骰子の眼

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2012-08-05 20:00


「自己満足より、褒められたい」生瀬勝久インタビュー

現在公開中の映画『スープ~生まれ変わりの物語~』主演の生瀬勝久氏インタビュー
「自己満足より、褒められたい」生瀬勝久インタビュー

厳選シアター情報誌「Choice!」との連動企画"Artist Choice!"。「Choice!」本誌にはインタビューの他にもさまざまな映画・演劇の情報が満載ですので、是非あわせてご覧ください。

現在公開中の映画『スープ~生まれ変わりの物語~』で主人公を演じる俳優・生瀬勝久氏のインタビューをお届けします。

webDICEの連載・Artist Choice!のバックナンバーはこちらで読むことができます。




シワ、汚れ、無駄がポリシー

父ひとり、娘ひとり。そんな生活を送っていた中年男が天災で事故死。娘と気持ちがすれ違ったまま逝ってしまった彼は、彼女に想いを伝えるために、あの世である決断を迫られる――映画『スープ~生まれ変わりの物語~』で主人公を演じている生瀬勝久は、特異な状況下における人間のリアリズムを体現している。言ってみればそれは、完璧な虚構から滲み出てくる感情の機微である。

「僕自身とすれば、いろいろなことを思うわけですよ。僕なりの死生観はありますから。僕はあの世はないと思ってる。だから、これは"ありえないこと"なんですよね。あの世で現実のことを考えるなんてことは、思いつかないんですよ。つまり僕にとっては"ないこと"。ただ、僕がするのは"演じる"ということですから。今回の映画は、それが"ある"という設定で。でも、演じるということ自体、どこかウソですから。"え?あの世?"なんて思ったら先に進めませんよ」

つまり、世界観を受け入れるということ?

「演じること自体がそういうことですからね。自分じゃないわけですから。自分のなかの引き出し、つまり自分の経験も加味することはあるんですけど、観てるひとが"ウソ"って思った時点で僕らの仕事はダメになるわけで。こういうときにはどういう行動をするのか。どういう話し方をするのか。どういう表情をするのか。そういうことを演じるしかないんですけど」

フィクションというものについて考えさせる映画である。フィクションにはフィクションにしか伝えられないことがある。俳優はそれをテーマやメッセージとしてかたちにするわけではない。あくまでもその世界に存在する人間としてきめ細やかに表現する。その結果として何かが伝わる。そこではいったい何が起きているのだろうか。

「監督さんが、リアリズムに見せるための努力をされてると思うんですよね。あの世を、みんながイメージするあの世にはしなかった。こういう世界も、あるのかな?と思わせるような造型になっています。僕としては、演じる上で、いちばんの近道を通らなかったことかな」

近道を通らない。いきなり、核心を衝くような一言がこぼれ落ちる。

「僕の芝居は、どれだけシワを作るか、汚れをつけるか、つまり、どれだけ無駄なことを入れるかってこと。汚しの芝居なんですよね(笑)。僕はこういうビジュアルですし、実際にこういう風に生きてるんですけど。その僕というものは、リアルじゃないですか。リアルなものっていうのは、どういうものなのか。それは無駄な動きをしていることだと思うんです。それが僕の芝居をする上でのポリシーで。たとえば、わざと足踏みしたり。ここでダッシュしなくてもいいじゃないか、というところでダッシュしたり。たぶん、そういう演技プランが、他のひととは違うところだと思うんですけどね。無駄に大きく声を出したり、あるいは、聞こえないくらいの声を出してみたり。それはやっぱりセオリーではなくて。そういうのが楽しくてしょうがないんですよ」

Artist Choice! 生瀬勝久


台詞を覚えず、自分を浮遊させる

生瀬勝久の演技には、演じ手が意味を確認していくような悪しき「もっともらしさ」が見当たらない。もちろん発せられる台詞=言葉には意味がある。映像=画にも意味がある。しかしながら生瀬がそこに居ることそれ自体は意味に陥らない。

「台詞って、作家が、ものすごく考えて書くんですよ。たとえば、ちゃんと(言葉の)韻を踏む作家さんもいらっしゃいますし、この言葉をどれだけ素敵に聞かせるかということを考えるひともいる。でも、普段の会話のなかで、そんな時間はないんですよ」

日常のなかで、ひとは考えに考えた末に何かを言っているわけではない。

「相手がどんな話をしてくるかわからないじゃないですか。そうなると、こっちは、はずみ車で(ある種の勢いで)しゃべってる場合もある。借りてきた言葉でしゃべっていることもある。それがリアルじゃないですか。ということは、台詞は練習しちゃいけないんですよ。本当は、相手のある質問に対して、そのときに返事をしなきゃいけない。それを目指すんです、僕は。だから台詞はちゃんと覚えない。覚えないっていうか……台詞の内容は"入れます"よ。たとえば、そこで韻を踏んでしゃべったら、歌になるじゃないですか。ミュージカルにしても歌舞伎にしても、そこに理想のかたちがあるわけだけど……会話っていうのは、そういうものじゃなくて。絶対、流暢ではないし、ノッキング(スムーズにしゃべれないこと)もするし、勢い余って自分の気持ちより先に言葉が出る場合もあるし、噛むし。だって、普段こうやってしゃべっていても、身体が頭に追いついてないですよ(笑)。それが本当の会話だと思う」

生瀬の芝居にはときに、その場で求められている意味を、大きく超えている瞬間がある。それは逸脱ではない。超越である。そのような明確な超越が、生瀬の表現からは感じられる。

「それは僕が楽しんでいるときなんですけど。スタンダードと思われる芝居のところから、自分を浮遊させる。それはもう、わざと(笑)。それは僕の技術(笑)。自分にウソをつくんです。やっちゃいけないことを途中でやる。それをセレクトするひとはあんまりいない、っていうことをやる。でも、そればっかりやってたら面白くない。きっちりと、ちゃんと、たとえば校長先生のように、お話をする。それもやらないといけないこと。そうでないと変化球も生まれない。緩急というか。まったくの暴投であったりとか、牽制球であったりとか、でもピッチングっていうのは基本やっぱりストレートですからね。ど真ん中ストライク、っていうのをきちっとコントロールよく投げられなきゃいけない。あるいは、本当にど真ん中に投げちゃいけないときに、ど真ん中に投げるとかね。それをどのように見極めるのか。そういうことを僕は家では考えずに、その場の体調とかで(笑)決めるんで、つかみどころがない……役者なんでしょうね。体調は大きいと思います。前室(楽屋など)で盛り上がったまま(撮影)現場に入って、その調子でやっちゃったりとか(笑)」

言葉を超えた音が、琴線に触れる

スポーツの世界に「メイクドラマ」という言葉がある。だがそれはアスリートの本道ではない。彼ら彼女らにとって、それはアクシデントのようなものだ。だが、役者は「メイクドラマ」が日常である。つまり芝居は「勝つ」ためになされているわけではない。

「自在にできる役者になりたいですね。いや、自在な役者になりたいですよ、ほんとに」

同じ現場はひとつもないだろう。ひとつの現場も刻一刻と変化する。そうした流動性のなかで自在でいるためには、どうすればいいのか。

「……誰にも文句を言われないような役者になることでしょうね。それはありえないですけど。いやいや、そんな大それたことは考えてないんですが……お芝居は楽しいですね。うまくできれば、うれしいですね。あと、なんか、褒められたいですよね。そりゃそうですよ。誰だってそうでしょう。何かをしたときに褒められるのはうれしいですから。なかなかひとって、褒められないですよね。僕も褒めないし、ひとのこと。だから……褒められるためにやってるんじゃないですか。自己満足だとやっぱり、よくないでしょ。自分が面白ければ、とか、自分が楽しければ、というのは、趣味ですからね。それは仕事ではない。やっぱり、たくさん褒められることが、その仕事の結果だと思う」

それはつまり、芝居が「見られるもの」だからだろうか。

「見られるものだし、見せているものでしょ? 見せているものだから、やっぱり、僕らが提供するものに対して、何か動いていただきたいなと。もちろんお金を払っていただいてるわけだから、それにも応えたいし、プロの技を見たとか、あの話が本当に見えたとか。なんでもいいんですけど」

さて、生瀬の芝居が意味を超えるというのは、何も彼が突拍子もないことをやらかす、ということではない。発せられた言葉の意味に規定されない、人物の命や呼吸がそこに出現する、ということだ。それは「そのひとが、いま、生きている」という状態のクリアな提示でもある。

「舞台観に行ったり、映画観に行ったりして、ワード(言葉)が僕のなかに残る場合もあるんです。でも、もっと印象的に残るのが、叫び声であったりとか、動きであったりとかする。しかも、話とはまったく関係のないある瞬間。それが舞台の、いちばんの印象だったりするんですね。それを計算してやっているものがいちばん心地よいんですよ。で、僕もそういうものがやりたい。僕、ひとつ印象に残っているのは、『贋作・罪と罰』っていうNODA・MAPの公演の初演(1995)に出たんですけど、その再演(2005)を観たら、松たか子さんが叫ぶシーンがあって。再演で野田(秀樹)さんは松さんに、あーっ!っていう声を出させた。それがいちばん印象に残ってて。どんな話か云々よりも、あの松さんの声が、うれしいやら、悲しいやら。とにかく気持ちが高ぶって。そんなふうに、このために俺は金(チケット代)払ったんだ、というようなことが、ときどきあるんですよね。映画で言ったら、『ゴッドファーザー』の声のないシーンとか。言葉を超えた音、みたいなものが琴線に触れる。それを意図して(音として)出させるっていうのは、ものすごく高度なことだと思うんですけど、『贋作~』のときには野田さんにそれをヤラれました。あそこで叫ばせた、っていうね。あれは、すごい演出だな。あれだけシンプルなことを計算してできるっていうのは、本当にすごい。とにかく、言葉を綺麗に、きちんと伝えることも大事なんだけど、いろんなことで表現というものはできるし、それをこれからも探求していきたいなと思っております」

Artist Choice! 生瀬勝久


なぞるな、探るな、バイブルはいらない

声とは身体の音でもある。そのような音に遭遇するとき、私たちは理屈を超えた感動に出逢うことにもなる。

「たぶん、それは用意しちゃ、いけないものでしょうね。もちろん、心づもりというか、準備はいると思うんですが、でも、"探る"といけない。リハーサルのときにできたものが良かったな、なんて思っちゃいけない。そうすると、なぞるんで」

芝居とは、再現ではない。

「リハーサルであんまりいいものが出てしまってはいけない。これは永遠のテーマですね。そうなると、もうね、毎回違うことやればいいんですよ。"いいもの"というのを、あまり自覚しないっていうか。もし、それらしきものが出たとしても、一応、引き出しに少し入れとくだけにして、そのあとは、どんな感じであろうと、気持ちと、そのときの声が、合っていれば正解っていうぐらいにしておくしかない。絶対、なぞりたくはないんで。ただ、共演者は困るでしょうね。それは申し訳ないとは思います。でも、これが僕のスタイルなんで。ほんと、申し訳ないんですけど(笑)」

しなやかで揺ぎない俳優を前にして、つい書き手のひとりとして、人生相談めいたことをしてしまう。わたしたちは、ときに俳優の演技の素晴らしさを記そうとする。それを伝えようとする。しかし言葉を費やせば費やすほど、比喩を用いれば用いるほど、それは遠ざかる。そして、しばらくしてから気づくのだ。それは、言語化できないものなのだと。

「もし、できた、とか思ったとしたら、そのときは疑ったほうがいい(笑)。表現できた、とか思ってしまったら、それは危機的状況なのかもしれない。怖いですよ。それが正解だとか、すべて表現できた、なんて思うと。そうなると、もうバイブルになっちゃうんで。ちょっと、危ない。もうその先がなくなる」

「書く」ということに関しては、こうも。

「自分で戯曲を書くときに思うんですが、本当のこと、ストレートなことを書いてしまうと、その先はなくなる。ストレートなことを書く場合、それはもう借りてくるしかないなって。ひとの言葉を。もちろん、そもそも言葉っていうのは全部、ひとのものなんですけど。自分の言葉っていうのは、たぶんない。言葉を愛おしいって思うよりも、これはいい言葉ですよね、みんなで共有しましょう、っていう感じになればいいんじゃないですかね」

すべての言葉は借り物である。だったら、その言葉を慈しむのではなく、解き放つべきだと思う。誰かが手にとれるものとして。生瀬が言った「見られるものだし、見せているものでしょ?」もそういうことだし、「褒められるためにやっている」もそういうことだと思う。ほんとにそう思う。

「僕はこういうことを、取材でしか話さないんですよ。お酒も飲まないし、あまり酒の席にも行かない。何ヶ月かに一度、こういう場で、ひとと、自分の思ってることをまとめて話す機会が、僕のなかで非常に健全な活動なんです。いま、自分が何を思ってるのか。想いを言葉にするっていうのが、訓練になっている。ああ、俺、いま、こういうことを思っているのか、と」

生瀬勝久は、会話をしていた。用意してきた言葉を「なぞる」のではなく、本当の会話をしていた。

取材:相田冬二 撮影:taro


生瀬勝久'S ルーツ

やっぱり、両親ですよ。遺伝と環境で、いまの僕のすべてがあるので。この容姿、体力、両親のくれた環境、教え。そういうものがベースになってます。ポジティヴシンキングであったり、どこかだらしなかったり。そういうのも、全部親の責任(笑)、いや、親のおかげです。

生瀬勝久(なませ・かつひさ)プロフィール

1983年劇団に入団。1988年4代目座長に就任後は、脚本家、演出家としても活躍。退団後は、舞台、映画、TVドラマ、ラジオ、CMなどさらに活躍の場を広げ、唯一無二の存在として注目を浴びる。最近の主な作品に舞台『PRESS ~プレス~』、映画『カイジ2』『ステキな金縛り』、TV『サラリーマンNEO』(NHK)『ストロベリーナイト』(CX)『リーガル・ハイ』(CX)『ゴーストママ捜査線』(NTV・7月より放送)などがある。7月7日(土)より主演映画『スープ~生まれ変わりの物語~』が公開。




『スープ~生まれ変わりの物語~』

うだつのあがらない中年男性の渋谷健一は、何をやるにも生気が感じられない。妻とは5年前に離婚し、それがきっかけで娘の美加とはギクシャクする日々を送っていた。 美加が15歳の誕生日を迎えた翌日、出張中の渋谷と、上司の綾瀬由美の頭上に突如、落雷が直撃。目を覚ました二人が立っていたのは死後の世界だった…。

この世界には伝説のスープというものがあり、そのスープを飲めば来世に別人として生まれ変わることが出来るというが、その代わり、前世の記憶はなくなってしまうのだという。 死んだ今でも娘のことが気がかりな渋谷は、前世の記憶が失われるというスープを飲むことをかたくなに拒否するのだが…。

監督・脚本:大塚祐吉
出演:生瀬勝久、小西真奈美、刈谷友衣子、野村周平、広瀬アリス、橋本愛、大後寿々花、山口紗弥加、伊藤歩、羽野晶紀、古田新太、松方弘樹 他
公式サイト


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