骰子の眼

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東京都 渋谷区

2012-03-28 00:28


4万8千の人が居なくなり幽霊都市と化したプリピャチに興味を持った

映画『プリピャチ』と同じモノクロで原発事故を描くスペインのグラフィックノベル『チェルノブイリ──家族の帰る場所』
4万8千の人が居なくなり幽霊都市と化したプリピャチに興味を持った
渋谷アップリンクXのトークショーに登壇した『チェルノブイリ──家族の帰る場所』スクリプト担当のフランシスコ・サンチェスさん(中)とイラスト担当のナターシャ・ブストスさん(右)、翻訳の管啓次郎さん(左)

現在渋谷アップリンクで公開中の映画『プリピャチ』トークショーに、グラフィック・ノベル『チェルノブイリ──家族の帰る場所』(朝日出版社刊)を刊行し、バルセロナより来日中の著者、フランシスコ・サンチェスさん(スクリプト担当)とナターシャ・ブストスさん(イラスト担当)が登壇した。愛する土地に留まり続ける老夫婦、プリピャチを突然去ることになった家族……本書は物語でありながら、プリピャチを実際に訪れて大きな衝撃を受けた作者の体験がベースになっている。本書の訳者、管啓次郎(詩人・比較文学者)さんも駆けつけ、お互いに深く響き合う本映画と本書について語っていただいた。

かつての活気があった頃の町の姿を想像し描いた(ナターシャ)

管啓次郎(以下、管):今回この本を翻訳するにあたりさっそく読んだところ、非常に大きな衝撃を受けました。あまりに大きな状況を前にしたときに、焦点の定まった誰かの人生、誰かの生活や、非常にはっきりした表情や息遣い、そういうものが感じられるなかでしか、私たちは本当の具体的な状況を想像することができない。僕が感じたのはそういうことです。本題に入る前に、まずはお二人がこれまでどんな仕事をされてきたか、簡単に振り返ってみたいと思います。

フランシスコ・サンチェス(以下、フランシスコ):私は長いあいだコミック系の編集に携わってきましたが、今回のようなグラフィック・ノベルを出版したのは初めてのことです。これまで短編映画なども作ってきましたが、もっぱら編集の仕事に携わってきました。

ナターシャ・ブストス(以下、ナターシャ):私はイラストレーターをしています。マンガも書いています。フランシスコと一緒にこのような形で日本に来られて、私たちのストーリーをこうして皆さんにお話できるのはとてもうれしいことです。ありがとうございます。

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『チェルノブイリ──家族の帰る場所』より

管:先ほど話がいきなり核心に行きそうになったのですが、この本『チェルノブイリ──家族の帰る場所』は三世代の家族の物語なんです。おじいさんとおばあさんはもともとチェルノブイリのエリアに住んでいた農家の人達。そしてお父さんとお母さんはプリピャチに住み、原発で働いていたお父さんは事故がもとで亡くなります。原発事故を子供時代に体験したお兄ちゃんと、当時生まれたばかりだった妹が、事故の20年後にもともと住んでいた家をたずね、おじいさんとおばあさんが既に亡くなって埋葬されている家もたずねる、という三世代の3パートに分かれた話になっています。
これがとても胸を打つ構成だと感じたのは、当然のことながら昨年3月の事故を体験したからです。それによって、以前から存在する「チェルノブイリの事故」がわれわれに対して持っている意味もまったく変わってしまったと僕は思いました。
この本は台詞がないコマが多く、そのほとんどが絵だけで表現されていく。このイラストが本当に素晴らしいんです。そして非常に丁寧な取材に基づいて作られているなという印象を受けました。本をつくるきっかけや、取材について話をうかがえますか?

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『チェルノブイリ──家族の帰る場所』より

フランシスコ:実は、この本を作るまで、私は放射能や放射線についての関心をほとんど持っていませんでした。あるとき弟が、もともと私が住んでいるバルセロナでチェルノブイリ事故20周年を記念する展覧会があると教えてくれまして、これがきっかけとなり関心を持ち始めたというのが実際です。
そのなかでも一番衝撃だったのが、このプリピャチの町のことでした。4万8000人の人口があったにも関わらず、原発事故によって幽霊都市と化してしまったというインパクトは私にとって非常に大きいものでした。そして、その町に住んだ人たちの歴史に興味を持ちました。事故から36時間後に避難せざるをえなくなったのですが、彼らはそのとき何も分からずに、2、3日したら家に戻って来られるだろうという気持ちで町をあとにしたわけです。しかし帰宅はかなわなかった。その「人のストーリー」「人の歴史」に深く胸を打たれたのです。

ナターシャ:イラストを描くにあたっては、情報源として本や写真などを探しました。インターネットでは、現在のチェルノブイリ周辺の写真が多く出てくるようになったので、その意味で写真を見つけるのは比較的簡単でした。今は幽霊都市と化したプリピャチの町の写真なんかも割とあるんです。データベースは多くあったのですが、難しかったのは、事故以前の町の姿や、人々が活き活きと生活している姿の写真を探すこと。そのために、避難した方々の個人的なホームページから写真を探して、かつての活気があった頃の町の姿を想像しなくてはなりませんでした。

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『チェルノブイリ──家族の帰る場所』より

管:フランシスコさんは、実際にチェルノブイリやプリピャチにいらっしゃったのですよね?

フランシスコ:はい。現地に行く前に、自分の頭のなかではストーリーはできあがっていました。本を読んでいただくと分かるのですが、第3部に、若い世代の二人、つまり、兄と妹がツアーに参加してプリピャチで数時間を過ごすという場面があります。そこにしっかり色付けするために、自分でも行ってみることにしたのです。その当時、インターネットで調べてみると、プリピャチを訪れるツアーがありました。作中の若い二人の兄妹が自分の家に戻った気分を味わうために、プリピャチに行ったのです。

管:まさにその取材によってディテールがすごく生きていると思います。いま見ていただいたこのドキュメンタリー映画『プリピャチ』は1999年作ですね。つまりこれはチェルノブイリ事故の12年後の風景で、いまはさらにかなりの時間が経ちました。このフィルムを見て何か気づいたことはありましたか?

フランシスコ:私が行ったときには、やはり事情が事情で現場には3時間しかいることができず、映画との比較ができるほど印象に残った場所というのが思い出せません。しかし、本を作る資料集めのときに、多くの写真や映像を通じで出会った人たちが映っていたのです。たとえば映画の冒頭に出てきた老夫婦です。驚きとともに懐かしく感じました。

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映画『プリピャチ』より、冒頭に登場する老夫婦

管:この映画を見たあとで本を読みなおすと、農村の風景が本当によく描かれていることが分かります。映像に出てくる風景とまったく同じですね。日本語だとマンガの「コマ割り」と言うのですが、この本のストーリーボードは全部ナターシャさんが考えたのですか?

ナターシャ:そうです。

管:描かれている細部に気をつけながら見ていくと非常に面白いのですが、この本のなかで僕が一番衝撃を受けたコマがこのコマなんです(本書77ページ)。まさに原発が爆発する瞬間が捉えられている。しかしセンセーショナルではなく、星でいっぱいの夜空に、ずっと遠くから引いた視点で、おそらく誰も見ていなかったであろう風景がこのように描かれているということに、まさにコミックでしかできない表現を強く感じました。

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『チェルノブイリ──家族の帰る場所』より、原発爆発を描いたページ

同じようなことが最後のシーンにも言えるのですが……読んでいない皆さんに見せるとよくないので見せませんね(笑)。青年になった二人が、おじいさんたちが住んでいた家を訪ねて、隣人の老夫婦に会って別れを告げるのですが、この最後の一コマが素晴らしい。そこで一気にエモーションが高まっていく素晴らしいコマですので、皆さん本を読んでみてください。 表現の話をもう少し続けます。いまのドキュメンタリー映画は白黒でしたね。特にナターシャさんにうかがいたいのですが、白黒の映像を見たときに何か感じることはありますか?

ナターシャ:職業柄よく分かるのですが、スペインではマンガは色付きのものが主流なんですね。ですから、この本を出したときに「なんで色を付けないの?」って訊かれました。しかし私はやっぱり「白黒の力」というのはそれだけで表現力があると思っています。この映画を日本語が分からないまま観ても、モノクロであるがゆえの映像のインパクトを感じます。映像であれマンガであれ、黒の醸し出すコントラストは非常に大きな表現力を持っていると思うんです。

私たち人類は自然をないがしろにしてはいけない(フランシスコ)

管:ナターシャさんは中国に住んでいたことがあるそうですが、そこで何か中国や日本の白黒の絵に影響を受けましたか?

ナターシャ:墨を使って絵を描くところまではいかなかったのですが、中国で絵具を使って描いてみたことはあります。中国では書道展や墨絵展などがたくさん開催されていて、何もない半紙に墨一色だけで色々な絵を描いていくのを見て感動し、自分でも色々と挑戦したこともありました。この本では実際にハケや筆を使って墨で描いています。最近のコミック作者はコンピューターで絵を描いたりしがちですが、墨やインクを使って描くということのよさは、描いてみたことのある人ならやはりお分かりになると思います。

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『チェルノブイリ──家族の帰る場所』より

管:そこで映画『プリピャチ』の話に戻ります。白黒の表現というのはカラーの表現よりも一段と抽象度が高いと思うのです。われわれが現実に見ている映像とはまったく違う世界を見せられているわけですから、そこで心のなかに、ある種の飛躍というか、少し浮かんだ状態で現実を把握している体験が生まれる気がします。むしろこの回路を通じて、現実がはっきりと見えてくることがある。コミックの表現は、さらにもう一段抽象度が高いですよね。つまり、線と面とで構成されつつも、最大の特徴は音がないということです。音がないのだけれど、音のある世界を描いている。そうやって捉えられるものが、何か感情にとても強い働きをおよぼすように思います。
また、コミックの場合、コマからコマへのつながりやストーリーの展開をずっと追っていっても、物語を読む段階での「現在」と、その前の過去のイメージがどんどん並列的に並んでいくわけですよね。したがって、人の心のなかの記憶をあつかうには、コミックはたいへん力強いメディアだとあらためて感じました。ある意味、映像を超えている部分がありますよね。映像は撮ってこないと始まらない。コミックはそれを超えて、思い出のなかの出来事と、いまの現実を交えて描くことができるんだと思いました。
実は僕はフランシスコさんと同年代です。僕自身がチェルノブイリの事故を体験した頃はソビエト連邦の最期の時期にあたり、非常に恥ずかしいことですが、なんというかまだまだ「どこか遠い国の出来事」という感じがしていました。ユーラシア大陸のすぐ隣の国だったにもかかわらず、そして上空のジェット気流なんかの影響で、いくらでも放射性物質が飛んできているにもかかわらず、です。チェルノブイリの事故をフランシスコさんはどう体験されましたか?

フランシスコ:核エネルギーが制御不能になったというニュースは、ヨーロッパの国々とロシアを非常に近いものにしました。実際の数値を考えてみても、チェルノブイリ事故に起因する放射性物質はヨーロッパ近隣20ヵ国に影響を与え、2000キロ以上離れた土地にも影響をおよぼしたと言われています。

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『チェルノブイリ──家族の帰る場所』より

管:もちろん日本でも多くの方がチェルノブイリ事故の危険性に早くから気がついて、本を書いたり作品を作ったり、色々なかたちで表現をしてきました。がん研究などの分野でもチェルノブイリとの因果関係が調査され続けてきたわけです。しかし、その意味が本当には重く受け取られないままに昨年福島の事故を迎えて、日本に住む人全体が、かの事故がいかに重大で、われわれの現実と直結しているか、25年経ってやっと分かったんだと思います。
原発事故は人間の世界だけで話が完結するわけではなく、野生動物や植物すべての生態系が全面的に影響を受けています。地球がゴム風船ほどの球体だとしたら、われわれがふつう考えている動植物の生命世界は、ごくごく薄いゴムの表面ぐらいしかありません。そこにもともと存在しえなかった化学反応を人間が持ち込むことで、人間の社会だけではなくすべての生物が影響を受けている。しかもこれから何万年にも渡って。

フランシスコ:私たちの本にそういったメッセージを付け加えればよかったのかもしれませんが、直接的な表現は控えることにしました。ですので、私たち人類は自然をないがしろにしてはいけないということ。私たちはこれからも自然に敬意を払って生きていかなくてはいけないというメッセージを、ここでお伝えしたいと思います。

管:それはもう充分に伝わっていると思いますよ。馬や羊の描き方にしても、生命と自然の描き方は本当に素晴らしいと思います。

(2012年3月13日渋谷アップリンクXにて 構成:綾女欣伸)



『チェルノブイリ──家族の帰る場所』
フランシスコ・サンチェス[文]、ナターシャ・ブストス[画]、 管啓次郎[訳]

ISBN:978-4255006383
価格:1,155円
版型:210×148ミリ
ページ:192ページ
発行:朝日出版社


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映画『プリピャチ』
渋谷アップリンク他公開中、全国順次公開

監督・撮影:ニコラウス・ゲイハルター
1999年/オーストリア/100分/HDCAM/モノクロ
公式サイト:http://www.uplink.co.jp/pripyat/

▼『プリピャチ』予告編



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