骰子の眼

cinema

東京都 渋谷区

2012-06-16 21:51


「今の日本はもっと怒って、叫んでいいはずなんじゃないか」

“ダメな自分”を描いた初の長編作品で、ゆうばりで史上初の4冠に輝いた『くそガキの告白』鈴木太一監督
「今の日本はもっと怒って、叫んでいいはずなんじゃないか」
『くそガキの告白』より

今年のゆうばりファンタスティック映画祭で、審査員特別賞、シネガーアワード賞、ベストアクター賞(今野浩喜)、ゆうばりファンタランド大賞人物部門と、史上初の4冠に輝いた『くそガキの告白』。キングオブコメディの今野浩喜を主演に迎えた、鈴木太一監督の初の長編作品で、映画業界に入ったものの、なかなか自分の撮りたい作品を撮れずに葛藤していた時代の監督本人を描いた、半自伝とも言える。6月30日からテアトル新宿で始まるロードショーを控えた今、鈴木監督の素顔に迫るべく『くそガキの告白』を撮るまでの軌跡について聞いた。

篠原哲雄監督との出会い

──映画の道に入ったきっかけは?

もともと、特に、映画青年という訳ではなかったんです。昔から書くことは好きだったので、遊びで、詩や小説を書いたりしてましたけど、まず映画を撮ろうという発想すらなかったというか。ただ浪人中に、テオ・アンゲロプロスの映画を観て、“いかにも芸術系”な映画を観たのが初めてだったので、「映画には、自分の知らないジャンルや世界があるんだなぁ」と思いました。それが、きっかけと言えばきっかけでしょうね。

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鈴木太一監督

でも大学に入った時も、映画監督になりたい!とかもなく。大学には映画サークルもいっぱいあったけど、歴史サークルとプロレスサークルに入りました。すぐやめたんですけど。その頃は「自分が映画を撮れるわけがない」と思い込んでた。
大学は早稲田の第二文学部だったので、ドキュメンタリーの授業でインタビューを撮ったりして、「紛争地で取材するビデオジャーナリストの仕事はいいなぁ」と漠然と思い、就職活動では、テレビ局を受けたんですけど、受かるわけでもなく。

結局、卒業は9月でした。半年ダブっちゃった。そんな時に、映画館に行ったら、ENBUゼミナールという映画の専門学校のチラシを手にとっちゃったんです。「キミも1年後には映画監督としてデビューだ!」って書いてあって、なんだこりゃと思って。就職も決まってないし、大学卒業したら、今後どうしようって迷って切羽詰まっていた時だったんですけど、さすがに、これからまた学校に行こうという発想はなかった。でも、周りを見ると、専門学校に入り直すという人もいたし、当時は学費も安かったので、ワークショップに参加する感じで通うのもいいかなと思って、入学しました。

入ったのは映画監督コースで、講師は篠原哲雄監督。ENBUでは、とにかく技術的に何を教わったというよりも、篠原監督の存在感や、ある種のカリスマ性に触れたことが大きかった。面倒見がよくてオーラもあって、その喋りや発言にも魅了されました。サービス精神も旺盛な人なので、授業も終電ぎりぎりまでやってくれて、そこから「みんな飲みに行くぞ」って。その時期、篠原さんも現場に入っていなかったから時間的に余裕があったんでしょうね、普通授業ってコマ数決まっているんですけど、それを超えてまで生徒につきあってくれて、みんな篠原さんが大好きだった。そこで映画仲間に出会えたことも大きかったんですけど、それも今思うと、篠原哲雄という人の存在が大きかったと思う。

同期だったのは、『お姉ちゃん、弟といく』の吉田浩太や『君の好きなうた』の柴山健次、『ほんとにあった怖い話3D』の室井孝介。映画をやめた人も少なくないですけど、映画業界にいる人は多い。だから自分も(映画を撮り続けることを)辞められなかったんだと思いますね。お互いすごく仲がいいという訳ではないけど、常にみんなが頑張っている情報が耳に入ってきていましたから。そういう人たちに出会えたってことが、映画学校に入って一番よかったですね。

「社会派」への憧れ

──卒業制作はどんな作品でしたか。

ストーリーはあまりなくて、9・11から1年経っても、そのことで悩んでいる女が、繁華街を歩いているという作品。生徒が撮った作品を全部お披露目して、監督コース以外の生徒にも見せて、投票する学内コンペがあったんです。そこで、吉田とかは、結構票が入って5位くらいだった。あと、岩田ユキさんが人形劇のような、その頃から技術的に高い作品を撮っていて、そういう中で自分はというと、まったく票が入らなかった。結構、真面目に作ったんですけど。
卒業制作は、『犯行声明申し上げます』という作品で、戦場カメラマンの父を亡くした男が殺人を依頼されて、妙な女に出会って、最後は若者たち皆で国会議事堂に向かって、手榴弾を投げるんです。尺が35分くらいあるんですが、本当に何の笑いもないし、かと言ってシナリオが良く出来ている訳でもなく、ちょっと社会派ぶってるだけで、皆に「何の話だかよくわからない作品」って言われました。今(自分で)見てもそうだろうなって思います。しかも、国会議事堂でのゲリラ撮影も、始めは1カットしか撮らないつもりが最終的に何カットも撮っちゃって、チーフ助監督の吉田(浩太)なんて、最後、怒ってました。「やめてください、ほんと」って。
いまでこそ僕は、「映画で人を笑わせたい」っていう想いがあるんですけど、当時は、詩人っぽく格好つけていたというか、モノローグで語って、ちょっと社会のことを考えますって言う作品ばかり撮っていたんですよ。

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『信二』より

──社会問題に興味があったのですか。

というより、長谷川和彦監督の『太陽を盗んだ男』とか、若松孝二監督とか、その他わかりやすい反権力の人たちや、学生運動の人たちに興味があって、「社会派」に憧れてたんでしょうね。
けど、社会問題も、突き詰めて言うと、別にそれを映画でやらなくてもいいと思ったんですよ。それより何より、ほんと自分のそういうスタンスが嫌になっちゃって。ジャーナリストでもないし、エンターテイメントでもなく、かといって、芸術性があるわけでもなく、シナリオが優れているわけでもない。そんな作品しか撮れない。

ENBUを出た後は、自主映画や低予算の商業映画の助監督の仕事をちょこちょこやってたんですけど、現場に入っても、助監督の仕事もちゃんとできなかった。まず、基本手先が人の何倍も不器用でカチンコが打てないから、もうその瞬間から嫌になっちゃって。商業映画の大きい現場に入ることが出来ていたら別なんでしょうけど、小さな映画の現場では、誰もちゃんと教えてくれる人もいなかった。しかも、自分自身の将来が見えない時に、人の作品を手伝って、いったい何やってるんだろうって。

じゃあ脚本を書いてコンクールに応募しようと思っても、全然面白いものが書けなくて、どこにも引っかからない。はじめの頃に描いていた、妙に社会派ぶった作品は嫌になっていたから、少しずつコメディ要素もある明るい作品を書きはじめていたんですけど、そういうのを書いていると、「鈴木さんも、変わっちゃったね」、「昔は『犯行声明申し上げます』なんて、とんがった作品書いてたのに、丸くなっちゃって」なんて言われてた。

人を怖がらせるより笑わせたい

──エンターテイメントへと切り替わったきっかけは?

背伸びをやめたってことなんでしょうね。作品は評価されないし、映画祭に出しても何の反応もないし、脚本書いても賞は獲れねえし、かと言って助監督の仕事もちゃんと出来ねえし。どうして“映画をつくりたい”なんて思い始めちゃったんだろうって思いましたよ。道を踏み外したんじゃないか、とか。同期がどんどん活躍していく中、焦りもありました。
でも、なんで映画を撮るのかっていうと、やっぱり「映画で人を楽しませたい」っていうことなんだって、どこかで気づいて。そこで肩の力が抜けたんですかね。ENBUに居た頃は、自分の作品が劇場で上映されること自体を目標に作っていたのかもしれません。ある意味、自己満足。その後もずっと「何を撮ったらいいのか」迷っていたんですけど、ある時コメディ寄りのシナリオを書きはじめたら、すごく楽しくて。
そんな時に、パル企画という会社から、“今までの実績関係なく、『怪奇!アンビリーバブル』というシリーズで演出をやらせてもらえる”という話が舞い込んで。当時10年くらい前は、『ほんとにあった! 呪いのビデオ』がかなり流行ってた時期で、有名役者や有名監督じゃなくてもパッケージ感で作れていた頃なんですね。今もその風潮は残ってますが。

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『ベージュ』より

ENBUの同期の柴山と室井と僕とで一話ずつ、脚本から自分達で作りました。そこで何本か撮らせてもらいました。
でも、僕、もともと人を怖がらせることにあまり興味なかったんです。はじめは、仕事としてやらせてもらえるのが嬉しかったんですけど、怖いホラービデオが撮れなくて、どんどん笑わせる方向に行っちゃって、次第に悪ふざけが多くなってきちゃって。
でもやるからには面白い作品にしたいから、プロデューサーに怒られながらも、結構斬新なこともしてたんですけど、編集段階でダメ出しされて、どんどん切られて、最終的には中途半端な作品にしかならなかった。

その中でも、一番自分のやりたいことをやれた作品は、『怪奇!アンビリーバブル 闇の都市伝説』。「自分はこういうことやりたいんだ」っていうことを、初めて実感できた作品です。
ちょっと笑いが入っているフェイクドキュメンタリー。白石晃士監督はホラーを真面目に撮りながら、ちょっと笑いを入れているけど、僕の作品は、ホラーを完全に逸脱して、そこからラブストーリーになっていく。
視聴者からの反響もあったんですよ。アマゾンのレビューや2ちゃんねるでも感想が上がっていたり、『怪談サークル とうもろこしの会』っていう謎の2人組がいて、その人たちが作品を観て、僕の連絡先を探し出してくれて、わざわざ「おもしろかったです」と連絡をくれて。それまで、全然知らない人から作品の感想をいただいたことがなかったから、すごく嬉しかったですね。
しかも、その人たちが、ある製作会社を紹介してくれて、その会社の人が「鈴木さんらしい作品を思いっきり撮ってください」と言ってくれたんです。その頃、パル企画さんからは「鈴木君が撮ると、勝手にホラーじゃない作品にしちゃうから」と言われ始めて、まあ自業自得なのですが、作品が作りづらくなっていた時期だったので、嬉しくなって、プロットを書いて。

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『くそガキの告白』より

それで脚本を書きはじめた。そうしたら、わーっと自分のやりたいことが出てきて、止まらなくなって、全部ぶつけてしまって。
女性レポーターとディレクターの僕とのラブストーリーになっていくというストーリーなんですけど、「ホラー度が低い」と言われてしまった。でも、書いていて本当に楽しくなっちゃったんで、「いや、これをやりたいんです」って粘ったんですけど、プロデューサーは、「ちゃんとホラーをやりましょう」という方向に向かっていって……。
僕の色も出してくれるよう折衷案も出してくれたんですけど、結局それだと僕が撮る意味がなくなるから、「この作品は自分で自主でやりますから、今回はやめましょう」ということになった。これが後に『くそガキの告白』の原点となる脚本になりました。
その製作会社さんに対しては、ちゃんと企画にできなかったことを、すごく申し訳なく思いつつ、『くそガキの告白』を生んだきっかけにもなっているので、勝手に、とっても感謝もしてします。

「自分にしか撮れないものを撮る」という決意

──『くそガキの告白』は、自主制作ですか?

自分で制作費を捻出したという点では、そうですね。自分は借金をして、SUMIDA制作所の小林憲史さんとお金を出しあって撮りました。

──実際に撮ることになったきっかけは?

今、これだけ映画を撮る人がいて、何かの映画祭で、入賞したり、賞をもらったりする人っていっぱいいるんですよね。だから自分にしかできないこと、自分にしか撮れないことをしなくちゃ駄目だと思いました。それと、やっぱり映画で自分や社会や、何かを変えたかったんでしょうね。
ツイッターで、「映画が撮りたいけど金がねえ」とか愚痴っていたら、ある時、小林政広監督が僕に「そんなこと言ってちゃ駄目だ」、「金がないとか不満言ってないで、とにかく撮ってみろよ」って返信してくれたんです。特に僕は小林監督と面識なかったのに、すごくびっくりして。小林監督はとにかく自分の撮りたい映画を、自腹を裂いてでも撮り続けて、作品の内容はもちろん、海外でも高く評価されている監督じゃないですか。
その後も、小林監督はツイッター上で「金のことで悩んでるふりして言いたいことがない自分から逃げているんじゃないのか」、「言いたい事がなければ映画なんて作る必要なし、死ぬ思いだよ、映画作りは」と書かれていて、すごく動揺しました。そこで、初めて、“いま、自分にしか撮れないものを撮らなくちゃいけない”という決心がついた。そういう意味では、小林監督が背中を押してくれたというか、きっかけになったのだと思います。

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『くそガキの告白』より

──『信二』(2008年)『ベージュ』(2011年)など過去作品を観ると、鈴木監督の作品には共通して、“叫ぶ”登場人物が出てきますね。

叫んでいる人が好きなんですよ。多分、自分にそれができていないからなんだと思う。今の日本の社会を見ていると、もっと皆怒っていいはずなんじゃないかなって思うんです。だから次回作では、怒っている人を描きたい。それを、そのまま撮るというよりは、コメディの要素で描きたいですね。やっぱり、映画で人を笑わせたいんです。

そんな鈴木監督より、『くそガキの告白』の先行試写会にオールモストフェイマスの読者を先着10名にご招待!

また、次回オールモストフェイマス上映会では、『くそガキの告白』の原点である『怪奇!アンビリーバブル 闇の都市伝説』を含む3作品を、鈴木監督のセレクションで特集上映する『鈴木太一監督特集』を、6月27日(水)に、アップリンク・ファクトリーにて特別開催します。詳しくは告知ページまで。

(インタビュー・文・監督写真:鈴木沓子)



鈴木太一 プロフィール

1976年東京都生まれ。早稲田大学第二文学部卒業後、ENBUゼミナールに入学、篠原哲雄監督に師事。卒業後はフリーの助監督を経て、(株)エム・エーフィールドに脚本家として所属、劇場用映画やテレビドラマの企画に携わる。2008年やまなし映画祭特別招待作品『信二』が仙台短篇映画祭「新しい才能に出会う」部門に入選、東京ネットムービーフェスティバルで「田中麗奈賞」を受賞。2011年、311仙台短篇映画祭映画制作プロジェクト『明日』に参加、3分11秒の短編映画『ベージュ』(監督・脚本)を制作。同年、初の長編映画『くそガキの告白』(監督・脚本)を制作、2012年ゆうばり国際ファンタスティック映画祭で史上初の4冠を授賞。




『オールモスト・フェイマス-未配給映画探訪』連動企画・鈴木太一特集 開催決定!
2012年6月27日(水)渋谷アップリンク・ファクトリー

会場:渋谷アップリンク・ファクトリー
(東京都渋谷区宇田川町37-18 トツネビル1F tel.03-6825-5502)[地図を表示]
イベントの詳細は後日アップリンクのHPにてお知らせいたします


『信二』

実の母にさえ、兄の信一と間違えられる冴えない男・信二。一刻も早く抜け出したいと考えていた実家の民宿に、突然ミステリアスな美女が泊まりにくる。たちまち浮き足立つ信二だったが、それは世にもくだらない騒動の幕開けだった。2008年、仙台短篇映画祭にて「新しい才能に出会う」部門に選出。東京ネットムービーフェスティバルにて「田中麗奈賞」受賞。

監督:鈴木太一
脚本:田中智子、鈴木太一
出演:奥山滋樹、小出ミカ
音楽:田中淳一
(2007年/日本/12分)

『ベージュ』

女と男とティッシュとベージュ。311仙台短篇映画祭映画制作プロジェクト『明日』オムニバス作品。

監督・脚本:鈴木太一
撮影・録音:古屋幸一
出演:小出ミカ、太田正一
(2011年/日本/3分)

『怪奇!アンビリーバブル 闇の都市伝説』 (episode2,3)

一般視聴者から寄せられた恐怖体験をまとめた心霊ドキュメンタリーシリーズ。呪われた投稿心霊写真の数々を紹介し、その裏に潜む驚愕の真実に迫る。首なしライダーの写真に写る被写体の男性を訪ねに行く「もう一人の首なしライダー」、居酒屋で撮られた女性の写真から始まる「トイレの××さん」。『くそガキの告白』の原点になったホラードキュメンタリー。

構成・演出:鈴木太一
出演:深澤しほ
撮影:大谷将史
演出助手:遠藤大介、舛谷滋成
(C)パル企画
DVD発売・販売元:ブロードウェイ
(2008年)




『くそガキの告白』
2012年6月30日(土)よりテアトル新宿にてロードショー

馬場大輔、32歳。人よりブサイクな自身の顔に勝手に強いコンプレックスを持ち、いい歳して自分の苛立ちを周りの物に当たり散らす、くそガキ野郎。映画監督を夢見ているが、「映画で言いたいことがないなら映画監督を目指すのなんてやめちまえ」と言われて何も言い返せない。木下桃子、25歳。占いやおまじないが好きな女の子。中学生のときに観た学生映画『LOVEZONE』に魅了され女優を目指す。それは彼女が生まれて初めて持てた夢だった。ある日、そんな二人が撮影現場で出会う。そこから奇想天外な物語の幕が開く。

監督:鈴木太一
出演:今野浩喜(キングオブコメディ)、田代さやか、辻岡正人、今井りか、仲川遥香(AKB48/渡り廊下走り隊)
プロデューサー:小林憲史
脚本:鈴木太一
撮影:福田陽平
照明:上村奈帆
(2011年/94分/カラー)
公式サイト:http://www.kuso-gaki.com/




『くそガキの告白』試写会に10名様をご招待

『くそガキの告白』10名様ご招待
日時:2012年6月18日(月)15:30開演

会場:渋谷アップリンク・ファクトリー(東京都渋谷区宇田川町37-18 トツネビル1F)[地図を表示]
tel.03-6825-5502

【応募方法】

info@webdice.jpまでメールにてご応募ください

■件名を「6/18 くそガキの告白」としてください

■メッセージに下記の項目を明記してください

(1)お名前(フリガナ必須) (2)電話番号 (3)メールアドレス (4)ご職業 (5)性別 (6)ご住所 (7)応募の理由

■応募締切:2012年6月17日(日)21:00

※当選者の方のみ、6月17日(日)中にご返信差し上げます

▼『くそガキの告白』予告編



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