骰子の眼

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2011-09-28 23:00


舞台『朱雀家の滅亡』出演、俳優・木村了インタビュー “変わりゆく姿もさらすのが仕事”

現在、新国立劇場小劇場にて公演中の作・三島由紀夫、演出・宮田慶子の舞台『朱雀家の滅亡』に出演している俳優・木村了氏のインタビュー
舞台『朱雀家の滅亡』出演、俳優・木村了インタビュー “変わりゆく姿もさらすのが仕事”

厳選シアター情報誌「Choice!」との連動企画"Artist Choice!"。「Choice!」本誌にはインタビューの他にもさまざまな映画・演劇の情報が満載ですので、是非あわせてご覧ください。

今回は、現在公演中の作・三島由紀夫、演出・宮田慶子の舞台『朱雀家の滅亡』に出演している俳優・木村了氏のインタビューをお届けします。

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自分の足場を踏みしめて歩きたい
芯が欲しくて。

惹かれるのは、ゲーリー・オールドマンなのだという。理由は「高い演技力」でも「独特の存在感」でもなく、「あまりに自然すぎて、出ていても、気づかないときがあるから」。

「俺はこうしてやろう、こういうふうに演じよう、みたいな自我が見えないんですよね。作品の世界に、本当に住んでいる感じ。だから違和感がまったくなくて、エンドロールで『あっ!』となる。改めてもう一度観返すと、要所要所ですごい技術を駆使しているのがわかるので、圧倒されます」

経歴は、実に華やかだ。14歳のとき、イケメン輩出の殿堂とも言うべき「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」で審査員特別賞を受賞。2年後に初めての映画『ムーンライト・ジェリーフィッシュ』で藤原竜也と共演。陽の光に当たることのできない病を生まれ持つ、主人公の弟役で無垢な天性を発揮した。

「今思えば、あのときは感受性だけで芝居をしていたなあ、と。右を見ても左を見ても、初めて見るものばかりで楽しくなっちゃったんですね。主義も信念も特にないまま、ただただ、のめりこんでいった感じで」

ただ、そのときにひとつ、刺さった光景があった。

「藤原さんが、本番前に何度も何度も、次のシーンをひとりで練習されるんです。かっこいい、と思いました。“役柄が”とか“芝居が”ではなく、演じるという行為そのものが、こんなにかっこいいものなんだ、と」

やがて彼は数々の現場で、数々の先輩に出会い、役者人生には数々のスタイルがあることを知る。

「高校を卒業する頃、思ったんです。この世界で自立しなきゃいけない。自分の芯になる何かを持たなくちゃいけない。それがないままこの道を進んでしまったら、この先、きっと壊れてしまうと思って」

慧眼の人である。字幕も読めない幼い頃から、親に連れられてビデオ屋に行き、親がチョイスした映画を観ていた。テレビ画面の中で今何が起こっているのかを、アンテナ全開で察知する日々。わからないものを、全力でわかろうとする日々。観察力や分析眼については、ある意味、英才教育である。

「自分の感受性だけを武器にしてきたことは確かだけど、それはそれでいい。捨てるものでもないし。でもこれからは、自分の範疇外の役でも演じきれるような、無色透明な役者になりたいと思ったんです。何にも固定されない、自由な役者に」

そう聞かされてから、彼の出演歴に目をやると、ちょっとのけぞる。人気映画のリメイクで話題となったドラマ『WATER BOYS2』(04年、CX系)以降、ほぼすき間なく、何らかの連続ドラマに出ている。映画はだいたい年2本ペース。舞台だって7本。“自由”にも程がある。

「何でも考え過ぎちゃうんですね、僕は。台本を読み込んでしまうと、がっちがちに役作りを固めてしまって、その通りにしかできなくなる。なので、ドラマの台本はあえて読み込まないようにしています。あとは現場で感じたままに演じたいので」

何かが、降ってきたんです。

自由になりたい。なのに、自分が自分を、不自由にしている。そのせめぎ合いはきっと年齢を問わず、誰の心にもあるはずで、だからその壁と誠実に向き合っている役者ほど、観る者を惹きつけるのだと思う。

「『赤と黒』っていう舞台に出たときのことなんですけど」

09年、赤坂RED/THEATERで11日間だけ上演された作品である。フランスの文豪・スタンダールによる代表作の舞台化だ。

「それまでは舞台の仕事に対して、そんなに特別視はしていなかったんですね。だけどそのときはすごくハコが小さくて、舞台袖に入ったらすぐ全員一緒の楽屋、なんですよ。そこで開演前に準備してたら、急に、何かが頭の中に降ってきたんです」

出演者たちが、楽屋に集まる。何を申し合わせるでもなく、それぞれの方法とタイミングで、ウォーミングアップやメイクを始める。時間が来ると、壁ひとつ向こうに観客のざわめきが聞こえだし、やがて明かりが落ちて、すべてが始まる。

「ドラマや映画の現場では、それぞれ楽屋が違うわけです。でもそのときは鏡越しに、みんなの様子が全部見えた。ああ、舞台ってこういう世界なんだ…!っていう実感が、すごい勢いで湧いてきて。僕はこの世界が好きだ、ってはっきり思いました。あと、舞台袖で落ち着いてる役者さんって、実はそんなにいないんだな、とも(笑)」

演じる者同士の、何らかの波長とその共鳴。それが直接客席へ響いていくから、演劇はやっぱり刺激的だ。むろん、決して、和音に限らず。ほんの一瞬入る異質なノイズこそが、実は醍醐味だったりもする。それはきっと、人生だって同じこと。

「新しく担当になることが決まったマネージャーさんに、一度聞いてみたことがあるんです。僕って、どういうイメージですか?って。そしたらすごく率直に答えてくれたんですね。“木村了、と言われても、パッと顔が思い浮かばないです”って。もちろん痛い言葉だったけど、でもすごくリアルな意見だなと思って。よし、じゃあもっと頑張ろう、って素直に思えたんです」

自分の立ち位置を確認することにおいて、彼はきわめて貪欲だ。やわらかな砂地の道を、自力で踏み固めながら進む。

「そうしないとたぶん、不安でしょうがないんですね。土台をまず作ってから、その上にいろいろと積み上げていきたい。今はその作業の真っ最中で、これからもきっと終わることはない気がします」

Choice! vol.21

変わりゆく姿もさらすのが仕事
わかりやすい、と言われたい。

そんな木村了を、新たな大仕事が待っている。新国立劇場小劇場で9月に幕を開ける『朱雀家の滅亡』。三島由紀夫が晩年に遺した戯曲を、宮田慶子の演出で舞台に乗せる。太平洋戦争の末期。古くから天皇家に仕えてきた侯爵家の朱雀家。天皇への固い忠誠を胸に、誇り高く人生を重ねてきた当主・経隆(國村隼)が、天皇のために首相を失脚させ、自らも辞職して帰宅したところから物語は始まる。木村が演じるのはその長男・経広。父親譲りの"誇り"のために身を律して、敗色の濃い戦地へ出征、その命を落とす。

「三島作品については『弱法師』(08年、新国立劇場)でも実感したんですけど、語調とか比喩表現とか、とにかく“どうしてこんな書き方をしたんだろう”というところから読み解いていかないと太刀打ちできないんですね。演じる側が何もわからないまま、技術だけでごまかそうとしてしまうと、お客さんにはまるで伝わらない。“三島由紀夫の、何だか難しいエンゲキを観てきた”で終わってしまったら、やっぱりもったいないじゃないですか」

自らが演じる「経広」については、「本当はすごく臆病だけど、言葉や立ち振る舞いでそれをひた隠しにしている」と分析。

「僕は僕、みんなはみんな。僕の世界にみんなは関係ないし、誰も入ってこない。三島作品には、そういう人物像が必ず描かれているんですよ。そしてその気持ちは裏を返せば、“僕を理解してほしい”っていうことなんじゃないかと思うんです。僕が叫ぼうと暴れようと、みんなは気づいてくれないし、理解しようともしてくれない。立場や外見や弱々しさから、愛情を注いではくれるけど、でもそれは僕が欲しい愛ではない。そういう複雑な心境が、三島作品の根底には流れているように思うんですけど…」

…でもなあ。三島作品を長く愛してこられた方たちに言わせれば「何言ってるんだこのワカゾーは」ってとこなんだろうな…などとつぶやきつつ、木村は続ける。

「ぱっと見はわかりづらくても、三島さんは本当に、自分の気持ちをストレートに書いていらっしゃると思うんです。それに一度気づくことができれば、ものすごく胸を打たれる作品だと思うんですよ。だから、僕が役者として媒介になることで"木村了がやるとわかりやすいね"って言っていただけるようになりたい、というのが今の思いです」

わからないものをわかろうとする、ことにかけては底知れず貪欲なワカゾーが、今回は観客をも“わからない”では帰すまいと心に決めている。ワカゾーも、そうでない人も、ここはひとつ、その情熱に身を委ねてみるのもいいかもしれない。

“絞りきる”美しさを

今回の『朱雀家の滅亡』は、“滅びゆくものに託した美意識”をテーマに上演される。そこでためしに尋ねてみた。木村了が、美しいと思うものについて。

「山(即答)!絶景の名所とかそういうんじゃなくて、普通の田舎にある、普通の山。不思議ですよね。どうしてあんな形をしてるんだろう。誰かがどうこうしたわけじゃなくて、自然に、あの形になってる。それがどんなにイビツでも、しっくりと風景に馴染むでしょう。なんか単純に、すげーな、って思う」

ただし、登らないのだという。あくまでも、見るだけ。

「あと、美しいと思うのは、藤原(竜也)さんのあり方。芝居の始めから終わりまでずーっと、身体の奥底から、最後の一滴まで絞り出し続けている姿は、もはや芸術に近い美しさだなと」

渾々と湧き上がる泉ではなく、自らが、渾身の力で“絞り出す”何か。

「そう、それです。僕はたぶん、普通に蛇口をひねったら、ちょろちょろっ、と出てくる程度だと思うんですけど(笑)、でも、ああなりたい、って思うことはありますね。あんなふうなお芝居も、してみたいなあって思います。そして『朱雀家の滅亡』が、そうなるんじゃないかな、っていう予感もしています。特に経広の最後のシーンは、かつかつまで絞り出しきらないと厳しいと思う」

かつかつまで、絞りきる。そんな営みを生業とするには、絞りきったスポンジを潤す何かがきっと要る。

「地元にひとり、親友がいるんです。何でも話せるし、特に何にもしゃべらないときもある。生きてる世界も仕事も違うから、ものすごくフラットに話せるんですよね。そいつに言われて、気づかされることがいっぱいあって。いくら自分の足場を固めたいといっても、自分との闘いを続けてるだけじゃ、僕を観てくれる人も、ついてきてくれる人も、いなくなっちゃうんじゃないかと思うんです。それに、僕の祖母から亡くなる間際に言われたんですよ。“天狗にだけはなるな”って。え、今このタイミングで言う!? って思いましたけど(笑)」

木村了が繰り返す自己分析は“自分探し”とはどこか違う。相対する人によって照らされて、ほんの一瞬浮かび上がる自分像を、彼は見極めようとしている。

「今はなんか、自分のあり方としては、すごくいい感じなんですよね。この感覚を、忘れたくない。変わらずに行きたい。ほんと、このまんまでいたいです」

たぶん、もちろん、そうはいかない。時間は誰の身にも流れるし、新しい出会いだってあるだろう。それでもおそらく木村了は、その都度、自分の足場を見据える。人に向き合い、照らし出された自分を見つめて、変わりゆく姿を観客にさらす。だから彼を愛する人たちは、彼から、目が離せないのだ。



木村了'S ルーツ

初めて出演させていただいた映画『ムーンライト・ジェリーフィッシュ』(2004年)。

兄役でご一緒した藤原竜也さんが、本番前に何度も何度も練習しておられる姿を見て、芝居ってすごくかっこいい仕事なんだと思いました。

木村了(きむら・りょう)プロフィール

2002年、第15回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストで審査員特別賞を受賞。その後、2004年に『ムーンライト・ジェリーフィッシュ』で映画初出演、『WATER BOYS2』でドラマデビューを果たす。映画『赤い糸』『東京島』、ドラマ『オトメン』『BOSS 2ndシーズン』、舞台『蜉蝣峠』など出演作多数。現在、ドラマ『絶対零度~特殊犯罪潜入捜査~』、映画『うさぎドロップ』が公開中。2011年9月20日からは舞台『朱雀家の滅亡』に出演する。



『朱雀家の滅亡』
2011年9月20日(火)~10月10日(月・祝)

朱雀家の滅亡

作:三島由紀夫 演出:宮田慶子
出演:國村隼、香寿たつき、柴本幸、木村了、近藤芳正
劇場:新国立劇場 小劇場
チケット料金:6,300円 他
当日券:あり
お問い合わせ先:新国立劇場ボックスオフィス 03-5352-9999
公式サイト






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