骰子の眼

cinema

東京都 渋谷区

2012-03-01 17:50


鎌田實氏が綴る映画『プリピャチ』とチェルノブイリ原発事故現場

「故郷に住みたい人から故郷を奪ってしまうことは、どんなにむごいことか」
鎌田實氏が綴る映画『プリピャチ』とチェルノブイリ原発事故現場
1986年に爆発したチェルノブイリ原子力発電所4号炉まで300メートルの地点で撮影。 2010年7月、放射線量は毎時18マイクロシーベルト。事故後24年経っても、放射能はいまだに高い。(写真提供:鎌田實氏)

チェルノブイリ原発事故から12年後、稼働し続けていた原子炉内部に潜入、そして立入制限区域となった周辺地域に住む人たちの暮らしを捉えたドキュメンタリー映画『プリピャチ』が3月3日(土)から渋谷アップリンク新宿武蔵野館ほかで公開。福島第一原発事故後、東北支援や講演活動を精力的に行なっている作家・医師の鎌田實氏に、映画のカメラと同じようにチェルノブイリ原発の敷地内や原子炉内に取材で入った際のエピソード、そして福島に住む人たちへの思いを綴っていただいた。

世界中のどこにも、二度とプリピャチのような町をつくってはならないと思わせてくれる

優れた映画である。啓蒙的でもない。断罪してもいない。ニコラウス・ゲイハルター監督は、立入制限区域で生きるに人たちの姿を静かに映し出す。観客をある方向へ誘導しようとしていない。
だが、監督が自己主張しない分だけ、カメラの前の人たちが大切なことを伝えてくれる。20世紀、人類がどんな間違いをしてしまったのか。世界中のどこにも、二度とプリピャチのような町をつくってはならないと思わせてくれる映画である。
チェルノブイリ原発事故から12年後に作られた。その当時、この映画をもっとたくさんの日本人が見ていたら、この狭い日本に54基もの原発があることに疑問を抱き、少しはまともな議論をしたのではないかと思う。日本のどの町も、プリピャチのような町にしてはいけないという声が出たかもしれない。少なくても安全神話にだまされず、原発を推進する学者や電力会社の幹部、政治家たちがつくる、見えないネットワーク“原子力村”に、もう少し対抗できたかもしれないと思うと残念である。
ぼくは、20年前からチェルノブイリに通っている。初めて訪ねた1991年1月は、プリビャチのゲートまでたどり着いたが、押し問答の末、中に入れてもらえなかった。

1993年、あらためてきちんとした許可書をもらい、30キロ圏内に入った。チェルノブイリ原発の敷地内にも入り、3号炉にも入った。プリピャチ市の遊園地も見た。爆発した4号炉はすでに石棺で覆われていた。一帯は石棺の名の通り、文明の墓場のようであった。
2010年7月、再び30キロ圏内に入った。24年経っても森や草むらは放射能が高かった。
多くのところが毎時10マイクロシーベルトを超え、いちばん高いところでは毎時18マイクロシーベルトだった。

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チェルノブイリの体育館にあった温水プールの残骸(写真提供:鎌田實氏)

21世紀、ぼくたちはどんな生き方をしなければならないか見えてくる

汚染された森が自然発火で燃えると、放射能が大気中に放出され、風に乗って汚染を広げてしまう。それを防ぐため、30キロ圏内には多くの消防士が配されていた。
すでに3号炉も停止し、チェルノブイリ原発の息の根はすべて止まった。だが、4号炉の燃料棒はまだ取り出せていない。“モンスター”を管理するために、今も多くの人が働いていた。石棺の老朽化でひび割れがひどく、石棺をドームで覆う計画が立っていた。ここに、だれかが住めるようになるなんて、思っている人はだれもいかなった。文明の廃墟である。
原子炉のそばにある冷却水のため池には、映画と同じように、巨大なコイやナマズの姿が見えた。コイやナマズも放射能で汚れている。森のシカやイノシシも、そうだ。
30キロ圏内やその外側にできたホットスポットは、強制移住の命令が出され、地図から消された。たが、故郷を離れられないお年寄りがそこに残り、今も暮らし続けている。彼らは、「サマショーロ」と呼ばれている。ロシア語でわがままな人という意味だ。
だれにとっても故郷は特別なものだ。年をとると多くの人は故郷から離れられない。一度都会に出たものの、都会の生活になじめず、息子や孫を置いて戻ってきたお年寄りたちもいる。
ベラルーシ共和国のゴメリ州ベトカ地区には、「埋葬の村」がある。高汚染のため家屋を埋めた。住んではいけない村だ。ぼくはその村を毎回訪ね、診察をしている。そこに残ったおばあちゃんが、こんなことを言った。
「村から出てった同年代の人たちはみんな都会で死んだ」。
放射能は明らかに、リスクである。しかし、生きるうえでのリスクは放射能だけではない。絆がなくなること、仕事がみつからないこと、生きがいを失うこと、それらもすべてリスクである。

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1986年5月1日にオープンするはずたったプリピャチの遊園地。その直前の4月26日に4号炉が爆発した。観覧車は、一度も子どもたちを乗せることなく、さびついている。(写真提供:鎌田實氏)

映画『プリピャチ』に出てくる30キロ圏内に住み続ける人たちは、みんな故郷にこだわっている。絆も、仕事もなくなり、電話もつながらない。汚染地に残っても、辛いのだ。
故郷に住みたい人から故郷を奪ってしまうことは、どんなにむごいことか。今、福島の人たちを見ていて、心からそう思う。福島を出て行った人たちも心に傷を残している。だから、「逃げた」なんて言ってはいけないのだ。福島に残った人たちもみんなつらい。みんな不安のなかで生きている。
この映画をじっくり見ると、21世紀、ぼくたちはどんな生き方をしなければならないか見えてくるような気がする。二度とチェルノブイリやフクシマを起こしていけないと、この映画は静かに語っている。
たくさんの人にみてもらいたいと思う。そして、世界中のどこにも三度、こんな悲しい事故を起こさないように何をすべきか決断するときがきているように思う。

(文:鎌田 實[医師・作家] 『プリピャチ』パンフレットより)



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映画『プリピャチ』
2012年3月3日(土)、渋谷アップリンク新宿武蔵野館他、全国順次公開

監督・撮影:ニコラウス・ゲイハルター
1999年/オーストリア/100分/HDCAM/モノクロ
公式サイト:http://www.uplink.co.jp/pripyat/

特別先行上映会

双葉町出身者、関係者、双葉高校同窓会対象の特別先行上映会を開催
2012年3月1日(木)
18:50開場/19:00上映 上映終了後、意見交換会/21:30終了予定
会場:アップリンク・ファクトリー(東京都渋谷区宇田川町37-18 トツネビル1F)
料金:無料
定員:50名 ※ご予約の先着順になります。ご了承ください。
詳しくは下記まで
http://www.uplink.co.jp/news/log/004331.php

連日トークイベント開催

3月3日(土)12:50の回上映後 ゲスト:渋谷哲也氏(ドイツ映画研究)
3月4日(日)12:50の回上映後 ゲスト:四方幸子氏(メディアアート・キュレーター)
3月6日(火)18:50の回上映後 ゲスト:おしどりマコ・ケン氏(夫婦音曲漫才)
3月8日(木)12:50の回上映後 ゲスト:佐藤幸子氏(子供たちを放射能から守る福島ネットワーク)
3月16日(金)19:30より トーク付き上映会 ゲスト:池田香代子氏(ドイツ文学翻訳家)

http://www.uplink.co.jp/factory/log/004336.php
以上、渋谷アップリンクにて開催

チェルノブイリから来日するサーシャ・スィロタさんの無料トークイベント開催
3月11日(日)16:20~

会場:UPLINK ROOM(東京都渋谷区宇田川町37-18 トツネビル2階)
ゲスト:サーシャ・スィロタさん(プリピャチコム副代表・チェルノブイリ被曝者互助団体「ゼムリャキ」広報担当)
料金:無料
http://www.uplink.co.jp/news/log/004348.php




▼『プリピャチ』予告編



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