『名前のない少年、脚のない少女』より
ブラジルのドイツ系移民の村を舞台に、そこに住む少年少女たちのネットでの繋がり、そしてリアルな触れ合いを求めて漂う姿を描く映画『名前のない少年、脚のない少女』、3月にロードショー公開されたこの作品が、8月20日(土)から26日(金)まで1週間限定で渋谷アップリンクにて再上映される。ブラジル映画界の新鋭・エズミール・フィーリョ監督が、都会にはない閉鎖的な雰囲気を持つ田舎の村で、現実とバーチャルの境界線でつかみどころなく揺れる若者たちの感情を、大人の世界への憧憬や、ポップ・ミュージックへの共感を通して描いている。文筆家、翻訳家、占い師、ミュージシャン、ダンス・パフォーマーと様々な顔を持ち、作品そして人間への深い洞察を常に試みているReiko.A/東 玲子が、思春期・自殺・インターネット・地方の若者たちの現実、という4つのテーマを元にフィーリョ監督に問いかけを行った。
テーマはほんとうに思春期に限られたものなのか?
──大変印象的な作品ですね。映画を見た後でインタビューを読ませていただき、監督の言葉の力強さにも心を打たれました。特に思春期に思い入れがあるというお話ですが、私はここで描かれている感情は実は人間存在すべてにとっての普遍的なものではないかと思うんです。
死にたいというほどの熱意も、スター──ボブ・ディラン──への自己同一視も、どちらももっと生きたいという同じ思いの別方向への表れ方でしかない。
これは若い人だけではなく、人間がずっと持ち続けるものだと思うのですけど? 映画の原題『Os Famosos e os Duendes da Morte』(『スターと異界人』、といったところか)はやはりそこから来ているのですか?
そうですね。このタイトルは有名人と魔物、とか、有名人と精霊といったような意味なのですけど。あの死んだ女の子ジングル・ジャングルは、自分が永遠になりたいと思ってインターネットにヴィデオや写真を投稿していた。現実の彼女はもっと沈んでいたり憂鬱だったりする時もあったかも知れないけれど、自分が見てもらいたいというイメージをネットで見せることができた。おっしゃるとおり、彼女は永遠という存在になりたいと思っていて、彼女にとっての永遠になるための方法がああいう形だったということなんです。
確かにそれは、思春期だけに限らず人間みなが共通して抱えている思いでしょう。ただ、ネットが思春期の少年少女に与える影響を考えると、やはり大人とは違っていると思います。成長してからネットが人生に入ってきた大人たちはその世界を訪れるだけですが、思春期の子たちはもはやそこに住んでいると言ってもいい。生まれた時からネットに触れているので、ネットとリアルがごちゃ混ぜになっている。
そこを描きたかったので、人間全体に普遍的なテーマというよりはやはり思春期をテーマにしたもので、特にネットと若者との関係を描きたかったんです。
『名前のない少年、脚のない少女』のエズミール・フィーリョ監督
自殺賛美と捕らえられる恐れはないのか?
──ジングル・ジャングルは自殺することで自らを永遠の存在とさせましたね。彼女とジュリアンが橋から共に身を投げるシーンは、シルエットだけでとても美しかった。この作品を「自殺賛美」と捕らえられるのではないかという懸念は製作中にありませんでしたか? 特に日本人はそのような感受性が強いと思うので、受け止める側が単純に自殺を美化してしまう恐れがあるのではないかと気になりました。
確かに映画全体に自殺にかかわるトーンが強かったと思います。でも、あのシーンは男の子が夢の中で描いたものなので。そういった心配は制作時には上がりましたが、ブラジルで上映した時にはまったく問題視されませんでした。おそらくブラジルでは自殺はタブーであって、話題にも上らなかったんでしょうね。
『名前のない少年、脚のない少女』より
──では、『ブリッジ』という映画をご存知ですか(注参照)? あれは同じように、橋から飛び降りる人たちを題材にしたドキュメンタリーなのですが、事実を追いかけていながら訴えてくるものがほとんどありませんでした。でもこの作品は詩情にあふれている分、モチーフのひとつでしかないかも知れない自殺行為を強くアピールする力がありますね。
ああ、そう言えばリオに『グローブ』という新聞があって、そこのコラム枠で、フランチェスコ・ボッコというアーティストが、やはり僕の作品を『ブリッジ』と比較して書いてくれました。彼は『ブリッジ』はすべてを見せていながらなんの感情も伝えてこない、でも僕の映像には残酷さはないものの、映像の裏にあるもの――人の気持ち――を伝えてくるので、僕の映画のほうに心を動かされる、ということでした。
『ブリッジ』は現実の映像であるところがショッキングだし、撮る側が身を投げる人を傍観しているだけという姿勢がサディスティックだったけれど、その後の家族の話を聞くだけでフォローも弱いし、投身自殺の扱い方がいささか浅薄な感じがしました。自殺してから周りの人のことを調べても、そこでわかるのはその人たちが感じたことだけで、自殺した本人がなにを感じていたのかは伝わってこない。
僕の映画ではそうではなくて、その人が感じることや感情を伝えようとしているんです。
ネットの弊害は感じていないのか?
──ネットが自分を永遠の存在とするためのよい道具になるという主張はよくわかるのですが、弊害として感じているものはなにかないのでしょうか?
映画の中では登場人物に、誰かの近くにいるためにほんとうにそばにいる必要はない、というような言葉を言わせていますが、でもネットはヴァーチャルな世界ですよね。やっぱり人間には、じかにさわったり抱いたりすることが大切かも知れないとも思うんです。映画の最後のほうで少年がジュリアンにさわるところが出てきますが、あれはジングル・ジャングルにさわりたくても、彼はジュリアンを通してでしか彼女に触れることができないのでジュリアンにさわっているんだし、お母さんといっしょにダンスをしたりするシーンが出てくるのもそのためです。人間には実際に触れ合うことが必要かも知れない、ということを見た人たちに話し合ってもらいたくて、ああいったシーンを問いかけとして入れました。
『名前のない少年、脚のない少女』より
地方の若者の現実に普遍性があるのか?
──確かにこの作品は現代の若者とネットとの関係性をよく捕らえていますよね。でも、現代の若者という点で言えば、この作品に出てくる子供たちはかなりへんぴな村に住んでいて、ちょっとケースが限定されているのではないかとも思うのです。たとえば今現在の東京に住んでいてあこがれのスターがいたら、自分もすぐ楽器を持って演奏を始めて、ライブハウスに出演してスターを目指すことができる。なれるかなれないかはともかく、自己実現のための環境はそろっていて、そのための道具もすぐに手に入ります。都会の子の現実とはかけ離れた田舎の若者たちの現実を見せることで、都会の子供たちにも十分に作品としてアピールできるという確信はあったのでしょうか?
都会に住んでいる子供たちとこの映画に出てくるような村に住んでいる子供たちの現実は確かに違います。でも、ひとつにはあんな小さな村に住んでいても、ネットを使えば外に向かって発信できる、ということを伝えたかった。たとえばジングル・ジャングルは写真が好きだと思えばああやって自分の撮った写真をネットに載せることができるし、この映画で音楽を担当しているミュージシャンも実際にあのような小さな村に住んでいて、英語を使ってネットで音楽を発信しています。どんなところにいてもネットという手立てがあるということを伝えたかったんです。
映画『名前のない少年、脚のない少女』より
それからもうひとつ、あの村に戻ってきた男ジュリアンですが、たとえ大都会に出ていっても、誰にでも故郷に戻りたいと思う時があるんじゃないかということを、彼の存在によって投げかけてみたかった。僕自身はサンパウロ生まれのサンパウロ育ちなので、ふるさとというものを持ちません。映画のほうにはせりふとしては出てきませんけれど、原作の中に出てくる、故郷をなつかしむような感情はわからないのです。それなのに原作を読んだ時、僕は自分の思春期と同じだという思いを抱いた。こんな小さな村に住んでいる男の子の悩みと大都会に住んでいる自分の思いとが通じ合ったんです。たぶん、大きな街に住んでいても、小さな町に住んでいてもそこは変わらないと思うんです。
──そうかも知れませんね。私も厳密な意味では遠く離れたふるさとを持たないので、地方から出てきた若いミュージシャンでスターを目指してるような人たちにこの映画を見ることを強く勧めたいと思います。きっと都会になじんでいきながらも故郷に引きずられるような思いを抱いていて、切なさやあこがれをいっぱいかかえていて、ずっと深くこの作品に共感できるような気がしますから。
そうですね。ブラジルでもいろんな人があの映画に感動してくれたけど、一番感動してくれたのは、やっぱり自分の町を後にした人たちでした。どんどん勧めてください!
注・『ブリッジ』
自殺の名所でもあるサンフランシスコのゴールデンゲートブリッジから飛び降りる人々の姿を追ったドキュメンタリー。エリック・スティール監督。2006年。
(インタビュー・文:Reiko.A/東 玲子)
▼『名前のない少年、脚のない少女』予告編
映画『名前のない少年、脚のない少女』
2011年8月20日(土)~26(金)渋谷アップリンクにて
連日21:00よりレイトショー上映
監督・脚本:エズミール・フィーリョ
プロデューサー:サラ・シルヴェイラ、マリア・イオネスク
脚本・出演:イズマエル・カネッペレ
撮影監督:マウロ・ピニェイロJr.
音楽:ネロ・ヨハン
キャスト:エンリケ・ラレー、イズマエル・カネッペレ、トゥアネ・エジェルス、サムエル・ヘジナット、アウレア・バチスタ
ブラジル・フランス/ポルトガル語・ドイツ語/2009年/101分/35mm
配給:アップリンク
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