骰子の眼

dance

東京都 目黒区

2012-10-16 22:29


「アートが広告を通してどのように操作するか、そしてどのようにその体系から逃れるか」

10/26、27シアタートラムで『万国博覧会/ワールド・フェアー』を行う振付家ラシッド・ウランダンに聞く
「アートが広告を通してどのように操作するか、そしてどのようにその体系から逃れるか」
(c)Patrick Imber

フランス気鋭の振付家ラシッド・ウランダンの公演『万国博覧会/ワールド・フェアー』が10月26日(金)、27日(土)シアタートラムにて開催される。アイデンティティーの考察をめぐり作品を発表し続けているラシッド・ウランダンは、ビデオアートと身体表現を融合させてきた。彼は今回『万国博覧会/ワールド・フェアー』で、個人のアイデンティティとナショナリズムの関係、そして氾濫する広告イメージが人々にどのような影響を与えるのかに迫っている。今回は初演が行われた2011年アヴィニヨン演劇祭でのインタビューとwebDICE編集部からのメールインタビューにより彼の言葉を紹介する。

イデオロギーを代弁する場となってきた芸術と理想的身体を素材とする

── この作品を創られたきっかけは何でしょうか?

2004年の作品『Les Morts pudiques(慎み深い死)』ではインターネット上で報道される様々な死をテーマにしています。多くの政治演説や大量のメディア映像が流れるその前で、それらの情報にすぐさま反応し苦悩する身体-情報と身体、この二つのぶつかり合いを舞台上で表現しました。私が面白いと思ったのは、ダンサーは複数のアイデンティティーを持つことができて、いくつもの顔を表現できる、それもたった一つの同じ身体でできる、というところでした。もともと少し前から身体の持つこの美的なコンセプト、“ポリフォニー”的な美についてもう一度取り組みたいと思っていました。様々な事件の断片をばらばらに切り貼りしながら身体を使って何か一つの形にしていきたかったのです。それで芸術の歴史と政治の歴史のつながりに興味を持ちました。

今回の新作『万国博覧会/ワールド・フェアー』では、『Les Morts pudiques(慎み深い死)』でテーマにした新しいソーシャル・ネットワークとは別のテーマを用いることにしました。“公的な美”についての取り組みがなされています。イデオロギーを代弁する場となってきた様々な芸術ジャンルと、“理想(模範)的身体”を素材として取り上げました。理想がどのようにして身体に“染み込む”のかを観察し、人々がそれに自ら進んで同化した時、反対にどうしても受け入れられない時、何が起こるのかを理解したかったのです。

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(c)Patrick Imber

── 歴史上の特定の時代、また特定の美のスタイルに関してアプローチされたのでしょうか?

いいえ、身体と権力の関わりの歴史をむしろ自由に旅しています。特定の美的傾向について研究したわけではないですし、いわゆる歴史上公認の美をカタログ的に並べたわけでもありません… 私は、例えば国家というのは時として、美化されたイメージを使って暴力を“容認”できるものに変えてしまうことで人々との信頼関係を保っていた、ということについて考えたのです。このような美の非常に誇張された面-しばしば栄光に輝き、仰々しく、もったいぶった身体のイメージですが-私にとっては振付の格好の材料なのです。音楽、照明の面でもです。これら理想のイメージは、絶対的不変性、見た目の完璧さをうたっていますが、私達の現実といえばまったくの正反対です。ですからこのギャップを表現すること、理想の身体を前に“凡庸な”身体はどう感化されていくのか、を見るのは興味深いことだと思います。

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(c)Patrick Imber

── 「芸術がイデオロギーを代弁する場となった」という認識について、例えばどのような事象や作品にそのようなことを感じますか?

特定のアート作品において、ということではないですが、歴史のなかで異なるイデオロギーをサポートする人による異なるアートムーヴメントはありました。私が言えるのは、社会主義的リアリズム(社会主義国において公式的とされる芸術の表現方法。社会主義を称賛し、人民を思想的に固め、教育する目的を持った芸術)やノヴォチェント(ファシズムの台頭した1922年、ムッソリーニのシンパだった美術評論家M・サルファッティの呼びかけによりイタリア・ミラノに結成されたグループ)のような……、調和や誇張、粗さのなさをを賛美するアート・ムーヴメントはそうだと思います。

一番わかりやすい例はスターリン政権時代、理想の身体とはおよそかけ離れた身体、生活をしていた人民に推奨されていた社会主義リアリズム* の理想美でしょう。私はいわゆる絵葉書的な完璧な美しさや、ファシズム的画像の足跡(イタリア未来派の速度に対する熱狂と機械に対する礼賛、とも考えられますが)について調べました。そのようなイメージは集団的無意識の種を植え付けるものだからです。ですが私は独裁体制にだけ興味があるというわけではありません。保守、自由、革新…どんな社会であれ、芸術を単なる副次的産物と考える社会が発展したためしはありません。ゆえに私は、より狡猾な権威体制、すぐにはそれとわからない、いわばサブリミナル的な策略というものにも興味があるのです。

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(c)Patrick Imber

公的メッセージがどのようにして私達の行動に影響を及ぼしていくのかを理解したい

── 個人的体験の中に登場する政治というのは、あなたの全作品をつなぐ横糸のようなものですが……これまでの作品では、ドキュメンタリーに近いアプローチで集められる多くの歴史的、社会的要素が作品を形づくっていきましたが、この『万国博覧会/ワールド・フェアー』はそれとは違っているのですね。

確かにこの作品の中では『Surface de reparation (修復の表側)』や『Loin…(遠くで)』の時のようなインタヴューもありませんし、特定の小さな世界に限った話でもありません。ここでは何よりもその内側にある芸術的な側面を汲み出したかったのです。これはわかっていただきたいのですが、私は歴史的な事柄を舞台上で解説したり批判することに全く興味はありません。私は、政治構造というものがどのようにして人の感性を作り上げていくのか、公的メッセージというものがどのようにして私達の行動に影響を及ぼしていくのか、を理解したいのです。例えば『Des temoins ordinaries(ありふれた目撃者)』(2009 年)は、拷問や残虐行為の犠牲になった人達へのインタヴューをもとにした作品ですが、拷問そのものを非難したかったわけではありません。拷問の行為そのものではなく行為が後に及ぼす影響-人格の再構築、記憶、私達がそのような苦痛の体験談を聞いて受け入れることができるか(あるいはできないか)についての取り組みでした。このテーマにふさわしい特別な舞台装置を創るのは難しい作業でした。

『万国博覧会/ワールド・フェアー』は、現代社会の広告イメージを模倣して、それらがいかに有害で非人間的なものかを示すものではありません。私は広告メッセージそのものには関心がないのです。私の興味は、それらのイメージに人はどのように影響されるのか、イメージが徐々に人々の身体に“痕跡”を残していく、こういった現象はなぜ起こるのか、というところにあるのです。

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(c)Patrick Imber

── 個人と政治のつながりは演劇で非常によく取り上げられるテーマです。この問題に対してダンスがもたらしてくれるものは何でしょうか?

この主題に関して、言葉による表現と身体による表現は相反するものだとは思いません。むしろ補い合うものに思えます。私の作品では必要だと感じれば言葉を使うことがあります。でも私は“ダンス出身”なので、言葉によらない表現空間に細心の注意を払います。

私は証言、歴史的現象あるいは政治的事件をもとにして、通常ならば分析的な発言、表現を求められる場で、いわば感覚浴(身体、照明、音響、空間を使って)、一種の恍惚状態を創り出そうとしているのです。それは演劇的表現とは異なりますが、理解するためのもう一つの手段です。私はよく振付家メグ・スチュアートのこの言葉を思い出します-“私の仕事は言葉がついえた、その場所から始まる”。政治の歴史は、必ず何らかの“形”をとって体現されています。それは先に述べた“理想の身体”でもあるわけです。大衆の問題は政治と結びついています。政治は(国家権力と)人々との間の身体的調和、(メッセージに対する)人々の呼応を作り出しているのです。政治史だけでなく社会史、イデオロギーもまた、絵画、建築、音楽……に内在しています。

すべてのアート、メディアが関与しているのです。『万国博覧会/ワールド・フェアー』では作曲家のジャン=バティスト・ジュリアンと共に(舞台でも演奏してくれます)、多くのドラマを込めて作られる国歌について、音楽が知覚を操る方法について、どのようにして音が陶酔状態を作り出すか、人々を結びつけ、引きずり込むかについて取り組みました。例えば、作品中ではいくつもの国歌の断片をコラージュのように切り貼りして使用しています。

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『万国博覧会/ワールド・フェアー』に参加する作曲家のジャン=バティスト・ジュリアン (c)Patrick Imber

『万国博覧会/ワールド・フェアー』はイメージの役割が重要なテーマ

── この作品が今の時代に共鳴するものは何でしょうか?

近年の歴史では、例えば人気のロック歌手やアメリカ映画スターの写真、またイメージで多くの人を惹きつけ、それが理想の身体だと思い込ませたり、立ち振舞いまで強制してしまうことができます。現代ではいわゆる個人崇拝はスポーツ選手やショービジネス界のスターに対して見られます。個人のイメージが大衆の注目を集めることができるのは今の時代も同じです。ですが現在では時に、より狡猾な手段でイメージが届けられているのです。

そういうわけで新しい情報とコミュニケーションの手段に注目しています。例えばインターネットは“うわさやつぶやき”を簡単に世の中に広めてしまいます。この新しいメディアは新しい方法で身体を感化するのです。作品『万国博覧会/ワールド・フェアー』の重要なテーマは“イメージの役割”です。感化されてしまうような危険なイメージとそうではないものがあるのはなぜなのでしょうか? インパクトと誘惑がすべての情報過多時代において、どうやってイメージを疑い危険を避けることができるのでしょうか? 実のところ、それは人が魅惑される過程についてを知ることであり、それを知り、その効力を失くしてしまえるかどうかにかかっているのです。

── 政治構造と人の感性の関係をテーマにされていますが、私たちはなかなか日常で政治をイメージしにくいものだと感じます。日常と政治が繋がっているということを認識することは非常に大切なことだと思いますが、今作『万国博覧会/ワールド・フェアー』においては、その部分はどのように表現されているでしょうか。

ひとつひとつのシーケンスは、宣伝イメージを通してステージの上で正確に示しています。広告イメージを見る難しさや脆弱性を、オフィシャルな芸術表現からおかしな挙動にいたるまで、すべてのパフォーマンスにおいて緊張感を維持するようにしています。

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(c)Patrick Imber

── 日本でも広告の消費への脅迫的なイメージはますます強まっているように感じます。その危機感を現在の社会で感じることはありますか、またそれを身体表現でどのように表したいと考えていますか?

宣伝に奉仕するアートは、影響を与えること、そして大衆の心を管理することに捧げられ、それはまた広告の目的でもあります。そして私はそれが事実だということを提示したいのではありません。私が行いたいのは、アートがどのように操作するか、そしてその体系から逃れるか、ということです。そのために私は音楽、照明、そして肉体表現と舞台上のあらゆる装置を使います。

── 今作がいま日本で上演されることの重要性を、ウランダンさんはいまどのように感じていますか?

今回が私の公演を日本で見ていただく最初の機会なので、とても楽しみにしています。東京のオーディエンスからの多くの期待による反応をとても知りたいです。

(構成:駒井憲嗣 ※2011年アヴィニヨン演劇祭でのインタビュー採録とwebDICEからの質問によるメールインタビューで構成)




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(c)Patrick Imber

ラシッド・ウランダン プロフィール

振付家としてエマニュエル・ユイン、オディール・デュボック、エルヴェ・ロブら様々なアーティストと共に創作活動を行う。1996年にジュリー・ニオシュとアソシエーション、ファン・ノーヴァンブルを共同で結成。2007年にカンパニーL'A.を創立。以降、ダンスとドキュメンタリーの境界を越えた新しい相関性を創りだしている。




『万国博覧会/ワールド・フェアー』
2012年10月26日(金)19:15開場/19:30開演、
10月27日(土)14:45開場/15:00開演

会場:シアタートラム
チケット(整理番号付自由席・税込):学生・会員3,000円/前売3,200円/当日3,500円
世田谷パブリックシアターチケットセンター及び
アンスティチュ・フランセ東京にて発売中
アンスティチュ・フランセ東京(旧東京日仏学院)[予約/販売]03-5206-2500
世田谷パブリックシアターチケットセンター 03-5432-1515
劇場オンラインチケット(要事前登録)
パソコン http://setagaya-pt.jp/
http://www.institut.jp/ja/evenements/12066

構想/振付:ラシッド・ウランダン
音楽:ジャン=バティスト・ジュリアン

制作:カンパニーL’A.
共同制作:ボンリュー(アヌシー)、パリ市立劇場、ミュゼ・ドゥ・ラ・ダンス(レンヌ)、オープン・ラティテュード(ダンス・演劇フェスティバル)
主催:アンスティチュ・フランセ東京
提携:公益財団法人せたがや文化財団 世田谷パブリックシアター
後援:世田谷区
助成:アンスティチュ・フランセ

       


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