骰子の眼

cinema

東京都 新宿区

2011-03-23 23:13


菊地成孔が語り尽くす『ソウル・パワー』DVD──「治癒と同時に上げるパワーに満ちたこの作品を、今こそすべての人に観てほしい」

今月発売されたDVD版『ソウル・パワー』。その魅力を菊地成孔氏が余すところなく伝える。
菊地成孔が語り尽くす『ソウル・パワー』DVD──「治癒と同時に上げるパワーに満ちたこの作品を、今こそすべての人に観てほしい」
『ソウル・パワー』より、セリア・クルース&ファニア・オールスターズ

昨年6月に公開され話題を呼んだ、伝説の音楽祭「ザイール'74」を収めた貴重なドキュメント映画『ソウル・パワー』。その豪華映像特典付きDVDが3月4日に発売された。そこで、公開時から6回も劇場へ足を運び、『ソウル・パワー』の魅力を知りつくしている菊地成孔氏に、なぜ本作が傑作たりうるのかを大いに語ってもらった。

偶然の連鎖が生んだ、音楽記録映画史上、屈指の傑作

 ブラック・ミュージックといわずホワイト・ミュージックといわず、大衆音楽の記録映画というのは1940年代から2000年代に至るまで、すでに腐るほどありますが、その中でもこの『ソウル・パワー』は、神の采配としか言いようがない偶然が重なって生まれた、屈指の価値を持った作品だと言うことができると思います。
 被写体としての「ザイール’74」というコンサート自体が大変にいわくのあるもので、ジョージ・フォアマンの目の負傷によって、有名な「キンシャサの奇跡」から離れて単独で開催され、興行的に大失敗しました。最初の字幕でそのことは触れられているのですが、そこから先は音楽のイベントを記録した映画につきものの、当時を振り返る関係者のコメントのようなものがまったくないまま進みます。一般的な音楽ドキュメンタリー映画の平均からすると、奇形的なまでに何の説明もなく進むのですが、今回のDVD版によって各登場人物のポストが明確になり、だいぶ観やすくなりました。

webDICE

 監督自身がライナーで語っていますが、当然その解かりづらさのために批判する向きもあるのですが、僕個人の感想では、解からない領域があるのは当たり前で、まったく批判の余地はありません。もし、関係者による後日談をエピローグ的に入れることで、音楽フェスものの記録映画としての体裁をもっと整えていたとしたら、この映画の異形(いぎょう)の魅力は発生しえなかったろうという気がします。多分、素材が多すぎたせいで、その素材をまとめるにあたり、そういった談話等はあえて全部カットしようという監督の苦闘があったのだろうと思います。そのような多くの偶然により、こうした異形の映画が生まれたということです。われわれは『ザ・ローリング・ストーンズ / ギミー・シェルター』(1970)とか『アワ・ラテン・シング』(1972)とか『ウッドストック』(1970)とか、いくらも音楽映画を知っているわけですが、そのどれとも違う形が映画の形態上に起こっているのです。ともかく説明が無い。

 次に、監督も語っていますが、1960年代の公民権運動と共にピークを迎える、アフリカの音楽と北米のブラック・ミュージックがあえてアフリカで共演することでルーツバックするイベントは、こうして歴史的に見てもわかるとおり、融合するという意味においては成功していません。むしろ有名なセネガルのドゥドゥ・ニジャエ・ローズのパーカッション・アンサンブルがローリング・ストーンズの前座を務めたというような、植民地的な視点ならありますが。そもそもワールド・ミュージック自体がそうであるように、ヨーロッパ人が愛でていくという意味において、ブルースの時とまったく同じであるわけです。
 1974年の時点では、すでに最後の賭けというか、この音楽祭はドン・キングが着想して主催するわけですけれども、ドン・キングのちょっと遅めの企画であり、興行的な大コケによって以後この手のフェスティバルはあまり行われなくなり、この規模のもので言えば二度と行われていないという事実があり、最後の瞬間を捉えていると言えます。また、このあとブラック・カルチャーは1980年代に入ってテクノを吸収していき、ヒップホップの誕生まであと一歩という、1970年代ブラック・カルチャーの最後の姿を捉えているとも言えます。

 同時に、ここでファニア・オールスターズが登場しますが、まさに彼らの映画『アワ・ラテン・シング』が示していたのは、アフロ・アメリカンの力が少なくとも音楽的にいったん終息し、次にサルサという新しい音楽により、米国の特にニューヨークを中心にものすごい力をふるっていくことになるラテン・アメリカンの上昇という、ひとつの文化的な入れ替えでした。今でもオバマ政権が抱えている、米国内の有色人種同士の勢力図をどうするのかという問題の、まさに始まりだったわけです。北米からの出演者のほとんどがアフロ・アメリカンの中で、セリア・クルースを擁するファニア・オールスターズは、数的には明らかに浮いていて、飛行機のシーンでも顕著なように一番元気が良い。これから文化的に注目されるという勢いのあり方が、アフロ・アメリカンとまったく違うわけです。そこも刮目して観る点であり、ある一点の偶然を写し取っている部分だと思います。

Sister Sledge
『ソウル・パワー』より、シスター・スレッジ

コンゴ音楽最高峰ミュージシャンたちの動く映像は必見中の必見

 さらには、これは私の専門外ですが、確か1974年は録音技術が飛躍的に伸びた年で、チャンネル数や音の解像度も含めて非常にすばらしい。それまでの、例えば『ウッドストック』など音がつぶれてしまっている音楽フェスものの映画に比べ、まさにブラック・ミュージックにぴったりの解像度によって録音再生されて、DVD版は5.1chサラウンドがついているという異例の措置ですね。5.1ch再生を持っている人に限りますけれども。音楽DVDであえて準備されることは、まだ数が非常に少なく、5.1マニアといわれるようなオーディオマニアにとっても、このDVD版はいいアイテムになっています。これより一世代前の2チャンネルの音質だったら、例えば『ワッツタックス』(1973)なんかそうですけれども、あの手の音質でやられてしまうと、特にこういう巨大オープンホール型の録音というのは割れやすいので、ここまでの生々しさでは迫ってこない。この一年前でも、場合によっては半年前でも、あの音の良さにはならなかったはずであり、わずかのタッチの差で可能になったわけで、これも偶然の産物です。

 アリがいみじくも、ザイールという国が米国黒人も思っていなかったほど文化的で、ニューヨークの方がはるかにジャングルだったと語っています。それは、1970年代後半から1980年代にピークを迎えるワールド・ミュージックのブームの契機に、いざカメラが入ってみたら想像していたようなところと違い、しかもその土地独特のポップ・ミュージックがあったんだというのと同じ驚きです。
 西アフリカの方からユッスー・ンドゥールやサリフ・ケイタといったスターが出てきてシーンを牽引するんですけれども、その前段階というんでしょうか。あまりに無茶苦茶な例えですが、もしユッスー・ンドゥールがボサノバだとしたら、サンバに当たる人達というか。このあたりは私よりはるかに詳しい書き手の方がいるでしょうからそちらに譲りますが、つまりフランコ(・ルアンボ・マキアディ)とタブー・レイ・ロシュローは、1950~1960年代のキャリアを終えて、1960年代中期~後期からの北米音楽の影響を取り入れた、当時の最新アフロ・ポップでしたが、1980年代にユッスー・ンドゥールやサリフ・ケイタらが牽引していく、比較的ヨーロッパ人もアートだと認められるような体裁の小奇麗なワールド・ミュージックとは違い、呪術そのものなわけです。

Franco
『ソウル・パワー』より、フランコ・ルアンボ・マキアディ

 レア盤のレコードでは耳にしたことはあるけど、動く映像を見るとこんなにものすごいのかと思います。単純に、連れているダンサーが想像を超えてセクシーで呪術的で、トランスがあって気絶して、触ることで蘇生してというような、放送禁止すれすれの映像です。実際に映画の途中でも「アメリカなら放送禁止だ」っていう台詞が出てきますね。シスター・スレッジがバンプを教えると、現地の女の子たちがアフリカン・ダンスの基本的な動きを教えて、それがあまりにエロ過ぎるということで。
 とにかく動いているタブー・レイ・ロシュローとフランコ&TPOKジャズの映像は非常に貴重で、おそらく好事家からは全長版の要望が出るはずです。多分、監督も全長版を用意していると思います。もう少し時間的・資金的な余裕があれば、全長版に近いものが作れたかもしれず、ところが実際は1アーティスト1曲という、音楽フェスものとしてはかなり貧弱なものになっているのです。DVD版によって多少の特典映像のサポートがありますが、それすらすでに驚くべき内容で、ムード歌謡のようなものにジミヘンみたいなギターが入ったり、途中になんの脈略もなく京唄子さんみたいな人が歌いだしたり(笑)。ああいう、ワールド・ミュージックのファンですら驚くし、単なるロックファンや、ソウルバーの店長みたいな人が観たらえげつないと感じるような映像がまだ眠っている可能性をこの映画は示していて、当然、全長版が待たれるところです。それはかなり一般性を欠いた、音楽マニアのコレクターズアイテムということになるでしょうけれども。

 実際それが出るかどうかは別として、この音質とこのカメラ数で撮っているんだったら、相当いいものが残っているだろうという気持ちにさせるわけです。歴史の記録としてあるものはみんな見せましょうといったような、ともすればダラダラしがちなフェスティバルものの記録映像と違い、この映画はまったくダラダラしたところがなくて、むしろあっけないまでに終わっていきます。僕は『ウッドストック』ですらだいぶダラダラしてると思いますが、あのダラダラした時間がフェスのリアリティだという考え方もあるでしょう。とにかく、時間的にも予算的にも芳醇さに欠けることによって生じた、出し惜しみ美というか、際立った鮮やかさも、一つの偶然の産物だと思います。

 そうした多数の偶然の連鎖によって、音楽フェスティバルものの記録映画としても、ブラック・ミュージックを捉えた映画としても、単に記録映画としても、単に音楽映画としても、異質の作品になっているのです。優れた解説をパンフに書いているオーサカ=モノレールの中田さんが正直に語っているように、北米のブラック・ミュージックのこてこてのマニアで、黒人音楽について十分知ってるつもりの人でも、1974年のザイールの音楽を聞くと、これが何なのか形容ができないほどの衝撃を得ます。どうしても僕自身の専門がブルースとアフロのワールド・ミュージックに傾いているので、そちら側の立場になってしまいますが、そちら側から見ても素晴らしいし、一方でそうではない、北米のブラック・ミュージックが好きな人でも、シスター・スレッジが振り付けをしている映像など、心憎いものであるはずです。
 それと同時に、とにかく映画に横溢しているパワーがものすごくて、タイトルになっているまさに『ソウル・パワー』としか言いようがない異様さがあります。外国に行って煎じ薬を差し出されて、こんなの飲んだら死ぬんじゃないかと思ってこわごわ飲んだら元気になったというような、観るととても元気になる、治癒と同時に上げるパワーを持った作品だと思います。

Tabu Ley
『ソウル・パワー』より、タブー・レイ・ロシュロー

今の日本には、治癒と元気の両方が必要

 私がこのインタビューを受けているオンタイムの日本は大変なことになっているわけです。治癒と元気が両方必要で、癒されてばかり、祈ってばかりいるわけにはいかないし、かといって復興だと上がってばかりいるわけにもいかない状況下です。その中で、この映画がDVD化されてからしばらくしてあの地震が起こったというのは、強堅に結びつけるのであらば、ひとつの大きな偶然です。アゲ癒しというか、アガるわ癒されるわ、沈静もあるし高揚もある、非常にすばらしい作品です。
 この映画には、すでにわれわれが知ってる音楽の原型がほとんど入っていて、パフォーミングの意味合いの原型も入っているわけなので、今やこれを観て「変な音楽だ」とか「解かんない」とか言う人もいないでしょう。被災された方といわず、災害の状況をテレビで観て傷ついている方といわず、ブラック・ミュージックのファンだとかなんとかいわずに、音楽映画のファンだとかなんとかいわずに、すべての日本人に観ていただきたい。
 詳細な記録を見ていけば、どちらかというと斜陽の記録である傾向の強いこの作品ですけれども、やはり閉じ込められているそのパワーがすごい。これは確かフィルムを貸し出すので巡回上映していいという映画だと思うんですが、一回の上映でいくらかかるのかわかりませんけれども(笑)、私のポケットマネーでもし可能な程度のことであれば巡回してまわりたいくらいです。

 こういうとき、自分にできることは何かという問いを人々は発するわけで、私は一般の人がそういう言葉を発するのは仕方ないとして、音楽家は音楽を紹介すればいいわけで、それは有事であろうと平時であろうと変わらず、音楽家は音楽を演奏することが最大にして唯一の道だと思っています。僕は明日、富山で演奏しますが、富山のお客さんの前で演奏していても、日本全国に向けて演奏している。音楽というのは、他のメディアと違って、遍在性の強いメディアだと思うのです。その場所に集まった人だけが局在的にその音楽を聴いているわけではなく、日本全国で聴いている。震災だから演奏しているのではなく、演奏中のある種のトランス状態は、最初に演奏した時から、最後に演奏する時まで、まったく変わらぬ遍在としてあるのだというイメージで演奏してきたいと思ってます。
 そして、もし副次的なものがあったとしたら、こういうものを、これは音楽でなくて映画ですが、私一人の手でなくても紹介することができればいいと思います。直接的な治癒力がどのくらいあるのかはわかりませんが、この映画から得られる異様なパワーを、癒されると同時に上がっていくという異様なパワーを、巡回上映のかたちででも伝えられたらいいと思います。それは一つの高邁な計画だとしても。もちろん私は基本的には映画は映画館で観るもので、DVDは二次的なメディアだと思っていますが、アウトテイクスがたくさん入っていてお得なので、たくさんの方に観ていただきたいと思います。

JB
『ソウル・パワー』より、ジェームス・ブラウン

 監督も語っていますが、現在のアメリカの音楽は、残念ながらアフリカとのつながりをまったく持っていません。こうしてわれわれが震災に対して心を痛めている間にも、中東で革命が起こり続けていますが、北アフリカを、チュニジアを中心にして始まった21世紀型のブラックパワーの勃興が、音楽的に何を生むのかは甚だ疑問です。この映画は、政治的なものと音楽が深く結びついていた20世紀の記録とも言えますので、あらゆる意味で今、観るべき作品だと思います。
 また、ジェームス・ブラウン軸で観ても、充分に発見のある映画です。JBのライブ映像は山ほどあり、全盛期の姿を見るとやはりすごいのですが、この74年のJBが観られるという点もいいと思います。ちょっと体の切れが悪くなっていることも含めて。この時のJBが、女の人みたいな紫色のドレスだったり、チョーカーしたりしていて、ヒゲも生やして、ちょっとゲイ感覚というか、なんともいえないファッションで。まぁジェームス・ブラウンは、ゲイどころか大変な女好きということで知られていますけれども、そんな人がですね、GFOS(God Father of Soul)とラメで書かれた腹巻をしているという(笑)。単純に「JB笑っちゃうぜ」というレベルでもいいので、観るべき作品になっていると思います。

 総合的にとてもパワーがある、さっきも言ったように、たくさんの偶然の際(きわ)の所に生まれたもの特有の力を持っていて、カルトでかったるいとこもあるんだけど価値があるのではなくて、なにせ実質がありますから。映っているものの面白さと強さがある上に、カルトと言える作品なので、ぜひ観ていただきたいと思います。

(インタビュー・構成:駒井憲嗣)



菊地成孔 プロフィール 

1963年生まれ。音楽家、文筆家、音楽講師。85年にプロデビュー。デートコースペンタゴン・ロイヤルガーデン、SPANK HAPPY、菊地成孔ダブ・セクステット、菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールなどジャズとダンス・ミュージックの境界を越えて精力的な活動を続ける。
公式HP




▼『ソウル・パワー』予告編


■リリース情報

soulpower_dvd

『ソウル・パワー』
発売中

本編93分+豪華映像特典42分
¥3,990(税込)

監督:ジェフリー・レヴィ=ヒント
プロデューサー:デヴィッド・ソネンバーグ、レオン・ギャスト
原案:スチュワート・レヴァイン
音楽祭プロデューサー:ヒュー・マセケラ、スチュワート・レヴァイン
編集:デヴィッド・スミス
キャスト:ジェームス・ブラウン、ビル・ウィザース、B.B.キング、ザ・スピナーズ、セリア・クルース&ザ・ファニア・オール・スターズ、モハメド・アリ、ドン・キング、スチュワート・レヴァィン 他

アメリカ/2008年/カラー/ドルビーSRD/英語、フランス語 他/ULD-586
字幕:望月美実
字幕監修:中田亮
字幕翻訳協力:ヒルトン・ムニシ、南アフリカ大使館、上川大助

公式HP

★作品の購入はジャケット写真をクリックしてください。Amazonにリンクされています。


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