骰子の眼

cinema

東京都 渋谷区

2012-12-20 22:20


29歳で入学したAFIの先輩にはデヴィッド・リンチがいた

シネマトグラファー栗田豊通氏が語る『サイド・バイ・サイド』
29歳で入学したAFIの先輩にはデヴィッド・リンチがいた
映画『サイド・バイ・サイド:フィルムからデジタルシネマへ』 (c)2012 Company Films LLC all rights reserved.

現在、映画業界全体で急速に進むデジタル革命を大ヒット作を製作する巨匠たちが語るドキュメンタリー映画『サイド・バイ・サイド:フィルムからデジタルシネマへ』が12月22日(土)よりロードショーされる。公開にあたり、80年代よりハリウッドをはじめ国際的な活動を続けるシネマトグラファーの栗田豊通氏へのインタビューを掲載する。栗田氏は、今作の東京国際映画祭上映時に黒沢清監督とともにトークショーに登壇。フィルムからデジタルへの映画の現場での変遷を目の当たりにしてきた栗田氏が今作をどう観たのか、そして映画界のこれまでとこれからについて語ってもらった。

29歳のとき、世界から映画を志す人が集まるAFIに

── 栗田さんがシネマトグラファーを志すにあたって、アメリカに行かれたのはいつですか?

1970年代、当時師事していた鈴木達夫さんから「30になったら助手から一本立ちになりなさい」と言われて、なんとかしないといけない、と29歳のときにアメリカに行こうと思いました。いきなり行ったって現実的じゃないと、AFI(アメリカン・フィルム・インスティチュート)のシネマトグラフィーのコースに入りました。世界から映画を志す人が来ていて、デヴィッド・リンチが先輩にいて、彼のAFIの卒業制作として5年かけて作った『イレイザーヘッド』が当時深夜上映されていて、撮影監督のフレッド・エルムスもAFIの出身でした。

ddd
シネマトグラファーの栗田豊通氏

── 栗田さんの同僚で、有名になった人はいましたか?

僕の同期としては、ピーター・デミング(『マルホランド・ドライブ』)、1年先輩にロバート・リチャードソン(『JFK』)やフアンホアン・ルイス・アンチア(『マリアの恋人』)がいました。

── 何年行かれたのですか?

当時は基本1年制で、2年目は選ばれた人たちが残ることができる。シネマトグラフィーのクラスは10人くらい、セミナーには、スヴェン・ニクヴィストやヴィットリオ・ストラーロといったヨーロッパの撮影監督も来て、ものすごく刺激的だった。直接質問できるから、勇気をもらうよね。研究する場所でなく、映画制作がメインで、監督志望の生徒は1年間に短編を3本作ることになっていて、シネマトグラファーは彼らからお呼びがかかれば、何本やってもいい。だからできるだけ多くの人と組みたいと、競争もありました。

── 当然35mmで撮らせてくれるんですよね。

実は、その頃AFIでは、1年目の短編に関しては費用の問題もあってソニーのUマチックの白黒ビデオで撮っていて、みんな「フィルムで撮らせてくれない」って文句を言っていた。でも、ライティングも限られていて、レゾリューションもない状況でも、結果的に作品を観ると「こいつ才能がある」というのはすぐ分かる。機材がどうであれ、ストーリーテリングや撮影の基本は変わらないことを痛感しました。そして2年目の卒業作品ではパナビジョンが機材を提供してくれたりして、35mmや16mmのフィルムでした。

── なるほど。そこからいきなりプロになれるのですか。

AFIで一緒に卒業制作を作ったスティーブ・ゴーランとアイスランド出身のヤニ・シグワットソンがプロバガンダ・フィルムを立ち上げましたが、僕もそういう人たちとミュージック・ビデオを作るようになりました。当時は制作会社もお金がなかったから、僕らのような学生が2日間寝ないでPVを作る。1980年代前半、MTVが学生からプロになるための最初の橋渡しをしてくれたんです。そこにはデヴィッド・フィンチャーもいて、「すごい奴だな」という話を聞いていました。

この当時、開発され洗練されていったのがダビンチという撮影フィルムネガからビデオに変換する過程で使われたカラーコレクションの道具です。このダビンチを使ってフィルムでは不可能な画調をカラリストと共に様々な実験を繰り返しながら作っていきました。『サイド・バイ・サイド』に登場するステファン・ソネンフェルドもそんなカラリストたちの一人で、仲間とCompany 3という会社を立ち上げる事になります。そうした意味で、僕たちにとって1980年代はデジタルシネマへの始まりだったと思います。

アルトマンやルドルフは、
映画を作るプロセスをとても大事にした

── まさにこの映画で描かれているカラリストの台頭による制作現場の変化を体験していたんですね。

その頃、ポール・シュレーダー監督が日本で撮影した『MISHIMA』(1985年)にオペレーターとして参加しました。ジョン・ベイリーという尊敬する撮影監督につけて、学んだことも多かったですが、いちばん大きかったのは、彼がアラン・ルドルフを紹介してくれたことでした。アランの『チューズ・ミー』(1984年)は当時評判になっていたインディペンデントの映画で、僕も観て「この人はヨーロッパの監督かな」と思っていたんですが、実はアメリカ人だった。アランとの最初の作品で、撮影監督として初めて劇映画に参加したのが『トラブル・イン・マインド』(1985年)だったんです。そのときのカメラはアリフレックスのBL。パナビジョンなんてインディペンデントの作品だと高くて使えませんでした。その後もずっとアリを好きで、使っています。

── 『トラブル・イン・マインド』は当時パルコが配給で、シネセゾンで観て「栗田さんが撮影監督だ」とあの画を観てびっくりしました。

アランはロバート・アルトマンの助監督をやっていて、彼と同じく、映画を作るプロセスをとても楽しんでいて、大事にする人だった。映画は準備するところから始まっているし、作る最中も、ラッシュを観ることがひとつの儀式になっていた。

『トラブル・イン・マインド』はシアトルが舞台で、当時はあまり注目されておらず、さびれた工業地帯に古いレンガ造りの建物や工場の廃墟とか、使われていない駅が出てきますが、それを背景に映画を作ったんです。シアトルにアルファシネというラボがあって、現像をやりラッシュを焼いて、毎日撮影が終わるとそこの試写室で前日撮影したものを観る。音楽も参考のためにカセットに既成の曲を集めて、アランがかけながらラッシュを観る。そうすると、自分たちがいまどういう映画を作っているのか、日々撮っていったものが感覚的に分かる。それをスタッフは翌日の撮影にフィードバックしていく。映画に関わっているいろんな人達が、ワインやビールを飲んだりしながら、話をしました。映画作り自体を監督が演出してるんだよね。

そうした映画制作は、プレッシャーはあるけれど、うまくいったときの喜びをみんなで共有できるし、自分が考えた以上のことができたりする。いろんな人と複合的に、有機的に作っていくのがアルトマンやアランの作り方です。

── 日本で言う「アラン組」「アルトマン組」というチームで作っている一体感があるんですね。

もうひとつローバジェット作品に関してアルトマンとアランから学んだことは、シアトルならシアトルの街一箇所で作るということ。そうすると、失敗したと思っても、もう一回取り返せるんです。すぐに同じ撮影場所に行かれるし、やり直そうというときに経済的な負担が少なくて済む。移動時間を少なくするためには、街の一箇所はひとつのシーンで、切り返すと全く別のシーンを撮ることができる、そういう場所をロケハンで探しておくんです。

webdice_Feature Still 2 Small
映画『サイド・バイ・サイド:フィルムからデジタルシネマへ』 (c)2012 Company Films LLC all rights reserved.

── 『トラブル・イン・マインド』では、オペレーターをつけたのですか?

いえ、つけませんでした。アランはカメラを動かしたり、ズームとドーリーが同時に動いていく画を望んでいて、しかもテイクごとに違っていたりする。俳優の演技も毎テイク違ったり、即興的な動きを尊重するので、自分でオペレートしないと判断がつきにくい。当時はまだ撮影現場にモニターが存在しなかった。ライティングも考えた上でそれをうまくズームと移動と構図で切っていかなきゃいけない。思い切ったチョイスをしなくちゃいけないときに、ひとりだったら、失敗しても責めるのは自分。そのことで面白い効果も生まれるんです。

── 映画の中の廃ビルの光と影はずっと記憶に残っています。

その時代はまだフィルム・トゥ・フィルム。僕はロケハンのときに、映画で使うのと同じフィルムを切って、ニコンのカメラに詰めて、ロケーションの場所に行って、光が射すとどうなるかを撮って、それを同じラボでプロセスしてもらって、映画と同じプリントで一コマだけ焼いてもらう。シャッタースピードは、スチールの場合は60分の1に合わせるんだけど、映画の場合は48分の1でほぼ一緒なんです。そうすると、このフィルムでこのfでこのRGBの組み合わせでこの画が出てくるというのが分かる。それを監督に見せて「こういう感じで行きたい」ということを繰り返したんです。言ってみればDSLR(デジタル一眼レフカメラ)の予感だよね。DSLRが出るまではその方法を使っていました。

── 画を見るとすごく照明を焚いているのかと思ったんですけれど。

そうでもないです。ラッキーなアクシデントもあったり。そのとき光が差し込んできて、「今撮ろう」と思ったときに撮れるチームだったから。

ハリウッド映画ではなく、アメリカ映画をやっている

── 『サイド・バイ・サイド』を観て日本映画のシステムとの違いを感じましたが、栗田さんはどうご覧になりましたか?

『サイド・バイ・サイド』はハリウッドのトップカメラマンの人たちの話ですが、日本におけるハリウッドという言い方には、幻想が入っている気がします。ハリウッド映画というのはスタジオがファイナンスした映画。その他にいろんなハリウッドで撮られた映画がある。僕も誤解されて「ハリウッドのカメラマン」と言われたりするけれど、僕として単にアメリカで映画をやっているつもりです。もちろん、スタジオの映画も何本かやっていますが。

webdice_Feature Still 8 Small
映画『サイド・バイ・サイド:フィルムからデジタルシネマへ』 (c)2012 Company Films LLC all rights reserved.

── 栗田さんはシネマトグラファーという肩書きにされていますが、DP(Director of Photography)とどのような違いがあるのですか?

今作でもDPとシネマトグラファーが混在していますが、シネマトグラファーが広く包括する名称で、DPはユニオンが決めた役職名、あるいは制度上の呼び方と考えてもいい。僕としては、いろんなことをやりたい、ということも含めてシネマトグラファーにしています。

アメリカでは、ライティングをデザインする人は撮影監督、というのが共通認識です。それを実際に動かすのはガファーとかチーフ・ライティング・テクニシャン。それを実行するのはエレクトリシャンですが、デザインをして、露出の責任・映像の責任を負うのは撮影監督です。

日本で撮影監督を名乗っていたのは、僕の知る限り宮島義勇さんや成島東一郎さんといった限られた人たちだった。日本では伝統的に撮影と照明と範囲をはっきり分けて撮影の現場をやっていたんです。画作りの大半はライティングだと思うので、光もコントロールしたい。僕は日本でやるときも、そこを理解してくれる照明部の技師とやるようにしています。

── アメリカ映画のクレジットによく出てくるグリップというのはどういう役割なのですか?

撮影現場で重要になってくるのはグリップです。日本ではあまり馴染みがないですが、グリップとは、例えばライトを部屋のコーナーの天井に置きたい、といったときに、ライトを支える方法を考え、実際に作業する役割です。撮影監督の指示でカメラを設定するときに三脚の下をセッティングするやり方や、実際にどうやったら持っていけるかを考えてくれたりもします。エンジニアリングの部分を熟知していて、そこにどうやったら安全に確実に早くセッティングできるかのノウハウを持っている人です。日本では「特機」というスタッフが移動やクレーンを担当しますが、照明に関わることはありません。

── クレーンはグリップの仕事なんですか?

そうです。10トントラック1台で、ドーリーも、ライティングをコントロールする道具や屋外で太陽光を遮る大きなパイプ枠なども持っています。日本では、照明部が基本的にはライトに関するすべてのコントロールをしますので、グリップ的な役割もやりますが、そのことによって限界もあるんです。アメリカのグリップは常に新しい技術や道具を開発して、撮影の要求に安全で早く確実に答えられるように競争しています。そのために予算がかかる、という側面もあるのですが。

── ポスト・プロダクションについてもお聞きします、『トラブル・イン・マインド』のときは、フィルムの現像でやっていたんですよね?

そうです。ポスト・プロダクションについて『サイド・バイ・サイド』に関係することで言えば、80年代以降、ビデオで作品をリリースする、ということが劇場での公開に付加して必要になってきた。そうすると、一回作品をフィルムで作った後に、あらためてそのネガを使ったり、そこから新しくビデオマスターを作るためのローコントラストのプリントを作ったり、アメリカの場合は必ずアンサープリントの後インターネガ(IN)を作るんですが、それを使ってビデオマスターを作る過程が増えた。INをネガテレシネすることで、劇映画をビデオ化、デジタル化されることになりました。さらに、初期は、テレシネする時期がずっと後になるのでDPはカラコレに立ち会えないこともあった。そのことで思ってもいない仕上がりになることもあった。アメリカの場合は、契約に入れて立ち会えるようになりました。なので、実は『トラブル・イン・マインド』は、ビデオマスターに立ち会えていないんです。

── ネガテレシネとポジテレシネのクオリティの違いは?

技術的にはネガを使うのがいちばんいいんだけれど、ネガをテレシネにかけると傷がついてしまう恐れがあるので、INを使います。プリントになった情報は、どうしてもひとつ下がるんです。ネガのほうがより多くの情報が入っている。少し前までは、ネガは6Kと言われていたでしょう。だから2KあるいはHDというのはまだネガに追いついていなかったんです。だからフィルムで撮るということが、一番の手法とされてきた。最近はダイナミックレンジや色域などでフィルムと同等かそれを超えるデジタルカメラが出ている。

webdice_SBS_sub_09
映画『サイド・バイ・サイド:フィルムからデジタルシネマへ』 (c)2012 Company Films LLC all rights reserved.

── DIをしたものをプリントにする、という作業も経験されていたのですね。今はDPの人もカラコレをチェックする権限はあるんですか。

アメリカではそうです。でもそこからまた事情が変わってきた。ネガフィルムで撮ったものをDI(Digital Intermediate)を使ってデジタル上でカラコレをするようになった。ネガからプリントしたものをRGBの組み合わせでタイミングするよりも、デジタル上のほうが調整範囲が広いのです。DI上で作ったものはデジタルデータですから、そこから次にビデオマスターにするにはそのままフォーマットを変えればいい。コンプレッションによって色が変わってしまうこともあるのでチェックが必要ですが、効率が良くなった。

デジタルより、ひとりで映画を作ることができる一方で、
いろんなプロセスを共有していないとできない映画がある

── 先日のTIFFの上映で黒沢清監督が「カラリストが猛威を振るったら、我々の立つ瀬がない」とおっしゃっていましたが、栗田さんはカラリストの役割についてどうお考えですか?

ステファンのようなカラリストたちがどんどん力をつけていって、カラコレでできることを実験的な試みも含めていろんなカラー表現を推し進め、地位が上がっていった。ポスプロでカラリストが映像を自由に変えてしまうことが可能になったので、ある危機感が生まれたのは事実です。

── 画作りに関してはシネマトグラファーがポスプロの最後まで責任を持って、その指示に従ってカラリストが動けば良いということですよね。

だけどそこでシステムの混乱が起きて、シネマトグラファーがある意図で作った画をプロデューサー、監督、編集者が変えてしまうことが、実際できてしまう。ではその画は誰のものだ、というひとつの大きな問題が出てきました。それは今でも続いていますが、多くはテクノロジーの問題もさることながら、スタッフの役割の問題、人と組織の問題に還元すると思います。

webdice_Feature Still 17 Small
映画『サイド・バイ・サイド:フィルムからデジタルシネマへ』 (c)2012 Company Films LLC all rights reserved.

── そうすると、栗田さんはカラコレでどこまでできるか分かった上で撮っているということですね。

映画を準備する段階で、どういうイメージにするかを考えるし、テストもします。できるだけ監督、プロデューサー、美術監督、編集者、CGチームなどと画調の打ち合わせをしていきます。DIにおけるカラコレが有効だと思うのは、80年代に培ったミュージックビデオの経験から映画制作のプロセスにおいて作品全体をみたときに、いろんなコントロールや選択ができたほうがいいと考えるからです。ある部分の色の調整が細かくできるようになったことで、カラリストをテクニシャンのひとりとして、カメラ・オペレーター、ライティング・テクニシャン、グリップと同じく、ノウハウと道具を持っている人として、僕と一緒に画作りのアイディアを実現することができるようになったのです。それは映画を作る過程のなかでお互いにどういうことに価値を見出し、共有するか、ということに関わってくるのだと思います。

映画制作の経験を積むためにアメリカに行ったけれど、いまやデジタルになったことで必ずしもその経験が必要でない時代になったかもしれない。デジタルの恩恵により、ひとりでも作ることができる映画も価値があるし、素晴らしいけれど、一方でいろんなプロセスを共有していないとできない映画がやっぱりある。両方選択肢があるし、それを意図的に選ぶ時代になった。そして選ぶのであれば、そのための共通認識を持たないといけないと思います。

こういう時代に映画とはどういうものなのか、
ということを考えていかなければいけない

── 今映画を志す若い人には、キヤノンの5Dで撮る選択肢もあるし、あるいはデジタルだけどプロフェッショナルの技術を身につけることもできるし、大きな作品を撮る上で人間関係の経験値もないとその世界に入っていけない。栗田さんだったらどれを薦めますか?

今できることをやったほうがいいけれど、そのときに自分がどこにいるか、その先が開けるのか、作り続けていけるのかを考えていただきたい。表現したいことがあるのであれば、自分でカメラを持ってやるべきだけど、自分の憧れている監督のルックがあるなら、誰かに学ぶ道も必要。自分がどういう映画をやりたいのか選べる時代になったし、選ばなければいけない。実際僕も全編ではないですけれど、DSLRやGoProを使っていたりするし、そういう方法を勉強しています。

そして撮影や照明、さらにカラーグレーディングというセクションがどういう役割なのか、なぜこのような作り方なのかを知った上で選択しなくてはいけないかな、と思う。デジタルに変化していくときに、今までの映画作りがどういうことだったのかを考えなおすいい機会。だから『サイド・バイ・サイド』はとても興味深いドキュメンタリーだと思います。

webdice_Feature Still 9 Small
映画『サイド・バイ・サイド:フィルムからデジタルシネマへ』 (c)2012 Company Films LLC all rights reserved.

── 映画制作の現場では、スタジオで作るプロの画とインディーズの画がデジタル技術によってその差が縮まってきています。

いまやハードディスクとプロジェクターと回線があれば、自宅でも4Kで作品を観ることができるというところまできている。メジャーの会社が制作し配給する作品もこれから4Kが主流なっていくでしょう。一方で、個人でやろうとしている、少人数で作っている人たちもそこに近づきつつあって、逆転して4Kで自主上映する人たちがきっと現れる。そうなると、既成の映画の作り方や見せ方というのは、当然変わらざるを得ないでしょう。

観る側についても、これまで映画館という場所で映画を観る、不特定多数の人が一同に会して、暗い空間にみんなが集まって物語を観るというのがひとつのかたちだった。それがテレビが出てきて茶の間になって、次は個人個人がモニターで観るようになった。選択肢は増えたけれど、こういう時代に映画とはどういうものなのか、ということを考えていかなければいけないと思います。

(インタビュー:浅井隆、構成:駒井憲嗣)



栗田豊通(シネマトグラファー) プロフィール

1950年生まれ。鈴木達夫氏に師事後、1982年にAFI(アメリカン・フィルム・インスティチュート)シネマトグラフ学科を卒業。大島渚監督、三池崇史監督、アラン・ルドルフ監督、ロバート・アルトマン監督作品の撮影など国際的に活躍。江戸川乱歩賞受賞作を生田斗真主演で映画化された『脳男』の公開を控えている。映画芸術科学アカデミー会員。




webdice_SBS_sub_01
映画『サイド・バイ・サイド:フィルムからデジタルシネマへ』 (c)2012 Company Films LLC all rights reserved.

映画『サイド・バイ・サイド:フィルムからデジタルシネマへ』
2012年12月22日(土)渋谷アップリンク、新宿シネマカリテほか、全国順次公開

監督:クリス・ケニーリー
プロデューサー:キアヌ・リーブス、ジャスティン・スラザ
撮影監督:クリス・キャシディ

出演:
キアヌ・リーブス
マーティン・スコセッシ
ジョージ・ルーカス
ジェームズ・キャメロン
デヴィッド・フィンチャー
デヴィッド・リンチ
クリストファー・ノーラン
スティーヴン・ソダーバーグ
ラナ&アンディ・ウォシャウスキー
ラース・フォン・トリアー
ダニー・ボイル
公式サイト:http://www.uplink.co.jp/sidebyside/
公式twitter:https://twitter.com/sidebyside_jp
公式FACEBOK:http://www.facebook.com/sidebyside.jp

【公開記念トークゲスト決定!】
大林宣彦監督(この空の花)/本広克行監督(踊る大捜査線シリーズ)/犬童一心監督(のぼうの城)/入江悠監督(SRサイタマノラッパー)
日本映画界を牽引する監督たちは、このデジタル革命をどう語るのか!


2012年12月22日(土)12:30
ゲスト:大林宣彦監督(映画作家)
2012年12月22日(土)18:30
ゲスト:犬童一心監督(映画監督/CMディレクター)
2012年12月23日(日・祝)12:30
ゲスト:本広克行監督(映画監督/演出家・プロデューサー)
2012年12月23日(日・祝)18:30
『激論! 観客と映画館の新しいエンゲージメントを求めて』
ゲスト:入江悠監督(映画監督)、まつもとあつし(ジャーナリスト・プロデューサー)、櫛桁一則(シネマリーン/みやこ映画生活協同組合 支配人)、浅井隆(UPLINK代表)
詳しくは下記より
http://www.uplink.co.jp/movie/2012/2938

▼映画『サイド・バイ・サイド:フィルムからデジタルシネマへ』予告編


レビュー(0)


コメント(0)