映画『プリピャチ』より
『いのちの食べかた』のニコラウス・ゲイハルター監督が、チェルノブイリ原発事故の12年後、立入制限区域となった現場から4キロ離れた街に住む人々、そして原発や関連施設の関係者を捉えたドキュメンタリー『プリピャチ』が3月3日(土)から渋谷アップリンクで公開される。誰もがフクシマのことを思い出さずにはいられないこの作品について、アーティストや作家、評論家、福島在住の方々からの感想を3回にわたり紹介する。
プリピャチ・30キロ・ゾーン、この言葉は南相馬に住む私には胸がざわつく響きをもたらす。白黒の画面が動き出し、建物の残骸が現れる。チェルノブイリ原発事故から12年を経たプリピャチのこの風景を目にしたとき、直感的に「南相馬は、こうはさせない!」と思った。原発事故から一年、私たちは30キロゾーンでしっかりと生きている。だれもの胸の奥には放射能への不安が重低音のように流れ、日常会話の多くがプリピャチの住民の言葉と重なるが、みんなこの町で新しい未来を創ろうと動き出している。今、南相馬で暮らす市民は、顔つき、目の光が少しずつ変わってきている。新しい未来を創るために放射能と真正面から向き合いそれを乗り越えるという志を持った若者を中心とした動きが新しいうねりを生み出している。世界中の叡智が集まる兆しが私たちに希望をもたらしている。
南相馬は死なない!
みなさん、南相馬に来てください!
一緒に人類の新しい未来を創りましょう!
──高橋美加子(つながろう南相馬/(株)北洋舎クリーニング代表取締役)
映画『プリピャチ』より
私がプリピャチの街に実際に入ったのが1997年なので、ほぼこの映画撮影と時期だ。当時出会った老人も出演していたので再体験するように記憶がよみがえる。 映画のように、会う老人全てが気さくでとびきり優しく、遠い国からの訪問者を喜んで歓迎してくれた。わが身の不幸をぶちまける事無く黙々と日常を過ごす姿にその時はまだ笑顔で返せていた。しかしゾーン内に住む3歳の坊やに出会ったときはさすがに私の心の中は行き場の無い怒りに震えた。
「人類はなんて愚かなものに手を出してしまったのか…」。 その怒りのエネルギーが今でも作品を作り続ける原動力となっている。
この映画は見る人の多くにそういう体験を与えてくれるのだと思う。
──ヤノベケンジ(現代美術作家)
映画『プリピャチ』より
昨日、今日と福島県飯舘村のKくんが東京の私の家に泊まりに来ています。「一緒に『プリピャチ』見る?」と誘ったけど、めんどくさいのか興味ないのか乗り気でない感じ。村が放射性物質で汚染されたことをとても憂えて、子供たちが被曝してしまったのではないかと本当に心配して動いているKくん。だけどやっぱり『プリピャチ』はまだ見たくないのかもしれない。
グーグルアースでチェルノブイリを探し始めたKくん。「わー拡大したら石棺が見えるね」「プリピャチってここだ、ちかーい!」などなど騒ぎながら見たあとに、飯舘村を見出して。「僕んちここですよ、ここが畑。トマトとか白菜とかいっぱいあって。」「Iさんちはどこ?」「えーと、ここ!」「Hさんの牧場は?」「ここ!あ、猪がいる!」「ここが線量高くってね」「ここが汚染廃棄物の仮置き場の候補地になっちゃった」空から飯舘村を案内してもらいながら、こうして、故郷を眺めるプリピャチの方々もいらっしゃるんだろうか、とふと思いました。
──おしどり♀マコ(夫婦音曲漫才)
映画『プリピャチ』より
3.11に関する幾つかのドキュメンタリーを観ながら一喜一憂していたある日『プリピャチ』を観た。繰り返し観た。何度観ても新鮮なのは何故だろうと考えながら観た。1999年に語られた「立ち入り禁止区域」で暮らす人々の言葉は10年以上経った今も褪せる事なく私たちの心に突き刺さる。声を荒げる事も無く疑問や矛盾を“普通”の言葉で率直に語る“普通”の人々の言葉は、原発問題に揺れる今の私たちに重くのしかかる。「ゾーン?30キロ圏外なら安全か?有刺鉄線が放射能を防ぐのか?」と語る老夫婦。「政府の対策は間違っている」とカメラに向かって語る発電所の職員や医師。誇らしげに原子炉について説明した作業員もいつしか緊張が解け生活もままならず家族を養えないと訴える。医療器具もない診療所で老婆が呟いた。「生きるには働かないと。でもどう生きれば?」かつての“普通”は戻らない。新たな“普通”になりつつある今を考えさせてくれる100分。
──ヤン・ヨンヒ(ジャーナリスト、映画監督)
映画『プリピャチ』
2012年3月3日(土)、渋谷アップリンク他、全国順次公開
監督・撮影:ニコラウス・ゲイハルター
1999年/オーストリア/100分/HDCAM/モノクロ
公式サイト:http://www.uplink.co.jp/pripyat/
▼『プリピャチ』予告編