『ザ・ショー・マスト・ゴー・オン』(2004年のローマ公演より) ©Mussacchio Laniello
ダンスという表現ジャンルに政治的かつ批評的な眼差しを投げかけ続けるジェローム・ベル。彼の代表作『ザ・ショー・マスト・ゴー・オン』の日本バージョンが、いよいよ来月、彩の国さいたま芸術劇場で上演される。世界中に衝撃を与えた本作は、01年にパリ市立劇場で初演されて以来、世界50都市以上でツアーを重ねている。コンテンポラリー・ダンス界に新たな潮流を生み出したジェローム・ベルについて、ダンス研究者の越智雄磨が解説する。
ダンスの世界に新しいパラダイムを切り開いたジェローム・ベル
振付家としてデビューした1994年以降、ジェローム・ベルはコンテンポラリー・ダンス界で最も先鋭的な試みを行ってきた振付家の一人として知られている。近年、代表作『ザ・ショー・マスト・ゴー・オン』がベッシー賞を受賞し、リヨン・オペラ座バレエ団のレパートリー(2007年~2014年)に加えられた事実はその高評価を物語っている。初期作品から現在の新作に至るまで、彼の作品は世界中の様々な都市で上演され続けている。
現在は先鋭的な振付家としてその評価は定着しているが、デビュー当初のベルの作品に対する評価は毀誉褒貶相半ばし、フランス及びヨーロッパのダンスシーンに大きなセンセーションを巻き起こした。デビュー当時あまりに実験的だった彼の作品は、新しい芸術と言われるコンテンポラリー・ダンスの中にあっても一際異色であり、その意図を理解できなかった観客も少なからずいた。ベルに払い戻しを要求した観客もいれば、時には「これはダンスではない」と怒った観客が裁判を起こしたこともあった。多くの観客がベルの作品をどのように受け止めてよいのか戸惑ったのである。しかし、これらのエピソードは今から見れば、ベルが行ったことがいかに革新的であり、いかにダンスの世界に新しいパラダイムを切り開いたものであったかを証明するものだと言える。今や、時代がベルに追いついたとも言えるし、ベルはその創作キャリアの過程で観客に自身の意図を巧みに伝達する方法を練り上げていったとも言える。彼の創作動機やその試みについていくつかの作品に触れながら紹介してみたい。
ジェローム・ベル ©Feran Mc Rope
一癖も二癖もある振付家
奇妙に感じられるかもしれないが、彼の創作の原点には「ダンス」に対するある種の疑念がある。ベルは1992年までダンサーであり、ダニエル・ラリュー、アンジュラン・プレルジョカージュといったフランスを代表するコンテンポラリー・ダンスの振付家の作品に出演していた。1989年にはダンスカンパニー・レスキスのダンサーとして来日もしている。だが、そのような順風満帆のダンサー生活を8年続けた彼は、いつしか自身が関わってきたカンパニーのダンスよりも「もっと野心的なことができないか?」と感じるようになった。そして1992年のアルベールビル冬季オリンピックのセレモニーを演出したフィリップ・ドゥクフレの助手を務めた後、ダンサーから振付家への転身を決意する。
ベルの作品の特徴は一部で「ノン・ダンス」と評されたように、ダンスらしいダンスを行わないことが一つの特徴として挙げられる。それは単に踊らないということではなく、その背後には視覚芸術として「ダンス」を見せること以上の意味と体験を観客に伝えたいという野心があった。また彼の創作の思想的背景として見逃せないのは「構造主義」以降のフランス現代思想の影響である。ダンサー活動を停止した1992年から振付家デビューを果たす1994年の2年の間、彼は自身のアパートの近所にできた図書館に通い、1日6時間本を読む日々を過ごした。そこで読まれたのは、ミシェル・フーコーやジル・ドゥルーズ、ロラン・バルト、ジュリア・クリステヴァなどのフランスを代表する思想家たちの本である。この経験は「ダンス」を斜めから見るジェローム・ベルという一癖も二癖もある振付家の誕生に大きく関わっている。
『シャートロジー』(1997年) ©Herman Sorgeloos
いわゆる「ダンス」という「ダンス」は観られない
1995年の作品『ジェローム・ベル』では、美術や音楽、照明といった要素は極力排除され、ダンスは踊られず、パフォーマー達は全員裸である。ベルはいかなる意味や虚飾も取り除いた「零度」の身体を志向することから出発したと述べるが、これはバルトの「零度のエクリチュール」のダンスへの応用である。そして零度の、いわば白紙状態にある身体に徐々に意味が重ねられていく。たとえば、出演者は自身の身長、体重、年齢、電話番号、預金残高などを舞台上に書き込むことで身体と意味を結びつける。それにより観客は舞台上に存在する世界や身体が決して虚構ではなく、自分たちのいる社会と地続きにあることに気づかされる。舞台上の身体はキャラクターなのか一個人なのか? そのような身体の二重性を問う作品でもあった。
1997年の『シャートロジー』では、ベルはバルトの試論「衣服の歴史と社会学」から着想を得て、誰にとっても身近な衣服であるTシャツをテーマにしようと考えた。「裸(零度)」の次は「衣服」というわけである。パフォーマーは何重にも重ね着したTシャツを1枚ずつ脱ぎ捨て、その度に現れるTシャツにプリントされたメッセージや数字、イラストに関連する動きを行う。その様子はユーモラスであり、パフォーマーとTシャツが示す記号の関係性、規則性を解釈する知的な楽しみを観客に提供してくれる。
1998年の『ザ・ラスト・パフォーマンス』はベルが初めて明瞭に「ダンス」を取り入れた作品であるが、それはやはり型破りな方法で実行される。ドイツの振付家スザンヌ・リンケの了承を得て、その作品『聖変化』(1978)の振付の一部を引用し、執拗に繰り返すのである。こうした作品の外部と参照関係を結ぶ「引用」はバルトやクリステヴァなどが文学に見出し、言及してきたものだが、それが方法としてダンスの世界で意識的に実践されたことはなかったのではないだろうか。繰り返しリンケのダンスを見せられる観客はそのダンスに満ちたロマンティシズムに陶酔するのではない。寧ろ覚醒した状態で「ダンスとは何か?」というベルの実験に参加するのである。
『ザ・ラスト・パフォーマンス』(1998年) ©Herman Sorgeloos
身体と知性のスリリングな冒険
ここで部分的に紹介した初期の3作品はどれも実験色が強く、万人受けをするものではなかったが、決して理論だけが先行しているわけではなく、ベルのもう一つの特徴であるユーモアに富み、ダンスという生身の身体を介在した芸術にしかなしえないものであった。これらの作品はそれまでのコンテンポラリー・ダンスに飽きを感じ始めていた観客や演劇・ダンス業界の人々の心を強く捉えた。パリ・オペラ座の芸術監督ブリジット・ルフェーブルもベルの作品に魅了された1人である。彼女の依頼により、ダンス界の「革命家」ベルはバレエの殿堂であるオペラ座での創作に取り掛かることになった。それが2004年に発表された『ヴェロニク・ドワノー』である。
この創作に当たって、ベルは自身にとって未知の存在であるオペラ座のダンサー達を「特別な規則に従って生きる別の部族」と捉え、「民族学者になったつもりでその部族の調査を行った」と述べている。その調査対象として選ばれたのがヴェロニク・ドワノーという1人の引退間際のダンサーだった。ドワノーは自らの思い出や心情を語りながら、これまでにオペラ座で踊ってきたダンスを披露する。完全無欠のイリュージョンの創造を志向するオペラ座の舞台の上に、普段の公演ではあるはずもない稽古着姿のまま赤裸々に自らを曝すドワノーの姿に観客は驚き、心を揺さぶられた。
『ヴェロニク・ドワノー』(2004年) ©Anna Van Kooij
さて11月に彩の国さいたま芸術劇場で上演される日本版『ザ・ショー・マスト・ゴー・オン』について少し触れたい。これはベルの傑作である。舞台上には普段私たちが劇場で観るようなダンスは現れない。だが、それぞれの観客の内にはたしかに「ダンス」が芽生えるだろう。ベルの知的な戦略と挑発、そしてユーモアは、私たちがいつも劇場で行う鑑賞体験とは違った、身体と知性のスリリングな冒険に誘ってくれるはずである。
〔文:越智雄磨(ダンス研究)/出典:埼玉アーツシアター通信34号〕
■ジェローム・ベル PROFILE
1964年フランス生まれ。パリに在住し、世界的に活躍するダンサー、振付家、演出家。身体表現に説明的な言葉を織り交ぜたコンセプチュアルな作品で知られる。フランス国立現代舞踊センター・アンジェで学んだ後、85年から91年までフランスやイタリアで多くの振付家作品に出演。92年のアルベールビルオリンピックでは開会式・閉会式の演出を担当したフィリップ・ドゥクフレの助手を務める。
94年に最初の振付作品『作者によって与えられた名前(nom donné par l'auteur)』を発表して以降、95年『ジェローム・ベル』、97年『シャートロジー』、98年『ザ・ラスト・パフォーマンス』と続く多数の作品を発表。01年の『ザ・ショー・マスト・ゴー・オン』は、05年までハンブルクのドイツシャウシュピールハウスのレパートリー作品となり、その後世界50都市以上でツアーを重ねる。07年から14年まで、リヨン・オペラ座バレエ団のレパートリー作品にもなっている。04年にはパリ・オペラ座バレエ団に招かれ、引退間際のエトワールのモノローグで綴られる作品『ヴェロニク・ドワノー』を上演し絶賛された。05年にはタイのバンコクに招かれ、タイを代表する古典舞踊の名手ピチェ・クランチェンとのコラボレーションで『ピチェ・クランチェンと私』を創作。10年、アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルと『3Abschied ドライアップシート(3つの別れ)』を共同創作。
05年、『ザ・ショー・マスト・ゴー・オン』のニューヨーク公演においてベッシー賞を受賞。08年には、『ピチェ・クランチェンと私』の文化的多様性に対し、ジェローム・ベルとピチェ・クランチェンにルート・マルグリット・プリンセス賞が贈られた。
ジェローム・ベル作品 日本での過去の上演
<舞台上演>
2000年 『シャートロジー』(1997) 京都、横浜(神奈川国際芸術フェスティバル)
2008年 『ピチェ・クランチェンと私』(2005) 横浜トリエンナーレ
2010年 アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケル+ジェローム・ベル+アンサンブル・イクトゥス
『3Abschied ドライアップシート(3つの別れ)』(2010)
愛知(あいちトリエンナーレ)、静岡、埼玉(彩の国さいたま芸術劇場)
<映像上映>
2008年 『ヴェロニク・ドワノー』(2004)
彩の国さいたま芸術劇場「videodance2008」にて上映
ジェローム・ベル
『ザ・ショー・マスト・ゴー・オン』 (The Show Must Go On)
2011年11月12日(土)・11月13日(日)
◆演出・構成 ジェローム・ベル
◆出演 日本版キャスト26名
東丸、足立智美、五十嵐萌、今井尋也、太田ゆかり、岡田智代、川村知也、佐々木香弥、篠田千明、篠村博昭、タケヤアケミ、田代絵麻、鄭順栄、富田大介、直江早苗、長坂美智子、長谷川寧、林亮佑、藤沢紀子、藤田一樹、前澤香苗、ますだいっこう、松澤輝朝、マルタン・ジャン-フィリップ、山口恵理香、リー・アルド
◆演出助手 エド・ディク・ディナ、ネヴェス・エンリック
◆主催 公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団/フェスティバル/トーキョー
◆協力 東京・横浜日仏学院
◆後援 在日フランス大使館
◆会場 彩の国さいたま芸術劇場 大ホール[地図を表示]
◆時間 各日開演16:00(上演時間約90分、途中休憩なし)
※12日(土)公演終了後、ジェローム・ベルによるアフタートークあり
◆料金 全席指定
【一般】前売3,000円/当日3,500円/学生(前売・当日とも)2,500円
【メンバーズ】前売2,700円/当日3,200円
※その他、詳細は彩の国さいたま芸術劇場公式サイトをご覧下さい。