骰子の眼

cinema

東京都 港区

2012-10-30 22:58


「異なる立場にいる両者が互いに手を差し伸べることを描いた希望の映画」

東京国際映画祭サクラグランプリ受賞『もうひとりの息子』ロレーヌ・レヴィ監督インタビュー
「異なる立場にいる両者が互いに手を差し伸べることを描いた希望の映画」
第25回東京国際映画祭グランプリを受賞した『もうひとりの息子』 (c)Rapsodie Production - Cite Films

第25回東京国際映画祭で最高賞の東京サクラグランプリと最優秀監督賞の二冠に輝いたロレーヌ・レヴィ監督の『もうひとりの息子』。速報ニュースでは、“昨年のグランプリ受賞作に続くフランス映画”という報道もあったが、製作国を一国に言及することにためらいを感じさせる作品だった。監督が、ひとつの国籍や民族、宗教的立場にかたよらないドラマ作りを意識していて、あえて多国籍なスタッフ陣で製作されたからだ。

レヴィ監督自身はフランス系ユダヤ人で、スタジオ撮りは一切せず、撮影はすべてイスラエルとパレスチナで行われ、いずれの地域からもスタッフが集められた。偶然撮影現場に居合わせた住民も、エキストラ参加しており、映画の撮影、製作自体が、ひとつのプロジェクトとして意味を持った作品とも言える。

物語は、イスラエル軍の入隊準備として血液検査を受けたヨセフが、自分が両親の実の息子ではないと知ることから始まる。ヨセフの実の両親は、ヨルダン川西岸出身のパレスチナ人であり、病院の手違いから出生時に、彼らの息子ヤシンと入れ違ってしまったのだ。二人がこれまで信じていた祖国と家族は、歴史上、自分と敵対する相手だった。映画は、突然にして崩れたアイディンティティによって揺らぐ二人の青年と、その家族の心情を、彼らの目線で丁寧に綴っていく。

彼らは、戸惑いながらも、少しずつ状況や思いをわかちあう。“対立構造”にある両者が近づいていった時、その悲劇は次第に喜劇の要素を帯びていく。この作品は、その平和に向かう快楽や“他者”とわかちあう心地よさを観客に疑似体験させ、長く膠着状態にあるイスラエル・パレスチナ問題に、新しい可能性の手触りを想像させる。この連載では、配給が決まっていない作品を取り上げることが原則だが、受賞発表前に監督のインタビュー取材を行ったこともあり、掲載に至った。

当事者性を越えて

──なぜイスラエル・パレスチナ問題を背景にした作品を撮ろうと思ったのですか?

もともとは、ユダヤ系フランス人の男性が書いた、数ページのアイディアをプロデューサーが持ち込み、シナリオに落とし込みました。私は、フランスで生まれ育ってフランスに住んでいる、ユダヤ系のフランス人です。宗教上の洗礼は受けてはいませんが。しかし、両親も祖父母もユダヤ人で、家族の多くは、ナチスの強制収容所で虐殺されました。だからこそ私自身はイスラエルの問題に大きな関心を持つのだと思いますし、注視しています。この脚本に出会って、現状パレスチナとイスラエルで起こっている問題に何か近づくことができるような扉を開けることができればと感じて、映画にしたいと思いました。でも私は政治家ではありませんし、謙虚に考えなければいけないと思いました。その土地に住んでいる訳でもありませんから、自分の立場をわきまえないといけないと思いました。しかし世界人として、映画監督として、ユダヤ人として、ひとつの地政学的な物語をみなさんに紹介したかったのです。昔むかし、あるところに、平和が可能な世界がありました、というような。

webdice_レヴィ監督
『もうひとりの息子』のロレーヌ・レヴィ監督

──たしかに、当事者性を超えて、現状の問題や事件をフィクションで描くということは、勇気と責任を伴うことだと思います。

私はユダヤ系フランス人ですが、イスラエルに住んでいる訳ではないので、「その私が、本当にこの問題を映画にしてもいいのか」という躊躇はありました。でも、自分自身が正直に語って、道徳的な面で、そして芸術的な面で、公平な目を持って撮ることができれば、問題はないと思いました。例えば、何かを密告したり、非難するといったような、政治的な映画にするつもりはまったくなかったので、両者が語っていることを映画に収める、そこから生じる可能性など、地政学的な物語を語りたいと考えたのです。この作品は、異なる立場にいる両者が、互いに手を差し伸べることを描いた、希望の映画です。

──この映画で印象的だったのは、音楽と笑いでした。歴史的、政治的に“対立構造”にある両者が、一緒に歌ったり、ユーモアを共有することで、次第に空気が緩み、近づいていくシーンでした。ヨセフが食卓で歌い出すシーンは感動的でしたが、あれは何という歌ですか?

あの歌は、パレスチナの古い民謡で、出来るだけシンプルなものを選びました。なぜなら、ヨセフが耳で憶えて、パレスチナの人たちと一緒に歌えるものでなければなかったからです。 そして、音楽は政治的な対立を超え、人を結びつける力を持つということを表現したかった。とても美しい歌詞の曲なのですが、ヨセフが知らない言語の曲を耳で覚えたという設定だったので、あえて翻訳の字幕を入れませんでした。

この映画において、音楽はとても重要な役割を担っています。アラブ人の偉大な音楽家で、ダファー・ヨ-ゼフという著名なジャズマンとコラボレーションをしています。彼の特徴は、ほとんど叫びのような歌い方をしています。彼は、若い頃にコーランの歌い手になるための学校に通っていたので、それが映画に効果的に反映されたと思います。

多民族スタッフとの
撮影現場

──日本人にとって、“ユダヤ人”の定義は、理解に難しい部分があります。映画の中で、ラビがジョセフに「ユダヤ人とは、信仰だけではない。それは“状態”でもあるのだ」という台詞がありますが、どういうことなのでしょうか。監督ご自身の見解を教えてください。

これまで受けた質問の中で、最も難しい質問ですね。ユダヤ人というのはとても古くからある部族で、キリスト教の歴史は今年で2013年ですが、ユダヤ教の歴史はアダムとイヴまでさかのぼります。しかし、その歴史は困難なもので、あちこちで土地を追われ、虐殺されてきました。そうしたユダヤ人というのは、信仰であり、ある状態でもある。その“状態である”という意味は、原則的に、母が伝承していくものということです。例えば、父親と母親がユダヤ人だと、子供はユダヤ人になります。父親が非ユダヤ人で母がユダヤ人なら子供はユダヤ人、父親がユダヤ人でも母親が非ユダヤ人なら子供は非ユダヤ人となります。

──それを聞くと、映画の中で、両家の親が、子供たちに自分の未来の選択をゆだねようとする行為が、また感慨深いです。ラストの台詞とパンが非常に印象的でした。どんな想いで演出されたのでしょうか。

最後のショットは、この話をどう終えたらいいのか、撮影中も、最後の最後までずっと考えていて、ようやく見つけたシーンです。谷の上にコンクリートの建物がある背景から、カメラがゆっくりとしたパンでまわしてきて180度に辿りついたときに、ヤシンが映る。その後はその逆で、オフでヨセフの声が入ってきて、カメラは背景を映し始めて、同じように180度までまわしたところで、本人が出てきます。両方を併せることで、360度になる。それは、まるで二人がひとつの円の半分ずつを占めているんだということをシンボリックに語っていて、ヤシンが自分の兄弟のようなヨセフに、自分を投影し自分の人生を任せるわけです。これは二人がアイディンティティを交換することにより、ひとつの平和を見つけるとともに、到達するということ。自分の人生や歴史も、相手に任せることによって責任も生まれるということを語っています。

webdice_The Other Son_sub1
『もうひとりの息子』より (c)Rapsodie Production - Cite Films

──撮影スタッフは、パレスチナ人もイスラエル人もいる多民族の混合チームだったと聞きました。大変だったことや、思い出に残っていることはありますか。

撮影チームはフランス人、イスラエル系ユダヤ人、イスラエル系アラブ人、パレスチナ系アラブ人、キリスト教アラブ人など、さまざまな人種や宗教のスタッフがいました。撮影中、一番大変だったことは、パレスチナ人の家族を描くシーンのために、ラムラという村に行った時、村に住む住民が撮影を嫌がって、撮影を止めるよう、脅された時です。しかし、スタッフが話し合いに加わって、最終的に撮影することができました。

スタッフの間で印象深かったことは、それぞれイスラエルの人とパレスチナのスタッフが、撮影を重ねるごとに近づいていったことですね。はじめは、「おはよう」と挨拶は交わしているのですが、その後すぐにそれぞれの仲間へと分かれてしまっていました。けれど、撮影の最後になったら、一緒にこの映画制作という“冒険”をわかちあった仲間として、お互いを知り合って、似た者同士になったという印象を受けました。友人になったとまではいかないのですが、だいぶ近くなったのです。例えば、メイク担当のイスラエル女性は、2人子供がいるのですが、ガザという非常に危険な地域で兵役をしているんです。なので、子供たちの行方をいつも心配していました。そして、パレスチナ人の電気技師のスタッフには、同じようにガザで兵役をしている子供がいたんです。最初の頃は、二人の間には非常に距離感があったのですが、撮影の最後の方では、子供の写真を交換しあって、「やっぱり、こういう状態は終わりにしないといけないよね」と互いに話していて、それがとても印象的でした。

「民族間の争いを解決する唯一の方法は、自分のものだと考えているものの一部を、お互いに妥協することです」。
受賞後、そう語ったロレーヌ・レヴィ監督。日本での配給の話が進んでいるようだが、ぜひメイキングも一緒に公開されることを願うばかりだ。

(インタビュー、文、写真:鈴木沓子)



ロレーヌ・レヴィ プロフィール

芸術と法律を学ぶかたわら、1985年に劇団“La Compagnie de l'Entracte”を旗揚げし、7年に渡り、劇作家と舞台演出家として活躍。その後、映像作品の脚本を書きはじめ、30本ほどのテレビ、映画作品を手掛けてきた。2004年に自身の脚本による『The First Time I Turned Twenty』にて監督デビューを果たし、数々の映画賞を受賞した。07年には『London mon amour』を監督。『もうひとりの息子』は3作目にあたる。




『もうひとりの息子』

出演:エマニュエル・ドゥヴォス、パスカル・エルベ、ジュール・シトリュク、マハディ・ダハビ、アリン・オマリ、カリファ・ナトゥール
監督・脚本:ロレーヌ・レヴィ
原案:ノアム・フィトゥッシ
脚本:ノアム・フィトゥッシ、ナタリー・ サウジョン
プロデューサー:ヴィルジニー・ラコンブ、ラファエル・ベルドゥゴ
撮影監督:エマニュエル・ソワイエ
編集:シルヴィー・ガドメール
音響:ジャン=ポール・ベルナール
音楽:ダファー・ヨーゼフ
2012年/フランス/105分/フランス語、ヘブライ語、アラビア語、英語

▼『もうひとりの息子』海外版予告編



レビュー(0)


コメント(0)