骰子の眼

cinema

東京都 渋谷区

2012-03-05 18:30


「ここはみんなが生きている場所だという認識を呼び覚ます」

東日本震災後完成したロッテルダム最高賞受賞作『Generator』東京プレミア上映開催、牧野貴監督インタビュー
「ここはみんなが生きている場所だという認識を呼び覚ます」
今年のロッテルダム国際映画祭短編部門タイガー・アワードを受賞した牧野貴監督。

先頃開催された第41回ロッテルダム国際映画祭にて、短編部門タイガー・アワード(最高賞)を受賞した牧野貴の最新作『Generator』。東日本大震災の3日前に空撮された東京の映像が用いられ、震災後に完成した本作の、凱旋&東京プレミア上映が3月7日(水)渋谷アップリンク・ファクトリーにて行われる。イベント開催にあたり、牧野監督に、個人特集が組まれた2008年の最初の出品から通算5回目で念願の受賞となったロッテルダム映画祭への思い、そして今作制作にまつわるエピソードを聞いた。なお上映終了後には映画監督の七里圭氏、恵比寿映像祭ディレクターの岡村恵子氏をゲストに招いてのトークショーも設けられている。

ロッテルダムが実験映画に対する固定観念を壊してくれた

── 牧野監督にとって、ロッテルダムとはどんな映画祭ですか。

映画祭が賞をあげるというのは、その監督と作品を背負うことになると思うんですけれど、ただ僕の映画は、美術とか音楽の方面に幅は広がっていく可能性は多く有ると思いますが、テレビとか芸能界とかCMとか、いわゆるお金になる方向に繋がる可能性はまったくないと思うんです。そんな作家に賞をくれたというのは、すごいことする映画祭だなと感動しました(笑)。新人を発掘するのがロッテルダムの大きなテーマなので、純粋に作品だけを観て評価してくれた結果だと思うんです。それがインディペンデントであろうが、プロデューサーもスポンサーもいるような短編映画だろうが、同等に扱ってくれる。人種差別や階級差別が無いんです。その勇気と行動力は他の映画祭では観たことがありませんでした。

実は、世界三大映画祭からも毎年お誘いはあるんですけれど、35mmに焼いたら上映してあげるなんて気軽に言ってくるんですよね(笑)。日本は特にフィルム代や現像費が高いから、それをやると200万くらいかかるわけです。僕のようなインディペンデント作家には無理な相談ですね。フィルムに焼いたからって画質が向上する訳でもないのにそんなことする意味が有りません。単なるフォーマット、形式の問題です。たくさんお金を払って、有名な映画祭に参加する切符を買うようなやり方ももちろん有るとは思うのですが、それは自分の仕事のやり方じゃないと前から思っていました。だからそういう映画祭には返事もしていないんです。最近はどの映画祭もデジタル上映に寛容になっているようですが。でも、ロッテルダムは昔から、たとえminiDVでも同等に扱ってくれていました。本当に固定観念のない、すごくチャンスがある映画祭だと思っています。

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『Generator』より

僕はロッテルダムに育てられたとすごく感じています。ロッテルダム以前は実験映画という言葉を使うのも嫌だったので、今までの実験映画の文脈の中ではなく、あえて自分ひとりで活動していました。その時から、周りが僕の作品のことを実験映画と呼ぶ事はあったのですが、自分が上映するときに「これは実験映画だ」とは、意図的に言わないようにしていました。

でも2008年にロッテルダムに行ったら、明らかにかつての実験映画を愛しながらも否定して作品を作りはじめている作家が、ごく少数いたんです。そういう作家と出会えたことがものすごくうれしくて、彼らの作品に出会えたから、実験映画という言葉をポジティブに再考することができるようになりました。

ロッテルダムが僕の実験映画ということに対しての固定観念を壊してくれた。ロッテルダムのカルチャーショックの後、特に突出した作家の作品を日本で上映するプロジェクト[プラス]をやることになるんですけれど、そこでは、日本のなかで抱かれてきた実験映画に対する悪いイメージを意図的に改善しようと試みています。

人間が作った都市の構造を生命体として描こうと思った

── 『Generator』について書いたブログの最後に「僕はいつ映画を辞めても良い」と書かれていますね。

いつ映画を辞めてもいい、というのはいつも考えていることです。ひとつ作品を作るといつも反省点しか浮かんでこないので、辞めることはないと思いたいんですけれど(笑)。ただ、「何事も、続ける事に意義が有る」というのは目的と手段が入れ替わってしまった、間違った言葉だとは思っています。

『Generator』の発端は、愛知芸術文化センターが年にひとり作家を選んで必ずテーマをボディ=身体と設定して20年やってきているんですが、2011年に、僕もそのテーマを与えられました。それで、改めて自分が身体ということを考えたときに、体の外側の動きやフォルムではなく、内部の構造に考えが向きました。建物のひとつひとつが細胞に見えるくらい高いところから都市を空撮して、そのなかに様々なイメージをオーバーラップしていって、人間が作った都市の構造を生命体として描こうと思いました。

実は締切が3月末日だったんですけれど、3月8日に空撮をしたんです。そうしたら地震があって、買っていた編集するための機材がぜんぶ届かない状態になった。混乱した状況のなかでも締切は延びなかったのですが、とにかくその1ヵ月はすごく気分が高揚した状態にあったことは確かです。

水から放射能が出たこととか、人々の原発事故に対する反応を見ながら、自分自身もいまの状況に対していろいろと考えていました。 今は若者のほうが人数が少ないわけで、どんなに若者ががんばっても、中高年には選挙に負ける状況にあります。そんな状況のなかで、水の買い占めがはじまったときに、並んでいる人がみんな中高年だったのを見て、日本はもうおしまいだなと、このまま日本に住み続けていたら殺されてしまうくらいに考えました。きっと多くの若い人たちはそうした怒りを持ったんじゃないでしょうか。僕も編集しているときに、都市の脈動を描くことは変わらなかったんですけれど、さらにそこに加わったのが怒りの感情。そしてその時心に深く残ったのは、一部の民衆の怒りではなくて、地球レベルの大きな恐怖でした。

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『Generator』より

生命の脈動の連鎖は続いていくけれど、映画は終わらなければいけない

── ミクロとマクロの絵が相似であるというのは、牧野さんが以前から考えていたイメージだったんですか。

そうですね。いままでの作品では、空撮のようなものが具体的に入ってくることはあまりなかったんですけれど、今回はそれが新しいチャレンジでした。しかもそれがパソコンの基盤のような、整理されたきれいな街ではなくて、東京の街並みの滅茶苦茶に見えるけれど力強く機能しているその構造が、身体の内部を感じさせる風景になっていると思い、東京で空撮することにしたんです。

しかし、映画を作るときには、避けられない重大な問題が有ります。それは、生命の脈動の連鎖は続いていくけれど、そう望みたいけれど、映画は終わらなければいけないという事です。それならば、盛り上がるところまで盛り上がって一気に情報量が無くなったときに覚える感覚を表現しなければならないと思いました。無くなったときにはじめてあったものを再認識できると思うんです。自分は癒しというか、みんなでこういう感覚を共有したいとかそういう気持ちで映画を作ってはいなくて、もっと人を鼓舞する、感情を盛り上げて、人類が本来持つであろう生命力をふつふつとさせたいという願いがずっとあるんです。そして、映画にはそれが出来ると思っています。『Generator』はとりわけ、これが終わりじゃない、続いていく力、鼓動だとしてひたすら盛り上がって、カットアウトするという終わり方をしています。これは非常にポジティブな映画だと僕は思っています。

── 原発事故に対してアーティストとしてなにができるか、と考えたときに無力感はなかったのですか。

原発のことを良く聞かれるんですけれど、空撮をする事も、タイトルもその前から決まっていましたし、作品の方向性も変えてはいません。確かに、放射能の危険が叫ばれている時期に、粒子を都市に重ねて水を重ねた映像を作ったら、これは津波や放射能のことを想像させてしまうのではないかと危惧して、ぜんぜん違うものにしなければならないかも知れないと考えたこともありました。でもこれはもうぜんぶ受け入れて、素直に今しか作れないものを作ろうと思ったんです。それはすごく自然な反応でした。

もちろん原発を止めようという署名運動にも参加はしましたが、それは僕じゃなくても出来る事でしょう。この作品を作る過程で、いちばん考えた事は、原発のような人が作って始まってしまったものがあるなかで、それに対して、事故が起こったからうんぬんではなく……映画作家にしか出来ない事をやろうと思ったんです。それはいつも考えている事ですが……。それと、「本当に人を好きになったり、地球のことや子どもたちのことを深く愛することがあれば、あんまり馬鹿なことはしないはずだ」と言いたかったんです。自分が生きているここが、みんなが生きている場所だという認識力を呼び覚まさせたい。

原発にただ反対じゃなくて、それを作品で感じさせたい。初めて飛行機で空を飛んだときってすごく感動するけれど、その、自分が生きてきた街、そこに好きな人たちが住んで活動しているからあの街は光っているんだ、という感覚。この映画を観た人がここにいる世界そのものを違う目線で見られるようなきっかけになればいいなと思っています。言葉にならない事でも、重要なものはたくさん有ると思います。この映画にも言葉は有りませんが、何か特別な事を感じ取ってもらえれば嬉しいです。きっと、僕は映画の力とか、芸術の力を強く信じています。国境も言葉も時代も軽々と飛躍出来るその力を疑いたく有りません。ですから、無力感は感じませんでしたと答えさせてください。

(インタビュー・文:駒井憲嗣)



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『Generator』凱旋上映会(東京プレミア上映)
─ 牧野貴ロッテルダム国際映画祭短編コンペティション部門タイガーアワード受賞記念
2012年3月7日(水)
渋谷アップリンク・ファクトリー

19:30開場/20:00上映開始
料金:1,000円(+1ドリンク別/メール予約できます)
トーク出演:牧野貴(『Generator』監督)、七里圭(映画監督)、岡村恵子(恵比寿映像祭ディレクター)
上映作品:『Generator』(2011年/20分/カラー)*プロジェクター上映
映像:牧野貴
音楽:ジム・オルーク
愛知芸術文化センター2011年度オリジナル映像作品
ご予約は下記より
http://www.uplink.co.jp/factory/log/004325.php

▼『Generator』予告編



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