骰子の眼

cinema

東京都 渋谷区

2013-01-02 12:00


『踊る大捜査線』でフィルムのトラウマを払拭し、デジタルでできることを理解した

『サイド・バイ・サイド』公開記念トーク・本広克行監督が機材から演出、上映までデジタル化を巡る葛藤を語る
『踊る大捜査線』でフィルムのトラウマを払拭し、デジタルでできることを理解した
『サイド・バイ・サイド:フィルムからデジタルシネマへ』公開記念トークに登壇した本広克行監督

キアヌ・リーブス製作総指揮により映画のデジタル化を巡る問題を著名映画監督らに聞くドキュメンタリー『サイド・バイ・サイド:フィルムからデジタルシネマへ』公開を記念して、上映中の渋谷アップリンクで日本の映画監督を招きトークイベントが開催された。12月23日には『踊る大捜査線』シリーズで知られる本広克行監督が登場。日本の興行収入の記録を打ち立てたシリーズの裏側にある自身の葛藤、そしてフィルム制作を経験しながらデジタル好きを公言する本広監督なりの哲学が披露された。

初めてのフィルム撮影での痛恨の失敗をきっかけにデジタルへ

── 『サイド・バイ・サイド』ご覧になっていかがでしたか?

キアヌ・リーブスのおかげですごい人たちにインタビューできていて、彼らがしゃべっていることを聞きながらその周りの風景を観なくてはいけないから、すごい情報量。何回も観たくなりますね。

── ご自分は誰にいちばん共鳴できますか?

常に先頭を走っているルーカスやキャメロンの映画を観て「日本もこうならないか」と思って追いかけていたんですけれど、それには映画をヒットさせなければいけないんだな、と思いました(笑)。 

── 本広監督はもともと映画の編集をやりたくて日本映画学校に入られたとか。

『東京裁判』(1983年)というドキュメンタリーを編集した浦岡敬一先生の弟子になりたかったんです。でも雑な性格で編集マンの適正に合っていないと言われたので、演出家を目指そうと、喜劇を撮られていた前田陽一監督の下で勉強しました。それもあって、今も笑いを撮るのが好きです。

── その頃はフィルムも触っていたんですよね?

学生時代は8ミリと16ミリを触っていて、社会人になってからは、CM制作会社でプロダクション・マネージャーをやりました。CM監督の編集の手伝いで35ミリのフィルムを触れることがすごく嬉しくて、「いつかムヴィオラとスタインベックをいじれるようになりたい」と思っていました。

ジョージ・ルーカス
映画『サイド・バイ・サイド:フィルムからデジタルシネマへ』より (c)2012 Company Films LLC all rights reserved.

── 『サイド・バイ・サイド』は映画のデジタル化についての映画ですが、テレビの世界ではそれ以前からビデオでやっていたということですよね。

昔は2インチのテープに直接はさみを入れていたんです。フィルムと違って画が見えないのに、テープに斜めに線を入れて繋いで編集をしていたというのを、バイトしている頃に聞きました。

── テレビのデジタル化は経験されましたか?

僕らが入った頃はベーカムで収録していて、アナログから少しずつデジタルの機械が増えていったのを覚えています。編集でオーバーラップを繋ぐやりくりテープ(編集作業中、一時的に映像をダビングするための録画テープ)を使うときに「デジタルは劣化しない」と教えられましたが、今から思うとアナログからデジタルになる段階で既に劣化していましたね。

テレビの現場は、ヨーイ、スタート、カットの後にチェック、というのがあってラッシュをその場で観るんです。そこで問題なければオッケーとなる。今のデジタルの撮影と一緒で、役者さんも照明さんも小道具さんもひとつのモニターをみておのおのの仕事を確認する。ところがフィルムは、カメラマンや助手さんが気づいていないと、意外とそこに台本が置いてあったり、というミスがある。テレビはそれをなくすために、みんなに映像をシェアするんです。

── ではその後、フィルムで映画を撮ることに挑戦されるのですね。

フィルムで撮るのに憧れて四国から出てきて、30歳までに映画を撮れなかったら田舎へ帰ろうと思っていたんです。その30歳の時に『7月7日、晴れ』(1996年)のオファーがありました。僕の前に10人くらいの人が脚本を読んで断ったらしいのですが、「35ミリで撮らせてくれるなら」と監督として参加させていただき念願の35ミリのカメラ、プラチナ パナフレックスを使って、Dreams Come Trueの音楽に乗せて、とてもきれいなラブストーリーを撮りました。

でも、最後の観月ありささんと萩原聖人くんが泣きながら抱き合って空を見上げるシーンがピンぼけしていたんです。ふたりが愛を確かめ合うために気持ちをぐっと持っていって撮ったのに、後でラッシュを観たときに気づいて、撮影部みんな青ざめてしまって。僕がチェックしていたモニターではピントまでは分からなかった。クランクアップの日に撮ったので、後から集めて撮り直すテンションもなかった。最終的に、タイミングという作業でソフトフォーカスのような処理をして、なんとかしのいでいるんですけれど、「フィルムはこんなことがあるんだ」とほんとうに悔しかった。

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映画『サイド・バイ・サイド:フィルムからデジタルシネマへ』 (c)2012 Company Films LLC all rights reserved.

── 『サイド・バイ・サイド』でもデヴィッド・フィンチャーはラッシュを見て、カメラマンの仕事が凄いと思う事もあれば「FACK!」と思うときもあると言ってましたね。

フィンチャーは『ソーシャル・ネットワーク』のオープニングで99テイク回したそうです。俳優に演技していることを一度忘れさせるためにそこまで追い込むのですが、それはデジタルだからできること。フィルムだったら膨大な予算を使うことになる。フィルム撮影はまさしく「お金が回っている」んです。僕らもフィルムを使っていた頃は現像所のイマジカに行って、「本広監督は6万フィートぐらいですね、あの監督は何10万フィート回したよ」と言われたりしました。

日本ではフィルムを無駄にしないために、「ヨーイ、スタート」から3コマでカチンコを入れる練習を専門学校でやるんです。おかげで僕はいまだにカチンコ打つのが上手ですよ(笑)。

自分の全てをカジノにお金を賭けるような気持ちで『踊る大捜査線』に臨んだ

── 『踊る大捜査線 THE MOVIE 湾岸署史上最悪の3日間!』は1998年公開ですが、これはフィルム撮影ですね。

はい、この時はまだフィルムじゃないとエッジが立たなかった。その前に撮った短編『友子の場合』(1996年)ではハイビジョンでテレビ的なカット割りやCGで遊んだりしたのですが、そこで機動力の不便を感じたんです。

『踊る』の前までは映像制作会社の社員だったのですが、ずっといてもテレビを撮るしかなくて、映画を撮りたい、人生の勝負だ、とフリーになって、自分の全てをカジノにお金を賭けるような気持ちで『踊る』に臨んで、スタッフと俳優を説得しました。

でも当時は誰もがヒットしないと言い、プロデューサー(現フジテレビジョン常務取締役)の亀山千広さんにも「当たるわけない」と言われ、そんなに制作費もかけられない状態。「せめて鉛筆だけでもグッズを作りたい」と言っても「売れるわけない」と言われる。日本映画は興収10億いったら大ヒットの時代で、「ドラマの最高視聴率が24%だったので、それくらい(24億)いったらいいかな」と言ったらみんな失笑する。そこまで落とされるとスタッフ全員が「だったら面白いもの作ればいいんだ」「面白い宣伝をしよう」「みんなで変えてやろう」というムードになったんです。その気持ちが『踊る大捜査線』の俳優たちにも伝わった。

── 外から見ているとテレビ局主導の日本映画の大成功のパターンだけれど、その裏にそんな監督の賭けがあることは知りませんでした。

前の失敗もあって、フレキシブルで柔らかい感性の人がいいと、カメラマンの選定には時間をかけて、そこで藤石修さんと出会いました。藤石さんが僕のトラウマをぜんぶ払拭してくださって、その後の『スペーストラベラーズ』(2000年)『サトラレ』(2000年)も一緒にフィルムで撮りました。35ミリで回して、ラッシュをみんなで観て話しながら作っていくやり方で「やっぱりこれがやりたかったんだ」と思いました。

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映画『サイド・バイ・サイド:フィルムからデジタルシネマへ』 (c)2012 Company Films LLC all rights reserved.

── 『踊る大捜査線』は見事大ヒットし、本広監督は賭けに勝ったわけですが、その後は?

フリーで1作目を作った後、現在所属するロボットの社長に拾ってもらいました。でも、日本の場合、演出だけでは食べていけないので、「どうやって生きていこう」と心配になってお金の計算ばかりするようになりました。やっぱり脚本を書いて、演出して、DVDの印税の権利を得て、ということで回っていくんだと思うんですけれど、それでも『サイド・バイ・サイド』に出てくる監督たちと比べると、たいしたお金にならない。

── 続く『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』(2003年)でプレッシャーはありませんでしたか。

相当ありました。1回ヒットすると、いろんな人のいろんな意見が入ってきて、1作目のときはゼロだったのに、2作目では200アイテムのグッズを作ったり(笑)。売れるとなると、祭りになってくるから、作品性うんぬんではなく「当てなきゃ」という気持ちになってくる。実は、『1』と『2』は登場人物の行動や展開がまったく同じなんです。これも「ヒットさせるには既視感を刷り込むんだ」という脚本家の君塚良一さんの分析によるもの。「待ってました!」という感じです。当時ハリウッド映画の殆どがそういう流れだった。

── ある種の予定調和のなかで騒ぎたいわけですね。

『2』は今後抜かれることはないだろう173億という興行収入になりました。でもどこかで興行よりも映画の内容で評価してほしいという思いがあって、精神的なものをキープするために、『サマータイムマシン・ブルース』(2005年)を低予算ですがデジタルで好き放題やらせてもらいました。

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映画『サイド・バイ・サイド:フィルムからデジタルシネマへ』 (c)2012 Company Films LLC all rights reserved.

── フィンチャーは『ソーシャル・ネットワーク』や『ドラゴン・タトゥーの女』にしても、当てにいくこととクリエイティビティを両立させていると思います。日本では、メジャーでヒットさせて、なおかつ内容でうならせてやる、というのは難しいですか。

ハリウッドの監督たちはプロデューサーとしてお金を出していることが多いですが、日本の映画監督は、あまり出資させてくれないし、そんなにお金持ちではないので難しいかもしれないです。世界の黒澤明さんでさえ、1本の報酬は1億円だったといいます。タレントさんのほうが稼いでいる。これはプロデューサーになってホラーを作って当てるしかないな、と(笑)。映画は、人を笑わせたり驚かせたりするのがいちばん簡単アメリカのボックスオフィスも必ずホラー系が入ってくる。でも僕が今、所属している制作会社ロボットはホラーとエログロは禁止なんです。

── いま日本でいちばん売れている映画雑誌は『映画秘宝』なんですけれど、いわゆる秘宝系を封印しろと(笑)。

映画を忘れてもらわないよう子どもたちに観て欲しいからということと、きちんと物語を紡いで、お客さんを幸せにしなさいというのが会社創設者の要望なんです。そして泣きの要素は入れなきゃいけない。そこを割り切れるかどうか、いつも戦っています。

機材の問題ではなく、使う人のセンスの問題

── 2作目で撮影面においていちばん変わったところは?

『2』をやることになったときに、藤石さんに「監督、これはテレビで生まれた作品だから、テレビに返さなきゃダメだよね」と言われました。デジタルシネマがまだ芽生え始めている時期だったんですけれど、藤石さんの思いも汲んで、デジタルで、しかもシネスコで撮りました。シネスコは横に長いので、データ上で天地と消しているんです。モニターにも上下にテープを貼って、シネスコの画角を確認しながら撮りました。

それから、ラッシュがテレビと一緒で、現場でみんなで全カット、チェックするようになりました。2作目は娯楽映画として作らなくてはいけなかったですし、たくさんの出来事が起こるので、いろんな光の角度が必要で、やることが濃密になりました。1カット撮るのに3時間かけて雨降らしをしたり。でも、いま上映している『踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望』の雨のシーンは大部分がCG。ヘリコプターも、1作目と2作目は本物を合成していましたが、『THE FINAL』は全てCGです。

── そうしたデジタル化により、予算は軽減されるんでしょうか。

そうなんですけれど、作品の人気が上がってくると格段にキャスト費が上がるんです。なのに僕を含め制作側の報酬はあまり変わらない(笑)。

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映画『サイド・バイ・サイド:フィルムからデジタルシネマへ』 (c)2012 Company Films LLC all rights reserved.

── 『2』でデジタルを導入して、満足のいく仕上がりでしたか?当時は劇場にプロジェクターがあまり備わっていなかったので、デジタルで撮ったけれどフィルムにしていたんですよね。

『サイド・バイ・サイド』のなかでも言っていましたけれど「映写技師さんが最後の表現者だ」と、ほんとうにそう思います。地方に行くと、小屋主さんの都合上、プロジェクターの電球がちょっと抑えられていたりする。

── 35ミリのランプは値段が高いので、ちょっと暗くしておくと長持ちするんですよ。

だから、画面がすごく暗くて「俺こんな色味で作っていない」と思ったりする。それと、音がひどい。割れているし、青島さんが何言ってるか聞こえない。それが悔しくて、プロデューサーにかけあって『BAYSIDE SHAKEDOWN 2』(2003年)を作りました。2作目を編集し直し、本当の音を求めてとスカイウォーカー・ランチのスカイウォーカー・サウンドに行って、音を再構築しダビングし直しました。結果は、全然違いました。これは僕ひとりだけ行くのはもったいない、とプロデューサーと音響効果マン、技師の人たちをスタジオに連れていって勉強しました。織田裕二さんにも来てもらいました。

── それは機材が違うんですか?

機材はまったく同じでした。使う人のセンス次第で、こんなに音が豊かに作れるんだ!って。現地のシアターで音のグラデーションを感じたときは、震えました。

そんなふうに『踊る大捜査線』を通して、人も育ったし、いろんなことが変わりました。それもたくさん観ていただいたから。そうして、デジタルシネマでできることとできないことがだんだん分かってきました。

現場で役者さんに芝居をつけてカット割りを出す

── 次のSONY F35で撮られた『踊る大捜査線 THE MOVIE3 ヤツらを解放せよ!』(2010年)、そしてREDで撮影した『踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望』(2012年)になると、時間もだいぶたったので、大ヒットのプレッシャーは消えましたか?

主人公の皆さんも40代を超えているし、観ていた世代が大人になって映画館に来なくなっているのでは、と『3』は、既視感をとっぱらって、そのときに表現でできることをしよう、と湾岸署が引越しするだけの話を作ったんです。でもお客さんの感想は「いつもの青島さんと恩田さんの掛け合いを見せてほしい」「音楽も“RHYTHM AND POLICE”をオープニングに使ってほしい」という声が多くて、新しいものは求められていないんだなと思いました。そこには景気の流れが悪くて社会全体が守りに入っていたことも原因にあったかもしれません。

なので『THE FINAL』は、みなさんの好きな結末を作ろうと、『2』以降、テレビのカメラマンを呼んで映画の勉強をしながら作ってきたことを踏まえて完成させました。

テレビだと暗い描写は視聴率が落ちるから止めてくれ、とチェックが入るんですが、今回は湾岸署が節電という設定であちこち電気が消されている分、陰影豊かで高級感ある画になっている。『3』と『THE FINAL』では画がぜんぜん違いますよ。

『サイド・バイ・サイド:フィルムからデジタルシネマへ』
映画『サイド・バイ・サイド:フィルムからデジタルシネマへ』 (c)2012 Company Films LLC all rights reserved.

── 今回の『THE FINAL』はカメラは何台使用したのですか?

2カメで、1台はステディカムに載っていて、もう1台はレールに載って2班に分かれていて、シーンのポイントになる人の表情はずっと押さえました。僕はコンテを出さず、その場で役者さんに芝居をつけて、その芝居に応じてカット割りを出すんですが、それがスタッフには緊張感があるみたいです。そのため、照明さんも現場すべてに光を当てなくてはいけないのですが、カメラと同じくLEDライトの進化のおかげで、少ない照明で明るく作れるようになり、カラコレでの調節も可能になって、演出の幅が広がりました。こうした撮影方法だと、絵コンテを描いても奇跡的な画を撮ることはできません。現場の感じをまず見て、どこから芝居を作っていこうか毎朝考えていくのがすごく楽しいです。

── 『3』と『THE FINAL』のデジタルでの制作を通して、フィルムとデジタルの撮影現場のいちばん大きな違いはどこにあると感じますか?

昔は映画ってフィルムで撮るしかなかったから、低予算だと窮屈になるし、スタッフがきつい状況に追いやられてしまう。それもあって、僕はかなり前からデジタルシネマの方向に進んでいました。ソニーの厚木の研究所に乗り込んで行って「一緒に新しいカメラを作りましょう」と提案して、僕らの撮影現場も見てもらったこともあります。

カラリストについても、最初は撮影部のスタッフも「何?」という反応だったんですが、これからの映画を支えていく仕事だから、と参加してもらいました。陽の暮れそうなギリギリの時間でも、カラリストがいれば「まだ夕方のシーンでもいける」と判断して、みんなで和気藹々と撮ることができる。

俳優の生き生きとした演技をサッと拾えるのがデジタルの良さ

── シリーズがヒットするにつれ、映画が監督や脚本家やプロデューサーのものというよりも、俳優のも演出について意見を出してきて監督に直接電話がかかってくることもあると先ほど打合せで伺いましたが?

すべての娯楽映画はそうだと思います。『THE FINAL』は観るキャラクターによって話が変わるんです。織田さん中心で観ると今までの『踊る』、小栗旬さん中心で観ると革命の話、深津絵里さん中心で観ると群像と愛情のドラマ。現場でも、役者さんたちに全て違う言葉で違う風に演出しています。そうした調整をすることで、結末に向かっていくことができるんです。

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映画『サイド・バイ・サイド:フィルムからデジタルシネマへ』 (c)2012 Company Films LLC all rights reserved.

僕はフィルムとデジタル両方の現場にいることができたのが良かったと思っています。山田洋次監督の撮影現場に何回も行ったことがあるんですが、全てフィルムで、ビジコン(撮影カメラと同じものが見られるビデオ装置)もあまり見る事なく、カメラの横で役者を思いのままに言葉で動かしていく。もっとも難しい日常のシーンに時間をかけているのが印象的でした。フィルムで回すということは緊張感が生まれるんです。

── その緊張感が最も大きな違いですか?

デジタルの場合はフィルムでなくメモリーカードなので、予算を心配する必要なく、テストから回す。役者さんがセットの中に立って最初に芝居をするのを撮っておきたいんです。織田さんは、瞬発力で動く芝居がめちゃくちゃいいのでほとんどそうやって撮っています。反対に柳葉敏郎さんは何度もテストやったほうが良くなる。そういう二人のシーンの場合は、カットバックを使って、編集で使い分けるんです。

深津さんは言葉によってどんどん精度を上げていくタイプ。一度、抱きしめられて涙を出すシーンで、「監督、カメラどちらからですか?」と聞くので、カメラの向きを伝えると、本番で、撮られている側の目からつーっと涙を出すんです。こんな女優見たことない!と思いました。

一方スリー・アミーゴスは、ふざけてリハと全く違うテキトーな芝居を本番でやる。そうした、俳優が思いつきで出した生き生きとした演技をサッと拾えるのがデジタルの良さです。

僕はベストセラーの映画化はやらない

── 今後はどんな活動を考えていらっしゃいますか?

『踊る』のおかげでいろんなことをやらせてもらいました。ここまでやれたのもたくさんの方が観てくださって、いろんな方との出会いがあって持ち上げられてきたからなので、今度は僕がみんなを持ちあげたい。自分の作品は2年1本くらい作らせてもらって、くすぶっている才能がいっぱいいるので、後輩のためにできることをやろうと考えています。

── (場内からの質問)これがすごくデジタルらしい良い画が撮れたというシーン、逆にフィルム時代にフィルムの良いところが生かせたと思うシーンについて教えてください。

デジタルを使ってよかったと思えるのは「デジタルだ」と気づかれてないところ。気づかれてしまうと、たぶん失敗なんです。それからテレビは現場でカット割りがされていくので、いい芝居を中継しようという気持ちがありますが、映画はいい風景を撮りたい、という違いがあります。画角に街を刻んでいくことや、自然現象による強い風の日や雨を美しく撮れるか。台風がきたら「撮影をやらせてくれ!」ってお願いして、強風のなかで撮ります。『THE FINAL』でも小栗くんが殺人現場から立ち去るシーンで奇跡のような風が吹いて「ミラクルショットだ!」って彼と喜びました。

── (場内からの質問)『THE FINAL』は4Kでの撮影ですか?

はい、編集も4Kです。例えばある場面を撮って、一部分のアップをしても劣化しない。だからこれから8Kの時代になると、撮影はとりあえず撮ってフレーミングは編集の段階で決めていくことになる。テレビドラマでもその方法が多くなっています。そういうことも考えて、どうコンテを作っていくかが、僕の中ではこれからの課題です。

── (場内からの質問)ルーカスはメーカーを先導して新しいやり方を進めていきましたが、デジタル大好きと公言されている本広監督は、技術側に働きかけていまこういう映画を作りたいと考えていることはありますか?

2005年くらいと比べて、今は景気が格段に衰えています。いろんな方とコンタクトをとっているのですが、それに見合う大作を作る予算を出すところが少ないのです。結局、ベストセラーか人気漫画か人気連ドラの映画化しか当たらない。僕はベストセラーはやらないようにしているんですが、日本映画がこの先どうなっていくか心配です。いい映画はいっぱいあるけれど、分からないからつまらないと伝わらない事が多いのです。だから僕なりに出来るであろう映画の見方をどう伝えるかということ。それをいま懸命にやってなんとかして盛り上げていきたいです。

(聞き手:浅井隆 構成:駒井憲嗣)



本広克行 プロフィール

1965年生まれ、香川県丸亀市出身。ROBOT所属。1996年『7月7日、晴れ』で劇場映画監督デビュー。その後も数々の映画を手掛け、2003年に公開された『踊る大捜査線 THE MOVIE2』では、日本映画(実写)興行収入記録歴代1位の座を獲得。その後も『交渉人 真下正義』(2005年)『UDON』(2006年)『少林少女』(2008年)等、数々の作品を手掛ける。また『サマータイムマシン・ブルース』(2005年)『曲がれ!スプーン』(2009年)と、劇団ヨーロッパ企画の舞台を映画化。2010年は『踊る大捜査線 THE MOVIE3 ヤツらを解放せよ!』の監督を務めた。2011年には、5月に発売されたAKB48のシングル「Everyday、カチューシャ」のミュージックビデオを手掛けた。2012年はシリーズ最新作『踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望』が公開された。




映画『サイド・バイ・サイド:フィルムからデジタルシネマへ』
渋谷アップリンク新宿シネマカリテにて上映中、他全国順次公開

監督:クリス・ケニーリー
プロデューサー:キアヌ・リーブス、ジャスティン・スラザ
撮影監督:クリス・キャシディ

出演:
キアヌ・リーブス
マーティン・スコセッシ
ジョージ・ルーカス
ジェームズ・キャメロン
デヴィッド・フィンチャー
デヴィッド・リンチ
クリストファー・ノーラン
スティーヴン・ソダーバーグ
ラナ&アンディ・ウォシャウスキー
ラース・フォン・トリアー
ダニー・ボイル
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▼映画『サイド・バイ・サイド:フィルムからデジタルシネマへ』予告編


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