映画『KOTOKO』より (c)2011 SHINYA TSUKAMOTO/KAIJYU THEATER
塚本晋也監督がCoccoを主演に、愛する息子を守ろうとする女性の内面に深く切り込んだ『KOTOKO』が現在公開中。第68回ベネチア国際映画祭・オリゾンティ部門グランプリなど世界各国の映画祭でも賞賛を寄せられた今作で、塚本監督がCoccoとのコラボレーションによって生み出したものについて話を聞いた。
暴力をファンタジーとしてではなく、嫌悪すべきものとして描く
──今回の取材は「鉄男 vs Cocco」というテーマを考えてきました。僕らにとっては鉄男といったら、1作目で田口トモロヲさんのペニスが鉄になっていくイメージが強いですが、今作では、鉄男とは真逆な女性性のかたまりである琴子に、塚本監督演じる田中が惹かれていく。
戦っていないですよ(笑)。田中は全然。ひとつひとつ映画を作るごとにテーマは異なるので、今回はもう鉄男が戦うというテーマは頭になかったんです。
──この映画の企画段階ではどこに向かおうとしていたんですか?
Coccoさんの世界を自分も見てみたい、というところから始まりました。Coccoさんは以前から興味がある人で、ずっと映画を作りたかった。今回は母という側面からCoccoさんの世界に近づこうと思ったんです。
『鉄男』の頃は、目の前にある一番でかいものは東京という都市だった。ですから、テクノロジーが発達した都市と僕、とか、脆弱な都市人間がコンクリートの世界に負けないために鉄男になる、といったテーマになりました。都市に恩恵もありながら、圧迫感もあったので、自然の世界を見たい、という欲望も起こりました。
その後に母が病気になって、7年くらい介護していたんです。母がだんだん弱ってきて、もう片方で子どもが生まれて育っていく。かたや自然に還っていく人と、かたや自然から出てくる人、その両方が怒涛のように目の前に現れて、自然の営為をいやというほど見ると、撮る映画のテーマも変わっていった。『六月の蛇』の後に子どもができて、その変化の時期の作品が『ヴィタール』、そして『悪夢探偵』の頃になると、子どもは成長していくんですけれど、母がほんとうに悪くなって、混沌としてきた。まあ、平たく言えば、年を取るにつれ変わっていく部分と言えるかも知れません。
映画『KOTOKO』の塚本晋也監督
──『鉄男 THE BULLET MAN』のときに亡くなられたんですか。
『鉄男 THE BULLET MAN』の後で、『葉桜と魔笛』(NHK制作によるオムニバス『妖しき文豪怪談』の一作品)の撮影の時期は、母が最も悪い時期で、そのポストプロダクションのときに亡くなりました。その喪失感のただ中に、Coccoさんが現れたんです。
──企画にはおふたりの名前が入っていますし、原案がCoccoさんになっています。今までの監督の映画は、塚本晋也が脚本を手がけ演じもしていたけど、この映画についてはCoccoさんにインタビューをされたうえで作られたということで、共作と言っていいくらいですよね。
脚本も書いたあとに見てもらい、演じる琴子に納得がいくまで関わってもらいました。書くにあたって、Coccoさんからどういう物語にするか関係なく、たくさん言葉をもらったし、僕も、好きなCoccoさんの世界を表したいのはもちろん、自分のテーマと合うところを探しました。自分という不器用な人間が動くには強い発動力がいりますからね。ある時、戦争への恐怖という重要なテーマが、Coccoさんの話を聞くうちに降りてきた。戦争が忍び寄っているというか、安穏の生活の後ろからすぐ水面上に現れてきている恐怖感。母のことや子のことを見るうちにさらに強くなっていったテーマですね。
琴子は、映画では過去に暴力を受けていて、そのせいでいい人を見ても、同時に悪い人が見えてしまうという設定になっています。悪い人が襲いかかってきて、過去の記憶まで一気に見えてしまう。だから自分を守ることに過敏ですし、子供がいたらなおさらです。琴子を襲うイメージがどんどん肥大化し、やがて戦争のイメージになっていく。一番怖いのは子どもの世代が戦争に行くことですから、子供を持つ母はだれでもそうなる。その戦争の恐ろしさを描くために、暴力を生ぬるく描かないことにしたんです。
今までの僕の映画は、どちらかというとファンタジーで、人間のなかに暴力性はあるんだから、現実生活でやるのはだめだけれど、想像の世界では隠してもしょうがないと作ってきました。でもこの映画は、暴力をファンタジーとしてではなく、ほんとうに嫌悪すべきものとして描こうと思った。
Coccoさんは、この不安な世界で生きる女性を、とても生々しく、全霊で演じてくださった。Coccoさんが違和感なく役を生きてもらうために、Coccoさんが出してくれるアイディアをできるかぎりかたちにしていくということを怠らないで進めていきました。
脚本は、最初はCoccoさんからいただいたエピソードや、自分のやりたかったことの羅列なんですけれど、自分のCoccoファンとしてのインスピレージョンも働かせ、Coccoさんから意見をもらいながら、やがてテーマとともに有機的に絡み合い、一個一個合点のいく意味が生まれた。Coccoさんの世界と自分の世界の葛藤が、一個のシンプルなカタチになったとき、いままで体験したことのないダイナミズムを感じたんです。それは大きな手応えでした。
──たくさんもらいすぎて、逡巡はしなかったんですか。
Coccoさんは自分の頭の中のことだけでなく、衣装や部屋のインテリア、子供の部屋の手作りの玩具など、それはたくさんのものを注いでくださった。Coccoさんは、コメントで「私の人生を注ぎました」って言ってくれました。僕が、「青い服もいいですね」と言ったとき、青い服を5着、手作りのものも含めて用意してくださったとき、大感謝とともに、『葉桜と魔笛』からスタッフに行なっている、実況中継作戦を再使用しなければならないと決めました。「監督としての結論を考えたあげくに出すのでなく、自分がこういうところで悩んでいる」と心の動きの過程を実況中継のように全部しゃべるんです。そうするとスタッフも全体感が把握でき、先読みができて、僕が気を使って言っているわけではないことも分かるので、余分な準備がだいぶなくなってきます。記事でよく「ふたりのぶつかりあい」とかありますが、ぼくは追い求め、Coccoさんはたくさん差し出してくださった。決して仲悪くやったわけじゃないんです。
──仲が悪いとはぜんぜん思わないです。あそこまでできるというのは、相当深いレベルでの意識の交信と信頼関係がなかったらできないでしょう。この田中という役を、なぜ塚本監督ご自身が演じようと思ったのですか。
『鉄男』で僕が演じる〈やつ〉は、僕の自己顕示欲で、どんなに商品価値が下がっても、そもそも映画を作るモチベージョンにも関わってくるのでぜったいに他の人に譲らない役ですが、この『KOTOKO』に関しては自分が出たいなんて、最初一ミリも思っていなかった。でも、Coccoさんが「演って」と言った。パーソナルなものを出したかったので、撮影現場は少ないアットホームな人数でしたし、多くの目が入って現場が社交的な大きさになってしまうのを避けたかった。見学もなしで、ほんとうに少ないスタッフだけで作ったんです。
──現場は何人いたんですか。
現場そのものに入っているのは、自分と、助監督として僕が出ているときのカメラと照明やってる林くんと、音拾って大道具もやっている藤田くん。あとボランティアの黒柳くんと、周りをかためている制作の斉藤マン、これがメインのスタッフです。ただ実際はCoccoさんの事務所の人とか、友人の方々たちがものすごい協力をしてくださって、かたちになった。僕らのスタッフも少し人を増やして、とかも思ったのですが、なるべくCoccoさんに近い方にお願いするのがいいと思った。申し訳ない気持ちとととに、それが一番よかった、と感謝の気持ちでいっぱいです。
──ユニットを小さくする必要から、自分も出なきゃだめだと。
Coccoさんも自分が出るということに大事なことを見出してくれましたし、全身でCoccoさんに向かわなきゃいけないので、誰かもうひとりほかの俳優を起用して、ふたりに気を遣う余裕なんてまったくなかった。そうすると、カメラと僕と田中が同じ方向を向いてCoccoさんに向かえばいいので、結婚を迫っているシーンも、切り返しの顔を入れずカメラとCoccoさんとの間に田中がいるという絵になった。どうしても崩れてしまうとき以外、切り返しさえ必用ないと初めは思っていました。
──Coccoさんから見ると、田中も監督もカメラも同じラインにいるということですね。ポスプロで音楽をつけるところも一緒に作業を?
海獣シアターに来て、仮音楽としてかわいらしい楽器をいっぱい持ってきてくれて、ぜんぶ作ってくれたんです。スタジオじゃないので車やオートバイの通っている外の音がバンバン入っているんですけれど、琴子の家も同じような設定なので、それを活かして本番用に使うことになりました。
映画『KOTOKO』より (c)2011 SHINYA TSUKAMOTO/KAIJYU THEATER
──田中はセリフで「あなたを好きで居続けるということが自分の仕事だったらいい」と言いますよね。そんなこと言われたらすごいなと思うけど、彼は琴子の何を愛そうとしたんですか。
魅力は理屈じゃなくて、大事なのはその魅力の秘密を探ろうと近づくことじゃないですか。『ヴィタール』で描いたように、世界がどんなものかは際限なく寄ってもわからない。同じように、Coccoさんの歌がなぜすばらしいか、それは結局はどんなに近づいても簡単に分かるものではないです。答えを出そうと近づくことに意義があると思うから。その分からなさを埋めるときに、ファンとしての自分のインスピレージョンは大事でした。ファンとしての思いを込めながら脚本を有機的にしていったんです。もちろんCoccoさん自身の意見が、琴子の造形に最も重要だったのは言うまでもありません。
──Coccoさんはできあがった作品を観てなんと言っていましたか。
ほぼできた状態で観てもらったときに、表情をうかがったらちょっと目が潤んでいたので、よかったのかな、と思ったけど、そのときはなんにも言わずに帰って。あとで「言うの忘れてたけどよかった」と教えてくれました。
──いつも塚本監督の作品は、コントロールフリークな部分があるけど、Coccoさんの姿には、演技と感じさせない自然さがありました。実際、アドリブは多かったのですか?
ぼくは俳優さんにはいつも自由にやっていただきますよ。ぼくの方からこうやってと言ったことは一度もないです。Coccoさんは、アドリブとかドキュメンタリーみたいに見えるんですけれど、Coccoさんのすごいところは、沖縄の自由演技以外あれはぜんぶセリフなんです。きちっと書いているセリフをちゃんと自分のものにしている。至極冷静に当然のことをちゃんとやってるんです。ただ、引き出す演技のキャパシティが、類型的になることが絶対にない。要はセンスなんですが、過去にあった類似体験を想像し、本物の感情を冷静に呼び戻そうと集中しているように見えました。そして何よりも、琴子の人間像の出元はCoccoさんにあり、脚本ができた時点で、Coccoさんは琴子のすべてを理解し、自発する責任を担ったのです。そういう意味では、沖縄はアドリブが多いですが、その自由演技が、ではただ好きにやっていたか、というと、あそこでさえ、集中と冷静な意識が常に働いているんです。
──あの歌をうたうところも台本に書いてあるんですね。
台本にはもちろんあります。でもその歌の内容はCoccoさんが決めたものです。そのシーンのために、作ってくれました。もともとCoccoさんの歌のファンなので感無量でした。
映画『KOTOKO』より (c)2011 SHINYA TSUKAMOTO/KAIJYU THEATER
戦争という大きな絶望で終わらせず、かすかな光を表したかった
──海外で上映していて、反応はどうでしたか。
イタリアは、常にダイレクトな反応があるので、もうひとつだなというときもぜんぶ顔にはっきり現れるんです。だめなときも拍手はするんですけどまばらだったり、顔が曇ってたり、でも今回のベネチア国際映画祭は、20分くらいずっととても暖かい拍手をしてくれました。日本はあたたかい拍手というよりは、茫然、という感じですが。見終わって、感想を言いながら泣いてしまう人もいます。あるいはぼーっとしてそのまま帰って、2日後に聞くと、「すぐに言葉にできなかったけどとても感動した」と、いろいろな感想を熱く口にしてくれます。
──ベネチアの受賞理由はなんだったんですか。
審査委員長がジャ・ジャンクーさんだったんですけど、最初は、何度読んでも意味がわかりませんでした(笑)。でも、なるほど、忘れてるだけで、読めば分かりやすいですね。
映画『KOTOKO』は多くのジャンルを自由に超えて、女性の壊れやすい心理状態と、孤立という深く不穏な思索と、現代都市生活についての印象的表現を創造する。パワフルなビジュアル言語で、塚本監督はヒロインの心に入り込んでいる。
(ジャ・ジャンクー/ベネチア国際映画祭オリゾンティ部門審査委員長監督)
──その後トロント国際映画祭に直行したんですよね。
北米はどうだったかな、シネマ・コンプレックスみたいな映画館で、どちらかというと呆然系で、でも質疑応答のときはけっこう熱心でした。
──釜山国際映画祭でお会いして、釜山は評判よかったですよね。
そうですね。釜山もいつも熱狂的ですが、今回も喜んでくださいました。
──朱さん(『KOTOKO』の海外セールス・エージェント)に聞いたら、女性はみんないい、というけど、男性が怖いという感想が多かったとか。
僕も初めそう聞いていましたが、日本での反応をみると別にそうではなくて。この間も宮台真司さんと犬童一心さんがふたりで目をうるうるさせて楽屋に来て「すごいよかった」と言ってくれて。その後も、ツイッターなどですごく広めてくれました。ツイッターの先生の大根仁監督もとても喜んでくれています。
映画『KOTOKO』より (c)2011 SHINYA TSUKAMOTO/KAIJYU THEATER
──『BULLET BALLET/バレット・バレエ』のときも、いつか戦争を撮ってみたいとおっしゃっていましたよね。
あのときは、戦争の体験をしていない人たちが、逆に異常な暴力性を吹き出させてしまうという話でした。
──今回も具体的には、戦闘シーンはないですよね。
もしかしかたら、どんなにお金をたくさん使ったスペクタクル映画よりも、シンプルに戦争への恐怖を現すことができたんじゃないかと思います。
──監督にとっては『KOTOKO』は、『プライベート・ライアン』みたいな何十億も使うような映画とは違う、ある種の戦争映画?
そうですね。小規模で戦争をテーマにした映画。でも、最初から戦争をテーマにしたかったのではなく、まず一番はCoccoさんの世界を自分も見たかった。そして、戦争という不穏なときに子どもを守るのが難しい状況と、そのお母さんのありようを描きたかった。母が亡くなった直後に作ったから巨大な感謝があって、その後一年の間にCoccoさんが現れて、制作が終わったんです。Coccoさんはそのことに自覚的ではないかも知れませんが、子どもと格闘する姿を通して、「お母さんは、こんなにたいへんだったのよ」ということを、ぼくががっくりしている暇も与えず、一年かけていやというほどシャワーのように浴びせてかけたのではないかと思うときがあります。それで合点のいく母の一周忌になりました。
──最後にあらためて、今作でいちばん伝えたかったのは、母親は弱い子どもをどうやって守るか、ということですか。
大きく言えばそうです。でも、まず最初にありきは、Coccoさんを通して、この時代を生きる女性をウソ偽りなく描く、ということです。そして、戦争をテーマにとても悲劇的と思える絶望を描いていますが、そんな中で、僕が、自分の子どもとの間であったあるエピソードを最後に入れることで、今の日本で放射能のことで心配し続けているお母さんや、全霊で琴子を生きたCoccoさんにエールを送るようなラストシーンにしたかったんです。
介護していた母親の存在がだんだん消えていく一方で、子どもの姿が現れてくる。子どもは無意識の世界ですから、主観はお母さんにある。でも母親はだんだん意識が朦朧としてきて、なにを言ってるのかわらなかったりする、それを心配するのは子供で、今度は主観が子供にある。その主観の移動を描きたかった。考えてみると、その繰り返しが子々孫々続いていくわけですし、これがすべての営為なわけで。どうなってしまうか心配でしかたのなかった子どもが意識を持って、うっすらひげさえも生えて、今度は親を守るかもしれない。意識がなくなって赤ちゃんのようになっている母親の面倒をみる強さ、という予感を最後に加えることで、戦争という大きな絶望で終わらせず、かすかな光みたいなものを表したかったんです。
(インタビュー:浅井隆 構成:駒井憲嗣)
塚本晋也 プロフィール
1960年生まれ。14歳で初めて8ミリカメラを手にする。85年「海獣シアター」を結成。87年『電柱小僧の冒険』でPFFグランプリ受賞。89年『鉄男』で衝撃的デビューと同時に世界的成功をおさめる。以降もコンスタントに作品を作り続け、製作、監督、脚本、撮影、照明、美術、編集などほとんどすべてに関与して作りあげるスタイルから生まれる独自の映像は常に高い評価を獲得している。
映画『KOTOKO』
テアトル新宿、シネ・リーブル梅田、名古屋シネマスコーレ、KBCシネマ1・2にて公開中、他全国順次
琴子(Cocco)はひとり、幼い息子・大二郎を育てている。彼女には世界が“ふたつ”に見え、油断すると命にかかわる日々。だから琴子はいつも気が許せない。どんどん神経が過敏になっていく。大二郎に近づいてくるものを殴り、蹴り倒し、必死に子供を守ろうとする。ついには幼児虐待を疑われ、大二郎は遠く離れた彼女の姉のもとに預けられる。ひとりで毎日を過ごす琴子に、小説家の田中(塚本晋也)が近づいてくる。
監督:塚本晋也
脚本:塚本晋也
原案:Cocco
音楽:Cocco
企画:Cocco・塚本晋也
出演:Cocco・塚本晋也
製作:海獣シアター
配給:マコトヤ
2011年/日本/カラー/DCP/FullHD/5.1ch/91分/PG12
(c)2011 SHINYA TSUKAMOTO/KAIJYU THEATER
公式サイト:http://www.kotoko-movie.com
▼『KOTOKO』予告編