2010年、心を揺さぶられた映画はいくつかあったが、自分の中で圧倒的に心に残ったのは、当時まったくの無名だった山川公平監督の処女作『あんたの家』だった。第32回ぴあフィルムフェスティバル(PFF)の上映会で観た後、言葉を失くした。生きる痛みと喜びを、ここまで鮮明に描いた作品があっただろうか。質疑応答で登壇した山川監督を質問攻めにしてしまったが、その時に何を尋ねたのか記憶にない。ただ、東宝の川村元気プロデューサーの言葉を借りるなら、「いい企画とは、やられたと思う“たくらみ”があるもの」と言う通り、私は作り手側ではないが、はっきりそう思ったのだと思う。
そして、そう感じたのは、私だけではなかった。荒削りながらも一度観たら誰かに話したくなる魅力がある作品なのか、映画関係者に会うと「あの作品、観た?」と何かと話題に上った。PFFではグランプリを受賞、その時の最終審査員だった根岸吉太郎監督は授賞式で「審査会議後、DVDで再び作品を観ました。やはりいい作品を選んだと安心しました。この映画の良さを心に感じた」と絶賛。小説家の角田光代氏は、「ばっちいけれど、美しい作品」と作品の良さを的確に評してエールを送った。あれから一年、いまだに配給がつかない理由がまったくわからない。
一般公開される予定がないのが残念で仕方ないが、今月19日からスタートした若手映画監督の短編作品上映会「No Name Films」で、11月24日にユーロスペースで同時上映される予定だ。さらに、本連載「オールモストフェイマス―未公開映画探訪―連動企画第2回目」として、12月19日に「山川公平監督特集」を組み、アップリンクで上映することが決まった。たった2日間の貴重な限定上映の機会を、お見逃しなく。
誰かに知ってほしいけど
知られたくない問題
──実際に出会った老夫婦をモデルにしたと聞きましたが、なぜ映画にしようと思ったのですか?
自分が大阪に来て初めて住んだアパートの隣人夫婦をモデルにしました。夫であるおっちゃんがストーマー(人工肛門)をつけて寝たきりで、おばちゃんが一人で介護をしていました。二人には身寄りがなかったので、自分も病院につきそって人工肛門の付け方を習ったり、短い間でしたが、家族のような付き合いをしました。
高校時代から映像の仕事を志してきましたが、“自分は何のために映像を撮るのか”ということを、ずっと考えて続けてきました。その後、おっちゃんが亡くなって、おばちゃんは職を求めて引っ越しし、自分は映像学科に編入して、いざ映画を撮るために脚本を書き始めた時、またその問題に向き合いました。
その時、人に見せたいけど、見せたくないものを撮るべきだと思った。きっと誰もがそういう問題を抱えていると思ったから。そして、知ってほしいけど、知ってほしくない、それが人工肛門という障害が内在している問題だと思った。
脚本は、実体験を元にしたドキュメンタリーの部分と、「もしも、こうだったら、おばちゃんとおっちゃんには違う未来があったかもしれない」と思った“夢の部分”を付け足して製作しました。
『あんたの家』山川公平監督
──私はこの映画で初めてストーマーの存在を知りましたが、近年、日本では大腸癌が急増しているんですよね。一度、厚生労働省主催の大腸癌撲滅キャンペーンに行ったことがあるのですが、2015年には日本人の死亡原因第一位になると言われていました。(※)
大腸癌等の疾患から、ストーマーになる方が多いなら、『あんたの家』で描かれている問題は、多くの人にとって、他人事ではない問題だと思いました。
人工肛門の方は、年齢層が高い人が多いのだろうと勝手なイメージを持ってしまいがちですが、生まれながらに腸に問題がある子供さんや、10-20代の人も多いです。腸に問題が生じると、生殖機能も駄目になって、子作りができなくなる。結婚してすぐに旦那さんが人工肛門になって、子供ができなくなって別れてしまうケースもある。でも、エネルギッシュに人生を謳歌している患者さんも多く、刺激を受けました。
──取材はどうされたのですか?
隣人のおっちゃんと出会うまで、僕もほとんど(人工肛門に関して)知識がありませんでした。だからこそ、多くの方にこの問題を知ってほしいと思った。人工肛門は、自分のお腹に穴を開けて腸を外に出し、そこに既成の袋を装着します。でもサイズに合わないことも多く、使い始めは上手く装着させるのに、人知れない苦労が続く。人工肛門は外からは見えないし、トラブルがあっても他人には話にくい問題です。
日本オストミー協会という患者のコミュニティがあるので、その大阪支部で撮影に協力いただける方を紹介してもらい、患部の撮影をお願いしました。患部のカットは、絶対に実物を撮らなければ、この映画を作る意味がないと思ったからです。もしそれが偽物なら、美術や演出を含めた各部の技術が、モチーフから離れて、物語のための技術になってしまうと思いました。
──老夫婦が主人公ですが、ストーマーの問題や介護の問題を「誰かに知ってほしいけれど(簡単には)見せることができない」悩みとして普遍性を持って描かれていたので、世代を超えて共感できる作品になったのではないかと思います。
この作品を撮った時は26歳の時でしたが、同世代の若者にメッセージを送れる作品にしたかった。ただ同時に50代や60代の方が観ても納得して貰える作品にしなければいけない。監督が20代だからって、そこに甘えや油断があってはいけないと思いました。
──それから、画としての面白さやインパクトがありました。砂壁の木造アパートは、ありそうでなさそうな日本の庶民の家。そこに、ピンクのネグリジェでゲキを飛ばす大阪のおばちゃんがいて(笑)。
あの家自体が、日本の縮図のように見せたかった。純和風なのに西洋の文化が混在しているような家。美術にはこだわりました。おばちゃんが着ているピンクのネグリジェは、苦しい介護生活だからこそ、明るい色を着てほしかったからです。“大阪のおばちゃん”のエネルギーを伝える何かが映画に欲しかったというのもあります。でも主演の伊藤壽子さんは、上品で物静かな方だったので、はじめは「恥ずかしい」と言われてしまいましたけど。
──絵に描いたような“大阪のおばちゃん”は、あれは演技ではなく素のキャラクターじゃなかったんですか?普段からああいう元気な方だから、主演に選ばれたのかと思っていました。
いや、本当はとても上品なおばさまです。モデル事務所に所属されていて、セリフのある演技経験は無い方でした。僕はただ、事務所のホームページに掲載されていた顔写真だけ見て「あ、この人しかいない」と思って選んだのですが、お会いしたら、実際に介護経験がある方だと分かり、この方に是非お願いしたいと強く思い、ご出演頂きました。でも最初の台本読みの時に、あまりにもキャラクターが違うので、その品の良さに、思わず撮影スタッフも「このまま撮影に入って大丈夫?」と心配したくらい。ただ監督である僕自身も初めての演出だったので、現場でお互いに1カットずつ、リハーサルを重ねて、演技を作り込んでいきました。
同世代の若者にメッセージを送りたかった
──山場のシーンは迫真の演技でしたが、その時の演出について教えてください。
あのシーンの前には、伊藤さんに自分の思いの丈を全部話しました。本心からの台詞が欲しかったからです。一度目はNGにしたのですが、その後伊藤さんを呼んで、自分がなぜこの作品を撮りたいのかを話しました。すると、その後の撮影では、見違えるようなリアリティあるシーンが撮れました。伊藤さんは「本当に自分がおっちゃんを介護しているような気持ちになって、言 葉が自然に出て、何かが乗り移った気持ちになった」と話していました。涙ながらに語ってくれて、その時は改めてこの方にお願いしてよかったと思いながら、 人を演出する事の難しさと恐ろしさを肌で感じた思いでした。
『あんたの家』より
──PFFでは、映画監督としては異例の経歴の持ち主と話題になりましたが、高校を出て自衛隊に入隊されたのはなぜですか?
中学時代から、将来は映像を作りたいと決めていました。そこで、高校時代はデザインを学びました。そのまま進学することも考えましたが、すぐに映像の世界に入るのが単純に怖かった。毎年何百人も、あらゆる芸術学校に映像を学びに来る学生が入学する。世の中で映画を撮ることを目指す人は一杯いる。その中で、自分の中で、何の為に映画を撮るのかを明確化しておかないと、きっと流されるか、潰れてしまうと思ったんです。その時に、自分は国防という存在をよく知らないと思った。でも、将来日本という国を考えて行くために、それがどういうことなのか知っておくことが必要だと思った。
自衛隊入隊後は、高射特科隊という部隊にいたのですが、自衛隊生活は本当にやりがいがあって、生活も安定している。ここで一生終えたいと思ったことは、何度もありました。でも、自衛隊の訓練を完璧にやればやるほど、実際にこの訓練が実践につながってはいけない、参加はしないほうがいいという気持ちが大きくなっていったのは事実です。自分はやはり映像を作りたいと決心したのは、中越地震で災害派遣に行ったことが大きなきっかけでした。
『あんたの家』より
新潟で人の活力の生まれるさまを目撃した
──中越地震の災害派遣では、どんな任務をされたのですか?
新潟は自分の出身地でもあるので、早く駆けつけたくて、志願して行きました。当時23歳で、意気揚々に現場に付きました。でも、自分は糧食係で、ご飯を作る作業の中でも下っ端でした。何か力になりたくても出来ることは限られている。でもとにかく一生懸命やることが、被災者の為になると信じて粛々と任務に励んでいました。それはそれで、大切なライフラインの維持で重要な仕事のひとつだったのだろうと思います。
地震から約10日を過ぎて、初めてお風呂場を設営する部隊が来て、それから2日目の夜には、自分も入浴することができました。住民も自衛隊も一緒に裸になって、久しぶりにお風呂に入れた時には、すごくうれしかった。でも、浴場の雰囲気はとても暗かったんです。体の心地よさに反比例するように、誰もしゃべろうとしない雰囲気が、現実の厳しさを物語っているようで辛かった。そんな時に、ある一人の子供がじゃれました。確か、歌を歌い始めたのか、飛び跳ねたのか、とにかく久しぶりのお風呂に入れる嬉しさを、一緒にいたお父さんに伝えたかったのか、無邪気に声を上げ始めたのです。つられて、そのお父さんも小さく笑いながら注意し、更につられて、隣の人も笑いながら、その子供に注意して。そこから、徐々に他人同士がお互いの労をねぎらいはじめ、笑いを求めるように、冗談交えて言葉をかけ始め、さっきまで沈黙に包まれていた空間が、あっという間に和やかな談笑の場に変わっていきました。
僕が目撃したのは、人の活力の生まれるさまだったのだと思います。「明日へ生きてやろうか」というような、そんな覚悟をそれぞれが確認する瞬間を見た気がしました。子供の振る舞いはもちろん、無意識だったと思います。ただ、それは心という形の見えないものがいかに重要かということを感じさせてくれるもので、それがただただ、衝撃だった。僕はその瞬間に映像づくりの価値を発見したように思います。これが自分の原点になっていると思います。
──今後どんな映画を撮る予定ですか?
この国の経済がどれだけ弱くなっても、自分の国は、やっぱり自分の国だと思う。他の国と比較したら弱くなっているのかもしれないけど、自分の感覚としては、もともとの身の丈に合っていくというか、これから等身大の姿に戻っていくんじゃないかと思う。そういうことも表現したかったので、それを「家」に置き換えて撮りました。だから、「あんたの家」=“私たちの国”なんです。これだけしんどい社会だからこそ、家や帰る場所がなければだめ。そこだけは切っちゃいけないと思っています。モノも資源もない日本において、それでも希望を作り出せるモデルがあるとしたら何か。そういう事をデザインして、今後も元気がでる映画を作っていきたいと思っています。
この記事を書くために、一年ぶりに作品を観て、作品が古くなっていないことに驚いた。むしろ震災後の日本で今最もタイムリーな作品ではないかと。
取材後わかったことは、この映画の持つ説得力は、監督自身が、社会の在り方や将来を考え、試行錯誤した軌跡に支えられているということ。山川監督は、現在都内で介護の仕事に就きながら、映像製作を続けている。この監督は、量産こそしないが、今後もじっくりと地に足が付いた作品を見せてくれるはずだ。
『あんたの家』は、“映画で現実逃避をしたい”と思う観客の気分を受け止め、最後にちゃんとそれぞれの現実世界へと背中を押し返してくれる。映画の中盤までは、主人公の老夫婦と一緒に笑って泣いて悩み、共に何かを乗り越えたような気分になるが、最後の最後で、あの“大阪のおばちゃん”に、優しく突き放された気がして、はっとした。「これは映画の中のお話で、あなたにはあなたの人生があるのだから」と諭された気がした。そして、それは決して嫌な感じではなかった。「明日もまた、この社会で生きて行こう」と思える強さが、しっかりと心に残るからだ。
(※)厚生労働省の2010年度人口動態調査によると、日本人の死亡原因の第一位は癌。その中でも、大腸癌が急速に増加傾向にある。大腸癌は03年以降、すでに女性の死因の第一位であり、2015年には男女ともに1位になると予測されている。
(取材・写真・文:鈴木沓子)
山川公平 プロフィール
1982年、新潟県生まれ。高校卒業後、陸上自衛隊に入隊。その後、大阪芸術短期大学を経て、2007年、大阪芸術大学映像学科に編入。2008年に初めて撮った処女作「あんたの家」が、ロッテルダム国際映画祭に正式招致。2009年水戸短編映像祭で準グランプリ、そして第32回ぴあフィルムフェスティバル(PFF)でグランプリを受賞。第23回東京国際映画祭「ある視点部門」に正式招致される。時代劇『田村どの、佐久間どの』(水戸短編映画祭セレクション企画)、現在「No Name Films」で上映中の短編『路上』など、多様なジャンルの作品を手がける。映画のほか、企業ビデオ、ミュージックビデオ、CMなどを製作。
『あんたの家』
監督、脚本、編集:山川公平
出演:伊藤壽子、親里嘉次ほか
2009年/日本/カラー/44分
大阪の下町に住む、身寄りのない老夫婦。寝たきりになった夫を一人きりで介護する妻キミコ。貧困と生活苦から次第に精神的に追い詰められていく──。切実な老老介護の現場を容赦なくえぐり取ると同時に、“大阪のおばちゃん”がぎりぎりの場所で見せる、生きるエネルギーと愛を描いた感動作。
イベント情報
No Name Films(ノー・ネーム・フィルムズ)
渋谷ユーロスペースにて、12月2日(金)まで連日21:00よりレイトショー
11月24日(木)21:00からBプログラム上映の後、『あんたの家』を上映予定。
当日券1,500円、前売券1,200円のほか、No Name割(10名の参加監督と同じ名字の人)は、当日券でも前売りと同じ料金で鑑賞可能など、各種割引有
スケジュールなどの詳細は、公式サイトまで。http://www.nonamefilms2011.com
『オールモスト・フェイマス-未配給映画探訪』連動企画
『あんたの家』山川公平特集 トークゲスト:今井彰、山川公平監督
ロッテルダム国際映画祭2010でプレミア上映された後、第32回ぴあフィルムフェスティバルでグランプリを受賞、国内外で話題を呼んだ代表作『あんたの家』から、時代劇『田村どの、佐久間どの』(水戸短編映画祭セレクション企画)最新作『路上』やCMまで、山川監督の過去作品を一挙上映。当日はゲストとして作家でNHKエグゼクティブ・プロデューサー時代に「プロジェクトX」を手がけたことで知られる今井彰氏をお招きしてのトークも行われる。
日時:2011年12月19日(月)18:30開場/19:00開演
会場:渋谷アップリンク・ファクトリー
(〒150-0042 東京都渋谷区宇田川町37-18 トツネビル1F tel.03-6825-5502)[地図を表示]
料金:予約/当日¥1,500
上映作品:『あんたの家』『路上』『田村どの、佐久間どの』
ゲスト:今井彰(作家)、山川公平監督
ご予約は下記より
http://www.uplink.co.jp/factory/log/004226.php