骰子の眼

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東京都 渋谷区

2013-02-01 20:15


ロバートは10代で自分のアートを見出したけれど、私は66歳でいまだに探し続けています

『ジャスト・キッズ』『無垢の予兆』パティ・スミスインタビュー
ロバートは10代で自分のアートを見出したけれど、私は66歳でいまだに探し続けています
(c)yoshie tominaga

ニューヨークを舞台に、写真家ロバート・メイプルソープとの出会いから別れまでの20年を綴った自叙伝『ジャスト・キッズ』、そして1980年代から2007年までに書かれた作品を集めた詩集『無垢の予兆』を日本で刊行したパティ・スミス。10年ぶりとなる日本でのライヴ・ツアーのために来日した彼女が著作について、そしてクリエイティブな志について語った。

書くためには、静かに孤独でいる時間が必要

── 『ジャスト・キッズ』は2010年に全米図書賞を受賞し、昨年12月に日本でも刊行されました。

驚いたというのが正直な感想です。コアなファンのためのものではないかと思ったのですが、それが42か国で翻訳され、全米図書賞を受賞し、世界中で100万部近く売れた。私の小さな物語が多くの人が読んでくれたということはたいへん嬉しく思うと同時に、次の本も書こう、という気持ちにさせてくれました。

私はロバートの死の際で「僕に本を書いてくれ」と頼まれました。信頼してくれていたから、そして互いに愛しあっていて、私であればきちんと彼のためになることを書いてくれる、と思ったからでしょう。なので他者に影響を与えようとは思っていなかった。彼のため、というのを第一に考えた本なんです。その結果が、「インスピレーションを受けた」「助けられた」という声をたくさんもらったのは、期待以上のものでした。

日本に来てその本が翻訳されて、いろんな困難に直面している人たち、特に経済危機が厳しいなかでアイデンティティを模索して苦しんでいる人たちに、自分をどうやって探すか、ということの助けになったことは、嬉しいことです。

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(c)yoshie tominaga

── メイプルソープさんから亡くなって20年経って発表されましたが、やはりそれだけの時間が必要だったのでしょうか。

悲しすぎた、ということはもちろんですけれど、その後すぐに『The Coral Sea』(1996年)という作品を書いたのです。それから、私はミュージシャンであるし、夫が病に倒れ、ふたりの子どもの子育てが必要になり、夫の介護をしてくれた弟が亡くなり、そして母、父と続けて亡くしました。そういったなかで、生活のために働くことも必要でしたし、いろんなことが重なり、この本については横に置いておくしかなかったんです。じっくり時間をとれるまで、これだけの時間がかかりました。そして、細かいディティールにもこだわって、簡単に書きたくはなかったんです。

正直に書けないならフィクションを書いたほうがいいし、他者を傷つけないよう、謙虚かつオープンに、というのはこころがけました。

── どのように書き始め、完成させたのですか?

以前から、ノートをとったり資料を集めたり、昔の日記を出してきたり、と少しずつ準備を始めていました。でも、実際に書くのには2年かかりました。2006年に始めたのですが、その間にツアーやレコーディングがあった場合は、中断しなければいけませでした。ライヴのような人の前に出る作業と違い、書くためには、静かに孤独でいる時間が必要だったんです。ふたりの子どもがいる未亡人であった私には、その時間を作るのは容易ではありませんでした。

そんなところに、友人のジョニー・デップが南仏の小さい御堂を提供してくれたのです。電話もなくテレビもないようなところで、じっくりと書くことができました。

── チェルシー・ホテルなど、失われていたり当時のままでは残っていないものをノスタルジーではなく、鮮やかに伝えてくれています。結果的に、後世にニューヨークのアンダーグラウンド・カルチャーのいちばん活気づいていた時代の美しさや混沌を伝えることになったと思いますか。

現実に私がいたところに何が起きていたかを描いたものが、おのずとそうなったんです。私たちはチェルシー・ホテルに住んでいて、そこに2、3歳上だったジャニス・ジョップリンやいろんな人が訪ねてきました。そこがたまたま文化のポイントになり、レニー・ケイや多くのアーティストが出てきたのです。

── 小説、音楽、詩といったジャンルがなくて、アートというかたちで一体化していた時代だったのでしょうか。いまは非常に細分化しています。

ジャクリーン・ケネディがいてアンディ・ウォーホールがいて、ぜんぶ一緒になっていました。詩人がいてロックスターがいて、ギンズバーグとMC5が一緒にやっていたり、ベトナム反戦をひとつの大きな目的のもとに、市民が力をひとつにまとめ、同じ音楽を聴いて、同じゴールを目指していたのです。そこでは地下でレコーディングをしたり、新しい写真の使い方のツールを考えたり、今では考えつかないような方法を生み出していました。今の若い人が新しい術を得ていることは信じていますが、結局は作品であり、仕事ぶりであると思います。

よりよい仕事をしたいということに常に基本があった

── とてもよく働いていたこと、お金に困っていたこと、多くの人との出会いが語られていますが、ふたりの成功の要因はなんだったと思いますか。

なんといってもその後ろに勤勉さがあった結果だと思います。決してポップカルチャー的ではなく、またセレブリティとしての成功でもなく、やはり積み上げていった仕事の結果だと思います。確かにロバートの仕事は賛否両論あるところもありました。しかし、彼は疑いようもなく素晴らしい写真家であり、偉大なアーティストだったと思います。そして私たちのしてきた仕事は人々に意味のある仕事で、人々に伝えられることができたことが成功した要因と言えると思います。

── キャンディ・ダーリン、イーディ、ジム・モリソン、ジャニス・ジョップリン、ブライアン・ジョーンズといったアーティストが悲惨な死を遂げるのを何度も目にしてきて、そうした明暗を分けてきたものはなんだと分析しますか。ある一線を越えることなく魂を削るような志の高い作品を作り続けられる秘訣は?

亡くなった人にはみんな異なる理由があったと思います。でもそれに耐えうるだけの強さが足りなかった人もいたかもしれないし、自己破壊的傾向が強かった人もいたかもしれません。私に関して言えば、なぜここにいるのかを考えるなら、働くこと、よりよい仕事をしたいということに常に基本があったからです。私は自己破壊的ではないですし、有名人になりたいとかお金が欲しいとか権力を持ちたいということではなく、常に今このとき良い仕事をして戦い続けてきました。

若いときにあまりに大きな成功を収めて大金を手に入れて、ドラッグにはまって死んでいってしまう人たちはたくさんいます。エイミー・ワインハウスがどんな苦しみを持っていたのか、ジム・モリソンがどんな痛み感じていたのか。その人たちの痛みは、私はほんとうには理解できません。権力と富と成功と才能、人気を若いときに一気に得てしまうことはどういうことなのか。私の場合は、常に最初に欲したものから視点がずれなかったということ。素晴らしい仕事をしたい、素晴らしいアーティストになりたい、良い本を書きたい、良いレコードを作りたいということが視点の先にあった。自分の眼を自分の仕事にしっかり向けておくこと。その動機をもういちど思い出すことが大切です。

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『ジャスト・キッズ』より (c) Judy Linn. Used with permission.

私たちは人間である以上、常に責任が伴います。だから芸術家としてある程度ビジョンを持ち、それを人と分かち合うことが必要です。ジョン・コルトレーンがステージでサックスでクリエイティブなパワーを発揮して、どんどん神業に近づいていっていくのはいいのですが、そこで聴衆が聴いているということは忘れてはいけないのです。お金を払ってそこに聴きに来ている人がいる。神と一体化している一瞬があってもいいけれど、そこで戻ってきて、お客さんに相対する瞬間が大事なのです。物質社会に戻ってこなければいけない。神の世界で恍惚となって死んでしまっては、責任が果たされていない。地上にとどまる部分が必要で、そこにバランスが求められていると思います。

バランスを見失わなければ、マリファナやハシシはパーティーのためでなく、自己発見のために使えるかもしれない。しかし、自己を発見したら、帰ってこなければいけない。あわよくば自分の経験を周りの人々に変容して伝えていくこと、トラブルのバランスをすべて調節していく加減も必要なのではないでしょうか。でも私自身、若いときは遠くまでいってしまうこともありました。フラストレーションが溜まって、クレイジーに25分も歌い続けて、ギターをフィードバックさせ、アンプもけとばしてやっていた時期もありました。でもその経験を経て、ある程度見えてきたところはあります。実験をしてどんどん掘り下げて、神聖な場所を目指しても、帰ってこなければいけないのです。

── 『ジャスト・キッズ』はひとりの傷つきやすい少女がニューヨークの街でいろいろな人と出会っていくということをすごく赤裸々に描いているので、ロックに興味のない女の子の背中を押すと思うし、パティさんの音楽に通底している魅力でもあります。

女の子だけでなく、芸術を目指す人だけでなく、あらゆる若者に可能性があるということ、どんなに厳しい経済下にあっても、互いにクリエイティビティだけがあったということ、それを今の若い人にもぜひ分かってもらいたいと思います。全てが揃っていないとクリエイティビティが存在しない、というのは間違っています。

── そして「時代を映し出すアーティストよりも、時代を変えていくアーティストを好んでいた」という一節は今にも通じていると思います。

アンディ・ウォーホールが天才だというのは疑いの余地がありません。特に初期の作品は時代を映しているだけでなく、未来を予知もしていた。しかし、未来は予知するものであって、私たちは変容をもたらす精神的な方向性を目指していた。同じ天才であることは変わらないけれど、ロバートは、どんどん前に押しすすめようとするところがあった。ピカソのように20世紀を映しだした人、その時代をつきつけた人、しかしジャクソン・ポロックのように人を震いたたせて次へ進もうというかたちにしたのがロバートで、それをなし得るほど長く生きることができなかったのが、彼が辛いところでした。アンディとはまったく違う方向性を持ったアーティストだと思います。私たちは自分たちのエモーションをそこに費やすようなタイプで、アンディはむしろマスクをつけていくタイプ。ふたつは異質であって、どちらが良いとか悪いとかでの問題ではないのです。

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取材にあたりインタビュアーの前で歌を披露した。 (c)yoshie tominaga

── ジム・モリソンを見たときに「これは自分もできるんじゃないか」と思ったということが興味深かったのですが、自分がどういうアーティストかということに目覚めた瞬間はいくつかあったのでしょうか?

いえ、私は「できる(I could do that)」と思ったんです。小さい時からアーティストになりたいとすごく思っていました。『若草物語』のジョーが南北戦争の時代に文筆をしていて、私も書きたいと思い、ピカソの絵を見て、私も絵を描きたいと思う。そうしたなかで、シンガーになりたいと思ったことはなかったんです。でも常に芸術家というものが脈打っていたと思います。

── あなたとロバートの関係はとても自由でクリエイティブで信頼と愛情で結ばれていて、今の世界中の若者が憧れる関係です。

おっしゃる通りです。でも同時にすごく努力もしましたし、犠牲も払いました。最初はボーイフレンド、ガールフレンドという関係から始まりましたが、芸術的に、互いに違う方向性を向くようになっていったのです。ひとつの木から始まりながら、ふたりは別の方向に枝を伸ばしていった。そこには互いに常に会話をすること、許しあうこと、そして相手のことを互いに喜び合うことがあります。厳しかったり、苦々しい態度をとったり怒りをぶつけたりしては、できなかったと思います。ですから磁石のように互いが惹かれ合ったし、ひとりじゃないと思えました。

── パティさんはメイプルソープさんのミューズでしたが、どういう気持ですか?

誇りに思っています。そしてよく彼が「君の最高の写真を撮った」と言っていたことをとても嬉しく思います。ディエゴ・リベラとフリーダ・カーロのように、それぞれが芸術家として独立して歩いていきながら、お互いがお互いのミューズだったのです。

── 『ジャスト・キッズ』にも使われている、メイプルソープさんが撮ったご自身の写真についてどのように感じますか。

私は若いころやせっぽちで色白くて背が高くて、彼とは外見的にも似ていたかもしれませんが、内的な部分でも似ていたと思います。彼が撮ってくれた『ホーセス』の写真をみても、私の視線の先にいるのはロバートであり、瞳のなかに映っているのはロバート。だから私の姿と彼の姿が映っているように見えます。

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『ジャスト・キッズ』より All Mapplethorpe works (c) Robert Mapplethorpe Foundation, Inc. Used with permission.

無垢とは、見返りを求めない心

── 『無垢の予兆』についてですが、「イラクの鳥」というイラク空爆が発端となったという詩から、ダイアン・アーバスに宛てた詩まで幅広い内容が含まれています。纏めるにあたって、どのようなテーマがありましたか?

『無垢の予兆』というタイトルはウィリアム・ブレイクの同名の詩からとられているのですが、ブレイクは、イノセンスは美しいけれど、外的な力によって滅ぼされるということを言っています。テーマを語るにあたって、いちばん分かりやすいのは、収められている「長き道のり」ではないかと思います。子ども時代に父が待っているところまで長い道を歩いて行くという内容です。核にあるイノセンスがいかに周りのものによって汚されたり、人生で起きる様々な出来事によって影響を受けてしまうのかということを様々なかたちで描いています。

なかには14歳の少女がレイプされてしまうことを書いた詩(「十四」)、若くして亡くなってしまった主人についての詩(「すべての聖者の夜」)、あるいは、30人が命をおとしたヴァージニアで起きた高校での事件をテーマにしたもの(「タラ」)、偉大なるアーティストで若くして、ダイアン・アーバスをテーマにしたり(「彼女は8月の嵐を夢見ながら流れに横たわった」)、愛すべきホームレスが命を落としたことを描いていたり(「ある放浪者の死」)、全てがある意味イノセンスの喪失であるわけです。また、「農夫のためにほふられた貴重な子羊」は、イギリスで伝染病がおきたときに子羊をまとめて処分したという事件を知って、面白いメタファーなのではないかと思いました。

外的な要因によって滅ぼされるというテーマではあるのですが、私は楽観的だから、最後に「書く者の歌」という非常に日本的な詩を収めています。死ぬよりも、書くほうがずっとマシだ、書いて、そして酒を飲もうじゃないか、という内容で、〈バンザイ バンザイ〉と、最後にはアートが勝利する、という完結させています。

── 『ジャスト・キッズ』と詩集『無垢の予兆』には共通したテーマを感じます。無垢という言葉に対するイメージを教えてください。

見返りを求めない心なんじゃないでしょうか。私自身、子ども時代が大切で、妹と弟は支えてくれたし、お話を作ってきかせたりといったクリエイティブなことをしたり、豊かではありませんでしたが、とてもハッピーな日々でした。多くの女の子たちがメイクアップをしたい、おしゃれをしたい、早く大きくなりたいと思うなかで、ピーターパンのようにずっと子供でありたいと思っていました。

アーティストはある意味自己中心的に自分の世界をしっかり持っていないといけないけれど、同時にそれを多くの人と分かち合い、差し出すことが大事なことのひとつだと思います。同時に私は母でもあるので、無償の愛を子供に対して注いでいるのです。

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(c)yoshie tominaga

── ウィリアム・ブレイクは宗教的な作家だと思いますし、昨年リリースされた『バンガ』もすごく宗教的な感じを受けましたが、パティさんにとって宗教とはどんなものなのでしょうか?

私は祈ることはあるけれど、特定の宗教ではなく、あらゆる祈りに参加します。モスリムにいけば、イスラム教の人たちと頭を垂れることもしますし、先日黒澤明監督と小津安二郎監督のお墓参りをしました。お墓をきれいに掃除して、花を捧げてお参りをしてきました。そういうことで、自然に人の祈りのなかに参加するということはしました。宗教というのは結局、人間が作ってきたものですよね。だからひとつの宗教ではなく、自然と一体化するような祈りを信じています。子供と自然の関係、人類と自然の関係、アートより高きを求めるような、その高きがアラーであろうと、ブッダであろうと、イエス・キリストであろうと、なんでも構わない。戦争を起こしたりしてしまうのは宗教の哀しい一面ですが、神社や聖堂に行くと、人は神様との会話を求めて作った心を感じます。それがいいですね。

『バンガ』はロックンロールでありながら、祈りであり、子守唄であり、瞑想です。「フジサン」は日本の人たちへの祈りをこめましたし、「セネカ」も子供のための祈りを歌いました。母の声を聞きたいときに、話しかけるだけでなく、じっと耳をすますこともする。その両方とも祈りだと私は思います。

── 『バンガ』とこの2冊の本は連動していると感じました。

音楽、小説、詩、絵画と私がいろんなアプローチをしているからでしょうか。様々な美的な世界で繋がっていくのだと思います。アルバムにしても小説にしても、常に映画を作っている感覚なんです。ビジュアルな感覚。小説を読んでいてあたかも映画を観ているような感覚を持ってもらいたいんです。

── 次の本の構想は?

一冊は刑事ものを書いています。それから、『ジャスト・キッズ』に続く作品として、レコーディングがどのように行われたか、とか夫との出会いであったり、より音楽的な部分に焦点を合わせた作品を考えています。『ジャスト・キッズ』はロバートに捧げた作品ですが、今度は周りの人みんなに捧げる本になります。

いちばん好きな本は『ピノキオ』

── 村上春樹がお好きなんですよね。

いつもギターと一緒に読んでいる本を持っているんです。今も『The Wind-Up Bird Chronicle(ねじまき鳥クロニクル)』をギターケースに入れています。ここ2年ほどはロベルト・ボラーニョも好きです。小さい頃からクリスマス・プレゼントには本が欲しいというくらい、本が好きな少女でした。若いときには6年間本屋で働いていたので、私の人生の核には常に本があるのです。

── 好きな本を1冊だけ選ぶとしたら、なにを選びますか?

『ピノキオ』ですね。児童書であると同時に、聖書的なテーマがそこここに散りばめられている。ピノキオを作ったおじいさんの子供への愛、彼が創造主である神であり、そしてピノキオはイエス・キリスト、息子であるという設定として読むこともできます。クリエイティブな創造性が芸術家にも繋がる。さらに技だけあっても、心がないとそれが完成しない。その心を得るために自己犠牲をする。鯨のお腹の中で三日三晩過ごし、そこから復活してくる。非常にスピリチュアルな部分とファンタジーの部分と、決して人間はパーフェクトではないというテーマも持っている。子供も親も相通じるものを読むことができる。そういう意味で素晴らしい作品だと思います。

── 詩を書き、写真を撮り、歌を歌い、絵も描かれますが、数ある芸術のなかでどの表現を最も信頼されていますか?

書くことが核となっていると思います。書いた言葉はソウルをのせたときに歌になり、体験を書いたとき詩となり、ある意味写真も非常に文学的な視点が中心になると思います。

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「J-WAVE PLUS~poetry of rock」でのドレスコーズ志磨遼平との対談の様子。 (c)yoshie tominaga

すべての人の手に芸術をもたらしてくれたのがロック

── それでは、ロックンロールバンドだけが可能な表現というのはありますか?

私はこの人生の間どういう音楽が変革を遂げてきたか、ロックの革命的なところを見てきました。人々は文化的なエネルギーの放出をそこにみたのではないでしょうか。ロックは、ジャズのように必ずしも洗練されていない。でも心さえあれば誰でも歌いあげることができて、若者文化の核となり、若者たちが自分たちの表現をユニバーサルなかたちで表現できて、シンプルで各自でもっと複雑なことを追及することも可能なのです。

モーツァルトしかりワーグナーしかり、ベートーベンの音楽もとてもエネルギーが溢れています。だけれど、ロックのすごいところは誰が聴いても理解できて、さらに誰でも演奏できるところ。すべての人の手にシンプルな芸術の様式をもたらしてくれたのがロックではないでしょうか。

私がはじめてレコーディングした時、マイクの使い方さえわからなかったし、ギターのコードをいくつか知っているだけでした。だけどパフォーマンスするときのエネルギーは溢れていました。私にできるなら、誰にでもできると思うのです。必要なのはそれをやりたいという欲望だと思います。経験ではなく、会社やビジネスや社会の大きな組織にいなければできないものではない。ロックはみんなのものだというのが素晴らしいところです。

── あなたの中に詞とメロディはどちらが先に生まれているのでしょうか?

多くの若い作曲家が曲を持ってきて、言葉をのせるときにすごくプレッシャーを感じます。歌いながら目覚めて、そのときには歌詞が載っていて、あわてて書き記す、ということもあります。メロディと同時に詩もできてしまうことは問題ないのですが、後からつけるときは、言葉によって音楽が侵略されてしまうような恐れを持つことはあります。

webdice_MG_8447 photo by yoshie tominaga
渋谷AX公演より (c)yoshie tominaga

── あなたが歌詞を書くうえで使いたくない単語はありますか?

音楽がおのずと教えてくれます。詩になっても、歌詞にならないことがあるんです。音楽にのせるときにうまく流れるか、歌いにくかったら、それはだめだということです。そのときのフィーリングがとても大事です。

── 最も好きな言葉は?

アルバムができあがって、この言葉を繰り返し使っていた、と結果的に分かることがあります。Seaであったり『バンガ』であればNew Worldを何回か使っていました。ほんとうに意図的にこれが好きだということで使っていることはないのですが、それぞれの曲にはそれぞれの世界があって、無意識に出てきます。心がけているのはシンプルであればあるほどよい、ということ。マイケル・スタイプのような予想だにしない言葉を使うのは好きです。複雑な思考をたくさんもっていても、自分の心象世界が大事だと思います。

── 詩を書くときに向かうテーブルにはなにがありますか?

お気に入りの机の上に、ペンとノートがあって、本やロバートの遺品や文房具が周りに置いてある。そしてコーヒーは欠かせないですね。小さいころはピノキオやディラン・トーマス、ジム・モリソン、ゲイツ、エミリー・ディキンソンといったいろんな本に囲まれていました。天皇陛下のサインも持っているんです。オークションで入手したのですが、小さいころ私は天皇陛下を蝶々の研究科だと思っていたのです。

でもお気に入りの空間も大事だけど、実際には目覚めに床からノートをとって書いたりすることもあるし、頭をかかえてカフェで書いていることもあるし、電車でナプキンを使って書いていることもあるのです。

── 最後に、まだ自分の表現方法を見つけることや出会うことができず、もがいている若い世代に対して意見を聞かせてください。

人生は厳しいもので、方向性が分からなくなったり見つかったりすることの繰り返しで、ひとつの答えはないと思います。私も「分かった」と思った次の瞬間、壁に突き当たって1年もなにも書けない状況になることもあります。だんだん歳を取ればとるほど賢くなる、と思ってしまいますが、実はそうではなくて、上がったり下がったりするのが人生の冒険で、自分自身の〈声〉探しにはひとつのルールはないのです。

ロバートは10代で自分のアートを見出したかもしれないけれど、私は66歳でいまだに探し続けています。良いことだけはなく、自分をかっこよく見せようとしたり、偉大なアーティストに見せようと思ったり、すごいことをやり遂げたように見せようとしたり、素敵なボーイフレンドがいるんだと見せようとするとややこしいことになってしまう。ですから、私のように歳を経てくると、人生のもっとも美しい瞬間は耐えたとき、そしてその結果、そこから出られたときなんです。

(構成:駒井憲嗣)



『ジャスト・キッズ』
著:パティ スミス

ニューヨークを舞台に
写真家ロバート・メイプルソープとの
出会いから別れまでの20年を綴った、
パティ・スミスによる青春回想録。

発売中
翻訳:にむらじゅんこ、小林 薫
ISBN:978-4309909707
価格:2,499円
版型:192×136ミリ
ページ:472ページ
発行:アップリンク
発売:河出書房新社


『無垢の予兆』パティ・スミス詩集

亡き夫や、弟妹たちなど、
愛する者たちへ向けた、
やわらかなまなざしに満ちた詩の数々。
1980年代から2007年までに書かれた28篇を収録。

発売中
翻訳:東 玲子
ISBN:978-4309909714
価格:2,000円
版型:218×138ミリ
ページ:160ページ
発行:アップリンク
発売:河出書房新社


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アップリンク パティ・スミス 公式ページ http://www.uplink.co.jp/pattismith/




最新アルバム『バンガ』

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12曲収録/歌詞・対訳付き
SICP-3562
2,520円(税込)
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