骰子の眼

cinema

2011-06-03 11:30


デジタル配給革命の波に乗って大陸間に広がるブラック・シネマ─ビデオ・オン・ディマンド、ウェブ配給、マルチ・プラットフォーム

黒人シネマ自主配給の挑戦 PART2:コントリビューター、タハラレイコさんが黒人メディアの配給を取り巻く状況をマンハッタンのワークショップ会場からレポート。
デジタル配給革命の波に乗って大陸間に広がるブラック・シネマ─ビデオ・オン・ディマンド、ウェブ配給、マルチ・プラットフォーム
トーマス・アレン・ハリスの『ネルソン・マンデラの12使徒』より(著者訳。原題"Twelve Disciples of Nelson Mandela")写真提供:Chimpanzee Productions

R-2会議

少し時間があいてしまったが、前回に引き続き、マンハッタンのグリニッジ・ビレッジにあるニュースクール大学で開かれた『リミックス&リマスター:グローバル時代の黒人像と黒人メディアの配給』(Re-Mixed & Re-Mastered: Defining and Distributing the Black Image in the Era of Globalization リンク参照)という会議の後半戦をリポートする。4月8日と9日にかけて、上映、公開討論会、ワークショップなどを通じて話し合われた主題は、「黒人メディア制作者は、今後どうやって、主流に挑みつつ、自分たちの文化を映す作品を創り配給していけるのか」というもの。

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「一般の人に届きやすい配給」ワークショップの模様。

自主配給ワークショップ

第2部の最初は、自主配給ワークショップ。テーマごとに4つのグループに分かれて行われたワークショップにはそれぞれ違うモデレーターと4-5人のパネリストがいて、彼らの経験談を聞くことができる。テーマは 「ソーシャル・メディアを活用した自作品のブランド化とオーディエンス開拓」、「インターラクティブ・メディアとメディア媒体の多様化に対応したストーリー・テリングの手法」、「一般ユーザーに届きやすい配給:ビデオ・オン・ディマンド、ウェビソード、デジタル・ダウンロード」、そして「映画祭と劇場公開」の4つである。うーむ。どれも参考になりそうだが、一つ選ばなくてはならない。私が選んだのは「一般の人に届きやすい配給」ワークショップ。

ビデオ・オン・ディマンド

この中で印象に残ったのは、自分でキュレートした自主製作の作品をビデオ・オン・ディマンドとして有料でストリーミングし、一般のユーザーがそれぞれの端末(パソコン、ipad、スマホなど)で見られるサービスを提供しようという試み。サイト名はbigshadetree.com(リンク参照)。プロデューサーのトレバイト・A・ウィリスがこの夏から開始するサービスで、まだ本格的に作動していないのでサイトから支払い方法や値段などを知ることはできないが、おそらくPaypalを使ったpaypalアカウントかクレジットカードでの支払いで、ユーザーは好きな時に好きな作品を好きな場所で見ることができる。大手の配給網にひっかからないが内容のいい作品を選んでユーザーにお届けしようという、制作者にとってもユーザーにとってもいい話ではある。配給する作品を厳選し“キュレート”しているという点では既存の配給会社と基本的には同じであるが、配給形態は最新。つまり宣伝費をかけて劇場公開しその後ビデオで売り出してもとをとるという従来の配給形態や、劇場へかけずにDVD市場に直接下ろしてしまう方法からさらに進化して、最初からパッケージングや宣伝費用をかけずにエンド・ユーザーに直接デジタルに商品を届けることで利益が即出るようにし、それを配給と制作者で分配しよう、という試みである。

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自主制作映画のオン・ディマンド有料配信サイトBig Shade Tree(この夏に開始)

自分のサイトで自分の作品をオン・ディマンド配給?

トレバイトはさらに、こういう“キュレート”された新しい配給の仕方がこれから出てくるだろうが、自分が製作した作品があるなら、ウェブサイトでオン・ディマンドとしてユーザーがインスタント・プレイですぐに見られるようにするべき、とフィルムメーカーに呼びかける。また、配給会社と契約する際に、独占契約にしないよう必ず交渉するように、とのアドバイスも彼女から出た。これは仲間の制作者たちからもよく耳にすることだが、何年たっても自分の作品を好きなように売ったり人に見せたり、資金はないが自分が賛同するような市民団体等に上映の許可を与えることができない。かといって、満足の行くように宣伝してくれるわけでもなく、自分が長年かけて作った作品が、配給会社の棚の上で停滞してしまう、という嘆きだ。 ただしここでモデレーターでありこの会議全体の主催者であるミッシェル教授が指摘したのは、オン・ディマンドでの配給は即時性という面では魅力的だが、大勢の人の目に触れクリックしてもらわないと単価が安くお金にならないため、例えば作品数が沢山ある作家や、ある程度テーマやジャンルで“キュレート”されたオン・ディマンドのサイトが人気をあげていけば今後オン・ディマンドが有効になっていくだろうが、一本作品を作ってそれをサイトで見れるようにしてもあまりお金には結びつかないかも、ということ。つまり、 配給体系やユーザーの多様化がこれだけ進んでいる中、 配給会社に任せるだけでも足りないし、自分一人でも戦いは辛い。 色んな人と協力して配給していけるよう自分の権利を主張しつつ、自分のオーディエンスを自分で開拓しながら新旧の配給網を活用せよ、ということか。

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ダラス・ペン(右)とラフィ・カムのヒップポップ・ジャーナリズム『ボデガ』

ネットを活用したヒップポップ・ジャーナリズム・ビデオ

他のパネリストの一人、自分のコミュニティの食事情を題材にしたソーシャル・コメンタリー・ビデオ『ゲットー・ビックマック』と『ボデガ』を作ったダラス・ペン(第一部でも紹介 リンク参照)も同じように“自分のオーディエンスを知る”という点を強調した。彼の場合、作品でお金をもうけようとは思っておらず、社会派メッセージを自分の仲間に届けることが第一義だという。彼が仲間と呼ぶのは、ヒップポップ・ジェネレーション。「アメリカで一番貧しい都市部の町と言われるブロンクス、大手の銀行もスーパーもない。そこに住む住人(ほとんどがブラック・ヒスパニック)は体にいい食べ物へのアクセスがない。じゃあ彼ら、つまり俺らは、どこで何を食べて育ってきたんだ?」と始まった彼と相棒ラフィ・カムのビデオ調査、まず最初はマクドナルドの$1メニューのダブル・チーズバーガーとポテト(小)を組み合わせ店員におねだりしてビッグマック・ソースをただでもらって作った『ゲットー・ビックマック』(2006年制作)。これがyoutubeで大ヒットした(これまでのヒット数118万人以上)。その後作った『ボデガ』では、お腹がすいて仕方がないが貧乏なラフィを$1.50(約200円)でランチが食べれるボデガ(ラティーノが経営する街角の小さな食料品屋。ダラス青年幼少時代の御用達)にダラスが連れて行き、懐かしの食品を紹介しながら、発ガン性が指摘されている安息香酸ナトリウムや合成着色料などたっぷりの成分表にちょっとたじろぎ、でも色とりどりの食べ物を買って安いねえ、と喜ぶ内容である。

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ダラス・ペン in『ボデガ』

この作品もヒップポップの曲が無料でダウンロードできるサイトやダラスとラフィのブログなどで紹介、youtubeのヒットは約14万回、その彼が“Know your audience”と言うと、何とも説得力がある。 自分たちが普段食べている安い食べ物が、実はどんなに栄養的に劣悪で肥満や病気の原因になっているかもしれないことを、ゲットー出身の仲間たちと笑いながら一緒に考えたい、上から目線で外部者が撮るのではなく、自分たちの育った環境を自分たちで語るんだと、ヒップポップと同じまっすぐで真剣な気持ちでビデオを作る。しかもそれがまじめにバカげていておもしろい。彼らは一時は“インターネット・セレブリティ”として人気を博し、当時人気だったThe Daily Reelというサイトのコミッションでサンダンス映画祭を取材したり、フォックス・チャンネルに「もっと有名にしてやる」と企画を持ち寄られたこともあると言う。でも、「有名」をエサに低賃金で働かされることが見え見えだったのでお断り申し上げたそうだ。次の作品は食べ物から離れて「チェック・キャッシング」所。これは、 貧乏なエリアによくある、小切手を現金に換えてくれる店で、中産階級には縁のない場所。手数料は取られるが、銀行口座を持たない(持てない)不法移民や日雇い労働者などを支えている場所でもある。ダラス氏曰く「アメリカの経済破綻を見てみろ。銀行なんて不正直な商売だ。チェック・キャッシング所は這いつくばって生きている労働者を支えていて、銀行なんかよりよっぽど高潔だ」。自分の活動をヒップポップ・ジャーナリズムと呼ぶダラスさん、骨のある、今後が楽しみな人物だ。

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『31』ウェビソードシリーズ

ウェビソードとは?

さらに、トレバイトが新たに関わっているプロジェクトに、31シリーズという“ウェビソード”がある(リンク参照)。これは、ホラー好きの聴衆のために総予算390ドルで製作したというホラーHDドラマで、2011年3月31日から31日間に渡り、31秒ずつ毎日アップされた連載ウェブ番組。最後にはファンのために「もう一つの結末」まで作って上げている。31秒x31日とすると、全体で約16分の作品ということになる。ツイッターなどを使ってのバイラル・キャンペーンをかけている、と言っていたが、youtubeのヒット数のカウントをオートにしておいたら0に戻ってしまったアクシデントもあったようで、どういう展開になっているのか、よく見えにくい。ダラスも、カウントに惑わされてはいけない、と言う。大切なのは拡げて行くこと。自分のオーディエンスにターゲットをしぼったウェブ・ブロギング、youtubeやvimeoにまずパスワード付きでビデオをアップして、プレスにそれを配る、誰か書いてくれる人を見つけてツイートしてもらう、ファイスブックに書き込みしてもらう、などなどその努力を怠らなければ、必ずオーディエンスは見つかる、と言う。ブートレッグは大歓迎、プロモだと思ってどんどん配る…うーむ、作品を創るのは大仕事だが、自分なりのお客さんの開拓も制作者の仕事なると、これは大変なことだ。しかも、それがすぐにお金に繋がるとは限らない。まず大切なのは、自分の作品の性質とオーディエンス層を知ること、誰のために、何のために作っているのかを知ること、その上で、自分の作品を見たい人は映画祭に足を運ぶタイプではないと思えば、それなりの方法で彼らにリーチアウトする、そうでなければ従来の方法で映画祭-配給を狙うのが妥当だろうが、同時にどうやったら自主配給をお金に結びつけられるかの挑戦が世界各地で今後繰り広げられて行くだろう。

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自主配給ワークショップパネリスト(左から2人目がトレバイト、一番右がダラス)

これからどこに向かうのか─公開討論会

さて、次のプログラムは、『これからどこに向かうのか』と題したこの日最後の公開討論会。ゲストパネラーは日本では知られていないが世界の映画祭で評価を得ている実力派黒人男性監督2名:もとアメリカのプロ・ホッケー選手で2000年以降は故郷カナダのトロントで劇映画やドキュメンタリーを作っているチャールズ・オフィサー(デビュー短編『朝が来る時』筆者訳はトロント映画祭、長編デビュー作『ナース・ファイター・ボーイ』はベルリン映画祭などへ出品)と、ニューヨークでドキュメンタリーをPBS(公共放送)などに出しているトーマス・アレン・ハリス(代表作品は南アフリカの反アパルトヘイト活動家だった義父を題材にした『ネルソン・マンデラの12使徒』、サンダンス、ベルリン、トロントなど出品・受賞多数)、黒人シネマをプロデュース・ブランド化し、フォーカス・フィーチャーズという大手の配給会社との契約を取り付けているやり手の黒人女性プロデューサーのキーシャ・キャメロン・ディングル(コンプリーション・フィルムズ代表)、南アフリカ出身で政治科学の分野でメディア、グローバル化、民主化の接点について研究しながらマスメディアの中のアフリカ像を批評するブログ『アフリカは一つの国』を立ち上げた学者のショーン・ジェイコブス、ナイジェリア出身のNY州認定エンターテイメント弁護士(MITで工学士、コロンビアで法学士、MBAと学歴もすごい)で、アフリカ全土にまたがる低所得者層へのデジタルシネマ配給システムを構築する会社、234メディアのCEOであるダヨ・オグンイェミ(各パネリストの活動詳細はリンク参照)。

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左から:ミッシェル・マテレ教授、チャールズ・オフィサー、トーマス・アレン・ハリス、キーシャ・キャメロン・ディングル、ダヨ・オグンイェミ、ショーン・ジェイコブス。写真はR-2会議のフェイスブックより。

まず、チャールズが指摘したのは、第一部で紹介したタンベイ・オベンソンの主宰するブラックシネマ・ブログサイト『シャドー・アンド・アクト』(リンク参照)など、ネット上のコミュニティ・サイトの重要性。自主制作者がプロデューサーに企画を持ち込む時、面白いねとは言われても、そのオーディエンスが見えなければお金を出してもらえないが、最近はタンベイのサイト等の活躍によりブラック・シネマのファンはいることが形として見えるようになってきた。こういうことが広がれば、どんどん企画も通りやすくなるだろう。

ハリウッドがアフリカ映画の配給を開始

キーシャは過去に、ニューラインシネマなどの大手配給会社で働きながら、アフリカ大陸のフィルムメーカーの作品をプロデュースしアメリカに紹介して来た。4年前、それまでの経験を活かし、ハリウッドのユニバーサル・スタジオのアートハウス/外国映画の配給部門であるフォーカス・フィーチャーズに働きかけ、アフリカ大陸の若手監督支援プログラムの契約をとりつけた。彼女が主宰する「フォーカス・フィーチャーズ・アフリカ初短編プログラム」と呼ばれるそのプログラムでは、毎年フォーカスからアフリカの若手新進監督5人に各1万ドル(今の相場で約82万円)の制作費が出る。また彼らをニューヨークに招待し、ワークショップやメンター・プログラムなどで、映画製作の指導をする。それで(または追加資金を集めて)作られた作品の北米配給権はフォーカスが所有、北米以外の世界での配給権は制作者に帰属する、という契約だ。

アメリカのスタジオとしては権利を制作者に残すとは気前がいいように聞こえるが、ヨーロッパでは個人が所有すべき著作権を会社が買い上げるというのは個人の権利の冒涜とみなされるらしく、ヨーロッパと関係の近いアフリカ諸国(特に旧フランス領諸国)では同じ意識が浸透しているため、そういうことになったのだという。また、今後大いに延びるであろうアフリカ人の客層に届ける新素材を求めて、将来的には彼らにアメリカに来て長編映画を撮ってもらいたい、というビジネス戦略の一部でもあるらしい。そしてこの企画は大成功で、それらアフリカ人監督の作品はサンダンス、ベルリン、ロカルノ、ロッテルダムなどの大映画祭で脚光を浴び、いつまでも無料で見せ続けるのはよろしくないということで、第一弾が4月26日にituneやアマゾンでデジタル・ダウンロード(貸し出しもあり)とDVDでリリースされた(リンク参照)。

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フォーカス・フィーチャーズ・アフリカ初短編プログラムのサイト

キーシャがそれらの監督にいつも言うのは、お金をもらったり映画祭に出たりするのはもちろんいいけれど、プレスリリースや名刺は必ず持参して、自分と自分の作品をいつでも毅然と自分で説明できるようにしておくことだという。でないと「こんないい企画をやっているフォーカス」とそちらに注目が行ってしまったり、作品だけが商品として注目されてそれを作った本人はただの顔の黒い人、になってしまう。なので、自分の名前と作品をちゃんと知ってもらって、オーディエンスが自分という人間を追いかけてくるようにしろ、とアドバイスしている。業界を知る彼女の目には、現在の映画産業は資金は縮小、配給は薄利多売で拡大、なので配給会社としては一つ一つの作品を大切に扱いきれない。制作者自身が自分のオーディエンスがいることを配給会社に伝え、証明するような気持ちで臨まないと、埋もれてしまうか取り残されてしまう。

ナリウッドとアフリカ大陸のデジタルシネマ建設

ダヨの話も面白かった。彼はナイジェリア出身であるが、10年前にはニューヨークでエンターテイメント弁護士をしていた。ある日ナイジェリアの有名プロデューサーを知っていると言う友人から電話があり、ナイジェリアの映画がアメリカに多数流れ出しているが、不法だ。キミは著作権を扱うんだろう、どうにかしてくれと頼まれた。そこでどんな映画か知りたいので数本送ってもらったが、どれも見られるものじゃなかったので放っておいたという。1年後、サンダンス映画祭で出会った人に、キミはナイジェリア人だって、“ナリウッド”について教えてくれ、と声をかけられた。何それ?が彼の返事で、ナイジェリアに90年代以降わき起こっている映画産業の存在を当時まだ知らなかった。そのさらに1年後、ナイジェリアの友人からまた電話があり、ナリウッドのやり手プロデューサーたちに会うべきだと言われ、それでナイジェリアに飛び、混沌としたナリウッドの実態を知った。

Nollywood
アメリカのビデオ屋に並ぶナリウッドの作品群 ソース:http://www.jamati.com/online/film/nollywoods-cross-over-appeal/

ナリウッドの特徴は、撮影はすべてデジタルカメラで一本数十万円の予算で作られ、編集は家庭用のパソコンで監督の自宅で行われ、そのままDVDに出され即配給に流される。ストーリーは大概が家族内や友人間の裏切りや愛がテーマで、メロドラマ調のモラル・ストーリーだという。最初はアフリカ内だけで流通していたのが、今ではアメリカ、ヨーロッパ、南米等に完成するそばから毎週運ばれ、ビデオ屋やストリートの違法コピー等で売られる。アムステルダムにはナリウッド専門店もあるらしい。それでようやくハリウッドや映画祭も注目しているというわけだ。

ダヨがナリウッドについてまず気付いたのは、法的な問題ももちろんあったけれど、クリエイティブな仕事をしている人達が適当な時期に弁護士を立てて話を進めていないことに問題があること。彼自身、ニューヨークでかつて80年代にDJをしていたしヒップポップのプロデュースもしていたので、ニューヨークやアメリカのヒップポップ・アーティスト達とナイジェリアの監督たちの間に類似点があるように思われた。これでは利用されるだけだ。ナイジェリアの映画産業は、商業目的で作られる作品数の多さでは、1位のアメリカと3位のインドの間、世界で2番目だそうだ(知らなかった!)。けれどもその利益の99%はDVD販売から。

それに対し、インドの“ボリウッド”では、75%の利益が劇場公開から来る。インドの映画の歴史は、アメリカくらい古いからだ。スクリーン数を比較すると、人口3億人のアメリカには3万7000のスクリーンがあり、 人口10億人のインドには1万2000のスクリーン数が存在する。 それに対し、人口8億人のアフリカ大陸には、南アフリカを除いては、技術的に世界レベルのスクリーンが全部で100枚もない。つまり、アメリカには約8千人に一枚のスクリーン、インドには約8万人に一枚のスクリーン、そしてブラック・アフリカには約800万人につき一枚のスクリーンということになる。これでは劇場公開の歳入があるはずがない。そこで現在、ダヨは仲間とともに、アフリカ大陸規模でのデジタル・シネマの建設プロジェクトを始めている。アフリカの低所得の人達が映画を大スクリーンで楽しめるように、そしてそのスクリーンがねじまげられたブラック像を映さないように、インフラだけでなく、コンテンツもオリジナルなブラックシネマを多く含んだ内容にしていくという。ブラジルは南米の中でも黒人の人口が大変多い国であるため、ブラジルとのコンテンツの交換なども予定されているらしい。

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ナリウッド撮影風景 ソース:http://www.psfk.com/2009/01/nollywood-babylon-the-rise-of-the-nigerian-film-industry.html/

その他、グローバル化の中のアフリカ最新メディア事情

ショーンが指摘したアフリカ大陸の新しいメディアの動きとして興味深かったのは以下の点。1)劇場に頼らずにデジタルで利益を出しているナリウッドのシステムがなぜ働いているかをフランス政府が調査しに訪れたという事実、2)アメリカでは人気のないアラブ資本のアルジャジーラTVの英語放送がアフリカ映画に力を入れていて、特にアフリカからのドキュメンタリーに特別枠を設けていること、3)南アフリカの会社マルチチョイスが95年に開設したDSTVアフリカという衛星テレビ局は今ではサハラ以南のアフリカ諸国にテレビ、ネット、モバイル放送を拡大しており、特にアフリカの低所得者層のほとんどはパソコンを持っていないから、携帯での映像受信/配信が現在ものすごい勢いで進んでいること。

前々回のキミ・タケスエの記事ではロッテルダム映画祭がアフリカ大陸の映画制作事情を調べるために12人の映画監督をアフリカに送った話がでてきたが、グローバル化とはどういうことなのか、を改めて考えさせられる。それが、ナリウッドなどが現れ、アフリカの映画産業がハリウッド等に利用されないように守ろうとしての行為なのか、それとも芸術支援でしばしば非営利である国際映画祭も世界のトレンド・リーダーでいるためなのか、それは私にはわからない。非営利や芸術という言葉の裏で、世界の映画祭が大小配給会社を支える見本市であり、映像作品を商品化する機能を果たしていることは疑いの余地はない。制作者もそれを必要としているし、配給会社は常にフレッシュな作品を探している。色んな意味で、西側は貧しい国々の人々を放ってはおかない。テクノロジーと世界経済の混沌の中で、これまで資源を取られ、労働力として掘り出され低賃金で働かされて来た第3世界の人々が、今度はコンスーマーとしてなけなしのお金を搾り取られ、またコンテンツを安く提供する機構になっていく。彼らはいつでも群れとして扱われ、彼ら一人一人の夢やパーソナリティまでもが、優しい気持ちからではなく、マーケティングの数の一つとして調べられ、利益のためのデータとして使われて行く。日本人や日本から発せられる文化は、世界のコマースの中でどう使われているのだろう。日本は利用する側なのだろうか、される側なのだろうか。

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サンダンス映画祭のパネル・デョスカッションに出演のトーマス・アレン・ハリス ソース:http://throughalensdarkly.wordpress.com/2009/01/15/award-winning-filmmaker-thomas-allen-harris-speaks-at-sundance-film-festival/

トーマス・アレン・ハリスがアメリカ社会に発信する黒人像

サンダンスやトライベッカで引っ張りだこのトーマス・アレン・ハリスは現在4作目の長編ドキュメンタリー『レンズの中に、暗く』(筆者訳:原題”Through a Lens Darkly”)を製作中だが、その中で配給を念頭に置きながら、どのように新しいテクノロジーを取り入れて口コミ・キャンペーンを展開しているか、という話も参考になった。彼の新作のテーマは、アフリカ系アメリカ人が今も続く市民権運動の中で黒人の写真家たちがカメラという機械をどのように社会変革に利用して来たか、について。写真が発明されたのはリンカーンが1863年に奴隷制度を廃止した約20年前、それ以来、技術の進歩で様々な撮影機材が多くの人の手に届くようになっていくにつれ、マイノリティー人種が自分たちの像を撮り歴史に残すことで、(カメラを持つ)撮る側vs(カメラを持てない)撮られる側、という根深い問題と戦ってきた。この作品では、アフリカ系アメリカ人コミュニティでのその戦いの歴史をたどる。トーマス曰く、毎回製作中は、作品を仕上げたら大々的に配給キャンペーンするぞ!と思うのだが、いざ仕上がると精神的にも経済的にもすっかり疲労していてそれどころでなく、すぐに次の作品のための資金集めに奔走しなければならなかった。だから、今回は制作に入る前から配給キャンペーンの戦略を練った。

マルチ・プラットフォームを利用した配給戦略

トーマスがカナダやヨーロッパの映画祭などのワークショップに参加しているとき、ヨーロッパのテレビ局の人達が盛んに“マルチ・プラットフォーム”という言葉を使ってることに気付いた。そこで、自分もやってみようと、試してみている。ドキュメンタリー作家なら知っている通り、記録映画は長時間撮影して、その中から90分なりを選ばないといけない。でも本当は本編に入れられなくてもおもしろいフッテージがたくさんある。今のネットに溢れているのは、多様なプラットフォームに散在する短いコンテンツ。それなら作品の全体像が見えてくる前に、興味深いセグメントの幾つかを最終作品のDNAとして、前もってリリースしていってみてもいいのじゃないか、と思えた。そしたら色んな人の反応も、全体を作る前に知ることができる。この作品は公共放送用にITVS(Independent Television Service)からの資金で作られている。ちょっと前だったら、テレビ放送前にそんなこと絶対に許されなかったのが、今では契約書にオッケーとちゃんと書いてある。

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黒人写真家と市民権運動を扱ったトーマス・アレン・ハリスの新作『レンズの中に、暗く』より 写真提供:Chimpanzee Productions

家族の写真と国家や世界の歴史との関係

もう一つ彼の話で刺激的だったのは、前述の作品を作りながら自然発生したもう一つのプロジェクト。彼が黒人によって撮られた黒人像を探す中で出会った沢山の人々と、彼らの所有するそれぞれの家族の写真。それらを貴重な歴史的財産として扱うネットテレビシリーズ企画への資金が集まり、長編ドキュメンタリーを制作する傍らそれもやることになった。昨年始まったこの“デジタル・ディアスポラ・ファミリー・リユニオン”と命名されたプロジェクトでは、アトランタ、ボストン、ニューヨーク、DCなどの都市を回って一般市民に写真を持参してファミリーの歴史を語ってもらい、それをテレビ番組としてインターネットテレビで放送している。しかし実は、彼の本当のパッションは、テレビ番組で終わらず、 一般市民が自分の家族の写真を家族の物語を添えてアップロードでき、皆と共有することができるアーカイブ・サイトの設立だった。でもそちらには資金が集まらなかったため、自分のそれまでの経験とコネクションを活かしてテレビというフォーマットで資金を集め、同時にアーカイブ・サイトも立ち上げた。トーマス曰く「一番悲しいのは、家族の誰かが亡くなって一箱の写真をもらう、でも写っている人が誰だかわからない。親や祖父母や先祖が誰だったのか、国や世界の歴史が彼らにどう影響し、また彼らの人生が歴史をどう動かしていたのか、それを子供達に伝えるのが僕らの役割なのじゃないかな」。彼のこのプロジェクトは、NYタイムズのアートセクションの一面にも取り上げられた。

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トーマスとデジタル・ディアスポラ・ファミリー・リユニオン・ロードショーの参加者。写真提供:Chimpanzee Productions

ファミリー写真や8ミリ、またホームムービーというのは、その家族の歴史だ。そして本当は、それらの集合体が、コミュニティの歴史になる。でも、大抵、オフィシャルな歴史というのはジャーナリストや有名な写真家の撮ったイメージで誰かに編集されて綴られ次世代へ残されて行く。しかし今の時代に、私たち一人一人が、その間違った、というより偏ったり足りなかったりする歴史を少しずつ修正補足し、書き換えて行くことが可能になった。トーマスだけでなく、世界のあちらこちらで、家族のポートレートや映像の歴史的な価値が見直されている。私の親しい友人でレバノン人映像作家のアクラム・ザアタリも、ベイルートでアラブ・イメージ・ファンデーションという非営利団体を90年代に起こし、アラブ世界の家族の生活を捕らえた映像を集め保管し、市民がオンラインなどで閲覧、使えるようにしている。情報や映像が市民に公開されにくく、一般の市民もまた自分が歴史を紡いで行く役割という意識のあまりない日本だからこそ、すっごく大切な気がする。いつかやりたい、またはどなたか一緒にやりませんか!

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デジタル・ディアスポラ・ファミリー・リユニオンで集まった写真たち。写真提供:Chimpanzee Productions

自主配給-将来への希望

ミッシェルがここで、今日は一日、資金や配給について色々考えどうやったら自分たちのイメージを曲げずに伝えていけるかを話し合って来たけれど、では今、まだ起こってはいないけれど、自分と自分の作品が今後こんな風になったらいいなという希望があるか、と各パネリストに尋ねた。

制作者の繋がりたい心─チャールズ・オフィサー

チャールズ:こんな風に色んな場所に旅して、自分の作品をより多くの人に見てもらいたい。配給会社はあって作品はそれなりに流通しても、作り手の自分たちは取り残されたり無視されたりすることが多い。 一つ忘れないでほしいのは、カナダにもブラザーズ・アンド・シスターズがいるということ(会場笑)。市民権運動の奴隷亡命組織経路(underground railroad)でも、カナダも一部だったでしょう(会場と本人笑)?だからカナダを外さないで、北米として考えてほしい。まず、トロントにこんな会合があったらいいな。資金を集めて作品を作ることはもちろん大事だけど、その作品を通じてこうやって自分のコミュニティを拡げて色んな人と繋がっていきたい。作品を作っていると、自分の作品やメッセージにのめり込み過ぎて、パートナーがいてもその小さなユニットだけで煮詰まりながら作品を作るわけで、実は孤独だから、こうやって今日色んな方法論を聞いて、すごく刺激された。トーマスみたいにコンテンツを作品のリリース前に小分けに公開していくのも面白いし、僕が働くカナダの公共放送でもインターラクティブ性が最近とても強調されている。僕の作品では音楽がとても大切なんだけど、劇場公開ばかりに心を奪われずに、作品の曲を作ってくれたバンドのコンサートでDVDを売ったり、できることはまだまだ色々ある気がする。ハリウッドvsインディペンデントにとらわれずに、 心からの作品を作り続けて、自分のコミュニティを開拓して繋がっていけば、自由でいられて、生き残って行く道を探せるんじゃないかと思った。

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チャールズとモデレーターのミッシェル教授。R-2フェイスブックから転載。

ハリウッドに入り込むチャンスは─キーシャ・キャメロン・ディングル

キーシャ:今がエキサイティングな時代であることは明らかよね。巨大メディア産業は淘汰されつつあるけど、今は必ずしもそういう巨大メディア会社を通さなくても自分のオーディエンスと繋がれる時代。今度プロデュースする作品なんて、私はまだ脚本の1ページも読んでいないのに、すでに映画のフェイスブックのページができていて、400人のファンがいる。それは原作者の女性がソーシャル・メディアにマメな人で、すでに彼女を応援し、彼女の本が映画になるのを待ち望んでいる人が大勢いるから。もう待たなくてもいいのよ。笑っちゃうことに、ハリウッドの人達は…お金持ちでしょ(笑)。 金持ちっていう人種は2つおもしろい面を持ってる。まず第一に、彼らはナマケ者(笑)、私もいつかナマケ者になりたいけど。私の周りの人達は「キーシャ、この台本、急ぎだから今日送らないと!」とかヤッキになってるけど、ハリウッドの人達はのんびりとハンティングを楽しんでるわ。ハングリーじゃない人には時間はゆっくり流れるでしょう?第二に、彼らはいつでも怖いの。金持ちじゃなくなることが怖いの(笑)。誰かが自分の富を狙ってる、と思い込んでる。

この2つの特徴は、私たちには今は好要因よ。だって彼らは今すっごくおびえて夜も眠れないでいるわ。DVDなんかもう売れないかも、スタジオなんかなくても皆映画を作ってる…指導してくれるスタジオ・チーフなんかもういない。ハリウッドがこれまでに知っていたこと、彼らのすがってきたビジネスプランは、完全にもう死んでるのよ(笑)。だから彼らも、私たちと同じように、この時代のあまりに早い流れにおびえきっているわ。だからこそ、今がブラックシネマを作るチャンスよ。朝起きて、テンション高くして、自分のやらなきゃいけないことをやって、進む道は見えているって毅然とした態度をとるのよ。ヘイ、私、ビジネスプランあるわ、オーディエンスもいるわ、お金儲かるわよってはっきり示して、どっしり構えて待っていれば、あっちから「どう、元気?」って電話してくるわ。タイラー・ペリーがやったみたいに。同情とか親愛の情なんてないわ。ヤツらは金持ちでレイジーよ(笑)。お金が儲かるんなら動くわ。こっちが入れて入れて、って態度だと、入れてくれないのよ(拍手喝采)。

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キーシャ。右隣はダヨ。

トーマス:僕の作品『ネルソン・マンデラの12使徒』は教育関連の配給会社が扱っていて、過去5年間よく売れてチェックが送られて来てハッピーだったけど、今その契約のおかげでネットフリックスやオン・ディマンドで見せることができない。そう考えると、高い買い物だったなあ、と。制作者としての自分の権利を守ることは大切だなあ、って思い知らされてる。

世界の黒人人口が、自分たちのオーディエンスの数─ダヨ・オグンイェミ

ダヨ:この2日間、皆が言ってたことと同感で、“繋がっていくこと”が大事だと思う。必ずしも、ブラック・コミュニティだけじゃなく、世界のすべての有色人種やそれを応援する人々と繋がっていくことが大切だと思うんだ。それを強調した上であえて数を見れば、北米に4-5千万人、カリブ諸国とラテンアメリカを合わせれば1億5千万人以上のブラックがアメリカ大陸にいる。アフリカ大陸には8億だ。(僕らのイメージを欲している人達の数の)足し算をする必要もない…よね?(会場拍手喝采)

最後にミッシェルが、会場に来ていた、マイノリティ作品を過去数十年に渡り草の根的に配給し支えてきたNPOの「サード・ワールド・ニューズリール」の代表の女性とトーマスの作品の配給をしている教育関連の配給会社の女性に、配給側としてはこのデジタル配給革命をどう捉え、どう対応しているのか尋ねたが、その答えが興味深かった。前者は、制作者がこうしてどんどん”自治”に目覚めて頑張っていて、配給会社を必要としなくなってきているので、現実、どうしていいかわからない状態なんだけれど、どうやったらそれを助け支援して行けるのかを考えている、そして後者は、制作者に置いて行かれないよう、他の配給団体やNGOなどと連携を深めながら排他的にならないように気をつけて皆で盛り上げて行こう、そして自主制作者支援ネットワークとしてのブランドイメージを構築して行こうと思っている、と答えた。ハリウッドも非営利の配給団体も、時代の波と自主制作者の結託と自治に戸惑いまくっているのが現状のようだ。

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Nurse.Fighter.Boyより。ジュード(キャレン・レブランク)とサイレンス(クラーク・ジョンソン) 作品サイトから転載。

Nurse.Fighter.Boy

討論座談会も終わって会議の締めくくりとして上映されたのは、パネリストの一人でカナダから参加していたチャールズ・オフィサーの”Nurse.Fighter.Boy”(ナース・ファイター・ボーイ)というドラマ作品だった(リンク参照)。正直、カナダにもブラザーがいることを忘れないでね、と言っていた大変謙虚な感じの人だったので、さして期待もせずに、せっかくここまで参加したのだから、娘も今日は友人の家にお泊まりしているし最後まで参加しよう、というくらいの気持ちで残ったのだったが、あまりの作品のパワーに、うちのめされた。前回の記事に書いた通り、近年見た中で私が最も“いい映画”と感じ、なぜだか感動して涙が止まらなかった。

ジャマイカ人系カナダ人でシングルマザーの看護婦ジュード(キャレン・レブランク)は、やはり看護婦だった母や祖母に育てられた。若くして死に別れた夫を想いながら12歳の一人息子シエルを育て、働かないと生きていけないからごまかしながら暮らしているが、鎌状赤血球病(シックル・セル病)という不治の病と闘っている 。盛りを過ぎたボクサーのサイレンス(クラーク・ジョンソン)は、不法試合で生活費を稼ぐファイター。音楽を愛するシエル(ダニエル・J・ゴードン)は、魔法の力でお母さんに幸せな夢を見せようとする少年。ある夏の終わり、深夜の格闘で病院に運ばれたファイターが看護婦の手当を受けたことから、3人の運命は永遠に深く絡みあって行く…。ボクシングの多少のアクションと大人たちの多少のラブシーンの他は、静かな映像の、静かな物語だ。近所の人の隠された日常を見てしまっているみたいに淡々とした日常が描かれているのだが、登場人物の感情は私たちの日常の感情のようにとてもリアルで、シエル少年の存在は自分や身内の子供の存在のようにマジカルでいとおしい。各シーンは派手ではなく、クローズアップよりむしろ遠景気味の人物の全身が入る構図や色使いには繊細な絵心があふれている。音楽の使われ方がまた、にくい。そして全体として、映画美のある作品だ、と私には感じられた。特にジュードの、時に切なく、悲しく、悔しく、そして息子を愛する気持ちは、許してくれーというほどに静かに強く、胸にひしひしと迫った。上映の後、会場の人(女性が多い)も涙目だった。質疑応答から、監督がジュードと同じ病気を抱える自分の姉を思って書き上げた作品で、自分を育ててくれた母や、各地で頑張ってるブラック・ママへの感謝の気持ちを込めて、長年かけて完成した渾身の作だと知った。不思議だったのは、ブラック・シネマの会議に参加しているのをすっかり忘れてしまうほど、肌の色など超越した共通性があった。特に女性には響くだろうと思う。

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これから夜勤、家に一人残している息子を想い電話をかけるジュード。 作品サイトから転載。

こんなにいい作品が世界に届けられていない

そしてまた、この作品はトロント国際映画祭やバンクーバー国際映画祭にも出品され、配給会社がついており、カナダでの劇場公開もしたものの、その配給会社の意向で他の大手の映画祭には向こうから作品を送ってくれと頼まれているにもかかわらず「出しすぎるといけないから」という意味不明の理由で応募もしてもらえなかったり、カナダ以外への配給も力を入れてプロモーションしてもらえなかった。ニューヨークでもこれまでNY近代美術館で一度上映があったきりで、せっかく35ミリの美しい映画なのに、相応の配給努力がなされていないこともわかった。チャールズはその後他の作品を手がけ、忙しく生活はしているが、長年かけて産み、育てた作品がもっと多くの人に見てもらえていないことをとても悲しく思っている様子だった。完成は2008年だったから、もう遅いだろうと、彼は半ばあきらめ気味だった。人種も国境も超える映画の魔法を持っていながら、典型的な黒人像を描かないブラック・シネマは未だ大手の配給に乗りにくい、ということなのだろうか。完成が何年でも、いい映画はいつまでも人の心を揺さぶることができるのに。会場のその場で、この作品は本当にいいから、是非もう一度ニューヨークで35ミリで見られるように協力し合おうと幾人かの観客(ミッシェル教授も含めて)が意気投合し、上映委員会が発足した。

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チャールズとミッシェル。R-2フェイスブックから転載。

会議がすべて終了した後、ダメもとで、チャールズに、この作品を今年8月の宇野港芸術映画座(相棒のマックスと私が昨年より岡山県宇野港で始めた夏のアート映画上映シリーズ。 リンク参照)で上映させてもらえないか尋ねた。なんと返事はイエス!35ミリは予算が足りないので無理だが、それでも十分きれいだ。日本の皆さんとこの映画が一緒に見れるのは本当に嬉しいので、がんばって翻訳する!今年の宇野港芸術映画座(第2回)は2011年8月5(金)~7(日)、12(金)~14(日)の2週末に開催決定!皆様、お盆休みは瀬戸内の海と心を揺さぶる映画の数々(と直島のアート)を見に来場されたし。晩の上映は野外トレーラー劇場で瀬戸内の島々とフェリーを背景に、ビール片手に、気持ちいいですよー。皆さんのチケット代の20%は東北復興ののために寄付させていただいきたいと思っています。

感想

今回この会議に数少ない非黒人の参加者の一人として出席して、色んな意味で刺激を受けた。まずその時感じて今でもなお感じるのは、うらやましい、ということ。アフリカン・ディアスポラやアラブ・ディアスポラという言葉がよく聞かれるようになってきたが、ディアスポラとは、奴隷例や虐待や教育や生活向上や、様々な理由で世界中に散った民族を表すギリシャ語を語源とする言葉だが、前述の使い方では、遠く拡散しても、民族としてのアイデンティティーを保ちながら生きていく、という意味を込めて使われる。報道される日本と中国や韓国との関係を見ると、また西側に向いた日本の外交やアイデンティティーを見ると、アジアン・ディアスポラはいつか生まれるのだろうか、と疑わしくなってくる。もしかしたら、虐げられただけでなく虐げた歴史も持つ日本がいることで、それが形成されずらくなっているのだろうか。いつかその歴史さえも乗り越えて、同じ民族としての連帯感を築き、そうして他の民族とも繋がっていけたらいいなと願う。

また、ダヨの盛んに示していた数字に実はとても深い意味が隠されていると思った。これまで世界の巨大産業任せで、自分たちには物流の流れを変える力等ないと思っていた(というか、そんな可能性も考えなかった)小さな人間の私たちは、王様のようなハリウッドが流す(虚)像の虜になってお金を貢いできた。でも、なぜ世界中の(数的には多数派の)マイノリティ達が、ハリウッドが「美しい」と定義する(自分とは似ても似つかぬ)人間の像を、お金を出して消費し続け、結果「自分たち」は醜い、と感じ続けなくてはならないのか。自分たちと似た像がスクリーンに映し出されることが増えれば、人々の「美しい」という定義もそれぞれのコミュニティで変わって行くし、「リアル」な感覚や「共感」の概念も変わって行く。アメリカのマイノリティ運動の時と同じ気持ちが、今世界規模で広がっている。

そしてその時、大きなキーとなるのが、言語である。植民の歴史ゆえに、英語、フランス語、ポルトガル語、スペイン語を共通語とする肌の色の濃い人々が世界中に散在し、彼らは同一言語圏で比較的自由にコミュニケーションをはかることができる。例えばヨーロッパの元祖ポルトガルは今では小さく貧しい国だが、南米大陸ブラジルのブラックと、アフリカ大陸のアンゴラやモザンビークのブラックは、ポルトガル語を共通語として字幕なしでDVDの交換配給ができるのだ。

なんだかこの物流の流れの革命的変化の中で島国日本は取り残されてしまいそうに思うのだが、私たちにできることは何だろう。なぜかこの会議に出席して以来、何度も思い出すのが、フランス人監督クリス・マーカーの『ソン・ソレイユ』(サン・レス。マーカーは『12モンキーズ』の基となった短編SFクラシック『ラジュテ』のクリエーターでもある)。日本ではあまり知られていないが西側世界では大変有名なこの詩的なエッセイ・ドキュメンタリーは、主に日本とアフリカのギニアビサウで撮影されていた。カメラを抱えて世界中を旅しながら植民地主義と生涯戦って来たこの映像作家は、自分の白い肌とフランス人という立場を痛いほど意識しつつ、あえて製作当時(1982年)西洋諸国主導経済に唯一の非白人として参戦していた超近代国家日本(白人を怖がらせる存在として)と、 ポルトガルからゲリラ戦で独立を勝ち取った後に内紛と政治腐敗で自滅した国家のギニアビサウの映像を隣同士に並べることで、何かを描こうとした。ここでは書ききれないほど内容の濃い作品なのだが、黒人シネマの会議に出席している日本人の自分を考える時、その映像の切れ端がなぜか頭に浮かんで来たのだ。どこに自分の映像を置くか、世界の映像パズルをどう並べるかは私たち次第だ。となり同士に並んだ映像や人物は対照的に思えても、実は構図や色使いや世の中を映す目の光に多くの共通点を持っている。

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Nurse.Fighter.Boyは、チャールズ・オフィサーが彼の長年の友人であるプロデューサーのイングリッド・ヴェニンガー(INGRID VENINGER 写真右)との共同脚本で5年かけて一緒に仕上げたコラボ作品。作品のサイトから転載。
(文章:タハラレイコ 写真:記載以外はタハラ)

リンクス

R-2会議フェイスブックページ http://www.facebook.com/R2conference
会議全体がビデオ・ストリーミングでアップされています(Re-Mixed and Re-Mastered Part 1-6)。


自主配給ワークショップ、パネリスト関連
トレバイト・A・ウィリス(Trevite A. Willis)が主宰する自主制作映画のデジタル(オン・ディマンド)配給サイト:http://www.bigshadetree.com/
トレバイトのプロダクション会社サザーン・フライド・フィルムワークスのサイト:http://www.sffilmworks.com/
トレバイトチームが作ったウェビソード『31』:


www.twitter.com/31theseries
ダラス・ペン(Dallas Penn)とラフィ・カム(Rafi Kam)の人気ウェブビデオ
『ゲットー・ビッグマック』:


『ボデガ』:


ダラスとラフィのブログサイト『インターネッツセレブリティーズ』 http://internetscelebrities.com/
ダラスのヒップポップ・ブログサイト http://dallaspenn.com/
『これからどこへ向かうのか』公開討論会パネリスト関連リンク
チャールズ・オフィサー(Charles Officer)
Nurse.Fighter.Boy 予告編:


Nurse.Fighter.Boy オフィシャルサイト:http://www.nursefighterboy.ca/
チャールズのIMDBページ:http://www.imdb.com/name/nm1031732/
チャールズのウィキページ:http://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Officer
チャールズが言及したタンベイ・オベンソンの主宰するブラックシネマ・ブログサイト『シャドー・アンド・アクト』(Part1で詳しく紹介) http://www.shadowandact.com/
トーマス・アレン・ハリス(Thomas Allen Harris)
トーマスが主宰するチンパンジー・プロダクションのサイト
http://www.chimpanzeeproductions.com/
制作中の新作ドキュメンタリー“Through A Lens Darkly: Black Photographers and Emergence of a People”のページ
http://www.chimpanzeeproductions.com/films.html
予告編:


家族フォトをテーマにしたロードTVシリーズとウェブアーカイブ・プロジェクト“Digital Diaspora Family Reunion”のサイト:http://ddfr.tv/
予告編:


トーマスの最も有名な作品『ネルソン・マンデラの12使徒』(原題”12 Disciples of Nelson Mandela”)を紹介するPBS(米公共放送)のサイト http://www.pbs.org/pov/twelvedisciples/
ビデオ抜粋:


キーシャ・キャメロン・ディングル
キーシャの主宰するプロダクション、コンプリーション・フィルムズのサイト: キーシャが契約を取り付けたプログラム、フォーカス・フィーチャーズ・アフリカ・ファーストのサイト http://www.focusfeatures.com/africafirst/index.php
アフリカ・ファースト第一弾DVDが販売されているアマゾンのページ
インスタント・プレイ:http://www.amazon.com/dp/B004W4STI0/
DVD:http://www.amazon.com/dp/B004VNVLM8/
ショーン・ジェイコブズ(Sean Jacobs)
マスメディアの中のアフリカ像を批評するブログ『アフリカは一つの国』 http://africasacountry.com
ショーンが言及したdstvのサイト http://www.dstvafrica.com/dstvafrica/
ダヨ・オグンイェミ(Dayo Ogunyemi) http://www.wipo.int/meetings/en/2009/ip_fin_ge_09/bios/ogunyemi.pdf
宇野港芸術映画座
第2回は2011年8月5日(金)~7日(日)、12日(金)~14日(日)の2週末に開催決定!
骰子の眼リポート記事:http://www.webdice.jp/dice/detail/2587/
ファイスブック:http://www.facebook.com/UnoPortArtFilms
サイト:http://unoportartfilms.org (昨年の仕様のままなので昨年のプログラムが見れます)*今年のスケジュールは6月末-7月頭に発表予定ですが、ファイスブックで上映作品決まるごとにこれからどんどん発表して行きますので、お楽しみに~

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