骰子の眼

cinema

2012-03-31 23:22


編集途中のドキュメンタリーを観てメディア・リテラシーを鍛える

インディー映画制作者と観客を繋ぐ新たな動き・ドキュクラブをニューヨークのタハラレイコさんがレポート
編集途中のドキュメンタリーを観てメディア・リテラシーを鍛える
サミュエル・L・ジャクソンも出演する『Miracle on 42nd Street』の上映の様子

読者の皆様、前回のウォール街占拠(OWS)の記事からかなり時間が空いてしまって、申し訳ないです。フルタイムの仕事に就かなくてはならなかったりで、ちょっと忙しくしてます。OWSムーブメントのアップデートをしますと、昨年11月にリバティー・スクエア(ズコティ公園)をブルームバーグ市長に追い出されたその後、冬の間息を潜めていたようです。しかし各地で、それぞれのコミュニティで住人達が直面する問題を自分たちで話し合う場として、はたまたポエトリーや音楽等の分野で、より裾野へ広がった形で現在も活動が続けられています。これから春にはまたメディアをにぎわす予感さえします。3月17日には占拠6ヶ月を記念してズコティ公園で再会集会が開かれ、また、3月21日には、フロリダ州のトレイボン・マーティン君事件の無罪判決(武器を持たないごく普通の黒人高校生、17歳のトレイボン君を射殺した白人の自警団員が、正当防衛を認められ無罪放免になった事件)に対する抗議デモ「ミリオン・フーディ・マーチ」がニューヨークで組織され、平日にもかかわらず沢山の人が集まりましたが、OWSもそれに共鳴、参加しています。そして3月24日には、ニューヨーク警察の横暴と市警本部長レイモンドケリーの解雇を求めて(最近NYでも、武器を持っていなかった18歳の黒人少年の警察による射殺事件があったばかり)、OWSがズコティからユニオンスクエアまで平和行進し、また多くの逮捕者が出た模様です。それから、東日本大震災から、一年経ちましたね。ニューヨークでも、3月11日には、追悼ビジル、ラン・フォー・ジャパン、コンサート、反原発マーチなど、色々な行事がありました。何に行こうか数週間迷ったあげく、やっぱり原発がなくならないと…と思い、娘と反原発マーチに行きましたが、日本人の姿は少なく、ちょっと拍子抜けしました。一年前にPray for Japanで燃えて募金運動をされていた方々は、今は静かに追悼の方へ行ったのだなあ、と思いました。

さて、今回からできれば毎月一回頑張って続けて行こうと思っている、新シリーズ「サステイナブル・フィルムメーキング」。もちろん、金銭的なサステイナビリティー(持続可能性)も重要な要素です。ですが、今回のシリーズでは、お金のことに加えて、撮る人(制作者)─撮られる人(被写体)─見せる人(興行主、配給、映画祭など)─見る人(観客)というサイクルのつながりや、何かそのつながりの中でのギビングバック、還元という意味も考えていきたいと思います。顔の見えないお客さんや映画祭の審査員のために作品を作るのではなく、映画制作に関わる皆が顔を見せ合い、作り、見せ、売り、買い、大切な何かを共有する。舞台は、劇場であったり、ネット上であったり。そのつながりの中で、映画という媒体の役目も進化して行くように思われます。ニューヨークの2012年のインディー映画を支える団体やそこで踏ん張っている制作者の皆さんに、一団体/一個人ずつ、話を聞いてみようと思います。




制作者同士のハブ的な存在からスタートした
メディア団体・アーツエンジンと批評会・ドキュクラブ

第一回は、ドキュクラブ。 ロウアー・マンハッタンで月一回開催の、制作途中のドキュメンタリー作品の批評会である。私が見た限り、これが毎回盛況で、大変おもしろい。まだ完成していない作品を、緊張の面持ちで初めて一般の人に見せる制作者。上映後点灯された満席の会場で身を乗り出して、作品の強い点、弱い点、分かりにくい点、率直な感想を述べる人々は、映画制作関係の人ばかりでもないようで、そこがまたおもしろい。長年このドキュクラブの運営責任者として活動して来たフェリックス・エンダラ(Felix Endara)さんに話を聞いた。

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ドキュクラブの運営責任者フェリックス・エンダラさん

──まず、日本の読者の皆さんに、ドキュクラブがどういう経緯で生まれて、どんな人達が利用しているかを説明していただけますか。

ドキュクラブは、その母体であるアーツエンジンという団体の主宰者でもあるスーザン・カプランが、映像制作者仲間の間で編集途中の作品への感想をお互いに言い合える場を作るために、彼女のオフィスで1994年に始めたイベントです。時とともに定例化されて、現在では月一回の会合になっています。今まで、マンハッタンの色んな場所で開催されてきています。IFCシアターとか、クアッド・シネマとか(筆者注:ともにダウンタウンのインディー系劇場)。参加する映像制作者は、ベテランからこの道に入りたての人まで様々。ドキュクラブは、ドキュメンタリー制作を生業とすることを目指すすべての人達のためにあるんです。お客さんは、映像関係の人達とドキュメンタリーのファンと、両方ですね。

──現在のドキュクラブの運営について聞きたいのですが、会場や、上映作品の選抜方法、また、毎回大変盛況に見えますが、イベントの宣伝方法等、教えてください。

過去2年間はずっと、ダウンタウン・コミュニティ・テレビジョン・センター(DCTV)か92Yトライベッカ(筆者注:前者はチャイナタウンのメディアアートセンター、後者はトライベッカにあるカルチャーセンター)で開催しています。キュレーター/マネージャーが一人いて、上映作品はその人が選びます。98年以降は僕がその役割を果たしてきました。選ぶ基準は制作者のニーズにより変わるのですが、編集のどの段階にあるかについては基準を設けています。ラフカットと言っても、見る人が話の流れや登場人物のことをちゃんと理解できる程度には構成がきちんとされていること。宣伝は、アーツエンジンのニュース配信や、ツイッターやフェースブックなどのソーシャルメディア、それにドキュリンクDワードといったオンラインの映画コミュニティーサイトを活用しています。

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どこがまだ未完成かを上映前に説明する、この日上映作品の監督のアリス・エリオット( Alice Elliot)さん。後方で見守るフェリックスさん。

──フェリックスさんは、もともとどういうきっかけからアーツエンジンで働き、ドキュクラブに携わるようになったのでしょうか?

僕自身が長年インディペンデント映画制作者、そしてキュレーターとしてやってきていて、それでアーツエンジンのフィルムメーカー・サービス・マネージャーという職に応募したというわけです。アーツエンジンでの僕の仕事は、このドキュクラブと、フィスカル・スポンサーシップの運営です。(筆者注:フィスカル・スポンサーシップとは、個人アーティストである映像制作者が助成金等に応募できるように、アーツエンジンの非営利団体ステータスを貸したり、集めた資金を管理してあげたりするプログラム)

──アーツエンジンのサイトでみたのですが、ドキュクラブから巣立って行った作品の中には『未来を写した子どもたち』(原題は『売春宿に生まれて』Born Into Brothel、アカデミー賞受賞作)や『Boys of Baraka』(日本未公開。シルバードック観客賞受賞作。『ジーザスキャンプ』の監督の前作品)、『メタリカ:真実の瞬間』(原題:Metallica: Some Kind of Monster)など、かなり有名なドキュメンタリー作品があるようですね。他にはどんな作品が世に出ていますか?

キンベリー・リードの『Prodigal Sons』やニコル・オパーの『Off and Running』なども各地の映画祭で大きな成功を収め、観衆の心をつかんだ作品です。2009年にサンダンスへ行った『Disturbing the Universe』もドキュクラブ上映作品です。

──フェリックスがドキュクラブに関わって来た過去14年というのは、世界でもアメリカでも猛烈な変革の時代ですね。9.11、アフガン・イラク空爆、オバマ、欧米経済破綻、 テレビからネットへのメディアの移行、中国・インドの台頭、アラブの春、ウォール街占拠運動、日本の核汚染などなど。その間、そうした社会情勢の変化がどのような形でインディー・ドキュ・コミュニティーに影響を与えて来たと思いますか。もし質問が抽象的すぎたら、1~2の出来事に絞って答えてくれてもいいです。

うーん、一般的な答え方になりますが、フィスカルスポンサーシップで色々なプロジェクトを見て来て、確かに時事はその時々に作られる作品に色を落としていると感じますね。例えば、オバマが当選した後、僕らは2つのプロジェクトをスポンサー作品として選抜したんですが、そのどちらもがオバマの選挙についてでした。一つは2008年の選挙の日の記録、もう一つは乱戦だったペンシルバニア州でのキャンペーンの組織者たちに焦点を当てたものでしたよ。

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アーツエンジンのウェブサイト、最初のページ

──最近は、映画祭や大手配給に乗る事で、ドキュメンタリーもより商品として取り扱われる機会が増えてきましたよね。それを目指してドキュ制作の道を選ぶ人も今は多いかと思います。フェリックスの目から見て、最近のドキュ制作者の皆さんは、世に認められたい、お金を儲けたいという欲望と、世界を少しでも平等で住み良い場所にしたいという欲望とをどのようにバランスを取っているように映りますか?

これは映像制作者にとって、とても難しい問題ですよね。「お金持ちになりたい」という欲望があるのかどうかはわからないけど、映画制作で暮らせるようになりたい、というのは、やはりドキュクラブで上映する制作者たち共通の願いではあると思います。言い換えれば、インディペンデント映画制作者の多くは、CMやテレビや商業映画のフリーランスの仕事で生活費を稼いでおり、それは本心に逆らう行動で魂を売らないとできないこともあるでしょう?(筆者大きくうなずく)でも生活はあり、支える家族はあり、情熱を傾けたい作品作りには金がかかるわけで…。

──今回から続けようと思っているシリーズのテーマは、「サステイナブル・フィルムメーキング」。そのサイクルの中で、ドキュクラブやアーツエンジンの活動はどこに位置づけられると思いますか?またその活動の中で、インターネットが果たす役割のようなものはありますか?

アーツエンジンとドキュクラブは、フィスカルスポンサーシップやメディア・ザット・マターズ映画祭(アーツエンジンが2001年以来開催する、今では普及しつつあるインターネット映画祭の先駆け的存在)なども含めて、様々なプログラムを通してインディペンデント制作者を支援しています。それらすべてを通してプロモートされているのが、コラボレーションの心。例えば、アーツエンジンのプロダクション部門であるビッグマウス・フィルムズが作る作品には、活動で知り合ったフリーランスの制作者がよく起用されます。そういう意味で、アーツエンジンはある意味“ハブ”(拠点)的な存在で、ともすれば孤立しがちなインディペンデント・フィルムメーカー達が集える場所として位置づけられると思います。

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オーディエンスの意見に熱心に耳を傾けるアリスさん。左はモデレーターのケイトリン・ボイル(Caitlin Boyle)さん。

──作品を上映したフィルムメーカーや参加したお客さんから感想が寄せられることはありますか?

あります。制作者の方達は公的なスクリーニングの場が持てたこと(友人知人だけでなく、第三者も含めてという意味で)への感謝の気持ちや、また支援的で評価や結果を恐れなくていい環境で、作品への正直なフィードバックがもらえてとても参考になった、という内容が多いですね。




クラフトマンシップを理解した上で、
能動的にドキュメンタリーを見る観客を増やす

私が取材した日に上映していたのは、アリス・エリオット(Alice Elliot)監督の『Miracle on 42nd Street』(筆者訳:『42丁目の奇跡』)という長編ドキュメンタリー、のラフカット。マンハッタンのシアター街すぐ西にある、ショービジネスを支えるパフォーミング・アーティストのための巨大格安アパートビル、“マンハッタン・プラザ”の歴史を綴った内容。かつてサミュエル・L・ジャクソンがガードマンをやっていたり、アリシア・ケイが生まれ育ったり、ジェリー・サインフェルドとともに人気コメディ番組『サインフェルド』を創りだしたラリー・デイビッドが住み、出演のクレーマーは今なおそこに住んでいるという、伝説のアパート。またその数千人のアーティスト・コミュニティの長として長年働いた牧師さんは、エイズが蔓延した80─90年代にエイズにかかってしまった住人たちが他の住人たちに支えられて生きられるための非営利事業を立ち上げた人物でもあったという。観客の反応はまちまちで、こんな珍しい話はなく素晴らしい、スターが沢山出てきておもしろい、というものから、マンハッタン・プラザの宣伝みたいだ、名もないアーティスト達にもっと光をあててほしい、劇場用の尺は長すぎる、1時間のテレビ番組にぴったりだ、といった批評も聞かれた。

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ラフ編集中なので、アーカイブ映像はまだタイムコードが画像に入ったままの配給会社からのコピーを使用

ドキュクラブは、映像仲間のフィードバックの場として始まったということだが、今ではこうして、一般のドキュメンタリー好きのお客さんがひと月に一回編集途中の作品に触れ、制作者同士の批評を聞いたり、また自分の印象を作り手に伝えている。これは実は、大変意義深いことに思われる。制作者にとっては、絶好のプロモーションの場となるだろう。お客さんに興味を持ってもらって、ソーシャルメディアや口コミで事前に作品を広めてもらえる。お客さんにとっては、普段みられない、完成に至るまでの編集の裏側が見られる。制作者同士の批評では、作り手の意図と映像や音のデザインがうまくかみ合っているかとか働いていないとか、この登場人物のイメージをこう変えた方が全体としてのメッセージがわかりやすくなるとか、そういうことが話し合われる。つまり、普段必ずしも観客に気付いてほしくないメディア要素の操作の面が、作り手同士だから当たり前に話し合われる。なぜなら、よくも悪くもそれがストーリーテリングであり、映画のクラフトである。観察映画でもナレーション付きのドキュ映画でも、言ってしまえばフィクション映画でも、同じ事だ。そのため、主催者の意図に関わらずとも、一般のドキュメンタリーファンは、ドキュクラブに毎月参加する事で、メディア・リテラシーというか、ドキュメンタリーが作り物であることが、よくわかる。

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上映前に歓談するオーディエンス

ドキュクラブ(見せる人/仲介人)が制作者(作る人/売る人)同志をつなげるためのイベントが、自然にもう一つのグループ、観客(見る人/買う人)までも、商品が完成する前につなげてしまった。気付かずにいたドキュメンタリー制作の操作を知ってしまって、興ざめする観客もいるかもしれない。でも私は、知った方がやはりいいと思う。裏の操作=クラフトマンシップを理解した上でドキュメンタリーを鑑賞する人が増えた方が、実は健康的だし、今はそういう時代だ。制作者にとっては、ドキュメンタリー=真実うんぬんの議論から抜け出してより自由になれるし(かといって観客をだましてもよいと言っているわけでは決してないし、被写体への責任はもちろんあるが)、観客は、制作者の意図を理解した上で、クラフトの部分を楽しみながら、かつ、自分なりの真実を探そうかな、と思いもできる。つまり、作品の中の見知らぬ世界に連れて行ってもらいたい自分と、この世界にとどまって作品の真実性や芸術性を評価し楽しむ自分と、デュアル・プロセッサーを回しながら、能動的に作品を見る観客が増える。

私とスクラブル(アルファベットのタイルで言葉を作るゲーム)をしながら刑事もの番組のストーリーを理解し、かつ携帯で算数ゲームもふんふんとこなし、はたまた友人からのテクストメッセージに返事を書くことが同時にできる高校1年生の我が娘を見ていると、人間の脳はまだまだ開発できる、と思わざるをえない。ながら族はダメ、と育てられた私には厳しいが、スクラブルゲームで時間がかかるのは私なので、こういう場合は、一つの事に集中しなさいと言わないでおいている。話はずれたが、ドキュクラブはこうして、孤立しやすい制作者のハブとなってくれるだけでなく、一般のお客さんにとってのドキュメンタリー講座的な性質も持っているように思えた。

さて、次回のサステイナブル・フィルムメーキングでは、どこを取材しようかな。候補は、1)60年代に始まって以来ずっと、インディーズとアヴァンギャルド映画の制作者たちが自分たちの作品を自分たちで配給する母体として続けられてきたマンハッタンの“フィルムメーカーズ・コープ”、2)ブルックリンを拠点に活動する新進気鋭の制作者集団“ブルックリン・フィルムメーカーズ・コレクティブ”、3)ブラックシネマをリンカーンセンターなどのハイソなフィルムソサエティーなどで上映しながら新たなブラック・アート・シネマの配給の道を開拓する集団“イメージ・ネーション”などなど…。お楽しみに。

文章/写真:タハラレイコ 『Miracle on 42nd Street』の写真はアリス・エリオットさんの承諾を得て使用

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