくうちにも変わってくもの。音楽の章を書き始めていたころはいろんなものが渦巻いていて、ぜんぜん客観視できなくて、ぐちゃぐちゃしていた。だから何ヵ月か経って読み返してみてより客観視して書き直したりもしました。一晩寝て翌日冷静に書き直す、というのはリリックでもポエムでもやっていることですが、エッセイということになるともっと研ぎ澄ませていかないといけないな、と。作家として。書いていってようやく葛藤を整理することができたような気がします。

── 歌詞でもなく、詩でもない、エッセイとしてこれだけの文章量をテンポよくまとめていく作業は新鮮だったのではないですか。

そうですね、どこでオチをつけたらいいのかは難しかった。台所の一場面や、大学の部室の一コマをずっと書き続ける、というのは得意なんですけれど、過去のことを説明していくのが苦手で、小学生の感想文みたいに長くなってしまって(笑)。そこから削っていくことをしました。客観視というのは大事ですね。

── 自ら物事に対してアクションを起こした時の高橋さんの感情がとてもヴィヴィッドに伝わってくる筆致だなと。仕事として書いていない感じ、子供のときからのプライベートな高橋久美子を「見ちゃった」という感じがして、ドキッとする部分がありました。

そういう自分の熱が入っている、体温があることのほうが書きやすい。巷でこういうことが話題になっています、ということではなく、自分が見て体験したことしか書けないんです。このエッセイ集なんてまさにそうですよね。

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『高橋久美子が行く! 』第一回のテーマとなる川越を訪ねて

音楽で言えば初期衝動的なもの

── 一冊の本としてまとまってみて、このようなエッセイ集を「書かざるをえなかった」高橋さん自身について気づいたことはありますか。

常に今しか生きられない人なんだなと思いました。書き終えて、出版社に持っていったときに、「もっと後でもいいんじゃない」と言われたんです。でも、今じゃなかったら一生出さない、と言いました。ちょうど今は小説も書いていますし、新しい展覧会のために詩を書いているし。次のモードです。その時の感情にいつも自分が支配されているなと。

── 読む側も高橋さんの気持ちにダイブして参加しているというか、一緒に体験している感覚があります。

荒削りでもいいから、そのときの感じを、音楽で言えば初期衝動的なものを残したものが似合う、と思って書きました。添削してく中でも、綺麗にしすぎずに荒々しさ、自分ならではの表現をあえて残した部分もあります。

── こうした熱のあるエッセイを書けたことで、作家としてのステップという意味で、別の言葉にチャレンジしたい、ということはありますか。

ちょうどいま小説も書いているんですが、まだまだ小説は頑張らないとって思います。 この本を読んでくれた人は、ジェットコースターに乗っているような感覚を味わってもらったと思うんですけれど、2、3日にじわじわと染み入ってきて、もう一度読んでみる、という小説、表現力で読ませる小説を目指しています。

── 書きあぐねているときの様子が包み隠さず描かれている章がありますが、いま高橋さんがいちばん理想とする、文章を書く場とは?

家のこたつですね。そして、書けないようになったら、近所のカフェがあって、おばちゃんがひとりでやっているんですが、そこだったら若い人がだれも来ないんです。

── 旅をしたり、移動する、というのはスランプのときに効果的なんでしょうか。

自分が「進んでいる」というのがいいんでしょうね。電車に乗ってどこかに進んでいる、というのが肝なんじゃないかと思っていて、そのことでまた違う空間の力がもらえるんです。そうすると、何かが取れたように書けたりするから、面白いなと思います。

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蔵造りの町並み

私が見て、体験した街を伝えるイベント

── 発売の前日となる2月20日には、アップリンクで初の歴史独演会が開催されます。

誘われて出るイベントでは、いつもしゃべり足りない!ともやもやすることが多かったので、私なりの歴史イベントをやったらいいんじゃないかと、自分で企画することにしました。歴史だけではなくて、その場所に行ってできた言葉を一緒に発表しながら行います。

各地の歴史を訪ねていて思うのは、旅というのは街の人と出会うことだなと思って。今回のテーマである川越にも何度も行っていますけれど、結局思い出に残るのは、そこのお店のおばさんと話をしたことだったりするんです。当日配布するように川越の地図を作っているんですが、その地図には私の出会った川越だけを入れています。そんな風に、ただ歴史のことを説明するのではなくて、私が見たその街、体験した街を伝えるイベントにしたいです。紹介したいことも他にもたくさんあるし、これからも熱が冷めなければ(笑)、続けていきたいと思っています。

── いろいろな場所に旅行に行かれて、川越のように歴史を残そうと意識的な街と、そうではない街という違いはあるのですか。

田舎でも、田舎であることをちゃんと外にプロモーションできている地域がある一方で、そうではない、田舎の外観を残念な感じにしている大型商業施設がたくさん建ち並ぶ町もある。私が生まれた愛媛県四国中央市もまさにそういう形で都市化していて、その影で商店街がつぶれてしまっている。そうすると車に乗れない老人が買い物に行けなくなるという悪循環が起こるので、どうしたらいいのか、ということを街の人や市長さんと話したりもします。雇用は増えるから町の人は喜んでも、私たちのように都会から戻ってきた人が、昔、畑だったところがそうなっているのを見ると哀しいですよね。でも、ショッピングモールも行ったら行ったで楽しいし、町の人が何を望んでいるかはちゃんと細かく話を聞かないとわからない。住んでいない私が一概に言うべきではないなとも思いますけどね。難しいです。

── 高橋さんの活動を通して歴史の楽しさが伝わったり、自分でもなにかやってみようという人が増えたらいいですね。

川越の芋まんじゅうが美味しい!だけでもいいんです。みんなが楽しんでくれることをやっていくのが私だなと、作家という縛りにこだわるつもりはないんです。

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成田山別院

── 今の若い世代で、高橋さんのように「やらずにいられない」ものをまだ見つけることができない人に、なにかアドバイスはありますか?

私たちの頃はもっと海外に行きたい、いろんなところを見たいという願望があったけれど、最近の若い子と話しているとあまりそういうこともなくて。ネットでなんでも分かってしまうから、なにもかも整いすぎているから、と思うんです。けれど、江戸時代だって、平和な時代が続いてぐうたらした男がたくさんいたから、かかあ天下な気風が生まれたりした。文化と歴史を生み出すのは、その時代の若者だから。夢がない、というのは必ずしも悪いと思わない。

でも、やっぱり、いろんな人と話すことは必要だと思います。私も実際、バンドを辞めた後に、書けなくて一週間くらい部屋に篭っている時があって、自分だけ地獄にいるような気がしたけれど、外に出て自転車屋のお兄さんと話をするだけで、気分が変わったり、新しい視点が見えてきたりすることがあった。やっぱり人の力ってすごいんだなって。なんのためにご近所さんがいて、なんのために人間ってたくさんいるのか、出会うためだな、って思ったんです。だから。当たり前のことだけれど、年上の人でも同級生でも、いろんなところに行って出会ったり、映画を観に行くのでもいいし、自分から出かけていって刺激を作るようにしたほうがいいんじゃないかな。

(インタビュー・文:駒井憲嗣)



高橋久美子 プロフィール

1982年、愛媛県生まれ。ロックバンド、チャットモンチーの元ドラマー・作詞家。2月21日に初の書きおろしエッセイ集『思いつつ、嘆きつつ、走りつつ、』を毎日新聞社より発売。主な著書に詩画集「太陽は宇宙を飛び出した」(FOIL)、写真詩集「家と砂漠」主な作詞曲に、ももいろクローバーZ「空のカーテン」東京カランコロン「泣き虫ファイター」などがある。3月には「高橋久美子の西国巡りサイン会ツアー」で全国をまわる。
HP:http://takahashikumiko.com
Twitter:https://twitter.com/kumikon_drum




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高橋久美子が行く! 第一回「小江戸 川越 歴史詩作の旅」
2013年2月20日(水)
渋谷アップリンク・ファクトリー

開場18:30 開演19:00
※本公演の予約は終了いたしました。
http://www.uplink.co.jp/event/2013/6290






『思いつつ、嘆きつつ、走りつつ、』
著:高橋久美子

2013年2月21日発売
ISBN:978-4620321776
価格:1,260円
版型:四六判
ページ:192ページ
出版社:毎日新聞社


「海なのか空なのかわからない。暗闇の中、どこまでも広がる宇宙は、私の姿を隠すどころか、ポッカリとまるで一つの星であるかのように示し、孤独にさせる。楽しくて楽しくて、だけど拭い去れない孤独感。月光が、しぶきを上げながらケラケラ笑い泳ぐみんなの顔と声を浮かび上がらせた。私はそれを見るのが好きだった。」 ──「大学生 部室」より

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