骰子の眼

cinema

東京都 渋谷区

2013-01-24 23:41


残酷なのは戦争を生みだし、市民が犠牲となっても気にもかけない我々の社会そのものなのだ

〈戦争中毒〉に陥った若者を描くドキュメンタリー『アルマジロ』ジャーナリスト野中章弘氏によるレビュー
残酷なのは戦争を生みだし、市民が犠牲となっても気にもかけない我々の社会そのものなのだ
映画『アルマジロ』より

アフガニスタンに派兵されたデンマーク軍の若い兵士たちを映したドキュメンタリー『アルマジロ』が現在公開中。普通の青年たちが戦場へ向かい、そして現地での異様な状況と対峙し、次第に精神的な変貌を遂げていく様子を克明に描いている。公開にあたり、アフガニスタンで取材の経験のあるジャーナリストの野中章弘氏によるレビューを掲載する。

ジャーナリストにとってもっとも過酷な戦場
  ── 野中章弘(ジャーナリスト)

戦争ドキュメンタリーとしては出色の出来栄えである。戦場に赴いた若い兵士たちの心情を細かく、微細に描き、カメラが激しく揺れる戦闘場面も織り込まれている。7ヵ月におよぶ同行取材で、命の危険を顧みず、兵士たちと寝食を共にしたヤヌス・メッツ監督たちの並はずれた情熱に敬意を表したい。

機動性のある小型ビデオを使い、兵士たちの中に溶け込みながら、彼らの日常や本音を丹念に記録している。ビデオ・ジャーナリスト的な手法を用いながらも、その映像は決して軽くも粗くもない。フィクションの映画と思えるほどの計算されたカメラワークである。映像も抒情的で美しい。プロの仕事なのだと思う。

アフガニスタンはジャーナリストにとっても、もっとも過酷な戦場だと言われていた。私も幾度かアフガニスタン取材を行ったが、乾燥した土漠、遊牧民、イスラームと湿潤アジアで農耕を生業としてきた日本人とは気候風土、人びとのメンタリティーとも、まったく異質な土地柄である。私の従軍したゲリラたちは粗野で武骨で、荒々しい。ただ、みんな人懐っこくて、心惹かれる、愛すべき一面も持っている。

彼らは生まれながらの戦士である。シルクロードの時代より、アフガニスタンでは部族単位で武装して、隊商を襲ったり、縄張り争いをしたり、侵略者を追い出したり、長い戦いの歴史を持っている。人びとはナイフや銃の扱いにも慣れている。1979年のソ連軍の侵攻に対しても、果敢に戦い、最後にはソ連軍をたたき出してしまった。外部の敵に対する闘争心は激しく、苛烈である。

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映画『アルマジロ』より

そのようなアフガニスタンのゲリラ(タリバンたち)と戦うデンマーク兵たち。どちらにも「大義」があり、「正義」がある。お互いに個人的な憎しみはない。ただ兵士として最前線に出れば、敵か味方か、どちらかしかない。殺さなければ殺される。敵を前にして迷ったり、理屈を言っているヒマはないのである。

映画に登場する若者たちは、きわめて「普通」の青年たちだ。兵士にならなくとも、他の生き方、職業も選択できる。なぜ命を賭けねばならぬ戦争に志願するのだろうか。メッツ監督は戦争に生きる手ごたえ、充実感を求める若者たちの心のひだにカメラを向ける。その視線は冷徹で容赦のないものである。

結局のところ、若者が戦争へ行くのは、そこに「戦場」があるからであり、「正義」のためでも「平和」のためでもない。動機はきわめて個的なものであり、正義や大義は後付けの理由である。

若者たちの中には、除隊後、また志願してアフガニスタンに舞い戻る者も少なくないという。それを「戦争中毒」と呼ぶこともある。兵士たちは「殺してももう罪の意識なんか感じない」と思うようになり、スリルと刺激を求めて、戦場へ再び帰りたいと願う。

彼らはなぜ戦争の道具になれるのか。私はこの映画を観ながら、そのことを考えていた。なぜ善良な普通の若者が「人殺し」になれるのか。

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映画『アルマジロ』より

ひとつ明らかなことは、兵士たち(殺す側)は敵であるタリバンのことをまったく理解しておらず、また理解する気もないという事実である。兵士は「敵を殺せ」「敵は悪人である」ということ以外、考えてはいけないのである。タリバンがなぜ戦うのか。その理由を考えてはいけない。なぜなら、敵が戦う理由を考えることで、自らの正義に疑問を持つ者も出てくるからだ。「この戦争は果たして正しいのか。ひょっとしたら、我々の方が間違っており、敵の方が正しいかもしれない」などという問いが生まれてくることを防ぐためである。そのような葛藤を抱いた兵士はもはや使いものにならない。

兵士にとってアフガニスタンの戦場には3種類の人間しかいない。凶悪な敵(タリバン)と救いを求める哀れで無力な農民たち、そして悪を退治し、人びとを圧制から救い出すため、はるばるヨーロッパから駆け付けた我々(デンマーク兵)、の3種類である。

戦う理由についてそれ以上は考えない。思考を停止させてしまう。「なぜ」と考えない人間はどんな酷いことでもできる。敵を殺せば殺すほど「国家の英雄」と称えられ、勲章をもらえる。

必要なのは上官の命令に忠実な兵士であり、戦争の道具となった者は自分で戦争の意味などを考えてはならない。兵士たちはそのように訓練され、いくらでも「残酷」になれる。

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映画『アルマジロ』より

ただほんとうに残酷なのは兵士自身ではない。残酷なのは戦争を生みだし、そこで兵士や市民が犠牲となっても、他人事としてほとんど気にもかけない軍隊や国家、我々の社会そのものなのだと思う。国家の作りだした「アフガニスタンで正義を実行する」という「大きな物語」に誘われて戦場へ赴き、「戦争中毒」になってしまった若者たちも、犠牲者なのだ。

戦場でもっとも悲惨な体験をするのは兵士たちではない。理由もわからないまま、殺害される普通の人たちである。不条理の中で死にゆく者たちである。彼らは子どもであれ、女性であれ、老人であれ、みんな「なぜ私が死ななければならないの。まだ死にたくない、死にたくない」と叫びながら、殺されていくのである。

兵士となった若者たちが、「そんなこと俺たちの知ったことじゃない」と言うのなら、「戦争中毒」はほんとうの「病気」なのである。

(映画『アルマジロ』劇場用パンフレットより転載)



野中章弘 プロフィール

1953年、兵庫県出身。インドシナ、ビルマ、アフガンなどアジアを中心に第三世界の問題を取材し、新聞、雑誌、テレビなどで発表。87年、報道規制の厳しいアジアのジャーナリストたちのネットワークであるアジアプレス・インターナショナルを設立。チベット、東ティモール、アフガニスタンなどNHK(ETV特集、BSドキュメンタリーなど)を中心にテレビ朝日、朝日ニュースター、MXテレビなど発表本数は200本を超える。04年5月、第3回「放送人グランプリ特別賞」受賞。最近では『ガーダ~パレスチナの詩』『ぼくたちは見た~ガザ・サムニ家の子どもたち』(古居みずえ監督)、『隣る人』(刀川和也監督)などのドキュメンタリー映画をプロデュースしている。著書・編著に『沈黙と微笑』(創樹社)、『アジアTV革命』(三田出版会)、『ビデオ・ジャーナリスト入門』(はる書房)、『メディアが変えるアジア』(岩波書店)、『ジャーナリズムの可能性』(岩波書店)など。

 


映画『アルマジロ』
渋谷アップリンク新宿K's cinema銀座シネパトス
にて公開中、ほか全国順次公開

監督・脚本:ヤヌス・メッツ
撮影:ラース・スクリー
編集:ペア・キルケゴール
プロデューサー:ロニー・フリチョフ、サラ・ストックマン
製作:フリチョフ・フィルム
デンマーク/2010年/デンマーク語、英語/カラー/35mm/105分

公式サイト:http://www.uplink.co.jp/armadillo/
公式twitter:https://twitter.com/armadillo_jp
公式FACEBOOK:http://www.facebook.com/armadillo.jp

トーク付き上映決定!
2013年1月30日(水)19:30
ゲスト:池田香代子さん(翻訳家)
会場:渋谷アップリンク・ファクトリー
ご予約は下記より
http://www.uplink.co.jp/event/2013/6641

▼映画『アルマジロ』予告編



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