骰子の眼

cinema

東京都 渋谷区

2012-03-13 14:46


いま福島県の人々は心配する自由さえない

映画『プリピャチ』トークイベントでおしどりマコ・ケンが311以降の会見参加や福島の状況について語る
いま福島県の人々は心配する自由さえない
映画『プリピャチ』トークイベントに登壇したおしどりのマコ(右)、ケン(左)

現在公開中のドキュメンタリー映画『プリピャチ』トークショーに、夫婦音曲漫才のおしどりマコ、ケンの両氏が登壇。東電の記者会見に頻繁に出席し、福島での取材も多数行いDAYS JAPANなどでレポートを続けているふたりが、3月11日以降の活動について解説。福島に住む人の声を聞いてほしいと、胸の内を語った。

震災のあった3月11日、とろろ昆布を買い占めて子どもたちに配っていた

おしどりマコ(以下、マコ):私たちは普段吉本興業で漫才をしているんですけれど、いまあちこちの会見に行ったり、福島に取材に行ったりしています。去年大阪から東京に引っ越してきて、3ヵ月で地震に遭ったんです。神戸の生まれと育ちで、長田高校に通っていて、地震のときに被害を受けたところだったんです。その後鳥取大学医学部生命科学科に3年行って、中退して、そこは医学部でも研究関係をするところだったんですが、鳥取から神戸の避難所によく行っていました。

おしどりケン(以下、ケン):僕はそのときパントマイムで慰問に行きましたよ。

マコ:パントマイムやってるからあんまりしゃべらないんです。

ケン:そうです、だから気にしないでください。

マコ:神戸の友達が、けがも病気もしていないのに、暗い顔で毎日「死にたい」と言っていて、でも大学に戻ると、病院で末期がんの患者さんにすごく明るく「地震だいじょうぶ?元気出して」と言われるんです。そのときに、健康ってなんなんだろうと。笑って明るく生きられる状態こそ健康というんじゃないかと。それで3年で大学を中退して、芸人になろう、笑かしていこうと思ったんですよ。わりあい自然な流れですよね。

ケン:ちょっと強引ですけどね、変わってると思います。ちょうどその頃に出会って、僕と結婚してくれたんだよね。

マコ:まぁそのへんは割愛して。それで東京に引っ越してきて、そのときに住んでいた家がめちゃくちゃあばら屋で、3月11日はびっくりするくらい揺れていたんです。神戸の地震を経験していたので、この家に住んでたらぜったい死ぬと、近くの小学校に避難したんです。


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『プリピャチ』より

ケン:そしたらけっこうな数の避難している人がいて。

マコ:広域避難所のところで、200人くらい避難していまして、そこの視聴覚室でみんなでテレビを観ていたら、地震や津波の話より、原発のほうが話題になってきて。福島第一原発が電源喪失をして、冷却できないという情報が出たときに、爆発したら東京にもヨウ素を高く含んだ放射性プルームが飛んでくる可能性があるのでホットスポットになると、小学校の校長先生に「ここの学校は安定ヨウ素剤を備蓄していますか?」と聞いたんです。そうしたら校長先生は「えっなんのことですか?」って、もしそういう状態になったら、国がきちんとするだろうとおっしゃるんです。それで私たちはコンビニに行って、まだ誰も水とかトイレットペーパーを買い占めていないときに、とろろ昆布を買い占めて、なにかあったら子どもたちに「1日25グラムずつ食べなさい」と配っていました。

ケン:そんな初日だったんです。

誰も聞きたいことを質問してくれる記者がいないので、東京電力の記者会見に行くようになった

マコ:ヨウ素を吸う内部被曝が怖かった。大学で勉強していたことはすっかり忘れているんですけれど、なんとなくおばあちゃんの知恵袋的に「原発が爆発したら、放射性物質を吸うかもしれない、そんなときはわかめとか昆布とか食べておけ」というのが染みこんでいて、気をつけていたんです。 そんな3月11日を過ごした後、毎日あった吉本の仕事が1週間ぐらいぜんぶなくなったので、毎日テレビを見ていたんです。そうすると原発が爆発していって、余震もすごいときに、テレビが「レントゲン1回分だからだいじょうぶです」とか「東京-ニューヨーク間の飛行機の線量だからだいじょうぶです」と、外部被曝に関することしか言っていなかった。

ケン:そのニュースが流れるたびに、マコちゃん「おかしい、またこれ言ってる」って怒ってて。

マコ:日本でレントゲンに関する危機感って低いけれど、無用に受けることは外部被曝で、晩発性で心筋梗塞が出るリスクが厚生労働省のホームページにも書いてある。例えばヨーロッパだったら、レントゲン手帳みたいなのがあって、年間の被曝線量を管理するんですよ。特に子どもには徹底している国が多い。客室乗務員やパイロットの年間線量限度も会社によって違いますけれど決まってる。ICRPの世界レベルで年間5ミリシーベルト、つまりきちんと管理しておかないといけないものなんですよ。そもそもレントゲンとか飛行機に乗って、ヨウ素もセシウムも吸うわけないので、原発事故と比較する対象として出してくること自体おかしい。それで、世の中に対してどんどん不信感を抱くようになって、地震も原発事故も怖いけど、なにか別の大きなものが私たち住民をだまして殺しにきてるんじゃないかっていうくらい、その後のニュースの報道がものすごく恐ろしかった。

ケン:ニュースの伝わり方に違和感を感じたのよね。

マコ:そして5日後くらいに、吉本興業の劇場が再開して、そこの出番の芸人だけ呼び戻されて、春休み子どもキャンペーンというのをやっていたんです。私たちはその品川プリンスシアターっていう吉本の劇場の看板キャラクターで、毎日小学生以下の子どもたちにプレゼントを渡していて。その頃既に3号炉が爆発して、私は風向きが東京に向かっているのを見て、小さい子どもがいる知り合いの芸人とか社員さんの家や妊婦さんに「ちょっとやばいので逃げてください」と電話して、仲良しの子どもたちは関西や九州に逃げてたんですよ。でも劇場がはじまって、自分が毎日小学生にプレゼントを渡してる状況に矛盾を感じて。こんな仕事はできないわと、劇場の支配人と相談して、原発は東京にいても危ないと思っていることを舞台で言いたい、と伝えたんです。けれど、それは会社としてノーだったので、考えた末に、私が思ったことをブログに書いて、劇場に来たちびっ子にはりがねのプレゼントを渡すときに、一緒に来ているお母さんに「私のブログをよかったら見てください」って言うことを始めたんです。

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映画『プリピャチ』より

ケン:何も言わずに「劇場に来てください」と呼ぶのはできなかったね。

マコ:それで自分でいろんなことを考えたり調べたりしてブログを書きはじめた。そうすると人に伝えるためには、正確な情報を知らないといけないと、テレビや新聞だけでなく、東京電力の記者会見をネットで毎日見るようになったんです。はじめは何言ってるかあんまりわからなかったので、記者会見の内容、出てくる情報と質疑応答をぜんぶ書き起こしてたんです。質問する記者さんの名前と所属媒体と質問内容と所要時間を膨大な量書いてた。そうしたら、どの人がどういう質問をするかがなんとなくわかってくるんです。3月の東京電力の記者会見ってものすごく荒れてて、もっと堅苦しいものかと思ってたので、なんでこんなに怒鳴り声とかヤジが飛んでるんだろうと。

ケン:テレビではあんまりそういうところは見られない。

マコ:インターネットだから「そんな質問聞きたくないんだよ!」とか「お前たちだけの会見じゃないんだ!」って言ってるのも全部流してる。そして必ず手を挙げても当たらない人が何人かいて、最後に東京電力の人が帰ろうとするときに「待ってください!質問させてください!」って言ってるんですよ。会見を見ながら、「またクソだとか言ってるわ」と突っ込んでたんですけど、家にいてもストレスが溜まるだけだし、その頃1日1回か2回吉本の劇場だけっていう暇な状態だったので、東京電力の本社は自宅の品川から自転車でも行けるな、って行くことにしたんです。それは質問をするうんぬんではなく、野次られてる人たちがどう考えても少数派で、私たちはその人たちの質問を聞きたかったので、その人たちが「そんな質問聞きたくないんだよ!」と言われたときに「私たちが聞きたいんです!」って野次り返すために行ったんです。

ケン:でも行ったはいいけど、入り方がわからない。

マコ:東京電力の前で、完璧にお揃いの服着てたんですよ。「どっから入るんだろう」ってふたりで立ってたら、後ろに警察官が8人くらいいて、ものすごく怪しまれて。これはすっと入らないと入りにくいなと思ったのと、誰でもいいから記者さんと仲良くなって、どうやって入るかと聞こうと、携帯で入りやすい会見がないかと調べたんです。そうしたら、たまたま自由報道協会の記者会見が同じ時間にやっていて、誰でも入れる会見だったので、そのまま歩きながら携帯のメールで申し込んで、そっちの会見に行ったのね。

ケン:上原春男先生のね。

マコ:佐賀大学の元教授で、福島第一原発の3号炉の冷却装置を設計した先生の会見だったんです。いろんな人がいたなかで、ひとりすごい派手な和柄のジャンパーを着た人が質問していて、その方が大川興業の大川総裁だった。それで芸人でも質問していいんだと。そのときに、司会をされていた上杉隆さんに「すいません、東京電力の記者会見ってどうやって入ったらいいんですか」と聞きまして、返ってきたのが「誰でも入れるよ。行ったらわかる、ちょっと薄暗いからつまづきそうになるけど、下の階段に気をつけたら入れるよ」という答えだった。

ケン:丁寧に教えてくれたのよね。

マコ:次に行ったら、受付の人に「おはようございます」って言ってすっと入れたんですよ。それで東京電力の会見に行き始めて。そのとき、質問することはあんまり考えていなかったんですけれど、でもそれまでに書き起こしたりして記者会見をずっと見ていて、私たちが聞きたい質問を記者さんの方々がどなたもしてくれてなかったんですよね。


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『プリピャチ』より

ケン:最初マコちゃんは記者さんの邪魔にならないようにすごく遠慮してて。

マコ:私があまり時間をとってはだめだと、最後にものすごく早口で質問してたんだよね。その頃3月、4月に福島第一原発をライブカメラで中継していて、何日かに1回、夜に白い湯気のような煙がよくブワーッと上がっていたんです。爆発しているんだろうかとか、ベントしてるんだろうかとかネット上で話題になっていて、なんであんなに煙が原発から出ているのに、誰もニュースにしないんだろうと、「あの煙はなんですか」といちばんはじめに聞いたんです。そうしたら「水蒸気です」みたいな回答で、「それには放射性物質が含まれてないんですか」って聞いたら、「含まれてございます」って言われて「ございますじゃないだろ!」と。次に「その夜に出てくる湯気に、だいたいどれくらいの放射性物質が含まれていのか、概算でいいので出してもらえませんか」と4月の10何日かに聞いたんですよ。そのときに「夜といいますか、昼夜問わず出てございます」と答えられてまたびっくりしたんです。

ケン:昼間は湯気が見えないのね。

福島では『プリピャチ』のように
30キロ圏から出入りするときに車を乗り換えたりしていない

マコ:記者会見にしょっちゅう行くようになって、評価中みたいな回答が続いていたので、毎週ぐらいしつこく聞いてたんです。そのたびに「5月頭には評価が出ると思います」とか「5月中頃に延びました」みたいなことを言いながら、最終的に出てきたのが7月17日でした。そのときに、大気中に出てくる放射性物質の量は1号炉から3号炉までトータルして毎時10億ベクレルだと。毎時ですよ。しかも、原子炉の上に宙吊りか直接置くことをしなければ正確な数値がでない。

ケン:そのために時間がかかるから、待ってくださいって言ってたのに。

マコ:結局そのときは建屋のうえにモニタリングポストを置こうと考えたけど、無理でした、ということで、周りに置いてあるモニタリングポストから算出しました、と。それが工程表とともに発表されたときに、私は「それ、4月の段階で私が聞いたときに、同じような方法で出せましたよね」って聞いたら、「おっしゃるとおりでございます」って言うんですよ。なんかいちいちどういうこと!?みたいな。「じゃあ今はその数字ですけど、4月の段階だとどれくらいの量なんですか」と聞いたら「4月4~6日までで、概算で毎時2.9×10の11乗でございます」という回答だったんです。ちなみに今年の1月の段階では、0.7億ベクレル毎時、7,000万ベクレル毎時出ています。

ケン:7,000万ベクレルってちょっとよくわからないですけど。

マコ:事故直後と比べたら2,000万分の1だみたいなことを言われるんですけど、それって評価の対象になるのかなと思いながら。

ケン:事故前はそんなに出てない。

マコ:作業員の友達に7,000万ベクレルってどういう感じの数字なのって聞いたことがあるんです。いまは出っぱなしなので、福島の方々のお母さんは「フレッシュな放射能」という言い方をするんですけれど、除染しても除染しても、あちこちから降ってくるんです。原子炉からも出てるし、家の周りを掃除したとしても、風に運ばれてくる。それでも、まだ原発から出てないのであれば、せっせと掃除していればいつか減るのかもしれないですけど、今まだ出続けていて、除染をはじめるのであれば、せめて1号炉から3号炉まできちんとカバーリングをして、毎時0.7億ベクレルとか外にでない状態じゃないと、除染してもあまり意味ないんじゃないかなと言っていたけどね。でもそういうことはあまり外に出てこない声なんですよね。

ケン:『プリピャチ』を観ていて、30キロの立入制限区域から出入りするときに、車を乗り換えたり、服を着替えたりするのが印象的。日本にはそういうことをあまりしていない。

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映画『プリピャチ』より

マコ:福島では30キロ圏内を取材する人も、いったん少し家に帰る人も、車をまったく乗り換えてないんです。去年の9月くらいに避難所に話をしにいったときに、たくさん並んでいる車をガイガーカウンターで測ってみたら、たまにびっくりするくらい高い線量の車があって。タイヤとかゴムは取れにくいからね。車を乗り換えることっていうのはすごく必要なことだと思う。

『プリピャチ』を観たあと福島の状況を見直すと、
日本はチェルノブイリ以下だったんだなと思う

ケン:瓦礫をどこか外にやったりということも問題があるのかな。

マコ:そう、だから『プリピャチ』に出てくる研究員の女の人もゾーンの中と外とでぜんぶ着替えているけれど、福島はそうなってない。でも、そういうことを言うことが頭がおかしいみたいな圧力があるみたいで。例えば郡山のおうちでも、旦那さんが山林関係の仕事をしているので、きっと靴とか服に土がつくのでほんとうは玄関で着替えてほしいんだけど、そういうことを言うと、旦那さんは放射線だいじょうぶだと思っているから喧嘩になることが多いんです。 1月末に、第5回県民健康管理調査検討委員会というのがあって、山下俊一先生が座長で、福島県の健康調査をやっているんです。第1回から第3回までは、まったく傍聴もできず議事録もなく、密室な会議をしていて、でも福島県の被曝に関する健康のことはそこだけで話し合われていたので、「傍聴に行かせろ」と毎週電話していたんです。
去年の10月に第4回に行ってびっくりしたのは、既に骨組みがぜんぶ出来上がっていて、決まったことを言うということしかなくて、どんな議論があったかぜんぜんわからなかった。ただの検討委員会という名の広報みたいな感じで、意味ないなぁみたいな。
この間の5回目の検討委員会は、健康調査の話もあり、18歳以下の甲状腺エコーの数字も出たんですが、もうひとつ気になったのが、福島県としてアドバイザリーグループというのを立ち上げましたというんです。現在福島県の人たちが不安やストレスに晒されているのは、ネットとかで間違った情報を入れているからだと。そのストレスや不安をとるために、県内の各自治体がそれぞれ先生にアドバイスをもらったりしている状況を、県のアドバイザリーグループに揃えて放射線に関する知識を一本化していきましょう、という話を検討委員会でしているんです。それを聞いてひっくり返って。

ケン:個性を取られるみたいな。

マコ:放射線に関するいろんな話のなかで、共通の認識ってよく聞くんですが、福島県の方々は心配する自由がない。放射線に関する不安や思いを口に出せない、それが汚染された地域以上に歪んでるなというのが実感で。今日もここに来る前に、郡山から自主避難している人と話してたのが、いま福島では被災した人同士で心を許すことができなくなっていると。ほんとうはみんなでひとつになって助け合っていきたいのに、放射線に関することで夫婦間や親子で仲が悪かったり、友達同士とかお母さん仲間ですごくいがみ合っているので、ものすごい辛いって言うてた。なので、せめて放射線のことに関しては怖がったり心配しても頭おかしいって言われないようにしてほしいって言われて、もうなんだろう、この切ない願いは、って悔しかった。だから、『プリピャチ』を観たあと福島の状況を見直すと、日本ってチェルノブイリ以下だったんだな、みたいに思うことがあるよね。

(2012年3月6日渋谷アップリンクXにて 取材・構成:駒井憲嗣)



映画『プリピャチ』
渋谷アップリンク新宿武蔵野館他公開中、全国順次公開

監督・撮影:ニコラウス・ゲイハルター
1999年/オーストリア/100分/HDCAM/モノクロ
公式サイト:http://www.uplink.co.jp/pripyat/

トークイベント開催

3月13日(火)18:50の回上映後
ゲスト:フランシスコ・サンチェス氏、ナターシャ・ブストス氏(『チェルノブイリ 家族の帰る場所』[朝日出版社刊]著者)、管啓次郎氏(詩人、比較文学者)

http://www.uplink.co.jp/pripyat/news.php#2217

3月16日(金)19:30より トーク付き上映会
ゲスト:池田香代子氏(ドイツ文学翻訳家)

http://www.uplink.co.jp/factory/log/004336.php
以上、渋谷アップリンクにて開催




▼『プリピャチ』予告編



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