骰子の眼

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2011-05-01 19:22


『あぜ道のダンディ』(石井裕也監督)主演・光石研インタビュー “変わらない、んじゃなくて、変われない”

石井裕也監督の最新作『あぜ道のダンディ』でデビュー作『博多っ子純情』から実に33年ぶりの主演を務める光石研氏のインタビュー
『あぜ道のダンディ』(石井裕也監督)主演・光石研インタビュー “変わらない、んじゃなくて、変われない”

厳選シアター情報誌「Choice!」との連動企画"Artist Choice!"。「Choice!」本誌にはインタビューの他にもさまざまな映画・演劇の情報が満載ですので、是非あわせてご覧ください。

今回は、石井裕也監督の最新作『あぜ道のダンディ』で主演を務める光石研氏のインタビューをお届けします。『あぜ道のダンディ』は、2011年6月18日(土)テアトル新宿ほか、全国順次公開。

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誰でもみんな、自分なりにカッコつけている

市井の人間の、ささやかな誇り。誰もが気どることなく、ごく当たり前に大切にしている何かを、光石研はいつも独特の「匂い」で体現してくれる。岩井俊二、青山真治、李相日、瀬々敬久、そして井筒和幸ら多くの監督たちに愛されている事実は、豊かで裾野の広いフィルモグラフィが証明している。

デビュー作『博多っ子純情』から実に33年ぶり。キャリア2本目の主演作が公開される。タイトルは『あぜ道のダンディ』ーまさに光石のために用意されていたかのようなフレーズである。

「率直に、嬉しいことは嬉しいんですけど、あまりそういうふうには気負わず、普段通り、いつも通り、現場に行こうと心がけていました。こういう話の主演は、ただいちばん最初に名前が出てるだけで、みんなで作って、みんなの映画ですから。なにか力が入ったとか、そういうこともなく普通にやれたと思います」

控え目な物腰から繰り出されるその言葉通り、この新作においても、光石研は一切の誇張から遠く離れた風を画面に吹かせている。風が運んでくるのは、やはり人間の匂いだ。人間には匂いがある、という普遍を体現しているという意味では、確かに「いつも通り」だ。

「どんなヤツなんでしょうかね。とっても言葉が下手で、学もなくて。でも一生懸命にカッコつけて生きようとしてるんだけど、カッコつかないひとだと思うんです。わりとこういうひと、いっぱいいるんじゃないですかね。僕が演じる上では、スーパーマンみたいなことをやるよりは、とっても手がかりがありますね。自分もこういうダメ親父ですので。ダメな中年ですので」

主人公は、妻に先立たれ、男手ひとつで一男一女を育ててきた中年男。イマドキを解さず、時代錯誤なまでの頑さで己が思い描く父親像にこだわる彼が、共に受験を迎えた息子と娘への対処で七転八倒する様を、映画は描く。そのカッコのつけ方は、主義や主張ではなく、彼が彼であるための何かで、純粋な意味で人間的だ。

「僕もこういうタイプの人間ですので。それはやりやすかったですね。近い部分がたくさんあります。世間体気にしてたり……。誰でもみんな、自分なりにカッコつけてるんだと思いますよ。大小はあるにしても」

この俳優ならではの、人間に対するまなざしのありようを感じさせる発言だ。


『あぜ道のダンディ』
映画『あぜ道のダンディ』 (C) 2011『あぜ道のダンディ』製作委員会

見られている、のではなく、見てくれている

 

監督は『川の底からこんにちは』などで注目を集める新鋭、石井裕也。新人監督の作品に登板する機会も多い光石だが、一役者としての低姿勢は常に乱れがない。

「監督は、タイミングだとか、声のトーンだとか、間だとか、ほんとうに細かく言ってくださいましたね。なので僕は忠実に一生懸命、その要求に応えるのに精一杯だったんですけど。一緒にいてくださる位置もほんとうに近くて。そこの俳優の息遣いみたいなものも感じてくださって。それで演出してくださるんです。ほんとにそばで見てくださって。映らないギリギリのところまで、俳優に近いところで見てくださいましたね。とっても近かったです」

おそらく石井監督がすぐそばで演出したのは、光石が「そばにいること」を許容する懐の持ち主だったからからではないだろうか。

「『近すぎるよ!』ってときも(笑)。でも、遠くにいられるよりは、安心できますね」と彼は、自身の出発点を振り返る。

「その昔、僕がデビューした頃、映画の撮影現場は、カメラという軸があって、そこにまずスタッフが全員集まっていて。そこの目線から被写体を見る、というものだったんです。とにかく、その軸の地点で、みんながいい位置をとろうとする。そういう現場で僕は育ったので、それが僕のなかのスタンダードになってるんです。いまは、モニターがあったり、カメラが二台あったりで、だんだんそうじゃなくなってきたんですが、その(スタッフと被写体の)距離が僕にとっては、スタンダードなんです。だから石井さんの現場はそれにとっても近くて。とにかく一緒に撮ってる感じがありましたね」

「みんなの映画」という冒頭の表現は、光石が考えるスタッフとキャストの「スタンダード」としての関係性からもたらされている。

 

「カメラがあって。その横のいちばんいいところに監督が座って。その横にスクリプターが座って。照明部が座って。もちろんキャメラマンは(ファインダーを)覗いてて。キャメラマンの助手は横でスケールを計ったり、ピントを計ったりしている。メイクさんはメイクさんで、どう映ってるか見たいから、そこから顔を出して。カメラの三脚の間から、上から、いっぱい顔があったんです。僕ら演じてて、ぱっと見たら、とにかく顔がいっぱいあったんですね。カメラを中心に。それが安心でもありました。みんなが見てくれているということ。カットがかかると監督だけじゃなくて、照明部のひとも、『お前、こうしたほうがいい』とか、言ってくださる。つまり、そこにいるひとがみんな、被写体にぐっと集中している。それがとっても心地よかったんです」

いくつもの顔が、俳優を見つめている。

 

「僕らは相手役に集中しているだけですけどね。見られてる、というより、見てくれている。見られてる、という意識よりも、あのひとたち(スタッフ)が見てくれているから、こっちは自由にできる。そういう感覚ですかね。安心して、こっちで遊べるような……。あのひとたちの映し鏡みたいになっているところがあるんですよね。あのひとたちの想いで僕らは動いているっていうか。遊ばせてもらってる。スタッフが僕たちを遊ばせている、ということですかね。全部のパートの想いが、その1カットに入ってる」

撮影を前提とした演技である以上、俳優の芝居は決して自由なエリアにあるわけではない。制約は様々にあり、それに応えるのは責務でもある。けれども、光石はそれを踏まえた上で、「遊ばせてもらっている」と語る。 

「遊びなさい、と言われてるようなものですね。洋服着せてもらって、髪の毛やってもらって、顔をメイクしてもらって、そこにポンって。それは理想でもありますよね。そのなかだけで遊べたら、いいですね」

固有の信頼ではなく、総体としての信頼が光石研の魂には備わっているように思える。スタッフや現場、ということだけに留まらない、「もの作り」そのものに向けられた敬虔なまでの信頼の意志は、次のような談話が浮き彫りにもする。

「基本的に、いただいた役には、監督はじめスタッフみなさんの、『この役はこうしてほしい、光石にこういうふうにやってほしい』ということがあると思うんです。そこの要求は確実に満たしたい。その上で、欲を言えば、ちょっとでも僕らしさが出れば、とは思います。それが自分が意図して出すものかどうかはわからないですけど。でも、それよりは、みんなが『こうしてほしい、こう動いてほしい』ということを、まずやりたい。それをやり遂げたいということのほうが先決ですね。まず現場入ったら、そこの察知から始める。まず、自分にどうやらせたいのか。そこに、いつも神経とがらせてます」


「おれらが普通にしゃべってる言葉でやろう」

日本を代表する名優が、こんな話をしていたのを見たことがある。

「羞恥心がないヤツは、役者をやるべきじゃないと思うね」

人前に立って、何者かを演じるのが、俳優である。だからこそ、恥ずかしいという意識なしで、それを体現するべきではないのかもしれない。光石研は間違いなく、そうした羞恥心を有している。本人としてテレビ出演したものなどは「どうしても見ることができない」と話す。

「自意識もあるんでしょうが、自分に自信もないんでしょうね」

出演作を目の当たりにするのも、できれば避けたいという。

「あまり見たくないですね。自分以外のシーンは見れますけどね。自分が出てると、アラばっかり見えちゃって。でも、もし、もう一回やって上手くできるのか? って言ったら、わかんないですけどね。でも、そんなものですよ。いままでも。それの繰り返しというか。でも、もうしょうがないんですよね。映画は。完成してるんだから。次、頑張るしかないんですけど」

「自分らしさ」について問うたときも、彼はこの感覚を垣間見せた。

「どうなんですかね……まず、自分らしさがどういうものか、あんまりわからないので。周りのみなさんがいろいろ言ってはくださいますけど……ただ、えてして、役者がそこで自分らしさを思うっていうのは、単なる自意識だったりして。こう見せたい、っていう。そういうのはとってもいやらしく映るときがあるので、そこだけはいつも避けたいと思っているんですけどね。やっぱり夢中になってやってるのがいちばんいいんでしょうね。役者がこうしたい、と思ってしまうのは、どうも恥ずかしくて……。若いときなら、いいでしょうけどね」

ならば、その「若いとき」のことを訊いてみたい。

「ふざけたことをしてたんですよ。学校の先生の物真似をしたり、友達の物真似をしたり。でも、それはほんとうに小さい範囲のなかで。自分の席から見渡せるぐらいの。決して教室の前に出てやるタイプではなかったんですよ。ほんとうに小さいグループのなかで。たまーにクラスのなかでやることはあっても、全校生徒の前でやるなんていうことはなかったですね」

あくまでも身内、つまり自分の手が届く範囲で、というのがこのひとらしい。

「中学で、クラス対抗演劇会、みたいなことやったんですよ。友達と小さい役をアレンジして、台詞はちゃんと言うんですけど、あとの動きとか、自分たちで考えて。僕らが日常使ってた北九州弁で舞台に立ったんですよ。そういうとこはいまと全然変わってなくて。当時も、嘘くさいことが嫌だったんですね。芝居をやる、ってことになったら急に、みんなが、普段はみんな北九州弁のくせに、『どうしたの?』なんて標準語になる。僕はそれがとっても恥ずかしかったんですよ。その友達と、『全部、北九州弁でやろう。おれらが普通にしゃべってる言葉でやろうよ』って言って。台詞は変えないで、言葉だけ北九州弁にして、やったら大受けしたんですよ。みんな大笑いして。そこはいまだに変わらないところで。だから、いまだに、"出て行って演じる"みたいなのはあんまり好きじゃないんですよね。あの感覚はいまだにどこかにあって」


『あぜ道のダンディ』 光石研 

10代のときに感じたことが、しつこく残ってる

デビュー作は映画『博多っ子純情』。まだ高校生だった。その友人がオーディションに応募したのが、すべての始まりだったという。

「全校生徒の前でやるほどの度胸はないから、そもそも役者を目指したことなんて、まったくなかったですよ。でも、とにかく最初の映画に出たときは楽しかった。もうほんとうに楽しくて。こんな面白い世界があるんだ、って。スタッフになりたいとは思いましたね。当時の映画のスタッフって、とっても下品なんですよ(笑)。荒っぽくて。でも、そこがカッコ良くて。何か、ちょっとアウトローな感じで。いわゆる勤め人とは違う。みんな、フリーランスな感じで」

忘られない想い出がある。忘れられない場所がある。

「博多でロケやって、セット(撮影)は東京の大船(撮影所)だったんですね。何日か遊ばせてあげよう、ということで新宿のプリンス(ホテル)に泊まらせてもらって。遊びに連れてってもらったんですよ。高校1年生だったけど、1970年代後半の新宿二丁目に連れてってもらったんですよね。それがすごく面白かったんです。おかしかったなあ。小さいカウンターの店で、髪の長い女のひとが、いきなり上半身裸になって踊り始めたり。そういうところに連れてってもらって。すごい厚化粧のおばちゃんが猫抱いて隅っこにいるとか。二、三日だったですけど、そういうところに連れてってもらったんですよね。これはヘンな世界だなあと。いま言えばアンダーグラウンドということになるんでしょうが、当時は"こっちの世界"って感じでしたね。こういう世界の大人のひとはみんな、こういうところでお酒飲んでるんだなあと」

生粋のフリーランスたちがかたちづくる、本物のアウトローな世界。その「匂い」が、少年を惹きつけた。決して大仰な演技論は語らない光石研は、その「匂い」こそを大切に胸にしまって、そして素敵な大人になったのだと思う。

「現実味のないことばかり、子供の頃から言ってましたね。漫画家になりたいとか。絵描きになりたいとか。洋服屋になりたいとか。古着屋をやりたいとか。喫茶店をやりたいとか。そういうことばかり言ってて。そういうことを言ってた子が、たまたまこういう商売に出逢って。この商売も勤め人じゃないから。いまだに洋服は好きだし、音楽は好きだし」

「商売、いい言葉ですね」、思わずそう言ってしまった。彼が口にする「商売」はとてもかっこよかった。フリーランスでアウトローな響きだった。

「商売って、なんか下世話ですけどね。クリエイティヴじゃないですね」と、光石は笑う。

「あの時期、10代のいちばん多感な時期に、音楽でも、洋服でも、何でもそうなんですけど、その頃のことがいまだに、しつこく、自分のなかに残っているんですよ。だから、あの頃買えなかったレコードとか、いまガンガン買ってて。当時、全然お金なかったから。で、いまだに聴いてるんですよね。そういう成長してないところがあるんですよ。大人になりきれない、というか。カッコ良く言えば、ブレてないんでしょうけど。でも、成長できないところがあって。でも、中学のときにやったあの舞台の感覚は、いまだに持ってて。それを僕は大切にしてる。10代のときに感じたことは、いまだに変わってない気がしますね。まあ、その頃のダメだった自分は忘れちゃってますけどね(笑)」

変わらないのは、変わりたくないから?

 

「変わりたくない、というより、変われない、んでしょうね。自分で自分の首を絞めてるようなところもあるのかな、と思ったりはします。そんな石頭だからダメなんだよ、と思ったりもしますね(笑)」

照れたように「……一人っ子なんですよ」とつぶやいたことが忘れられない。光石研は彼だけが持ちうる羞恥心を有している。

取材:相田冬二 撮影:押木良輔


光石 研's ルーツ

中学のときのクラス対抗演劇会で台詞を北九州弁にして喋ったこと。

みんな、舞台になると急に標準語になるのが、恥ずかしくて。友達と「おれらが普通に喋ってる言葉でやろうよ」って。やったら大受けしたんですよ。みんな大笑いで。いまだに「出て行って演じる」みたいなのはあんまり好きじゃないんです。あの感覚は自分のなかのどこかにありますね。

光石 研(みついし・けん)プロフィール

1978年『博多っ子純情』の主演に抜擢され俳優デビュー。以降、映画、ドラマ、舞台等で幅広く活躍している。なかでも映画出演は140本以上を数え、日本映画界に欠かせない存在となっている。2000年の『EUREKA / ユリイカ』では、第16回高崎映画祭最優秀助演男優賞を受賞。今年も『太平洋の奇跡ーフォックスと呼ばれた男ー』『毎日かあさん』の他、5月には『岳―ガク―』、6月には主演作『あぜ道のダンディ』の公開が控えている。



『あぜ道のダンディ』
2011年6月18日(土)テアトル新宿ほか、全国順次公開

監督・脚本:石井裕也
出演:光石研、森岡龍、吉永淳、西田尚美、田口トモロヲ 他
配給:ビターズ・エンド
(2011年/日本/110分)
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「Choice! vol.19」2011年5-6月号

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