等身大人形を使いながら、人形使い自身も演技者として舞台に出演するという独自の表現を続けてきた百鬼どんどろ・岡本芳一。映画『ヘヴンズストーリー』にも出演し話題を集めたものの、2010年に亡くなった彼の遺作として制作された映画『VEIN -静脈-』が渋谷アップリンクXで公開されている。百鬼どんどろの特異な世界観に魅了された渡邊世紀監督に、なぜ今作の制作に深く関わるようになったのか、そして百鬼どんどろの魅力について語ってもらった。
『VEIN』はもっと岡本さんの個人的なところ、自分をさらけ出している
──今作までの経緯を始めにお聞きしたいのですが。
2006年に、『どんどろ』の公演があり、知り合いにその記録を頼まれました。そのときは僕もどんどろを知りませんでした。ただ、ホームページなどでみた情報で、リヤカーをひきながら6年間旅をしたとか、そういうところに始めは惹かれたんですね。ロマンみたいなのにすごく惹かれていた。で、(岡本さんに)実際お会いしたらすごい気さくな人だったんです。それでもやっぱり、演技のときになると、まるっきりガラッと変わって、何かこう、近寄りがたい孤高の芸術家、と言う感じになった。
実際撮影してみて、寄りの時と引きで撮ったときの印象が全然違うなという事にまず驚きました。なんか面白いなって思ったんですよ。舞台ではお客さんは引き画で見ている訳なんですが、ぼくは、カメラを回していた特権で、寄りでも見れていた。引き画は人形と岡本さんが絡み合っているその不思議さですよね。
寄りはもう、人形そのものの魅力というか、ちょっと角度が変わっただけで全然表情が違って見えたり。そのときはその程度の事しか僕はわからなかったんですが。
『VEIN -静脈-』の渡邊世紀監督
ぼくが本当の意味で岡本さんに入り込んだのは、舞台版の『VEIN』を見てからかもしれません。それがきっかけで、いままで客観的に観ていたのが客観的でいられなくなってしまった。『VEIN』という作品にすごく共感してしまったんです。それで、ドキュメンタリー(今回同時上映になる『人形のいる風景~ドキュメント・オブ・百鬼どんどろ』)は「岡本さんと自分」みたいな内容にどんどんなっていってしまいました。ドキュメンタリーを上映したときに、ちょっと格好をつけて、どんどろと僕の出会いは今始まったばかりですという様なことを言ったんですが、それは『VEIN』があったからなんです。そのときはまだ『VEIN』の映画化の予定はなかったんですが、必ず何かやるなとは思っていました。
そのあと、『VEIN』を映画にしませんかと、どちらからともなく岡本さんと僕の中で、映画にすることが決まって。作品に入っていったんです。
──それまでの岡本さんの作品と比べて『VEIN』の決定的な違いとはなんでしょうか?
それまでの演目は着物を着たような和の人形が華やかに舞う、ひとつの完成形として素晴らしいなと思っていたんです。『VEIN』はもっと岡本さんの個人的なところ、自分をさらけ出しているような内容です。
岡本さんは、ストーリーはお客さんが作ってくださいといつも言っていて、確かにストーリーのようなものは見えなかったりするんですよ、他の作品は。岡本さんと人形の動きから物語を自分で見つけてもらえたらというものだったんです。『VEIN』はあきらかに岡本さんの物語が見えるんですね。あとこの人形が、自分の、スゴく個人的なちょっと知っている人に似ているというか。体が痛々しいじゃないですか?それって明らかに心の痛みを表現している。その心の痛みの部分が、僕の知っている人と重なって。自分はスゴく共感したんです。だから、自分をさらけ出しているこの人と芸術家じゃなくもっと人としてこの人を知りたいと思うようになりました。
──岡本さんはこの『VEIN』という舞台をパーソナルなものとして提示していたんでしょうか?
そうですね。それまで『百鬼どんどろ』をやってきて、もう、ちょっとどんどろの表現とは違うところに行きたいというようになっていました。だからどんどろのファンの方々はスゴく戸惑ったと思うんですよ。それまでは女性ファンの方が多かったんですよ。でも(『VEIN』は)女性の方が受け付けないものが多かったとかっていう。
やっぱり血管が出てきたりとか、その痛々しい感じが。それまでのどんどろのファンの方達にはちょっと。ただ僕みたいに、いままでの作品よりも『VEIN』のほうがいいって言う人も沢山いて。
──『VEIN』で使われていた人形はそれまでのものと比べてどう違ったんですか?
一番わかりやすく違うのは、『和』じゃないことですが、人形作家さんの人形と比べると、動かさないといけないのでいろいろなところが精巧には作られていないんですけれど、それでも他の演目のものはきれいなんですよ。顔とか。『VEIN』は人形丸出しなんです、ごつごつしていて、ぽつぽつ目とか鼻とか穴があいているだけで。あと、人形の全身を作っているというのはじつはあまりなくて。ていうのは……。
──着物で隠れるから……。
ええ、着物で隠して、動かした方がしなやかに舞える。
ただこの作品は、人形の方が先にできたそうで、どういうことをやろうかとか考える前に、この体が、血管むき出しの体をまず先につくっていっちゃったという事なんですよね。
──まずむき出しの骨格を見せたいという思いが、岡本さんにもあったんでしょうか?
うーん……見せたいというか自然にそうなっちゃったんでしょうね。で、できたときにはもうこの人形と何をすればいいのか、考えるまでもなく決まっていた。
演目として一番違うのは『VEIN』は他の演目のようには舞わない。一緒にいるだけ。
ぼくも最初、ほんとに一緒にいるだけだな、と思ったんですけど、でもそれってよくよく考えてみると、ずっと肉体表現をしてきた人が辿りついた境地ではないかと。今までの演目より人形の動かし方がすごく繊細です。だから決して動かないから、とか、年老いたから、とか、病気だからとかではなくて……それは潜在的にはあったのかもしれませんが、病気の事は。でも、新境地なんだろうなと思ったんです。
──派手な舞いもない分、映像化するっていうのは難しいですよね?その、微細な動きとか。
岡本さんの中でも、舞台では伝えきれないというのがあったみたいなんですね。ぼくも、ものすごく繊細なので、ちょっと顔を上げただけでもドラマが詰まっているので、これは映像で抜きたいというか、ちゃんと丁寧に見せたいというように思ったんです。
映画『VEIN -静脈-』より
ひとつになれない2人。その痛みを表現しているんです
──例えば細かい設定ではなくて、岡本さんと人形の構造的な役割というものはあったのか。それとも2人がいて、あとは即興で、お客さんが感じてくれればいいという感じだったのか?
男と少女という登場人物は岡本さんの中ではっきりあって、お互い傷を持っているけれども、寄り添うように一緒にいる2人のラブストーリー。それだけですよ。それだけ。ラブストーリーなんですけど、お互いの傷を労りあって、ひとつになれない2人。その痛みを表現しているんです。自分の色々なものを投影してもらいたいという事ですね。すごい簡単なストーリーはありますけど、細かい部分とか深い部分はお客さんそれぞれのストーリーですよと。
──出来上がった後に岡本さんが亡くなった?
細かい音の調整などは別ですが、映像を繋げていく作業は岡本さんと一緒にできたんですよ。集中して2人で編集はできました。
──その後に音楽は岡本さんが使いたいと指示されたものはある意味かけ離れてしまって、独奏という形で斉藤ネコさんがやられていますけど、岡本さんがそれを見たら、どう言ってくれると監督はお考えですか?
舞台の『VEIN』で使われていた音楽というのは、現場でも流しながら撮影をしたんです。特に最初の曲なんかは岡本さんがすごく気に入っていて。今回斉藤ネコさんにやっていただいた部分というのは、人形と岡本さんの場面ではなくて、岡本さんがひとりで思いを巡らせて、2人の過去とか、設定とかがちょっと見えてくる部分です。そこは一番映像的に遊べる、といったら変なんですが。
僕は、岡本さんと人形のやり取りの部分は、舞台版『VEIN』の要素を壊したくはなかったんですが、岡本さんがひとりで思いを巡らす部分っていうのは、いろいろ映像で見せれるんじゃないかと、そこだけは、強く訴えかけるシーンにできないかなと、斉藤ネコさんに出来上がった映像を見てもらいながら弾いていただきました。
ぼくはクラシック音楽が好きなのですが、そのレコーディングのときにはぶったまげましたね。ワンテイク目のを映画では使っているんですが、それがスゴくて。1回映画を見ていただいただけなのに、映画の本質を分かってもらえているというか。自然に寄り添っているんですよね。どちらかに合わせているというわざとらしさがない。いい意味で、映画の見せ場のひとつになっていますね。
──音や編集に関してはどんな岡本さんからの要望があったんですか?
うーん……この辺が岡本さんの表現の本質みたいなところなんですけど、例えば、立っていた人形がいきなりダーンと崩れ落ちます。ちょっと衝撃的なシーンだと思うんですが、そういう時に、もっと人形っぽい音にしてと。物です。人形は。と。引きつけて突き放すというのが岡本演出なんです。ずっと見ていて、いつのまにか(人形の)少女に人格があるというように観客はみるじゃないですか。そういうときに、これはただの物だよ、人形だよと突き放すんです。それでまた、いつの間にか、観客は入り込んでいる。
岡本さんはなんで人間じゃなくて人形と芝居をするのかというと、岡本さんが書いている文章にあるんですが、物と人間とのあいだにしか生まれない軋みみたいなものがあって、人間は人形に近づこうとする、人形は人間に近づこうとする、だが決して、絶対に、ひとつにはなれない。それが物と生き物。その奇妙な軋みにドラマがあるというのが岡本さんの表現の本質のようなものなんです。岡本さんの以前の演目とかだと、お客さんの感想でよく、どっちが人形でどっちが人間のかよく分からなかったというのがある。そういう演目もあるんです。
──それは映画の『VEIN -静脈-』のなかでも演出されているシーンがありますよね。途中岡本さんが人形になりきろうするような部分もあるし、人形は人形を越えて人間になりきろうとするような瞬間というのがあるじゃないですか?それはあえてそういう事をやっているんですよね。
はい。『VEIN』以外の作品で顕著なのは、人形の方が岡本さんのマスクを被っていて、完全にだまされるものとか。『VEIN』でも、岡本さんは物になりきろうとする。だからマスクを被っているんです。感情はお客さんの物だからと自分は感情をなくそうとする。
映画『VEIN -静脈-』より
より想像を深めてもらう映画をこころがけた
──岡本さんは穏やかな感じなんですか?
そうですね。不思議なんですが、岡本さんは今まで映像をやっていないのにすごくイメージを持っていて。それに僕と結構感性が似ているんですよね。編集しているときに改めて思ったんですが。こうやったらどうですか?うん、いいね。みたいな。ぶつかるときも勿論あるんですけれど。
──どういったときに?
編集のときよりは、脚本のときですかね。まず舞台版の脚本をもらって、ぼくが映画用に直して、新しくシーンなどを足していって、それで何回かやり取りをして、一度撮影をしたんです。そしたら岡本さんがもう一度撮りたいというか、新しいシーンを足したいと言いだして、僕としては必要ないと、これでいいと思っていたので。で、その岡本さんがこういうふうにやりたいんだという具体的な案をもらったときに、いちど自分でよく考えてみたら、岡本さんのアイデアから自分のなかで新しい物が生まれてきたんですね。だから岡本さんのアイデアを入れながら、僕が完成させたっていうかんじです。で、岡本さんはそれを受け入れてくれた。
──監督自身としては岡本さんの世界観を映像で撮る事で元々の舞台版の『VEIN』の世界を拡げるというより、新しい、もうひとつの作品を作ったというほうが強いんですか?
そうですね、舞台版の『VEIN』とは別物だと考えているので。ただ元々岡本さんを知っている人で、舞台の『VEIN』を見ている人に映画版『VEIN』を見てもらったときに、そんなに『VEIN』という作品に対しての印象は変わらなかったといわれたんですね。それはある意味よかったなと思っていて、オリジナルの要素や言いたい事などは壊さずに別の作品にしたいなとは思っていたので、印象が変わらなかったという意見は、いい意味でとりましたね。ただ、やっぱり映像って具体的じゃないですか。お客さんの想像する部分を映像化する事で狭めてはいけないと思ったので。より想像を深めてもらうというのは考えてやりました。
──説明するというんではなくて……。
逆に混乱させるという感じですね。この2人にとってなにが真実なんだろうと思いつつ、2人のドラマに思いをよせてもらえれば。
──考えてみればずっと物で人形である事は変わらない訳で、見ている側に、生きているものが突然無機質になるというようにみせるために音以外で演出はどういった工夫をされているんでしょうか?
今回は、人形そのものが人形丸出しなんですよね。肌をごつごつとわざとしているんですけど、これ手抜きなの?みたいな顔じゃないですか。でも、これは多分相当計算して作っている。それはすべての人形に共通して通していえる事なんですけど。人形作家さんと比べたら雑でかもしれませんが、岡本さんにとって他の人形はもっと精巧に作っていて、このシンプルな顔が絶妙な顔だなと僕は思っているんですが。他の人形よりももっと色んな感情が見えるという。人形……そうですね。人形ですよという感じですね。
あと、人形が暴れるときがありますよね。あれを見た事がある人は、舞台のときにも思ったんですが、もう、壊れちゃうよって思うんですよ。そう思って欲しいんですよ、岡本さんは。
──人間ではなく人形が動いているというのをあえて意識させるということなんですか。
人形がうごいているというか、まあ、勿論彼女の心情というのはあるんですけど、あそこも、人形っぽさをだしたいと仰ってましたね。だから岡本さんがよくお客さんに聞かれる事で、人形にすごい気持ちを込めてやってらっしゃるんですか?と聞かれて、いや、全然気持ちなんて込めてないと。人形はお客さんの気持ちが入るから、自分は気持ちを入れないで空っぽにしてやんなきゃいけない。物にしてやんなきゃいけない。っていうのが岡本さんの哲学みたいなものですね。
──逆にそれだけ人形に愛情を感じていということですか。
そうですね。全然大事にしてないんですよなんてご自分で言ってたんですけど、『VEIN』はちょっと違う気がしましたけどね。この人形をすごい愛している気がしましたけどね。だから物としての人形を見据えながら自分の気持ちが入ってしまった作品かなと僕は思っているんです。
(インタビュー:鎌田英嗣、駒井憲嗣 構成:駒井憲嗣)
▼『VEIN -静脈-』予告編
岡本芳一(百鬼どんどろ) プロフィール
岡本芳一(百鬼どんどろ) プロフィール
1974年東京にて創設。自作の等身大人形をつかったパフォーマンスを都内小劇場、街頭などで上演。80年より「百鬼人形芝居どんどろ」と改名し荷車を引いて芝居道具、生活道具をつんで歩く旅芸人生活開始。野宿、自炊の生活をしながら神社の境内等で丸太小屋を掛けての見せ物人形芝居を展開。等身大人形や仮面などを使い、同時に、遣い手自身も黒衣(人形遣い) としてではなく、演技者として舞台に加わる独特の形態をもちいた表現で舞台活動をしている。ヨーロッパをはじめとした世界各国で「日本の伝統を基盤にしたオリジナルで斬新な表現」として高い評価を受け、数多くのフェスティバル等から招待され、海外でのワークショップ、岡本芳一の舞台ソロ公演、野外公演、他ジャンルとの共演など幅広く活動。映画『ヘヴンズストーリー』にも出演し、活動の場を広げていたが、2010年7月に享年62才にて永眠。自らの舞台演目を映画化した『VEIN-静脈-』が遺作となった。
百鬼どんどろウェブサイト
渡邊世紀 プロフィール
1973年、神奈川県伊勢原市に生まれる。1996年、カリフォルニア大学サンタバーバラ校映画科卒業。アメリカ留学を機に、自分が“日本人”であることを再確認、自分なりの“日本映画”を目指す。2004年、長年の親友であった諏訪慶監督とDOUBLE BEAR FILMを結成、2005年、『猫の家族』で商業監督デビュー。主な監督作品に『ゆっきーな』(2010年)『エンジェル・ハート~羽ばたける者たちへ~』(2010年)など。
映画『VEIN -静脈-』
渋谷アップリンクXにて7月22日(金)まで連日21:00より上映中
製作:百鬼どんどろ/DOUBLE BEAR FILM
脚本:渡邊世紀、岡本芳一
撮影:百瀬修司
照明:太田 博
監督/編集:渡邊世紀
作曲・ヴァイオリン独奏:斎藤ネコ
2010年/58分
公式HP
同時上映
『人形のいる風景~ドキュメント・オブ・百鬼どんどろ~』(追悼特別版)
出演:岡本芳一、飯田美千香、黒谷都
撮影・編集・監督:渡邊世紀
企画:岩本光弘、かわさきひろゆき
製作・配給:オカシネマ/サクセスロード/DOUBLE BEAR FILM
2011年/43分
【イベント続々決定!】
公式HP予約ページ
2011年7月8日(金)瀬々敬久監督(映画「ヘヴンズストーリー」と岡本芳一について)
2011年7月11日(月)中田新一監督
2011年7月12日(火)かわせみ座 代表・山本由也
2011年7月14日(木)人形作家 安藤早苗・三浦悦子
2011年7月15日(金)撮影:百瀬修司 照明:太田博(スタッフと語る『VEIN-静脈-』)
2011年7月16日(土)人形遣い 黒谷 都(ゲスト公演)
さらにゲスト、イベントを調整中。