映画『MY HOUSE』より (C)2011「MY HOUSE」製作委員会
5月26日(土)より公開となる『MY HOUSE』は、堤 幸彦監督がコストゼロの家を提唱する建築家・作家の坂口恭平の原作をもとに、都市の片隅で生活する路上生活者の暮らしをモノクロの映像でストイックに捉えている。これまでのエンターテインメント性を封印し、本格的な演技の経験のなかったフォークシンガーのいとうたかおを主演に起用するなど、今までの制作スタイルをあえて用いずに挑んだ今作の公開にあたり、堤監督と坂口氏に、完成に至るまでの経緯、そして主人公・鈴本さんの0円で賄う生活を通して我々の暮らしの本質とは何かという命題を突き付けるこのストーリーに込めた思いを聞いた。
プロデューサーに「日本でいちばん暗い映画を作ってくれ」と言われた(堤)
── 『本当に撮りたかった』というコピーにも、堤監督のこの作品に込めた思いを感じることができます。制作に至るまでにも困難があったのではないかと思うのですが?
堤 幸彦(以下、堤):2007年に坂口さんが書かれたAERAの記事を読んだのがきっかけなのですが、そこで主人公の鈴本のモデルになる隅田川に住む鈴木さんにも会わせてもらいました。その段階でほとんど今のストーリーと同じかたちのプロットができていて、脚本の佃(明彦)くんと、別のプロデューサーと一緒に進めようとしていたんです。ですが、商業映画にするには地味すぎな話だったので、内容をどんどんアレンジをしていったことと、実はあるメジャーなキャストが支持してくれたこともあって、3年くらいかけて、かなり変節して、「公園の寅さん」みたいな話になってしまったんです。そこでふと気づいて、「こういうことじゃない」と自分で反省しました。作品にしたいがために、最初の思いをねじ曲げるのは愚かなことだと、一回企画をご破算にしたんです。
それから原点に帰って、最初に作った企画書を持って、今のプロデューサーにプレゼンしたところ、「このままで進めてほしい。日本でいちばん暗い映画を作ってくれ」と言われました(笑)。
堤 幸彦監督
坂口恭平(以下、坂口):堤監督が読んでくださったAERAの記事のときは「このテーマはちょっと早いかな」と思っていたんです。映画は1年から2年くらいかかると言われて、その間も何回か「形になるかも」という話を受けていたのですが、僕はいつもロシアの5カ年計画みたいに5年ごとに計画を立てているので、2012年くらいに「原作:坂口恭平」で映画になることが、僕にとって理想だったんです。だから、堤監督が構想に5年かけたというのも、ぜんぜん焦らず、むしろ作戦通りだと思っています。
坂口恭平氏
── そうした紆余曲折を経て、堤監督としては個人的な作品であるという意識が強いのでしょうか。
堤:やはり坂口さんに紹介してもらって実際にお会いした、鈴木さんの生き方があまりにも強烈だった。常日頃暮らしていることに対する「動く批評」であり、それを目の当たりにすると、映画という手段で生きている自分自身にとって、映画を撮らざるを得ないというくらい、強い気持ちになれた。それが果たして商業映画かと言われると、結果としてはそうかもしれないけれど、僕のなかでは、プロデューサーには悪いんだけれど、商業映画でという見地ではない。
── 個人的、ということであれば例えば少年が学校で直面するヒエラルキーなど、作品のディティールにも監督の原体験が反映されているんでしょうか。
堤:中学生の話というのは、僕自身が実際に非常に偏屈な中学校に行っていたので、普通の進学校じゃない公立なんだけれど、結果として同級生がみんな国立大学に行き、僕のような勉強ができない人間は非常に苦しかったところなので、その気持ちが反映しているんです。そうした自分自身の経験してきたことを、ストーリーのひとつの核としています。それから潔癖症の主婦という設定も、今思う自分の家、ハウスという考えのひとつの表現であるし、そのいずれも自分のなかにあるテーマの表現で、商業性とは遠いところにある。もちろんたくさんの映画館でかかってほしいし、たくさんの人には観てもらいたいですし、それなりの成功もしたいですけれど、それよりもまず作って皆さんに観ていただくというきっかけを作りたかった。
観終わって、いい感じで落ち込むんじゃないでしょうか(笑)(坂口)
── 坂口さんは原作では描かれない主婦や、エリート中学生と主人公の鈴本さんを対比させるという構成については、どのようにご覧になりましたか。
坂口::観終わって、とても救いようのない感覚が身を襲う。いい感じで落ち込むんじゃないでしょうか(笑)。僕が言ってることを映像でカラッと楽しく描いてしまうと、ちょっと違うんです。僕はぜんぜん明るく書いているつもりはなく、徹底して社会批判のために書いているので。この映画で、絶望願を感じてくれればいいなと思っています。僕自身がそういうことに襲われることが多いので。エンターテインメントとして受け取ってくれるのもいいですが、これは少年の問題でもなく、主婦の問題でもなく、路上生活者の問題でもない。世界の問題なので、それを変えようとジャックインしてほしい、ドアを出て行動を起こして!、ということです。それがこの映画の仕上がりで面白いと思ったところなんです。
── 鈴本さんをはじめとした人々の暮らしぶりをどう描くかについては、坂口さんは監督にアドバイスをされたんですか。
坂口::その点については、書いて監督に送ったところもあります。僕としては、鈴本さんの住むハウスだけを見られればいいと思ったくらいなんです。それこそバッテリーの残量を測ったり、細部についてしっかりと描いていれば、それが点となって、いろいろな人がそれを点を結んで星座を作ることができるから。
映画『MY HOUSE』より (C)2011「MY HOUSE」製作委員会
── ホテルの支配人とのやりとりでも、それまで寡黙だった主人公の鈴本さんが意思表示をしますよね。
堤:あれは、実際鈴木さんとお会いして僕が感じとったことです。否応なくやっているわけではない、要するに暮らしを選んでやっている。相対的な過剰人口として限定されているわけではない。路上生活者を選んでやっているということ自体、頭で考えたら解るけれど、自分にはできないことだから強いインパクトを受けた。しかし、それはまったく別次元の話かというと、今この時期、この瞬間、同じ場所で生きている方々なわけですから、彼らにあって、我々にはないもの。我々にあって彼らにないものはなんだろうということは考えますよ。そういうきっかけになればと思っています。
坂口::鈴本が家の前で釘を拾うシーンがありますが、敷地のなかに入ってしまったら違法なので、その手前の公道で拾うんです。そうした行為も実は土地には色づけされているんですが、「あなたがそうするなら、私はそのようにして生きる」という竹のようにしなって、ぜったい折れずに生きていく鈴本の生き方を象徴しているんです。僕はそれは人間の本質だと思っているので。ビルディングが悪いわけではなく、都市時代が悪いわけではなく、社会システムが悪いわけではない。それをもっと突き抜けていく柔軟性が人間にはあるんです。
彼らのリスクを背負ったユートピアを描く(堤)
── 今作に登場する少年が住む家や、監督が『MY HOUSE』とタイトルをつけたことにも象徴されていると思うのですが、ただ単に居住する空間としてではなくて、生活とそれにまつわる価値観も含めてHOUSEと形容しているのではと感じました。
堤: HOMEとは違うんです。HOMEという言葉が持っている家族性とか営みではなく、もう少し、選んで住んでいるものなんだ、という意味を出したかったんです。
映画『MY HOUSE』より (C)2011「MY HOUSE」製作委員会
── そして、名古屋で撮らなければならなかった、ということはご自身の故郷であること以外に、名古屋の土地の持つ風土というのも収めたかったからなのでしょうか。
堤:名古屋の人ならばすぐ解るけれど、「これどこの街なんだ?」と思ってもらいたかった。本来ならばスカイツリーがあったり、という風景であるべきなんだけれど、そうしたリアル感ではないところで勝負したかった。それに、名古屋はネットワークがあるので、非常に制作しやすかった。
坂口::東京で撮らなかったのは成功だったと思います。
堤:東京だと稼働できるチームがたくさんあって、自動的に作れてしまう。それができるようにこれまで十何年作品作りを続けてきて、僕にとって、自分の作品は40パーセントくらいは動機よりも、量産できる体制を作るために、同時進行でできるシステム作りをしていたんです。
思い返してみると、僕がドラマをはじめるとき、それまでテレビの現場は饅頭を作るようにドラマを作っているのを知ったんです。3日ロケして2日スタジオで1日編集して、1週間パッケージで放送しますというような流れだった。それを見たときに「こんなので面白い作品はできないでしょ」って思ったんです。それで『金田一少年の事件簿』をやるときに、普通カメラを5、6台使うところを、1台にしていいですか、手間もお金もかかるけれど、ぜったいにこのやり方のほうがいいです、とプロデューサーに言って、はじめさせてもらったんです。その原点を、たくさん作りたいがためにもしかしてちょっと忘れていたのかもしれないと思ったときに、今までの自分のチームがいないところで制作しようと思った。そうした監督としての動機がありました。
映画『MY HOUSE』より (C)2011「MY HOUSE」製作委員会
── 観終わって、このストーリーをどう受け止めたらいいのか、という余韻が強烈でした。
堤:うん、それも含めて人それぞれでいいと思いました。僕は彼らの暮らしぶり自体を、多少ユートピア的には描いていますけれど、その実、非常にリスクを背負ったユートピアであると思っています。そのリスクというのは、社会という権力と暴力と拮抗して生きているということ。それはジャングルで狩猟をしながら獲物を狩って生きている人々と近い立ち位置だと思うんです。彼らがそれを選ぶということが、既に我々に対する刃なのであって、それをきちんと観ていただける方は、自分の持っている家や自分が借りている家や、自分が作っている人間関係っていったいなんなのだろう、というところに考えをぜひシフトしてもらいたい。僕自身がそう思っていたので、ある種の提案ではあるんです。
観た人が「救いようがないね、この話」と思っていただいてもぜんぜんいいし、じゃあその先に、そう思ってしまったけど、俺はあの暮らしできるのかな、と。この昨今、それを強制されることだってあるわけですよ。そういういろんなことを想像しながら観てもらいたいと思います。
坂口::僕はほんとうに生きるとはなにかを書きたいので、そのひとつのステップになっているかな、という感じがするんです。だから原作者というより共同者という意識のほうが強いんです。ただ気づけ!、というインフォメーションのためのなにかを伝えたいんです。
堤:もちろんこれからも、今まで通りにエンターテイメント系はとばしていきますけれど、自分の思いに忠実な作品は今後少しづつ作っていきたいと思っています。死ぬまでに「これが僕の作品です」というものにたくさん出会いたいですから。
(インタビュー・文:駒井憲嗣)
映画『MY HOUSE』
2012年5月26日(土)新宿バルト9他全国ロードショー
とある都会の片隅に、見たこともない「家」が建っていた。それは鈴本さんとパートナー・スミちゃんが作った組み立て式の、どこへでも自由に移動できる画期的な「家」。鈴本さんはほぼ0円で生活を賄っている。都会に捨てられたアルミ缶を拾い集め換金、不要になったクルマのバッテリーを使って狭いながらもオール電化。目からウロコのアイデアを駆使することで、質素ではあるがそこそこ快適に暮らしていた。都会に生きる自由で不自由な存在。その一方で、エリートコースを目指す中学生・ショータがいた。人嫌いで潔癖症の主婦・トモコがいた。決して交わるはずのなかった彼らの暮らしが、ある事件をきっかけに交錯していく─。
出演:いとうたかお 石田えり 村田 勘 板尾創路/木村多江
企画・監督・脚本協力:堤 幸彦
原作:坂口恭平「TOKYO 0円ハウス 0円生活」(河出文庫)、「隅田川のエジソン」(幻冬舎文庫)
制作:オフィスクレッシェンド、アルケミー・プロダクションズ
名古屋・制作協力:ランブラス
製作:「MY HOUSE」製作委員会
配給:キングレコード/ティ・ジョイ
2011年/日本/93分/シネマスコープ/ドルビーデジタル/モノクロ
公式サイト:http://myhouse-movie.com/
▼『MY HOUSE』予告編