骰子の眼

cinema

東京都 渋谷区

2011-07-05 20:40


7/7に追悼イベント開催、ドキュメンタリー『加地等がいた』豊田道倫、前野健太がリスペクトを寄せたシンガーソングライターの横顔

今年2月に他界したシンガー・ソングライター加地等のドキュメンタリーが完成。7月7日(木)渋谷アップリンク・ファクトリーで都内で初めての上映会が行われる。『加地等がいた -僕の歌を聴いとくれ-』は、豊田道倫、前野健太らアーティストから賛辞を寄せられながらも、不遇な活動を余儀なくされた彼の歌の世界と私生活を赤裸々に綴っている。今回のイベントではその豊田道倫、前野健太に加え、初期の作品のプロデューサーである三沢洋紀そして東京で彼の作品のリリースに尽力したケバブレコードの岡敬士を迎え、加地等の音楽の魅力が語られる。プライベートでも彼と交流の深かった堀内博志監督に、今作を完成させるまでの経緯を語ってもらった。

この人おかしいな、でも、どこか人懐っこい

──監督と加地さんの出会いから教えてください。

高円寺に豊田道倫さんのライブを観にいって、打ち上げで飲みに行こうかという時に、豊田さんが「加地等という大阪のシンガーが東京に出てきていて、高円寺に住んでいるから呼ぼう」ということで、彼がふらりとやって来た。加地等の存在は知らなかったし、音楽も聴いたこともなかった。それが2年半くらい前のことです。
映画でも触れているんですが、彼はその前のクリスマスイブに右手に大火傷を負ってうまくギターが弾けなくなってしまっていた、同時にアルバイトも辞めさせられてしまっていて、生活が厳しくて、精神的にも酒や安定剤に頼りすぎていた時期でした。もちろんミュージシャンというのも解ってなかったですから、変なおっさんだなというのが第一印象で。大勢で飲んでたんですが、終電がなくなって、気づいたら二人っきりだったんです。彼は古い日本映画が好きで、ずっと映画の話をしていたから、ミュージシャンではなくて映画を作りたい人なのかと思っていました。だんだん夜も深まるとべろべろで同じことばかり話し出して、ほんとに帰りたかったですよ(笑)。

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『加地等がいた -僕の歌を聴いとくれ-』の堀内博志監督

次の日、彼のことを調べると、CDが出てることを知って、『トカレフ』というアルバムをすぐ買ってみたんです。あの人はどんなヘンな音楽をやってるんだろうと思って聴いてみたら、すごい衝撃を受けました。スタイル的にはオーソドックスで、先進的な音ではなかったですが、その分メロディがとても入りやすかった、歌詞も、汚い言葉を使ってるけど、汚い印象が残らない、すごくビジョンが広がる、その情景が浮かぶ描写の曲が多くて、彼が映画好きなのもの解かる気がしました。とにかく、すごく良かったんですよ。
それでCDを全部買って聴いてから、もう一回会いましょうと電話して、そこで「加地等に興味があるから、あなたを撮らせてくれ」といきなり言ったんです。彼は「俺撮っても別になんの得もないと思うけど、別にいいよ」みたいな感じで了解してくれました。
そして次に会ったのが、映画でもあるように初めて家に行った日なんです。彼のバックグラウンドとか何も知らないでカメラを持って三畳一間のアパートで撮り始めました。
彼はずっとビールを飲んでいて、大した会話にならない、やっぱこの人おかしいなと思いながら、でも、どこか人懐っこい印象を受けました。

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『加地等がいた -僕の歌を聴いとくれ-』より

──それは曲から受ける印象と同じですね。

話すことも曲と変わらない雰囲気で、ダメな自分の話とかお酒の話とか映画の話とか、すごく曲と彼が一致していて、実際彼は、とても優しい人だったんです。気遣いもすごく出来る人で、だけどやっぱりあの感じのせいか、どんどん社会から孤立していく疎外感を本人はすごく感じていて、彼は「俺はどうせダメだ」って言いながら、僕にはそんな感じがしなかった。

──自分の楽曲に対しては確信があったんでしょうか。

あったと思います。そういう自信があるから、37歳にして上京し音楽やったんだと思うし、特に歌詞に関しては絶対的な自信が彼はありました、曲はすぐできるんだけど歌詞はすごく考えてると。だから歌詞が完成するのに何年もかかっている曲もありましたね。自分の歌をぜったいいいものだと思ってやっている感じが、あの時からありましたね。こういう曲が売れるとか、世間をすごく気にしているようでで全くしてないというか、すでに孤高のスタイルが確立されていた。

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『加地等がいた -僕の歌を聴いとくれ-』より

──監督以外にサポートしていた人はいたんでしょうか。

大阪でやっていたバンドが解散してひとりでやり始めた時に、LABCRYの三沢(洋紀)さんがアルバム制作の後押しをし、自らプロデュースをされていたり、ミュージシャンズ・ミュージシャン、音楽仲間にはすごい影響を与えていたようですが、ライブの動員は伸びず、居ても帰っちゃったり。
そんな時期に東京のほうが反応が良いと、東京の音楽関係者の方に言われたようです。 その頃から、豊田さんや前野健太さんは東京からラブコールを送っていました。すごく応援していて、加地さんもそれに勇気づけられ、応えていました。
そしてケバブレコードの岡敬士くんが、加地さんのCDをリリースするために、弟子みたいにずっと一緒にいたんです。高円寺を付いて歩いて、安酒を交わし師匠の話を聞くみたいな日々を。ちょうどその時期に僕も岡くんと出会って、同じように惚れてしまっている二人で「あの人なんとかしてあげたいね」と話してました。

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『加地等がいた -僕の歌を聴いとくれ-』より

状況はどうあれ、彼は変わらずにやり続けるだろうと思っていた

──撮影中はこうしたドキュメンタリー作品になるというのは考えてましたか?

当時は、加地さんがライブをするわけでもなく、節目が特になにもなかった。彼は精神的に病んでいっていたので、近くにいる僕もそういう影響を受けました。負のオーラというか。結構ポジティブなほうなんですけれど、死にてぇなぁみたいになってきて、カメラを回しているときだけじゃなくて、一緒に飲んでるときとか、電話で話してるだけでもそういうものをもらっていたので、これはちょっと厳しいな、一回距離を置きたいなという時もあったんです。
その節目として、アップリンクでたん生日コンサートを企画して復活ライブをしてもらって、その後にニューアルバムを出し、いい方向に行ってもらったら、そこで撮影的には一旦離れようと思っていたんです。そうしたらライブ前に生活費が無くなり実家に帰ってしまって。全部段取りしていたのに、ライブも出ないというんですよ。それを大阪まで行き説得して、やっとライブをやってもらったんです。結局金銭的な理由で、やはり東京で生活できなくなってしまい彼は大阪に戻りました。大阪では曲作りより、ちゃんと仕事が生活が出来るようにするという目標を立てていました。その頃には、もう被写体というより友達という関係になってしまっていました。

──そこまでプライベートで友達になると、ドキュメンタリーの被写体としてカメラで見る加地さんとの差を感じたりしませんでしたか。

加地さんが大阪に戻ってから、すぐ作品として仕上げる気持ちは無くなりました。10年くらい、ライブがあったり、なにか撮っていれば作品になるんじゃないかというくらいに思っていたんです。状況はどうあれ、彼は変わらずにやり続けるだろうと思っていて。
でも亡くなってしまった。そして、映画として完成させて上映しようという流れになったときに、正直作れなかったんですよ。彼が亡くなったことに向き合うのが、哀しくてしょうがなかった。
撮り続けるつもりだったのに、映画として終わらせることがずっと出来ないでいたんです。
でも、こんな人がいて、ある日死にましたという映画にだけはしたくないなと。
そして、最初の出会いのことを思い返しました。僕が加地さんの曲を好きになったときの気持ちを思い出して。その時の感覚が観た人に伝われば、この映画を観て加地さんの曲をちょっと聴いてみようかな、と思ってもらえるんじゃないかと、そう思ったら、映画を完成させることが出来たんです。

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『加地等がいた -僕の歌を聴いとくれ-』より

加地等を知らない人が観て、彼の曲のなかでどれかひとつでも気に入った曲が見つかればいい

──歌詞も字幕で流れますし、楽曲をなるべくフルコーラス聴ける編集になっています。

アーティストのドキュメンタリー映画を撮るうえでの作家性が僕にあるのなら、そういうものはなるべく無くしているつもりです。加地等を知らない人が観て、彼の曲のなかでどれかひとつでも気に入った曲が見つかればいいなと。どんなアーティストもそうかも知れませんが、自分のやってることを知ってほしいという思いは彼はとてもあった、この映画は、加地さんの雰囲気も伝わって、ダメなところも隠さずに、でもこういう曲を歌っているというのを伝える、彼のライブみたいな映像作品を目指しました。

──加地さんの音楽って自分の見ないようにしていた部分を突きつけられる感覚を覚えるんです。

僕も彼がダメな知り合いだったらカメラを向けなかったと思うし、ああいう歌を歌っているから興味があったわけで。全てセルフ・ドキュメンタリーみたいな歌詞だと思うじゃないですか、実はとても客観的なんですよね。ぜんぶ自分の体験ではなくて、ちょっとした自分の気持ちを脚色して曲にしているようなので、自分の思っていること、体験している事だけを歌う人ではなかったかもしれない。
描く日常のシーンも秀逸で、雨の日に電車に乗っていて女子高生達が喋っている、ひとりワキガの女の子がいて、その匂いがする、他の女の子達も気付いている、というような歌なんです(「ある雨の日の出来事」[アルバム『僕はフォークシンガー』収録])。
そこへ、いろんな自分の気持ちと描写が入っていく。
加地等の曲には、センセーショナルな部分だけでなく、なにかもっと大きく包む情緒豊で普遍的なものが存在していると思う。そんなところに僕は惹かれ続けています。

(インタビュー・文:駒井憲嗣)

▼『加地等がいた ―僕の歌を聴いとくれ―』予告編





加地等 プロフィール

1970年生まれ。2011年2月2日没(満40歳)。大阪府出身。80年代後半からバンド活動を始め、数々のバンドを経る。90年頃から弾き語り活動を開始し、01年に三沢洋紀(LETTER・LABCRY)プロデュースによる自身初のアルバム『僕はフォークシンガー』を発表。以降オリジナルアルバム7枚、ライヴアルバム1枚をリリース。09年には KEBAB RECORDS企画によるコンピレーションアルバムに参加。2011年2月2日、肝硬変により四十歳の若さで逝去。
加地等ウェブサイト

堀内博志 プロフィール

1974年生まれ。大阪ビジュアルアーツ専門学校映画学科卒。数社の映像制作会社で映像の仕事に携わり、さまざまなアーティストのPV、映像作品をディレクション。独立後、PERFECT WORLDを設立。『新任女教師 劇場版 愛してるとか 好きだとか』(2008年)、加地等が作詞作曲しこれが遺作となった「私の愛は素敵なものよ」をエンディング曲とした『官能コレクター』(2010年)の脚本・監督を務め劇場公開される。2010年『反抗』がPFF2010を初め様々な国内映画祭に選出され、全国にて上映され、フランスでの上映も控えている。2011年、新作映画『解放』(仮)が完成間近。
堀内博志ウェブサイト




加地等・追悼イベント ─
映画『加地等がいた -僕の歌を聴いとくれ-』都内初上映
2011年7月7日(木)
渋谷アップリンク・ファクトリー

19:00開場/19:30開演
料金:予約/当日¥1,500(+1ドリンク別)
★ご予約者全員に「加地等未発表スペシャル音源集」をプレゼント!
上映終了後にトークショー「伝説のシンガー・加地等」
出演:豊田道倫、三沢洋紀、前野健太、岡敬士(ケバブレコード)

ご予約はこちら

『加地等がいた ―僕の歌を聴いとくれ―』

監督・撮影・編集:堀内博志
出演・音楽:加地等
出演・制作協力:岡敬士
製作・ 配給:PERFECT WORLD
2011年/日本/カラー/DV16:9/74分
http://kajihitoshi-movie.perfect-world.me/


キーワード:

加地等 / 豊田道倫 / 前野健太


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