『プリピャチ』のニコラウス・ゲイハルター監督 (c)Philipp Horak
『いのちの食べかた』のニコラウス・ゲイハルター監督がチェルノブイリ原発事故から12年後に近隣の街の住民や労働者、そして当時まだ4号機の事故を起こしながらも稼働していた原子炉の中にカメラを向けたドキュメンタリー『プリピャチ』が3月3日(土)から渋谷アップリンク、新宿武蔵野館ほかで上映される。
ゲイハルター監督は、ヨーロッパで事故当初から次第にメディアの報道が減り、忘れ去られようとしていた原発事故を忘れさせないために、この映画を製作したという。今回のインタビューでは、ほかにも事故現場から4キロの街での撮影の様子や、福島第一原発事故後の日本で公開されることについて率直に語っている。
福島原発事故は意外なことでも偶然でもない
──1999年に制作されたこの映画が、3月11日の第一原発事故後の日本で公開されることについて、どのように感じていますか。
私は原発というテーマに関する専門家ではありません。そして、12年前に偶然この映画を制作しました。ただ、今作がいま日本で公開されることは偶然だとは思っていません。
私は14歳のときチェルノブイリの原発事故を体験しましたが、その時にメディアは様々なかたちで原発事故を紹介し、話題になりました。しかし、生活は続き、人々からだんだんと忘れられていくなかで、社会は変わっていきません。ですから、そのあと25年たって福島でも同じ状況が起こったのです。
福島のことを聞いたときショックを受けましたが、不思議だとは思いませんでした。まさにこういう状況が起こるというのは25年の間にずっと考えてきましたから。ただ、次にこういう原発事故が起こるのは日本であろうということまでは想像していませんでした。ニュースで見る映像からすると、この映画で撮影したチェルノブイリのゾーンという立ち入り禁止区域の非常にさびれた様子と福島の様子は、同じであると推測することができました。
とても高価な車を買っても、その車が木に衝突する事故を起こして死んでしまうこともある。つまり、どんなにすごいテクノロジーでも、どんなにお金をかけても、事故を起こす危険は必ずあるのです。ところが、人間はそれを忘れてしまい、忘れたころに大事故が起こる。原子力発電のシステム自体がそうした要素を含んでいるということからすると、意外なことでも偶然でもないということです。
──福島第一原発事故の報を聞いたとき、チェルノブイリの事故当時を思い出しましたか。
チェルノブイリ事故の時は、例えばミルクは飲んではいけないとか、風の強い日に表に子供は出ちゃいけないとか、遠く離れたヨーロッパでもそうしたことが言われていました。あまりパニックを起こさないようにと思いながら、その一方で大変なことが起こっているんだなということはわかりました。メディアがはっきりと伝えてくれないので、いったい何が起こったんだ、とずっと不安を感じていたことは覚えています。チェルノブイリの事故は、ソビエトという国が非常に複雑だから情報が発表されないのだとそれまで思っていましたが、福島の事件が起こったとき、やはり同じように矛盾している情報が数多く出てきたことに、非常に苛立ちを覚えたのです。
福島の事故でも、メディアが紹介するときは、人々の興味を惹くことしか頭にありません。だからこそ私は『プリピャチ』を作りました。チェルノブイリも事故が過ぎ去ってしまうと、メディアはまったくとりあげなくなってしまったからです。このような映画が作られて、その後で人々の意識や民主的な行動は少しは変わったかもしれません。ただ、メディアがやっていることは今も昔も変わっていないと思います。はっきりとした解決法はないのですが、私はこの映画を作りながらそのようなことを考えていました。
しかし撮影中、いちばん感動的だったのは、ゾーンの中に戻った人たちが、危険があるということを知っていながらも、なんとか生活を立て直そうとしていること。未来が見通せないこうした状況の中でも人が生きていられるということでした。
『プリピャチ』より
防護服は着ないで撮影した
──撮る前にゾーンの中がどういう状況かわかって撮りに行ったのですか。また、撮った後で自分の想像と違うことがありましたか。
もちろん映画を撮る以前に様々な報道で写真を見ていたので、ゾーンの中がどんなものなのかという知識はありましたので、実際に入って見たことに関して驚いたことはありません。想像していた通りのものを撮影できました。ただ、その中で本当に人々が生活している姿というのは驚きではありました。ゾーンというのはコンパスで描いたように丸くなっているのですが、実際にその地域に住めるか住めないかは円では分けることができません。そういう点では疑問も感じましたし、福島でも同じことだと思います。30キロのゾーンの外でも非常に汚染の強い地域もあれば、ゾーンの中なのにずっと線量の低い地域もあります。ゾーン内の線量の低い地域では生活もできるし物も作れる状況なんですが、ゾーンの外になると別に除染作業はされないわけです。
──撮影期間はどのくらいでしたか。また、どれくらいの村人に取材しましたか。
映画の制作には2年くらいを費やしましたが、そのなかでゾーンの中は、3回に分けて撮影を行い、中断を含んで3ヵ月間とどまりました。ドキュメンタリー映画として当然のことですが、観ていただいた以外にも大量のマテリアルを撮影したものの、本編には使われませんでした。
インタビューしたのは10~15人くらいですね。3ヵ月しかいなかったので、その間にいろんな人と知り合い、関係を密にして、インタビューできる人をさがしました。この時期の村人たちは、完全に外から切り離され、忘れ去られている中で生きていたので、わたしたちのようなチームがやってきて話しかけてくるのを非常に喜んでいました。交流をもったうえで話しかけると、みんな撮るのを了承してくれました。
『プリピャチ』より
──スタッフの人数は?その中に放射能を怖がっている人はいませんでしたか。
3人のオーストリア人とウクライナ人2人の5人組で撮影を行いました。このチームでゾーンの中に入り、いろんな人を訪ねて、そこにとどまりリサーチを重ねました。ゾーンの中でも、呼吸したりものを食べたりしても大丈夫な地域というのがあるとわかったので、注意しながら生活しました。映画の中で働いている人がしていたように、普段は普通の格好をしていても、例えば埃が舞ったときだけマスクをつけるというような状況です。ただやっぱり、キノコをどうですかと勧められた時は、「ちょっと食べられません」と断ることはありました。防護服については、着るのに手間がかかることと、村の人たちとの距離も生じてしまうので、着ませんでした。そして撮影の前後では、ウィーンの放射能の研究所でホール・ボディ・カウンターを行い、どれくらい被曝したかということをチェックしました。
──そのウィーンでの被曝の検査結果はどうだったのですか。
オーストリアでは専門家が1年間に浴びていい線量が決まっているのですが、3ヵ月の滞在でそれを超えるくらいの線量を記録はしました。私たちは1回受けただけですが、それを現場作業員はずっと受け続ける、というのを考えると……ガイガーカウンターですべての線量を測り、外から持ち込まれる食べ物だけを食べて身を守るといことができない人たちもいるわけですから。
『プリピャチ』より
問題は未解決のまま残っている
──モノクロで撮っていることについては、どんな意図があるのでしょうか。
なぜ白黒で撮ったかというと、放射能の見えない危険性を何らかの形でわかるようなものに表現したいと思ったからです。そして白黒で撮ると、テレビと違い、これが映画であり、撮影されたものであるということがずっと意識されます。つまり記録されたものであるということが観客の意識からなくならないようにしたかったのです。そこに映っているのはまさにゾーンの中のものです。それを繋ぎ合わせることで、ひとつのまとまった世界を見せたかったのです。
──長回しや音楽を使わないといった手法について聞かせてください。
そこに映っている人を体験でき、感じられるようにするためです。観客がこの映画の空間の中に自分でどんどん浸っていって、自分で見て考えることができる、その空間を体験できるようにすることを心がけています。そこにナレーションや伴奏音楽が入ると、当然、自由な空気を体験することを妨げてしまいます。特にこの映画のような場合には、そこに流れている自然の音や言葉といったオリジナルの音、まさにそこで鳴っている純粋な音を残すというのは非常に重要なことだと思います。
──最後に、現在の原発反対運動、人々の対応、今後の技術の発展、そして原子力発電のこれからについてどう思われますか。
私の意見としては原子力に未来はないだろうということです。科学者は開発を進めますが、最後がどうなるかということまでは考えてないでしょう。つまり、稼働すると廃棄物がどんどんできていくということです。ただ一つの国でさえ廃棄物をどのように最終処理するか見つけていない。その問題は未解決のまま残っているわけですから。
福島の後、同じことが起こらないようにとヨーロッパは考えています。地続きのヨーロッパと違い、島国の日本で新しいエネルギーを開発するのは大変難しいことだとは思います。とはいえ、日本の高度な技術を今こそ用いて新しい解決策を見つけていくべきではないでしょうか。もし今カメラを持ち、原発の問題をテーマに新しい映画を作ろうと思ったら、日本で撮ることになるでしょう。日本はこれからの新しいエネルギーを考えるのに極めて大きなチャンスがあると思います。
[2011年12月3日 アテネ・フランセにて]
ニコラウス・ゲイハルター プロフィール
1972年オーストリア・ウィーン生まれ。食べ物の大量生産の現場を描く『いのちの食べかた』(2005年)が話題を呼ぶ。2011年制作の『眠れぬ夜の仕事図鑑』(原題:Abendland)が2012年初夏公開。
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映画『プリピャチ』
2012年3月3日(土)、渋谷アップリンク、新宿武蔵野館他、全国順次公開
監督・撮影:ニコラウス・ゲイハルター
1999年/オーストリア/100分/HDCAM/モノクロ
公式サイト:http://www.uplink.co.jp/pripyat/
特別先行上映会
双葉町出身者、関係者、双葉高校同窓会対象の特別先行上映会を開催
2012年3月1日(木)
18:50開場/19:00上映 上映終了後、意見交換会/21:30終了予定
会場:アップリンク・ファクトリー(東京都渋谷区宇田川町37-18 トツネビル1F)
料金:無料
定員:50名 ※ご予約の先着順になります。ご了承ください。
詳しくは下記まで
http://www.uplink.co.jp/news/log/004331.php
連日トークイベント開催
3月3日(土)12:50の回上映後 ゲスト:渋谷哲也氏(ドイツ映画研究)
3月4日(日)12:50の回上映後 ゲスト:四方幸子氏(メディアアート・キュレーター)
3月6日(火)18:50の回上映後 ゲスト:おしどりマコ・ケン氏(夫婦音曲漫才)
3月8日(木)12:50の回上映後 ゲスト:佐藤幸子氏(子供たちを放射能から守る福島ネットワーク)
3月16日(金)19:30より トーク付き上映会 ゲスト:池田香代子氏(ドイツ文学翻訳家)
http://www.uplink.co.jp/factory/log/004336.php
以上、渋谷アップリンクにて開催
▼『プリピャチ』予告編