骰子の眼

cinema

東京都 渋谷区

2012-02-21 19:30


この映画が描いているのは間違いなく数年後のフクシマなのだ

事故後のチェルノブイリ原子炉内と立入制限区域に潜入した映画『プリピャチ』コメント
この映画が描いているのは間違いなく数年後のフクシマなのだ
映画『プリピャチ』より、チェルノブイリ原発内でインタビューに答える作業員

1986年のチェルノブイリ原発事故から12年後、4号炉の事故のあとも稼働し続けていた原子炉内の撮影を敢行し、立入制限区域となった現場から4キロの街に住む人々にインタビューを行ったドキュメンタリー『プリピャチ』が3月3日(土)より渋谷アップリンクで公開される。日本でも話題を呼んだ 『いのちの食べかた』のニコラウス・ゲイハルター監督が原発事故後の実態を捉える今作品を観た漫画家、詩人、ジャーナリスト、写真家、キュレーター、映画監督の方々からのコメントを紹介する。

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──しりあがり寿(漫画家)

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映画『プリピャチ』より

私は南相馬市に六年ほど暮らした。昨年の暮れに、二十キロ圏内に防護服を着て入った。よく遊びに出かけた小高区や浪江区に行って現場を見てきたが、涙が止まらなくなってしまった。この間まで親しかった土地の表情はがらりと冷たいものに変わっていた。何にもつながっていない世界が広がっていて、たとえようのない静閑さがそこにあった。春頃まで暮らしが営まれていたはずなのに、無人地帯は残酷なまでに私に何も語らない。

圏内は、爆発後すぐに避難指示があって、立入禁止となった。津波に巻き込まれて、その後に命からがら浜に打ち上げられた人々…。救助の手をもらえず、そのまま寒さにうち震えながら、命を落とした方がたくさんいらっしゃった。その海辺に行き、手を合わせた。

絶望だ。人類の静けさを現代に、後世に伝えなくてはいけない。『プリピャチ』はこの静寂と足し引きなく向き合っている大切な映画である。本編の人々の語る言葉に、耳に訪れた浜辺の鳥たちの声を想った。合間の沈黙に、生きることのかけがえのなさがある。

──和合亮一(詩人)

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映画『プリピャチ』より

『プリピャチ』で描かれるのは、淡々と続く「チェルノブイリ」後の日常だ。畑を耕し、川魚を釣りあげ、大地と共に暮らす人々。風にそよぐ木々の上からは、歌うような鳥の鳴き声も聞こえてくる一見のどかな、どこにでもある田舎の風景。だが観客が「見えない放射線」を感じ取ることができるようになると、それらはまったく別物となる。汚染された灰色の世界、その中で暮らすことを余儀なくされた人々。彼らを襲うのは、正確な被曝量が分からない不安、他人には理解されない孤独。それだけでなく、経済的にも追い込まれていくのだ。映画『プリピャチ』のモノクロ映像は、それら一連の不安と恐怖を、否応なく見る者に想像させてしまう。「黙示録」と呼んでも良いかもしれない。この映画が描いているのは、間違いなく数年後のフクシマなのだから。

──桃井和馬(写真家・ノンフィクション作家)

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撮影:桃井和馬

『プリピャチ』を初めて見たのは2011年6月。事故後も現地で生きる人々の日常や思いが語られるその内容、そしてゲイハルター監督の、つつましくその場や人々に寄り添う姿勢に共感し、ぜひとも多くの人々に見てほしいと公開に向けて動いた。チェルノブイリ事故12年後を描いたこの映画を今見てもらう意味を強く感じたこと、感銘を受けた『いのちの食べかた』の監督であること、また個人的にはチェルノブイリ事故の時、ドイツに滞在していたことが原点となっている。『プリピャチ』をはじめとする多彩なドキュメンタリー作品においてゲイハルター監督は、世の中から忘れられつつある場に静かに分け入り、各人の言葉や自然の息吹を丹念にすくいあげる。彼が一貫して問いかけているのは人間と技術、そして自然との関係である。取り上げられるのは歴史の舞台から外れた時間や空間であり、連綿と息づく人々や自然である。彼の作品は寡黙で、それゆえに問いを雄弁に投げかける。彼の作品は切なく、そして真摯に美しい。

──四方幸子(メディアアート・キュレーター)

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映画『プリピャチ』より

老人が馬車でゆっくりと村を一周する。汚染されている川で今も漁をする老人が、ゆっくりと船を漕ぐ。今も発電所の研究所で働く女性は、廃墟となったわが家を訪ねてみる。カメラは、ゆっくりとその場所を移動する人々を延々と追い続ける。そこは「ゾーン」と呼ばれ、そこから何も持ち出しては行けないし、何も持ち込んでは行けない場所。しかし、その計り知れない危険がカメラに写る訳ではない。特別なことは何も起きない時間と空間。老人が言うようにそこは実は安全で「不安は無い」のかもしれないし、警備員が言うように「100年後も人は住めない場所」なのかもしれない。しかし、当然ながら放射能は写らないし匂いも色も無い。危険とは「情報」でしかないかもしれないのに、ここにはその情報さえ無い。『プリピャチ』は決して声高に主張せず、その孤島のような場所で日常を生きることの不確かな不安、決して視覚化されることの無い恐怖の質というものを、明晰なカメラによるシンプルな映像言語で浮かび上がらせる。「たいして恐ろしくない」ということがどれほどの悲劇であるのかを私たちは思い知る。

──諏訪敦彦(映画監督、東京造形大学学長)




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映画『プリピャチ』
2012年3月3日(土)、渋谷アップリンク他、全国順次公開

監督・撮影:ニコラウス・ゲイハルター
1999年/オーストリア/100分/HDCAM/モノクロ

公式サイト:http://www.uplink.co.jp/pripyat/




▼『プリピャチ』予告編



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