骰子の眼

cinema

東京都 渋谷区

2012-06-04 12:22


「明日はもうないかもと思って生きることを日系ブラジル人の彼らから学んだ」

岩井俊二監督と中村真夕監督がドキュメンタリー『孤独なツバメたち~デカセギの子どもに生まれて~』について語る
「明日はもうないかもと思って生きることを日系ブラジル人の彼らから学んだ」
岩井俊二監督(左)と映画『孤独なツバメたち~デカセギの子どもに生まれて~』の中村真夕監督(右)

デカセギという運命に翻弄されながらも、明るく、強く生きる日系ブラジル人の若者たちの姿を追ったドキュメンタリー『孤独なツバメたち~デカセギの子どもに生まれて~』。現在新宿K's cinemaにて上映中、6月16日(土)からは渋谷アップリンクでも上映される今作の公開を記念して、5月23日(水)、東京・荻窪のカフェ「六次元」でトークショーが行われた。高校時代から10年以上海外生活を送ってきた中村真夕監督、そして最近は海外にも活動の枠を広げている岩井俊二監督をゲストに、フィクションとドキュメンタリーについて、そしてグローバリズムについて考えるトークショーとなった。

フィクションとドキュメンタリー、そして「物語」とは何かについて

中村:私は2006年『ハリヨの夏』という劇映画でデビューした後、TVのニュースの仕事などをしながら、日系ブラジル人の青年たちと出会い、もうすぐ公開となるドキュメンタリー『孤独なツバメたち』を作りました。岩井さんも、劇映画のほかにも最近公開された『friends after 3.11【劇場版】』などドキュメンタリーも作られています。フィクションとドキュメンタリー、岩井さんはどういう風に違いを感じていらっしゃいますか。

岩井:僕はドキュメンタリーを撮る考えは元々持ち合わせていなくて、フィクションを作るのが自分の仕事だと思っていたんですね。しかしフィクションは時間がかかる。そして3.11が起こり、『friends after 3.11【劇場版】』は即時性が要求される題材だと思ったので、自分の中には境はなく、題材によってドキュメンタリーがよければそちらで、という感じですね。

2、30年前は事件が起こるとすぐ映画になってましたよね。だんだんそれが自主規制の流れで作られなくなって、日本の中ではNGになってきた。自主規制だけでなく、ニュース・報道が「報道エンターテイメント」に形を変えていって、お役御免になって減衰していったように感じます。日本の映画はいろんなものに浸蝕されて、作られるジャンルが少なくなって来た。即時性は要求されてなくて、むしろ敬遠されている。

中村:私は3.11後、ニュースの現場にいた人間としては、ニュースというのは、本当に作られたものなんだということを感じました。まるで言論統制のように、使ってよい言葉、はっきり打ち出すメッセージが決まっている。誰かのシナリオ、これを信じなさいという物語がある。ニュース自体もフィクションだなぁと思いました。

webdice_Resized_tsubame_main
映画『孤独なツバメたち~デカセギの子どもに生まれて~』より

ナレーションとドキュメンタリーの関係

中村:私はこのドキュメンタリーを2008年の夏から撮り始めて、まさかリーマンショックが起こるとも思わなくて、映画の中ではそのリーマンショックのあおりをうけて追いかけていた5人のうち4人がブラジルに帰ってしまうということになってしまうんですが、そういう体験から、本当にドキュメンタリーがフィクションを超える瞬間があるなぁというのを実感しました。現実にいる人間が面白すぎて、次を読むことはできない、次に何が起こるかわからない面白さがあります。そのなかで、私はあえて映画の中でナレーションを入れるのをやめました。岩井さんの映画でもナレーションは使われていませんよね。

岩井:映画からドキュメンタリーが駆逐されていった背景にはナレーションという要素は大きいのではないかと思います。例えばサッカーW杯のドキュメンタリーでナレーションを使わないのはあり得ないわけですけれど、誰が誰かわからない、知ってる人しかわかんなくなっちゃいますから。スポーツは特に、ナレーションによってただのスポーツを物語ることによって文学的な高みに持ってこれた一面はありますね、その人の人生を語るというか。しかしその一方でないことをあることにしてしまう危険もあって。……こちらは大ボラふきで、ないことをあることにしたい職業なわけですけれど(笑)。

webdice_Yury2
映画『孤独なツバメたち~デカセギの子どもに生まれて~』より

『スワロウテイル』と『孤独なツバメたち』移民の人たちを描く目線

中村:この『孤独なツバメたち』で描かれている青年たちと、『スワロウテイル』で描かれる移民の人々、すごく近いものを感じたのですが。

岩井:『スワロウテイル』は日本と、日本人の薄情を、敵対する関係として描きました。自分も反省したくて。移民の人たちを憧れの目線で描きました。当時日本はまるで病院のなかにいるようだと思った。無菌状態で手当てしてもらって、介護してもらって、それを当然と思っている。免疫力が落ちてしまっているんではないかと。彼らは日本人が失ってきたバイタリティを持っているように思えたんです。僕からしてみるととても羨ましかった。

日本人は、「日本は日本人のものだ」と思っている節がありますよね。しかし対他の国との1対1の関係になったときに、日本という国を形作っているギリギリの境界線のところが見えてこない。そこには在日外国人の人たちもたくさんいる。そういう人たちもふくめて日本なんだということが見えてこないですよね。

中村:私はこの映画をつくったときに強く思っていたのは、「彼らを被害者として描きたくない」ということ。みんなデカセギに来て良かったというんですよ。つらいことがあったから強くなれる。小さい頃から早く大人になることを求められて、それゆえに強いところと逆に脆いところがあるんですが、マイナスをプラスに転じる考え方はすごく魅力的でした。岩井さんがおっしゃったように、彼らは生きていく知恵を持っていて、学校では教えてくれない知識をたくさん持っている。どこででも生きられる強さと順応性の高さを持っている。でも自分のホームを求めているように感じました。どこへでも行けるけれど、どこへも行けない。

webdice_tsubame_sub2
映画『孤独なツバメたち~デカセギの子どもに生まれて~』より

日本以外から、日本を見るということ

岩井:自分自身もともと場所にとらわれない感覚があるんですね。ひとところにとどまれないというか。外国に行くと日本を小さく感じて、それがとても楽でした。日本にいると日本がすべてになってしまって、それがとても息苦しかったんです。その国その国の悩みはあるんでしょうけど、気が楽でした。「スワロウテイル」以降自分の作品を外へ広げたいという思いもあって、海外での活動が多くなってきました。今年来年は中国での制作がメインです。監督という職業は、外を知った方がいいなと思いますね。いろんな経験をし続ける方がいい。

中村:アメリカは移民の国だから永住権が抽選で当たるんですよ。私も出し続けてたら当たって(笑)9.11のときも、私はニューヨークに住んでいたんですがちょうど日本に帰って来ていたときで、テレビでワールドトレードセンターが崩れていく様子を見ながら、まるでハリウッド映画かなと思って見ていました。最初3分間くらいは理解できなかった。2週間後ニューヨークに帰ったら、ワートレが観光地になっていました。未だ煙が立ち上っていて、遺体が埋まっているかもしれないところが観光地になってる。それを見た時に人の悲劇が見せ物になるのは怖いと思いました。それは3.11の震災にもつながっています。

日系ブラジル人の彼らは、いつ別れがくるか分からないから、別れを覚悟して生きている。だから家族や友達との絆も深いんですね。明日はもうないかもしれないと思って人と付き合ったり生きるということは、彼らから学んだことです。明日は来ないかもしれないというのは、震災後日本人はとくに思い知った部分でもありますよね。

岩井:我々が普段持っているありがたい生活……文明に毒されている我々が、全てを失って、それでも生きるんだというバイタリティを持ったところからが本番というか、人生の本当に面白いところだと思いますね。




映画『孤独なツバメたち』
新宿K's cinemaにて公開中、
6月16日(土)から渋谷アップリンクにて上映決定!

2008年夏、浜松学院大学の津村公博が行っている週末の夜の調査に、テレビの取材でディレクター・中村真夕が同行したことからこのドキュメンタリーは始まった。土曜日の夜、行き場がなく街をたむろしている日系ブラジル人の青年たちに声をかける。そんな夜の街で出会ったのが、19歳の青年・エドアルドだった。

監督:津村公博 中村真夕
プロデューサー:津村公博
撮影:中村真夕 津村公博 村井隆太 木村伸哉 佐藤アユミ・パウラ
編集:中村真夕
支援:国際交流基金
後援:駐日ブラジル大使館 在浜松ブラジル総領事館 (社)日本ブラジル中央協会
提供:浜松学院大学地域共創センター
配給:アルゴ・ピクチャーズ
2011年/日本 ブラジル/日本語 ポルトガル語/DV/カラー/88分
公式HP:http://lonelyswallows.com/

▼『孤独なツバメたち』予告編


キーワード:

岩井俊二 / 中村真夕 / ブラジル


レビュー(0)


コメント(0)