『ピアシングI』より
先月ポレポレ東中野で開催された『中国インディペンデント映画祭』。映画事業が政府の管理下にある中国では、独立系映画をとりまく環境は依然として厳しい。特に、近年は政府が民間の映画祭を中止させるなど、圧力が高まっている。そんな中、独立系映画の最新作を集めた同映画祭では、商業映画からは知ることのできない、生々しい「現代中国の現状」が浮かび上がった。その中でも、中国インディペンデント映画初の長編アニメーションとして話題を呼んだ『ピアシングI』の劉健(リュウ・ジェン)監督にインタビューした。
社会保障と道徳観の崩壊が
複雑に絡み合った事件
──作品のモチーフになった「彭宇(ポン・ユー)事件」は、どんな事件だったのでしょうか。
ある青年が、道でケガをしたおばあさんを病院に連れて行き、自ら治療費も出して助けたのですが、逆にそのおばあさんに「この男に突き倒された」と犯罪者扱いされて、訴えられたのです。その後、裁判所が下した判決は、その若者に賠償金を支払わせることを命じるというもので、賛否両論の激論を呼び、インターネットでは今も議論が続いています。映画の中では、主人公は警察官に殴られるだけですが、実際には、この青年は裁判にも負けるわけですから、(映画よりも)もっとひどい目にあっている。結局その青年は南京にはいられなくなって、別の街に引っ越して行きました。
『ピアシングI』の劉健(リュウ・ジェン)監督
──中国では同じような事件が続いているようですね。なぜこの事件をもとに、アニメーション作品を作ろうと思ったのですか?
私が映画を作る上で大事にしていることは、芸術性と同時に、面白いストーリーがあり、皆で議論できるテーマがあるということ。映画にとって大事なことは、上映して皆に観てもらうことです。上映せずに、テーマや作品性について論じたり考えたりしているだけでは意味がない訳ですから、その2点を大事にしています。
私はこの作品を芸術作品として考えていますが、同時に、今考えるべきテーマである判断材料を提供したいと思った。この事件は、中国の道徳観に大きな影響を与えるもので、社会的な問題も複雑に絡み合っています。
しかし、あくまで映画ですから、エンターテイメントとして、ひとつの面白い物語を提供するという意味で、後半部分を作りました。
──前半は閉塞感がある都市社会を切々と描いていますが、後半からはブラックユーモアを交えた、スピーディで先が読めない展開へと一転しましたね。
この作品の前半は、実際に起きた事件をもとにリアリティにこだわって描き、後半部分はブラックユーモアを交えて、サスペンス風に仕上げました。後半は自分でも気に入っています。全体的に色調が暗いのは、視覚的な効果を狙いました。それから、この事件は中国北部で冬に起こった出来事だったので、その雰囲気や背景を出したかった。
風景は、実際に事件が起きた中国北部に行って写真を撮り、それをもとに描きました。この作品で伝えたかったのは、「中国の現状」なので、空想で描いてはいけないと思ったのです。
『ピアシングI』より
──「ピアシング」というタイトルは、ピアスのように、自分を傷つけるという意味ですか。
この作品名に関してはいろいろな説明ができますが、直接的に体をつけるのではなく、もっと心理的な意味を含ませたかった。「I」としているのはシリーズ化して制作する予定だからです。
社会が生む善悪とは相対的なもの
──この作品に出てくる登場人物は、立場は違えど、全員が犯罪者です。でも、主人公は友人や故郷の母親を思っていたり、悪役である警官や社長も家族を心配しているように、誰もが誰かのために、犯罪に手を染めています。
この作品では、絶対的な悪や善を描いているのではありません。善や悪というものは、相対的なものなのだと思います。こうした事件は、ただのひとつの例にすぎない。今後も起きる可能性はあるし、実際に今も起こっているのだと思う。中国の急速な経済成長も、もちろん原因のひとつでしょう。お金を稼ぐことが第一の目的になったことで、人と社会との関係性は変わってきている。
この事件が今でも議論になっている理由は、健全な社会というのは、人と人とがお金や利害で結びつくのではなく、互いに興味関心を持ったり、助け合うことで結びつくものだと、多くの人が思っているからではないでしょうか。
──アニメーションを撮るようになったきっかけは?
私はもともと絵描きでした。仕事は、子供向けテレビ番組のアニメーション制作やコマーシャル制作をしていたので、そこから自主制作を始めました。また、日本のアニメーション監督、故・今敏監督の大ファンで、『東京ゴッドファーザーズ』を観て、ショックを受けました。同時に、細かい表現描写で私と通じるものがあると思った。ですから、昨年10月に北京で開催された『第一回インディペンデントアニメーション映画祭』で今敏賞を戴いた時は、本当に嬉しかったです。その時の審査員の一人であるプロデューサーの丸山正雄さんが、「もし今さんが生きていたら、この作品を選んだだろうと言ってくれました。それが私にとっては、とても美しい思い出で、天からの恵みのように感じました。
しかし、『ピアシングI』は、完全に自主制作で作ったので、制作に約3年もかかってしまいました。
『ピアシングI』より
──制作する上で、こだわった点はどこですか。
中国の現状をリアルに描くという点です。特に、「声」にはこだわりました。実は、この作品の前に、プロの声優に頼んで作った作品があります。出来上がった作品を観て、私が求めていたものとは違うと思いました。この作品の声は、実際の生活や現状を伝えるものでなければならなかった。しかし、プロの声優さんの声には、過剰な演技が含まれているように感じました。
そこで、私は登場人物のキャラクターに近い声を持つ知人や家族を探して頼み、吹き込んでもらいました。でも主人公と、後半に登場する女性役だけは見つからなかったので、主人公は自分が、そして女性役は、この作品のプロデューサーでもある私の妻に頼みました。
みなさんには「なるべく、普段生活の中で喋っている感じを大切にしてほしい」とお願いしましたね。
──中国のミュージシャン左小祖咒が、音楽を担当していることも話題になりましたね。
ある日友達の家に行った時、彼の曲を聴いて、作品に非常に近いと感じました。すぐに連絡を取り、北京で彼に会って許可をもらいました。
彼も私も現代アートの世界にいたので、お互いに名前を知っていたため、順調に話は進みました。中国の今の音楽界において、とても重要な人物だと思っています。次回作でも、彼に音楽をお願いするつもりです。
──次回作について教えてください。
計画では、『ピアシング』は3部作になる予定です。2本目は今現在製作中で、未来の話になる予定です。制作の手法は完全に同じという訳ではありません。アプローチの方法は作品のテーマによって異なってくると思います。
──シリーズを通じて描きたいものは何ですか。
人と人、人と社会とのつながりを描きたい。一人一人の個人は問題ではない。でも社会というシステムの中で、その中で人と人とのつながりにおいて、さまざまな問題が生まれるのだと思っているからです。
(インタビュー・文:鈴木沓子)
劉健(リュウ・ジェン)監督 プロフィール
1969年、中国・江蘇省生まれ。南京芸術学院時代に中国画を専攻。その後アニメ製作を始め、フォン・シャオガンの『ハッピー・ヒューネラル』のアニメパートなどに参加。2007年から自らのスタジオを立ち上げ、映画製作に取り組んでいる。本作が初の長編作品で、2010年北京で開催された『第1回インディペンデント・アニメ映画祭』で大賞と今敏賞をダブル受賞。現在、『ピアシングII』にあたる『大学城』を制作中。
映画『ピアシングI』
スーパーでは万引き犯と間違われて暴行を受け、勤めていた工場は倒産、失意のうちに田舎に帰ることにした青年チャン。駅に向かう途中で交通事故を目撃、意識不明になった老婆を助ける。チャンは老婆を病院へと運び治療費も支払ったが、彼自身が事故を起こした犯人ではないかと疑われ、警察に連行されてしまう──。2006年、南京で実際に起こった「彭宇(ポン・ユー)事件」をもとに、権力による暴力や格差社会の現状、そして閉塞感に満ちた都市社会の片隅で、したたかに生きる人々を描く。昨年北京で開催された『第1回インディペンデント・アニメ映画祭』で大賞と今敏賞に輝いた。
監督:リュウ・ジェン
2009年/74分
▼映画『ピアシングI』予告編