骰子の眼

大阪府 その他

2011-04-27 22:20


「どうしても放射性廃棄物を捨てるなら、東京に」原子力の識者がなぜ反原発を掲げるのか、京都大学原子炉実験所・小出裕章助教に聞く
京都大学原子炉実験所の小出裕章助教。取材は、照明や、夏でもエアコンをつけないという研究室にて。

人類史に刻まれた311、つまり東日本大震災と福島原発の事故により、原子力発電に依存した日本のエネルギー政策があらためて問題となっている。原子力政策に異を唱えて続けてきた「熊取6人衆」の一人、京都大学原子炉実験所の小出裕章助教は、今回の事故当初から東京電力や政府による発表に疑問を呈し、放射性物質の危険性を警告してきた。原子力の研究者がなぜ原発に反対するのか。小出助教の原子力に対しての姿勢に至る経緯、次世代のエネルギー、そして映画『100,000年後の安全』でフィンランドの実例が描かれた核廃棄物の処理について、有太マンが聞いた。

大学の原子核工学科で
「原子力はとんでもないものだ」ということに気付いた

──先日、ソフトバンクの孫正義さんがはっきりと反原発の姿勢を打ち出されたように、そういった、少なからず社会に影響力を持たれている方々からの“反原発”発言が続く現状を、どのように見ていますか?

ありがたく思います。どんどん言ってくださいと思います。

──これまでの長い先生の活動の中で、一番そういった声があがっているという実感はありますか?

この期に及んでそういう発言が出なければ、日本という国はよっぽど馬鹿だということです。

──とても基本的なことを聞かせてください。プルトニウムは人間がつくり出したものとして、その原料となっているウランは、自然の、元々地球上に存在していた鉱物です。そういった、一つ扱い方を間違えれば人間を滅ぼしてしまう力を出すものが現実に存在していて、それに実際人間が手を出してしまったということ。つまり、ウランは地球、人類にとって何なのかということを、先生はどう捉えられていますか?

ウランは地球にあったわけですね。私たち人間なんていうものは、地球という存在から見れば、まったくとるにたらないものだと私は思っています。地球には46億年の歴史があると言われていますが、それを「一年」という尺度に当てはめてみるとします。1月1日の0時0分に地球が生まれ、最初は火の玉だったのがだんだんクールダウンして、海ができて大気ができて、生命ができたわけです。一番はじめの生命はたぶんもの凄い原始的な生命だったのが、それが進化を繰り返しながら、色々な生命が生まれては絶滅してまた生まれては絶滅し、ある時に人間というものが生まれたわけです。それが400万年前ほど前だと言われています。まあ、原始人と言われている人は今の人類とはすいぶん違った姿かたちだったと思いますが、そこで地球を一年の尺度で考えた時、人類が生まれたのは何月何日ですか?

──それは、本当に短い、大晦日、、

そう、大晦日です。大晦日でもその朝、そして昼にも人類はいなくて、午後の4時頃になってようやく生まれるという、そういう歴史なんですね。ですから、この地球という星から見たら、人類なんていたっていなくたってとるに足らない、そういう歴史を刻んできているわけです。でも今、この人類がこの地球上に想像を絶するほど跋扈してしまって、「繁栄」という名前の下に、、

──寄生し、繁殖しているというような。

そう、異常増殖をしているわけです。その人類がこの地球上にあったウランというものを掘り出し、自らを破滅に導こうとしている。例えばアメリカ先住民の言葉を紐解いていけば、要するに「ウランを掘ってはいけない」と、「そういうものに手をつけてはいけない」というふうに書いてあるわけです。地球という星の上で自分たちは生かせてもらっているんだし、この自然の中で生きていく生き方を考えなければならないと言って、彼らはずっと警告を発してくれていた。でも、今日の文明が「とにかく豊かであればいい」と。「エネルギーがあればいい」ということに凝り固まってしまって、なんでもかんでもやるわけですよね。人間は自分のことを、生物を分類して「霊長類」という分類をつくり、「人間は万物の霊長」と自分で言っています。もう、愚かの極みだと、そう思います。

──先生は夏もクーラーをつけず、電力を極力使わない生活をされています。

はい、何も困りませんので。

──それは元々なのか、それとも、原子力というものを深く知るようになるにつれ、そういった姿勢に変わっていったのですか?

元々かもしれません。私は東京生まれの東京育ちで、地元は日本で初めて地下鉄が通った上野と浅草のちょうど真ん中あたりの、稲荷町という駅でした。私がその江戸の下町で生活していた頃は、いい町でした。自分の家から半径100m、200mの円を描くと、八百屋はあるよ、肉屋はあるよ、乾物屋はあるよ、豆腐は風呂桶みたいなところに豆腐が浮かべてあって、それを切って売っていたという、そんな時代でした。「住みやすい町だな」と思って育ちましたが、それが1964年に激変したんです。東京オリンピックの年ですよね。新幹線を通し、東京の街はコンクリート・ジャングルにして、高速道路をつくると。道路はそれまで子供の遊び場だったけれども車が溢れてきて、子供が道路から追いやられるということになり、実は私は「これはもうダメだ」とその時に思ったんです。こういうような社会、つまりエネルギーを膨大に使って、なんでもかんでもコンクリートで固め、自然を壊していく街づくりをしていく社会はダメだと思いまして、それでもう「東京は必ず出て行く」と決め、大学進学時に離れました。

──オリンピックの時でおいくつですか?

1949年生まれですから、15歳です。その頃にそんなふうに思っていたんですが、それでも私自身、人間が生きるためには「なにがしかエネルギーがいる」ということは信じていました。当時中学高校の頃、石油は30年でなくなっちゃうと言われて「これはやっぱりマズいな」と、一方では思っていました。もう一方では、原爆の悲惨さが散々染みとおり始めた頃で、東京でも「広島原爆展」、「長崎原爆展」というのが度々開催され、私もよく観に行きました。そこで「原子力」というもののエネルギーの巨大さを頭に刷り込んだわけですね。やはりなにがしかエネルギーが必要であり、「石油がなくなってしまうのであれば、次は原子力」と、私は信じていたわけです。

──原子力に未来を感じられていた。

東京を捨てて大学は東北大学に行ったんですが、工学部の「原子核工学科」というところを選んで、原子力に自分の未来をかけようとした。ですから、なにがしかエネルギーがいるということはもちろんそう思っていたわけだし、原子力に夢を持ってしまうほど、エネルギーが必要だと思っていたんです。でも、行ってみたら「原子力はとんでもないものだ」ということに気付き、「原子力をやめさせなければいけない」と思うようになりました。エネルギーの使い方も、東京の街をあんなふうにした使い方はやはり正しくない、と。ですから、「エネルギーをなるべく使わないで済む社会をつくらなければ」と、ますます思うようになって今がある、ということです。

──先生が「こうあるべき」と思われる人間生活のかたちは、世界のどこかで実現されていますか?

ありません。だって歴史は流れているわけで、どんな世界だってどんな時代であれ、いいこともあれば、悪いことだってあったわけです。どこかにモデルを求めてはいけないと思うんです。今あるのは、私たちのこの「日本」という現場があるわけで、それをどうやって変え、どういうところにもっていけるかという、たぶん、そういうことしか意味がないだろうと思います。でも、エネルギーは少なくとも使い過ぎなので、私は「日本のエネルギーを1/2か1/3にしろ」という主張をしています。どうすればそうなっていけるかということは知恵を出し合い、もっていくしかないと思います。

──難しいことに聞こえます。

とても難しいです。私は、聞いていただいたように「東京の街づくりが間違えている」と言ったわけで、いわゆる大都市のつくり方が間違えている。それは逆に言えば、過疎地のつくり方も間違えているということです。

──リスクが過疎地に押し付けられている、ということですね。

ですから、国土計画を変えなければいけないし、都市計画も変えなければいけないということになります。一朝一夕ではもちろんいかないし、私の頭の中でそんなことを全部解決できるわけもありません。

──その中で、それを少しでも実現できる可能性は、例えば政治家にあるのか、市民一人一人の意識の喚起が必要なのか。

政治家はもちろん重要な役割を果たしてくれなければいけませんが、私は申し訳ないけれども、現在の政治家に何の期待も持っていない。

──逆に、どういったところに可能性を見い出されていますか?

私は今現在は、とにかく、虐げられた人々の側に寄り添いたいと思っています。

──それは今で言うと、例えば福島原発付近の住民の方々?

福島の人もそうですし、原子力発電所を押し付けられてきたのは一言で言えば、過疎に追いやられ、生活がますます困難になり、補助金をもらうしか生きる道がない人々です。それで一度それに手をつけてしまうと、ますます補助金にすがるしかなくなる、追いつめられていった人々がそこら中にいます。抵抗しようとしてたくさんの人が立ち上がったけれども、でも国がすすめ、巨大産業としての電力会社がすすめる原子力政策にみんなが押しつぶされて、ここまできている。私はそういう人たちのところにいたいと思っているわけで、政治の方には「どうぞお好きなようにやってください」と思っています。

知識を伝えること、放射能汚染を調べて公表し、
判断の材料にしてもらうことが私の仕事

──原発を押しつけられた人々がいると同時に、同じ地域には率先して誘致した方々もいらっしゃるわけですが。

そうです。でもその「率先」というのは、要するに「貧しい」からなんです。別に喜んで危険を受け入れているのではありません。それを受け入れれば「金」がくる。誘致した人たち自身もそこまで追いつめられているからであって、そうしたのはむしろ政治の責任です。それを政治の人たちが変えてくれると言うなら「どうぞ、よろしくお願いします」と言いますが、私は、その地域の人たちと一緒にできることをやろうと思っているだけです。

──具体的にできることと言うのは?

色んなことがありますが、私の知識をそういう方々に伝える。喧嘩があるなら、喧嘩にでかける。あるいは、実際に放射能汚染があるならそれを調べて公表し、判断の材料にしてもらう。そんなことが私の仕事だと思っています。

──現状で放射能の汚染地域はすでに2~30キロの外に出てしまっていますし、たぶんこれからもっと増えるでしょう。そういった地域に実際住むことによって、白血病の発症、数年後に発癌する方々が増えるということはわかるのですが、日々の暮らしへの直接的な影響というと、どういった弊害が出るのでしょうか?

ありません。ただ、農業をやっている人は農作物が汚れます。それがいったいどうやって売れるかという問題はあると思いますが。

──そして汚れたものは、見た目もわからないわけですね。

わかりません。

──食べても、味も変わらない。

変わりません。変わるほど放射能があったら死んでしまいます。「放射能」と私たちが呼んでいるものは、「放射性物質」のことなんですね。それは、放射性「物質」ですから、「物」なんです。本当は色もあれば匂いもあって、目でも見えるんです。だから「放射能は五感に感じない」という言葉があるけれども、本当のことを言えば正しくないのです。ただ、感じるほどあったら、人間が死んでしまうということです。ですから実際には色も匂いも感じられないで、感じた時には死んでいるというのは、そういうことなんです。ですから、今の汚染地帯でも、放射能を日常的に感じるなんていうことはできません。何もなくて日常生活を続けることは可能です。

──何も日常と変わらないのに、ただ「そこに放射能があるらしい」ということが、余計に恐怖な気がします。

何も感じない。ただ「何年かすれば、癌や白血病になって死んでいくんだよ」という、そういうことです。

──チェルノブイリにあった症状の一つに、奇形児の出産の増加がありました。

あるだろうと思います。ただそれは、なかなか証明ができないだろうと思います。今でも、何もなくともいわゆる奇形、障害を背負って生まれてくる子供がいるわけだし、今後福島の汚染地帯でそういう子供はやはり出るだろうけれども、その子供が元々汚染がなくても奇形になったのか、あるいは福島の今の汚染のために奇形になったのかを区別することができません。だから結局はうやむやのまま、闇に葬られていくと思います。

──しかも、そういった症状が顕著に出るのは5年、10年後以降と。

それも疫学という分野の難しさです。例えば広島、長崎の原爆被爆者の人たちだって、10万人もの被爆者を集め、毎年毎年この人たちがどうやって死んでいくということを、米軍の力で調査を始めたわけです。そして、一方には被曝しなかった人たちを何万人も対照集団として囲って、こっちとこっちを比較するというような研究ができて、はじめて被爆者の中に癌や白血病が多いということがわかった。これから福島の人たちがどんな生活になるのか私には今は想像もできませんけれども、その人たちの健康状態を何十年も追跡していくという、まともな研究ができるのであれば、彼らの中に癌や白血病、あるいは奇形児が多いということが、いずれわかると思います。しかし、どこまで本当にそんなことができるのかな、というのも不安です。

──それこそ先生がされてきたように、誰かがライフワークとして調べ続ける必要性があるということですね。

調べた方がいいとは思いますが、日本政府がそれをやるかどうかは、私にはよくわかりません。

──国がやらない場合、個人の研究者が4、50年でもかけて調べ続けないと、結果がわからない?

わからない可能性はあると思います。

──現在、チェルノブイリの汚染地帯には多くの人が住んでいますね。

住んでいます。40万人の人はものすごい汚染地帯から強制避難させられましたが、日本の法律なら放射線の管理区域にしなければいけないという地域に565万人が今現在住んでいます。それはロシア、ベラルーシ、ウクライナを合わせてですけれども。

──そしてその方々の多くは、何らかの健康障害を発症している?

私は当然そうだと思います。でも、その調査がどこまできちっとなされているかは、未だにデータとして見たことがありません。

──放射能に関しては、厳密な調査がされていないケースが多い?

ものすごく難しいのです。放射能に関しては「非特異性」と言いますけれども、「他の原因ではこの病気は出ない」ということがわかるなら、その病気を見つければいいわけで簡単です。でも癌なんていうのは、それこそタバコを吸っていれば、または食べものが悪ければ、あるいは遺伝的な特質でもなるわけですから、癌になったからといって「被曝が原因だ」と言えません。ですから、突き止めるのがとっても大変だし、それまでに膨大な研究と長い時間がかかるという、そういう被害なので、なかなか明らかにならないと思います。

こんなことを目の当たりにしながら「電気が欲しい」とは、
今さら何を言っているか

──人間はそもそもウランに触るべきではなかったと思いますか?

そう思います。

──軽い言葉かもしれませんが、「パンドラの箱」や、「禁断の果実」といった表現があてはまるように思えます。

それで結構だと思います。

──そもそも原子力エネルギーは、正力松太郎氏が広島、長崎の傷も癒えぬうちに日本に持ち込み、それが私達の世代にまでゴジラ、ドラえもん、鉄腕アトム、ウランちゃん等々のキャラクターとともに、社会の中に広く浸透しています。それがそれほど「未来の素晴らしいエネルギー」とされていた現実を、どのように見てらっしゃいますか?

たぶん正力さんは大変に政治的な人だったと私は思うけれども、彼が一番初めに原子力に夢を持ったというのは、僕が夢を持ったのとあまり変わらないと思います。

──石炭、石油は未来永劫続かないわけで、当時は純粋に「未来はこれだ」と。

それは当り前の話なんですね。そして「原爆」というものの圧倒的な破壊力を見せつけられたわけですよね。僕はだから子どもながらに原爆の決定的な破壊力を刷り込まれたわけだし、正力さんはもっと政権というか、要するに経済界の中枢にいたわけで、そこで「これを何か別のかたちで使えないか」と発想するということは、当然だったと私は思います。「平和利用」と思ったかどうかはわからないけれども、「エネルギー源になる」とは思ったでしょうね。「これは新たな産業の原動力になる」と思ったということは、まったく不思議なことではありません。

──それにしても、これだけ地震の多い日本で大量の原発が建設され、過疎地が原発を誘致してしまう原因が、結局すべて「お金」に帰結してしまうという事実は、どうにも悲しい気持ちになります。

そうですが、今の社会がそういう社会だということは受け入れざるを得ないと思います。すべて「金」なんです。

──それが「豊かさ」とされてきた。

ですから、東京みたいなきらびやかな街をつくることが豊かだと思ってる、六本木のような街を豊かだと思う、それは私は全然違うと思っています。

──そういうことを考えていると、日本にここまで原発が増えたのは、アメリカやその他の世界が、これからのエネルギー産業を見定めるテストケースとしても、日本があったように感じます。誤解を恐れずに言えば、正力氏でさえ、ある意味彼らに「たぶらかれた」といいますか。

そうです。今、正力さんがもし生きているなら、彼が自分のやったことをどう思うかということを、僕は聞いてみたいです。

──穿った見方かもしれませんが、福島があり、これから先私たちがどの方向に進むべきかということは、そういう根本から考えないと、転換もできないのではと思います。

今だって、このことがありながらほとんどの日本人は、「停電が嫌だからやはり原発が必要だ」と言っているわけです。「たかが電気じゃないか」と私は思う。こんなことを目の当たりにしながら「電気が欲しい」とは、今さら何を言っているかと私は思いますが、でも多くの日本人は「今年の夏が停電だと嫌だから、原子力発電所はやはり必要だ」と言っているわけですよね。私は昨日静岡に行ってきて、浜岡の原子力発電所は4号機も5号機も未だに運転しています。半分冗談で、「私が静岡にいる間に東海地震がおきないでくれればいい」なんて思っていましたが、でも本当にいつおきてもおかしくないぐらい、東海地震は切迫しているはずだと思うんです。それなのに未だに原子力発電所を止める、止めないとやっている。いったいこの国は何なんだろうと思います。

──地震学の研究者の方々とは定期的に情報交換しあっているのですか?

例えば私たちは、ずっとこの研究所で「原子力安全ゼミ」というのをやってきて、ついこの間110回までやりました。その中で地震の問題でゼミをしたこともあります。そこで石橋克彦さんに来てもらって話を聞いたり、他の地震学者に話をしてもらったこともあるし、私自身はまったく地震の門外漢ですから、専門的にコメントを求められても私に答える資格はありません。でも、彼らの話を聞く限り、東海地震はおきると思わなければいけないと思っています。

──浜岡原発を、直下型地震が今、この瞬間にも襲う可能性があるということですね。

私が言っているのではなくて、世界中の地震学者がそう言っている。しかし民主党は温暖化防止のため、CO2の25%削減のためにその切り札は原子力だと言ってきたわけだし、そもそもその前の自民党が全部、今の原子力をつくってきたわけです。

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小出裕章助教

人類は原子力という現代の錬金術を手に入れた

──次世代のエネルギーとしては何が有効と考えていますか?

まず原子力はまったく意味がありません。資源がなさ過ぎる。地球上にあるウランは500万トンですから、どんなに頑張っても石油の数分の1のエネルギーしかありません。「石油がなくなる」と私は脅かされたわけですが、ウランなんてそれより前になくなってしまう。だからウランはもういいというか、どっちにしても力にならないし、消え去る運命なのです。それでその後はどうなるかと言うと、やはり化石燃料です。石炭で言えばウランの数十倍はあるということは歴然とわかっているわけで、中期的、つまり100年、200年という単位で言うなら化石燃料、特に石炭だと私は思います。これから天然ガスが増えてくるので、これは使いやすいし、使うことになると思いますが。

──今、メタンハイドレードに注目が集まっています。

いいと思いますが、ただそれは要するにメタンなんですね。それが深海にあるわけで、採掘する時にどうしても一部が漏れると思います。メタンは炭酸ガスに比べて圧倒的な温室効果ガスですので、メタンハイドレードに手をつけるようなことになると、今世界中が騒いでいる地球温暖化問題というのは、どうにも解決ができない事態に追いやられると思います。でも私は実は、二酸化炭素が地球温暖化の原因だなんて思ってないんですが。

──そこの信憑性はいかがなんでしょう?二酸化炭素と温暖化の関係性は結局は原発推進派がつくり出した理論であり、それを辿ればゴア元副大統領の映画『不都合な真実』でさえ、その一環だという話も聞きます。

私はそう思います。二酸化炭素が地球の大気中に増えてきたのは、1946年からです。それより前から増えてはいますが、激増したのはその頃で、産業革命以降に色々な化石燃料を使うようになって、大気中の二酸化炭素濃度は先の世界大戦が終わってから激増したわけです。では地球の温暖化という現象が始まったのはいつからかと言うと、1800年からです。ずっと、地球というこの惑星は人間がいようといまいと固有の性質で動いてきたわけじゃないですか。だから昔から寒い時期もあったし、暑い時期もあった。気候変動なんて山ほど繰り返しながら今日まできているわけで、この地球は過去1000年以上前から寒冷化の道を辿ってきた。ずっと寒冷化してきて、それが温暖化に転換したのは1800年代のはじめから。要するに、二酸化炭素放出と関係ないんです。つまり地球は固有の性質として、温暖化という波に入っていたんです。前は氷河期というのが4回繰り返されたわけで、今は温暖期にあるんですが、温暖期の中でも寒くなったり暖かくなったりするわけです。1800年のはじめから温暖期に入り、その途中で1946年から二酸化炭素を大気中に多く放出したということはあるし、それが何がしかの温暖化を加速していることはあるかもしれません。しかし、「二酸化炭素が温暖化の原因」なんていうことは、はじめから間違えている。

──では、温暖化に関する諸々は原発推進のためだったんでしょうか?

すべてではありませんが、「原子力を進める人たちが、温暖化キャンペーンを使った」ということは確実です。

──自分自身もそれにのって、「二酸化炭素を排出しないということは、原発にもいいところがあるな」と考えていました。

とんでもない話です。原子力に手を染めてしまったら、これからの放射性廃棄物の始末も含め、どれだけの二酸化炭素を出すかわからないほど膨大な二酸化炭素を出します。もし、二酸化炭素が地球温暖化の原因で、二酸化炭素を出さないといけないと本当に言うなら、私はそう思ってないけれども、本当にそう思うなら、原子力だけはやってはいけません。

──まだ石炭の方が、、

はるかにいいわけです。

──本末転倒なお話ですね。そしてその放射性廃棄物について、お聞きしたいと思います。現在すでに、国内だけで広島に落とされた原爆の120万発分の死の灰が溜まっていて、国外も合わせると膨大な量の死の灰が地球上にある、と。それは、人間の技術がこれだけ進歩し、最高峰の叡智をかき集めても、その処理方法は見つからないものなのでしょうか?

人類の歴史の中には「中世」という時代がありました。中世にものすごい発展を遂げた技術、学問に、錬金術があります。銅や亜鉛、錫が金にならないか、色んなことを調べたんですね。すごい技術です。酸を加えて溶かしてみたり、セラミックにしてみたり、酸化物、水酸化物をつくってみたり、色んなことをして物性の変化を調べていく。「よくあんな時代にこんなことを」というほど色んなことをやっているんですが、しかし結局錬金術は敗れるんです。銅は銅、金は金で、「お互いの元素の間の変換なんてできない」ということで敗退するわけですけれども、でも、錬金術は実際にできたんです。だってウランという元素があって、それを核分裂させたら他の元素が山ほどできるということを人類が見つけ出したわけです。まさに「現代の錬金術」を手に入れた。

ただ手に入れた途端に、作り出した物が放射性物質で、それが大変だということはすぐに気が付いた。人間が一番初めに原子炉を動かし始めたのは1942年です。それはマンハッタン計画の中で、米国がプルトニウムをつくって原爆をつくりたいと思った時、プルトニウムは自然界にはないので、人間が作るしかない元素です。要するに錬金術ですよね。ウランに中性子を吸わせたらプルトニウムという未知のものができると。そして「それが原爆の材料になるはずだ」ということで、原子炉を動かし始めた。でもその時には核分裂をさせる、この核分裂自身も錬金術ですけれども、プルトニウムをつくるということをやってしまうと、大変なことになるということは気が付いていた。「放射性物質を生み出すこと」は、できると。でも、「それを無毒化できなければこれから大変なことになる」ということで、その時から無毒化の研究が始まっています。だからすでに70年その無毒化の研究は続いていますが、原理的には可能です。ですから、錬金術はできるわけです。

──可能なんですか?

原理的には、です。筋道は70年前から見えてるわけですが、じゃあそれを実際に現実的に実行できるかというと、「できない」というのが、70年経っても解決できない、今の現状です。

──それは何が理由で?

いくつも理由がありますが、例えばセシウムという元素があります。今、福島でも問題になっている放射能があるわけですが、それはウランを核分裂させてしまうと、セシウムという核分裂生成物がたくさんできる。でも、じゃあ例えばセシウム137番を錬金術を使って無毒化したいと思うとします。するとまず核分裂生成物の中から分離をしていくわけですね。「セシウムはこっち来い、ヨウ素はあっちへ行け、バリウムはあっちだ、ランタンはあっちだ」と、色んなものをようやく分離できたとする。でもそこで、セシウムという元素の中には色んな質量数、つまり133番も134番も、136番も137番もある。元素として分離できるのは、質量数を問わないで、セシウムという元素をとってくるわけです。その中の「セシウム137をとにかく無毒化したい」と思って、それはできます。やり方はそこに中性子をぶつければいいんです。

──そこでも中性子なんですね。

また中性子をぶつけて、錬金術を使うと。それでセシウム137を消すことはできるけれども、でも集めてきたセシウムという元素の中には、セシウム137だけではなくて、134も133も132も、色んなものが入ってるわけです。137だけは中性子をぶつけて無毒化できるかもしれないけれども、他のセシウムはまた中性子を吸って、別の原子核に変わっていくわけです。その時に、また放射能を持った原子核に変わってしまう。137は無毒化できても、例えば134が135になって放射能になってしまう。だから、いくらやってもダメ、と。

──ずっと、いたちごっこなんですね。

次の解決策は、セシウムという元素として集めた物を、一つ一つ「137はあっち、134はこっち、133はそっち」というふうに分けることができればまたそこに可能性は見えるけれども、でもそれをやろうと思うと、ものすごいエネルギーがかかるんです。

──エネルギーですか?

要するに元素の中で、質量数の違う原子核ごとに分離をしようとすると、化学的な分離方法はもう通用しないんですね。同じ元素ですから、いわゆる同位体濃縮というものすごく大変な作業をしなければいけなくて、それをやろうと思うと、ウランを核分裂させて得たエネルギーを全部投入してもたぶんできない。だから結局無意味、ということになってしまいます。

──人類はすでに、延々と続くループの中に足を踏み入れてしまったわけでしょうか。

これから逃れるのは、「これ以上の核分裂生成物を生まない」ということしかありません。「原子力は使わない」という選択です。

──ただすでに、日本だけで広島の120万発分ということは、世界に現存する放射能廃物はどれだけの量になりますか?

日本に原発は54機。世界全体には430機ざっとありますから、約10倍あることになります。ですから、1000万発分のそういうものがすでに地球上にあるということです。

──それで現状における、考えたあげくの最善策としての処理法は、フィンランドの岩盤に穴を掘って埋める、ということ?

無毒化はできない。だとすれば、人間や生命体が住んでいるところから隔離するしかないということになったわけですね。じゃあ、どう隔離するかとなって、一番最初はロケットに積んで宇宙に捨てると言った。

──それは僕も最初考えました。

でも、ロケットは時々失敗して落ちてくる。そうなったらおしまいなわけです。次に考えたのは、海底に沈めてしまえという案があったけれども、沈めた後でもし漏れてきたらそれもおしまい。海はどこかの特定のものではありませんから、それもロンドン条約で禁止された。その次は南極に行って捨てる案が出た。南極は何千メートルの氷で覆われた大陸です。これはものすごい発熱体ですから、氷を溶かしてどんどん沈んでいって最後は南極の陸地の上に到着して、その頃には上の方はまた氷になって閉じ込めてくれるという、誠に手前勝手な論理を考えた人たち、あるいは国々がいた。でもそこでまた「待てよ」と。「南極はいったい誰のものだ?」と。いずれ南極に貴重な資源があった時、そこに放射能があれば何も使えなくなるから、それもダメと。「じゃあ、どうする?」というのが今ですよね。それで「地面の底にいれてしまえ」となって、フィンランドやスウェーデン等、古生代の地層がたくさん残っているところで、安定した地層だということで穴を掘って埋めてしまおうという計画はあるけれども、それでも「本当に埋めていいのか?」ということで、ずっと決まらないまま逡巡しています。

──未だに実際埋めてはいない?

どこも埋めていないです。

──現在公開されている映画『100,000年後の安全』は、埋めたことについての作品と思っていました。

「まだ埋めていないけれど、その実現に向かって歩み始めている」という映画です。それは米国も、ユッカマウンテンという西部の山の中に埋めようとしたけれども、1万年あるいは10万年、100万年という期間にわたって安全だと示すことがサイエンス上できないということで、オバマも撤回した。ですから、米国も行き詰まってる。でも日本は、やろうとしてますよね。どこかに処分場という土地をとって、、

──第2の六ヶ所村というような?

六ヶ所村は再処理工場ということで、使用済みの燃料の中からプルトニウムを取り出すための工場ですが、そこからできてくるはずの「ガラス固化体」が全然できなくて、今六ヶ所の再処理工場は止まってしまっています。原子力を推進している人たちの計画によれば、「ガラス固化体」というのをつくって、それをどこかにまた持って行って、埋め捨てにしたいと言っているわけです。「埋め捨てにしてもいいよ」という地域が手を挙げたら、それだけで20億円やると。「海外には出さない」という、一応は日本の方針になっているので、またそこで経済的に疲弊したところを狙って、それを押し付けようとしている。今まで10いくつの、本当に過疎で、経済的に成り立たないような地域が手を挙げかけるけれども、その度に住民がやはり「そんな不安は嫌だ」ということで反対して、すべて潰れてきています。でも国としてはそれ以外の方針がないということで、未だになんとかその埋め捨ての場所をつくるといって動いています。だから私は一つ一つ潰しに歩いていますけれども、「どうしても埋め捨てたいなら、東京に埋めてくれ」と、私は言っている。

高円寺のデモは確かに
「一歩近づいたんだな」と希望を託したい

──先生は、人類が無限のループに入ってしまった状況も熟知されていて、それで無力感に苛まれることは?

あります。

──他に抱える感情があるとして、それは憤りなのか、悲しみなのか、、

全部です。

──その上で今現在の心境としては、これは言葉が間違っているかもしれませんが、ある意味達観なさっている感覚もあるのか、、

私は、人間なんて、大したものだと思わないんです。集合体としての人間も、一人一人でも、私自身も含めてみんな、ある時に生まれでてきて、ある時にはどっちにしても死んでしまうわけじゃないですか。大きな地球の歴史の中から見れば、本当に瑣末なことと思うんですね。でも僕は僕で生きている。それは消すことのできない事実としてあるわけだから、僕はせめて消すことのできない事実があるなら、自分の好きなように生きたいと。それがどれだけ価値があるかどうかは何の関係もなくて、自分が思うように生きたいという、それだけです。

──例えば、これは現在でも過去でも、先生が勇気づけられるような存在はいらっしゃいますか?

田中正造さんですね。

──国や政府には基本的に期待なさらないということですが、逆に、今の世の中で希望を感じるような事例はありますか?

例えば、私はよく知らないけれど、この間高円寺で若者たちがデモをしたということで、ちょっとはインターネットでその映像が流れてきましたが、「ああ、歴史はやっぱり流れているな」と思いました。

私はチェルノブイリの事故があった86年の秋に、ウィーンに行ったんです。チェルノブイリの事故で、原子力に反対してきた学者たちや運動家が集まって「反原発」、「Anti Atom International」という会議がありました。その時に色んなイベントが同時並行で行われていて、ウィーン市内で原発反対のデモをするというので、北駅とか南駅とかあちこちから出発して、中心にあるホーフブルグ宮殿を目指したんですが、北駅に行くと、誰もいない。主催者みたいな人はいるんですが、周りを見ても誰もいなくて「今日これでいいのか?」と聞くと「いいんだ」と。でも、そうこうする間に、どこかから沸き上がってくるようにして、人々が集まってきた。それもみんなてんでんばらばらの格好をして、一つのプラカードを持っているわけでもないし、隊列を組んで腕を組んでやるというのでもないんですね。それぞれ自分のつくった看板を背負った人もいるし、乳母車を押している人もいる。それぞれが自分の主張を持って、沸き上がってくるんです。そういう人たちがデモをして、いつの間にか大群のデモになっている。当時の日本では到底考えられないかたちで、組織が動員もしないし、隊列を組んでシュプレヒコールというわけでもない。「ああ、こういうデモがあるんだな」と、ヨーロッパがいいというわけではないけれども、歴史の成熟を感じて、こういうふうに一人一人が自分の自発的な意志で立ち上がるような日が来れば、人の世も変わるなと思いました。

このあいだの高円寺のデモがどれほどのものか私は知らないけれども、でも確かに「一歩近づいたんだな」と思いました。私が希望を託すとすれば、そういうことです。政治家とかそんなことではなく、生きる人間の、一人一人です。そういうのを見ると、少し希望を感じます。まだまだ小さ過ぎて、ダメなのかもしれませんが。

──それがまたあまり報道されなかったということが、問題になっていました。

今の日本の社会ではしょうがないと思います。でも、日本国内ではほとんどみんな知らん顔していますが、福島の事故がおきたらドイツで20何万人規模のデモがおこるわけじゃないですか。

──先日の統一地方選では、結局原発推進派の知事の方々が当選されました。

そうです。

──そしてそれを見届けたようなタイミングで、政府が事故を「レベル7」と発表しました。

汚い政府です。コメントするのもアホらしくて、嫌になります。

──あのタイミングでは、嘘はついていないという既成事実のため、と思わざるを得ませんでした。

そうでしょうね。でも、政治に期待して動く方はどうぞ動いてくださればと思います。ただ、私自身はそこに自分の時間を使う気がないということです。

──東京に戻ることはありますか?

決して戻りません(笑)。あんな街はもう願い下げです。

(2011年4月17日14時、大阪府泉南郡・京都大学原子炉実験所にて。インタビュー・文:有太マン)



小出裕章 プロフィール

1949年生まれ。東北大学原子核工学科卒、同大学院修了。74年から京都大学原子炉実験所助教を務める。著書に『放射能汚染の現実を超えて』(1992年)『隠される原子力・核の真実 原子力の専門家が原発に反対するわけ』(2010年)、共著に『原子力と共存できるか』(1997年)ほか。

有太マン プロフィール

有るがままに太い男で有太マン。
思い返せば、2000年にNYの美大を卒業し、01年帰国直後におこった911に突き動かされ、 NY現地アーティストたちの作品を集めて紹介する活動で定着したライター業が、現在の本業。
この311は日本、世界をどこに導くか。僕らが、どこへ導けるか。




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映画『100,000年後の安全』
渋谷アップリンクほかにて上映中

監督・脚本:マイケル・マドセン
脚本:イェスパー・バーグマン
撮影:ヘイキ・ファーム
編集:ダニエル・デンシック
出演:T・アイカス、C・R・ブロケンハイム、M・イェンセン、B・ルンドクヴィスト、W・パイレ、E・ロウコラ、S・サヴォリンネ、T・セッパラ、P・ヴィキベリ
配給・宣伝:アップリンク
(2009年/79分/デンマーク、フィンランド、スウェーデン、イタリア/英語/カラー)

公式サイト

公式twitter

▼『100,000年後の安全』予告編





イベント情報

【4/28(木)】19:00開場/19:30上映
「チェルノブイリの今とフクシマ」
ゲスト:広河隆一(ジャーナリスト)
※4/28(木)はご予約が定員に達したため、受付を終了いたしました。

【4/29(金祝)】13:35開場/13:50上映
「世界の原発事情~フィンランド編」
ゲスト:須永昌博(スウェーデン社会研究所)

【4/30(土)】13:35開場/13:50上映
「廃炉という選択~日本の核廃棄物処理の現状」
ゲスト:舘野淳(元中央大学商学部教授)

【5/2(月)】19:00開場/19:30上映
「原発に変わるエネルギー」
ゲスト:飯田哲也(環境エネルギー政策研究所)

料金:
【一般・シニア・学生】当日:2,500円/予約:2,000円
【アップリンク会員】当日・予約:1,800円
(当日加入されてその日から適用されます。当日会員に加入される方でイベントに参加される方は事前に予約を入れてください。満席になり次第予約は終了します)

※入場料のうち200円を東日本大震災の義援金として寄付致します。義援金は家屋が全半壊したり、東京電力福島第一原子力発電所の事故に関連して避難指示を受けたりした計約6万5000世帯に分配されます。(義援金振込先:ゆう貯銀行 福島県災害対策本部 00160-3-533)

予約方法:
このイベントへの参加予約をご希望の方は
(1)お名前、
(2)人数 、
(3)電話番号、
(4)日時を明記の上、件名を「○月○日/『100,000年後の安全』トーク付上映会」として、factory@uplink.co.jpまでメールでお申し込み下さい。


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