骰子の眼

cinema

東京都 渋谷区

2011-08-29 23:40


「テレビや新聞で見たどの震災の映像よりもリアルで心に響いた」被災地の模様と現地に生きる人々の姿を捉えた『大津波のあとに』『槌音』

9/1、2追加上映決定。震災直後の3月に現地でドキュメンタリー撮影を敢行した映像作家・森元修一、大久保愉伊両氏に聞く。
「テレビや新聞で見たどの震災の映像よりもリアルで心に響いた」被災地の模様と現地に生きる人々の姿を捉えた『大津波のあとに』『槌音』
『大津波のあとに』より

ふたりの映像作家が東日本大震災直後の3月に宮城県と岩手県の被災地に入り、現地の模様を映像に記録し、作品として完成させた。知人のいる石巻に行きそこに生きる人々の言葉を収めた『大津波のあとに』、そして、被害に遭った自らの家族や町の風景に、震災前の日常の映像を重ね合わせた『槌音』だ。
8月18日に渋谷アップリンク・ファクトリーで行われた上映会は、東京在住の岩手県出身者やボランティアとして現地に赴いた人など様々な思いを持った参加者により満員を記録、熱気に満ちたイベントとなった。「これまでテレビや新聞で震災の模様はたくさん見てきましたが、今日観た映像がいちばんリアルで心に響きました」「一家族の何気ない映像を通して、この何万倍もの暮らしが根こそぎ流されてしまったという事実が胸に迫った」などの感想や意見が寄せられたこの日の上映に続き、9月1日、2日に同じくアップリンク・ファクトリーで追加上映が決定。異なる立場から被災地の現実をカメラに収めた森元、大久保両氏に話を聞いた。

ここに人がいたんだということを思い出さなきゃいけない(森元)

──最初に3月に岩手県の被災地に行かれたとき、作品としての公開を想定して撮影をしていたんですか。

森元修一(以下、森元): 3月に被災地に向かった時点では作品どころかどんな撮影になるのかも解りませんでした。震災直後は東京にいて、テレビやネットを浴びるように見ていたんですけど、情報を消費しているだけだという気持ちがありました。石巻の知り合いとも連絡が取れないし、とにかく現状を見なければと思いました。そして、これまで映像に関わってきた人間だからカメラは持って行きました。でも風景は撮れるかもしれないけれど、震災から日が浅い時期に被災者を撮れるか解らないし、撮っていいのかも最初は解らなかった。
映画の前半に、赤ちゃんが流されてしまったお父さんが出てくるんですけれど、「津波のときどんな様子だったんですか」という会話からお子さんの話が出てきて、それを撮影したことで、使命感や義務感ではなく、少しでもこういう声を集め残しておかないと、という思いが湧いてきたんです。でも人々の話を聴くのは辛いことで、つい風景にカメラを向けてしまいがちになりました。けれどやはりここに人がいたんだということを思い出さなきゃいけない、そしてすこしでも証言を残しておこうと、それは向こうにいる期間ずっと思っていたことでした。

大久保愉伊(以下、大久保):震災から2週間ほど経った3月末の週に帰省しました。カメラを持って行きたかったんですけれど、それよりも現地で優先するべきことがあって、スマートフォンの携帯がHDカメラなので、これで撮ろうと思って動画を撮り始めたんです。そこで、現実を受け入れられない夢心地な気分が永遠に続いているような感じがしました。その気持ちをなんとかしなきゃなと思って、震災前に撮った大槌町の映像や、家族の家庭の日常を絡めて作品にしたら、何か変わるんじゃないかというのが発端で。大学の友人や先輩たちが集まる機会がありましてそこで報告も兼ねて上映するために作ったんですが、しばらくして森元さんが声をかけてくださったんです。

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森元修一氏(右)、大久保愉伊氏(左)

森元:いわゆる被災地出身の人間が撮ったから、というだけじゃない、一本の作品としても価値のある映像だと思いました。

大久保:スマートフォンという媒体が自分の身近にある存在なので、わりとすんなり撮ることができたというのがあるかもしれないです。映画の道を志して上京して、フリーターしながら映画を学んで自主映画を撮ってということをやっているからこそ、自分が育った町を自分で撮らなきゃいけないんじゃないかなと思ったんです。ただ森元さんの映画と違って、町民にはカメラを向けることはできなかったし、家族にもカメラを向けることができなかった。そこは勇気がなかったということです。

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『大津波のあとに』より

曖昧な記憶をもう一回呼び起こしていく作業(大久保)

──震災前の映像を織り込もうと思われたのはなぜですか。

大久保:自分の育った町中をぐるっと歩いてみて、育った町なのにもかかわらず、過去にこういう建物があって、ここにこういう人が住んでたよなっていうところはところどころで覚えてはいるんですけれど、なにか記憶がすごい曖昧で、自分がどこを歩いているのかというのもちょっと解らなくなった部分もあった。その後東京に帰って、自分の昔撮った映像を見返してみようということで確認したんです。自分が何本か実家からビデオを持ち出しているというのは頭にあったんですけれど、帰るまではぜんぜんそれを見返すことがなくて。帰ってきて作ろうと思ってから一本一本観直して、気持ちで繋いでいったら、過去と現在が入り乱れる構成の作品になりました。

──過去の家族や町の映像を見返すというのは、大久保さんご自身の過去を振り返る作業でもあったということですか。

大久保:そうですね、自分自身もつくる過程で曖昧な記憶を映像を見返してもう一回呼び起こしていく作業が自然とあって、できた作品も観た人にとってそういうものであってほしかった。

森元:彼はそういうつもりじゃなかったと思うんですけれど、『槌音』は被災地の記録であると同時に彼のルーツにまつわるセルフ・ドキュメンタリーだとも思ったんです。ご家族が猫と戯れているような映像って誰かに見せる前提ではないからすごく無防備だし、被災した場所にはそういう生活やなんでもない日常があった。こういうことがなければぜんぜん違う意味合いを持つ映像だけど、発表を前提としていないホームムービーだからこそ迫るものがある、そういういろいろなことを思いました。
僕は東北に知り合いはいるけれど、そこまで自分自身と繋がりのある場所でないから、第三者として記録に残せた部分もある。僕は被災地の外から来た人間の視点、彼はそこで生まれ育った人間の視点。あまりにも震災の規模が大きいし、町によっても様子が違います。だから視点のちがう2本を一緒に上映することで、少しでも見えてくるものあればいいと思ったんです。

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『槌音』より

──8月に開催された渋谷アップリンクでの上映は、お客さんが溢れるほどの動員となりましたが、反響の大きさについては?

大久保:正直驚きました。どう観られているのか、どう受け止められるのか、僕の作品は個人的なものなので、そこになにか普遍性を感じてもらえればいいんですけれど、それがあるのかは、上映してみなければ解らなかったので。上映前や上映後にお客さんと話したんですが、大槌町出身で東京にずっと住んでいらっしゃる方が多かった。ボランティアの方も多く来られていたのは、自分が支援した町の過去はどんな町だったのか、気になって観に来てくれたのかなと思います。僕自身も、3月11日を東京で迎えて、あの日何が起きたんだろうというのを自分でもよく解らない状態だったので、追体験という部分では共感できる部分がありました。

森元:僕も、18日の上映をやるまでは、ものすごいひとりでぐずぐず考えていました。説明的な字幕もナレーションもつけなかったことも良かったのかもしれませんが、上映をして、こちらの作り手の自意識とは関係なく、目の前に映っているものを受け止めている方がたくさんいたのはよかったと思います。

(インタビュー・文:駒井憲嗣)



森元修一 プロフィール

1970年、鹿児島生まれ。自衛官だった父の転勤にともない静岡、沖縄、山口などで育つ。東洋大学印度哲学科卒業。アニメ制作会社をへてフリーの助監督として活動。小林政広、サトウトシキ、瀬々敬久などの作品に参加する。現在はファーザーオン・プロダクションを主宰し、さまざまな企画を進めている。

大久保愉伊 プロフィール

1986年岩手県大槌町出身。大学で映画学を学ぶ傍ら映画研究部に在籍し自主映画を制作する。在学中に監督した『海に来たれ。~若人狂想曲~』が2008年下北沢トリウッドにて2週間ロードショー公開される。現在長編作品『海の追憶(仮)』を製作中。




『大津波のあとに』『槌音』上映+報告会
2011年9月1日(木)2日(金)
渋谷アップリンク・ファクトリー

日時:
2011年9月1日(木)19:00開場/19:30開演
2011年9月2日(金)19:00開場/19:30開演
料金:1,500円
上映:
『大津波のあとに』(73分)監督:森元修一
『槌音』(23分)監督:大久保愉伊
上映終了後、二人の監督によるトークショーあり
ご予約はこちらから

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コメント(1)


  • 渦猫   2011-11-24 17:27

    現在上映中の『大津波のあとに』『槌音』ですが、急遽上映延長が決定いたしました。追加日程:11/26(土)~12/2(金)連日16:30より。11/25(金)までは18:45から上映しています。 公式サイト:http://fartheron.soragoto.net/