骰子の眼

books

東京都 中央区

2011-02-27 23:00


「失敗を踏まえたうえで共有すべき美しさとはなにかということを提示したい」菅付雅信『リバティーンズ』休刊を語る

昨年12月に発表された雑誌『リバティーンズ』の休刊。これまで数々の雑誌を手がけてき編集者・菅付雅信のもと、雑誌不況の渦中の2010年5月に創刊した『リバティーンズ』が、あえなく第4号で終了というニュースは相次ぐカルチャー・マガジンの終了のなかでもひときわ大きな波紋を投げかけた。webDICEでは、現在菅付氏が編集という仕事においてどのような価値観を持ち、どのような世界を築こうとしているのか、そして休刊をふまえた次へのビジョンについて聞いた。


カルチャー好きの人が前よりも雑誌を買わなくなってきている。

── 『リバティーンズ』のことなんですが、2010年9月発売の『編集進化論』(フィルムアート社)で「この雑誌不況の真っ只中に、創刊することさえ狂ってる」って書かれていますよね。確かに菅付さん狂ってる!と思いました。

でも4号で休刊ですから、完全に失敗ですね。

── 敗軍の将多くを語らずと思いますが、なぜ失敗したかお聞きしたいのですが。

ちゃんとしゃべりますよ。雑誌がやっぱり思ったほど売れないし、広告が入らない。

── でも『編集進化論』に書かれているように、太田出版と菅付さんの事務所と博報堂ケトルというところが入っていて、広告モデルやビジネスモデルはきちんと絵を描いてスタートしていると思ったのですが。

もちろんそうです。博報堂ケトルというのは博報堂の子会社で、博報堂が株を66パーセント、残りが東北新社が34パーセントになっています。

── それで広告が入ってくるというもくろみが当然あってスタートしているわけですよね。

ビジネスモデルでいうと、これは書籍コードで、太田出版のビジネスとしては、雑誌ではなくて書籍なんです。なので1号ごとに黒字化することは絶対命題だったんです。だから創刊号創刊時に黒字というとんでもない高い目標があったんです。それを死にものぐるいでやろうとして。書籍コードなので雑誌コードの雑誌よりは実際の売上げが見え難いんです。書籍コードは雑誌コードと違って、半年の販売委託期間があるし、どの書店もわりと長く置きたがるんですね。そこで創刊号を出した段階では、最初の書店調査と広告収入を見て、まぁトントンの見込みだった。実は創刊号でほぼトントンというのは今どき奇跡的なことなんですが。

── どれくらい刷ったんですか?

実数で15,000部刷りました。それを書籍として配本したんですけれど、書店には雑誌コーナーを置いてほしいという話をしたんです。もちろんそれを守る書店もあるし守らない書店もあるし、ケースバイケースです。

── 書籍と違って広告は入っていますよね。

広告は微々たるものです。というか、博報堂ケトルと組んではいるんですけれど、変な話そんなに入ることはあてにせず作ったんです。最低これだけ入ればやっていけるだろうと。

──博報堂ケトルのポジションというのは広告代理店としての役割だったんですか?

広告を集めることが主ではなく、ほんとうに編集部として一緒にやったんです。太田出版と菅付事務所と博報堂ケトルで一緒に組んで、作業もほぼ3等分に分けてやったんです。

── 代理店も編集作業にマンパワーをかけていたのですね。

もちろんかなりかけてもらっていました。それで創刊のときに電通とかADKとかほぼ主要代理店の雑誌局をぜんぶ挨拶をして説明会をやったんだけれど、他の代理店から見事にひとつも広告が入らなかった。

── それはその時点でもくろみが外れたということですか。

正直いってそうですね。その原因はふたつあると思います。やっぱり既存の雑誌ですらほぼどの雑誌も前年割れしているわけです。劇的に減ってるので。例えば博報堂の雑誌局も売上が落ちていたから。だから代理店の雑誌局自体が悲鳴を上げているなかで創刊したので、博報堂ケトルが一緒にやったからといったって、別に博報堂雑誌局も普段つきあってる雑誌をなんとかまかなうだけで悲鳴を上げている状態だから、「正直なんともできないよ」と。

── それは創刊時リサーチの上でわかってなかったのですか?

リサーチの上で出しているんだけど、僕の読みが甘かった。正直ここまで悪いかと。だから、創刊を考えているときは悪いだろうなと思って、実際営業してみると、考えている以上に悪かった。

── 菅付さんは、きちんとビジネスとして成立する雑誌作りを心がけてやってきた編集者であり、経営者タイプですよね。その菅付さんをもってしても、目論見がずれてしまったと。

そうですね。それはずれました。甘かったです。

webdice_libertines
雑誌『リバティーンズ』

── そこからの軌道修正は2号、3号とどうやっていったんですか?

だいたい創刊号ってそうだと思うんですけれど、ほんとうにマンパワーというか人間的な繋がりでかき集めて、1号より2号、2号より3号、3号より4号というように広告収入は少しずつ上がっていったんです。それでも目標にはまだ届かない。後は、創刊号は創刊号好きというのもいるので、まあまあ売れて話題になったんですけど、2号目、3号目と部数が落ちてきて、正直アジアン・ファッション特集の3号目の落ち込みがあったんです。それで、「ちょっとこれはまずいぞ」という話があり、「4号目の段階で黒(字)じゃなかったら、うちとしては体力的に難しい」と太田出版の上のほうからあって、4号目でぜったい黒字化するという命題があったんです。それを微妙に達成できなかった。

── それは書籍コードなので売上げは半年後じゃないと解らないんじゃないですか。

紀伊国屋書店のPOSデータをひとつの価値判断としたんです。全体の推移を推測して、目標値に達していないんじゃないかと。

── 広告は広告業界の、出稿する会社の落ち込みもあるけれど、雑誌はおもしろければ読者に届ける力はあるじゃないですか。どこに読者と、そして時代とのズレが結果的に生じたんだと思いますか?

今も検証中ですが、やっぱり、いわゆるカルチャー好きの人が前よりも雑誌を買わなくなってきていると思います。ウェブで十分ということになってきている。創刊号はtwitterの特集ということもあったので、書き手に意図的にブロガーとか、プロの書き手でもブログやtwitterをやっている人たちを選んだので、ブログやtwitterのなかではおおきなバズを生んだんだけれど、その大きなバズの割には、それほど売れないなというのが、見込みと違ったところです。

── ネット上で書いているアルファブロガーやツイッターをやっている人たちに原稿を依頼したわけですね。

そこでのバズ効果を雑誌に誘導しようとしたんです。バズははっきりと起きたけれど、もっと爆発的に売れるだろうと正直思っていた。

── それで4号目は皮肉なことに電子書籍特集ですよね。

そう、だから4号目は売れ行きが伸びたんですよ。「もしドラ」を書いている人に表紙を描いてもらって、そこでもバズは起きたんだけれど、4号目の太田出版から課せられたハードルがすごく高かったから微妙に目標に達しなかった。

── 今まだはっきりと検証できていないというお話でしたけれど、いわゆる原稿料を払っていない無料のつぶやきを坂本龍一さんでも誰でも全て自分でフォローすれば、毎日リアルタイムで読めるという時代じゃないですか。そこのなかで、紙のメディアでどういう編集という切り口で『リバティーンズ』をやろうとして、あるいは『リバティーンズ』の休刊が決まった後、自分のコンセプトを成し遂げていくとtwitterでつぶやかれていたと思うのですが、今の時代どういう切り口で編集というやり方を模索されているのですか?

『リバティーンズ』創刊のときに思ったのは、すごく大きなきっかけが、いろんなカルチャーマガジンが休刊して「これはほんとうにまずいな」とほんとうに思ったんです。『スタジオボイス』や『エスクァイア』、僕が創刊した『インビテーション』の休刊も決定的に大きいなと思っていて。女性誌のなかでもっともカルチャー度の高かった『マリ・クレール』とか、実質カルチャー誌だった『広告批評』の休刊はバカにならないと思うんです。どれだけ『スタジオボイス』や『広告批評』がある種時代を作ったとか、カルチャー・スターを作ったかは歴然としているわけじゃないですか。そういったものがなくなって、ウェブ化だけである種のカルチャー・アイコンやカルチャー・スターが生まれるかというと、生まれると思うし、既に生まれていると思うんだけれど、意味が違うと思うんです。
紙のカルチャー系のメディアはすごく大事だと思っていて、なぜかというと、触れないメディアって愛着心が持てないと思っているんです。そうじゃない人もいるけど、人間はほ乳類だから、原則的には触れるものしか愛情を示さない。愛情を感じる部位が触覚だから。動物においてはほぼ100%がそうで、人間は高等生物でメタ思考や形而上的な思考ができるから、触れなくても好きみたいなことを言えたりするんだけれど、それは相当高度なインテリジェントな行為だと。もしくは、好きになったら触りたい、所有したいんですね。だからどんどんメディアがデジタル化していって、触れないものになっているなかで、それに対してほんとうに愛着とか愛情って持てるのかなというと、持てるといえば持てるのかもしれないけれど、でもそれってかなり曖昧な感情だと思うんです。「触れないものを僕たちは愛しています」というのは。だからiPadでストックして見ればいいじゃん、というのもあるけれど、例えばiPadで村上春樹の本をすべてダウンロードしましたっていう人が、本当に村上春樹の読者かなというと、微妙な感じがするんですね。ビートルズを全曲ダウンロードしましたという人が本当にビートルズのファンかなという気はする。

── iPadは触れるので、iPadは愛することができる。

そう、デバイスは別ですよね。デバイスは触れるけど、コンテンツには触れないわけだから。

── その片方で、アニメとか二次元のものを、別に本じゃなくても、触れないものを愛してる人はいますよね。

だからよく言われるのは映画ファンやアニメファンはどうなのかというと、彼らくらい収集癖のある人たちはいないじゃないですか。だから、だいたい人は何かを愛していると収集するんです。

── でもその愛している収集は、デジタル・コンテンツにも通用する?

デジタルなんだけれど、ほんとうにビットで収集していることで満足できるのかなというのがあって。僕はそんなに満足できないような気がするんです。

── ということは、音楽とか映画といった作品を愛する人は、形のあるCDとかアナログ盤とかDVDは所有する?

そんなに好きじゃないものはビットでいいんだと思います。すごい好きなもの、個人的に思い入れのあるもの、もしくは自分にとっての記念品的なものは、形あるものとして所有していく。たぶんふたつになると思いますね。

webdice_editorial
菅付雅信編集作品集『編集天国』(ピエブックス 2009年)

クラブマガジン化、メンバーズマガジン化、ガジェット化、フリー化で雑誌は生き残る

── そこで雑誌というのは、どこのポジションに?

雑誌というのはもともとずっと曖昧なメディアだったんです。そこはいいと思うんだけれど、触って、所有できて、しかも捨てられるもの。旬であって保存できるもの。例えば「昔の『ヴォーグ』持ってます」「昔の『ブルータス』持ってます」みたいな人はけっこういる。もちろん買ってすぐ捨てる人もいっぱいいて、それでいいと思う。でも好きだったら保存すればいいわけで、好きな人は大事に保存していて、すごく価値がある。それは雑誌のすごくいいところだと思うんです。作っているほうも、基本的に捨ててもらって構わないと思っているわけだし、その曖昧さが雑誌の最大の魅力だと思っている。そして、雑誌は流行に愛着感を持たせることが出来る。フローの情報をストックし、フェティッシュに出来るんです。

── その両義的な雑誌が、どんどん休刊・廃刊していっているというのは、どう捉えていますか?

これは良いとか悪いとかでなく、メディア史の必然性上仕方がないと思う。しかもiPad雑誌なんてアメリカで一気に激減ですからね。

── そうすると、どんなことが今起きて、そのなかで菅付さんはまだ紙の触れるものに拘るのか、それともビットにシフトするのか、そのへんはどうなんですか?

それはこの前もある人たちの会合があって話してきたんだけれど、雑誌は4つの方向に入っていくと思う。ひとつはクラブマガジン化、メンバーズマガジン化。実際の会員制とまでは言い切れないかもしれないけれど、会員制に近い感覚のもの。例えば『家庭画報』ってずっとそうだと思う。あれはある種のクラブマガジンでしょ。高級なおばさん会員雑誌、すごく帰属性の強いもの。世界各国の『ヴォーグ』もそう。

── でもクレジットカード会社が発行する会員誌ではなく、自由意志で買うけれど、ある程度のクラスのための雑誌ということですか。

定期購読率が高くて、本屋から宅配で買うことが多い。それがひとつ。もうひとつはガジェット化。これは宝島社の雑誌にぜんぶ言えている。トートバッグやTシャツが付いている。雑貨に雑誌が付いている。これは別に宝島社だけじゃなくて、アジア全体の大きな傾向だから、中国や韓国でも付録付きの雑誌がすごく多い。発展途上先進国としてのひとつの在り方だと思う。その中の下層の中の人たちにおけるメディアの有用性としては、雑貨に情報が付いていればいいという。

── 雑貨というよりもブランド品を格安の価格で買える。

あとはフリー化。自分が制作に関わっている『メトロミニッツ』もそうなんですけれど、フリーマガジンはますます増えていくと思う。僕は『メトロミニッツ』とクリエイティブ・ディレクター契約をしているんですが、編集部はスターツ出版なので、僕はミーティングに行って企画を出したり、撮影に立ち会ったりしています。もうひとつは電子化ですよね。この4つ、もしくはこの4つの要素を組み合わせしながら生き残っていくんだと思います。

webdice_metro
東京メトロ駅構内で無料配布しているフリーマガジン『メトロミニッツ』

ネットと戦うんじゃなくて、共存・共営を目指す

── 『リバティーンズ』はそのなかの、クラスのところを狙おうとしたんですか?

もちろんその通りです。だから僕は、あれは新しい形のクラスマガジンにしようと思ったんです。

── どういうクラスを目指そうとしたんですか?『家庭画報』は生活に余裕を持つ人たちだけれど、『リバティーンズ』は菅付さんが描こうとした、届けようとしたクラスというのは?

だからある種の、日本の30代を軸にした知的階層ですよね。クリエイティヴ・クラスとでも言えばいいかな。それもいわゆる岩波書店的なものとは違う、音楽とか映画とかファッションとか、今目配せのある知的階層向けのクラスマガジンを作ろうとした。なので当然そんなに大部数じゃなくていいし、それなりの層はぜったいあると思うんだけれど、その層がやせ細ってることですね。間違いなく。それは思いました。

── それは、30代前後の知的好奇心のある層が非常に減ってるということ?

減っていることは間違いないですね。もしくはそういう人たちがあまり媒体にお金を払おうと思わない。その両方だと思います。

── 『リバティーンズ』という雑誌自体がインフルエンサーとかコントリビューターがいろいろなものを紹介する、というインターネット的なものをもう一度誌面に持ってくるやり方の編集だったと思います。例えば、コラムにタグの項目が印刷されていてもネットだとタグをクリックすれば関連キーワードが出てくるけれど、書籍ではそれはできない。そのインターネットの世界の編集のスキームをどういう風に紙に取り込もうとしていたんですか?

僕らはネットがあるという前提で紙のメディアを作らなければいけないじゃないですか。だからその中で、『リバティーンズ』の創刊のときに、よくネットとどう戦うかという質問をよくされることがあったんですけれど、戦うんじゃなくて、共存・共営を目指すしかないと思うんです。いかにうまく共存していくか。情報量に関しては圧倒的にネットが巨大なので、普段ネットを見ている人たちが、ネットと違う視点やネットと違う総合性とか深み、批評性を持つものとして『リバティーンズ』があればいいと思ったんです。

── その深みや批評性は編集によって作られていくものですよね。それは菅付さんなり編集部の力で『リバティーンズ』を一冊作るということで、それは結果的にマーケットがやせ細っているということもあるし、受け入れられなかったという結果になったということですか。

受け入れられなかったかどうかは解らないですけれど、ある種の人にとっては届いたと思ったんです。というのは創刊号はけっこう話題になったと思っていて、でもそれがすぐ壁にぶち当たった感じはあって。マーケティング用語でいうとすぐキャズム(溝)にぶつかったというか。キャズムを越えられなかったというのは思います。例えば映画でもそうだと思うんだけれど、話題になって評価もよくて、ここまでは入るんだけど、ムーブオーバーがなぜかいけないという映画があるじゃないですか。ああいうのに近いところにぶち当たった感じはありました。

── それは初版15,000部ということで、書籍でそれだけ売れたらぜんぜんいいじゃないですか。書籍コードだけれど雑誌のなりでやっていて、書籍と違って雑誌のほうがコストがかかりますよね。設定の数を5,000とかにしていたら、いわゆるクラスにはきちんと継続できたんじゃないですか。

部数が5,000部でやっていけるみたいな言い方だったらもちろんやっていけたのかもしれないけれど、ビジュアルなものは不可能ですよね。一流の写真家で写真を撮ったりするのは。

── そこは菅付さんは『コンポジット』から、ビジュアルについてはずっと『エスクァイア』などの海外のやり方を日本に取り入れてきたから。最終号もインターネットが生み出したアイコンの人たちをファッション・モデルにしましたよね。そのコストの問題と、ああいうビジュアルはクラスマガジンを作るうえで必要不可欠なもの?

だと僕は思っています。クラスマガジンにはテキストだけでなく、イメージの品質が伴わないと成り立たないのではと。それが正しいかは解らないですけれど。

webdice_tengoku
菅付雅信編集作品集『編集天国』(ピエブックス 2009年)より

簡単にはつぶれないような、大きいことをやりたい

── とにかくいろんなカルチャー系の雑誌が廃刊していくなかで、これじゃだめだと危機感を持って始めたけれど、その『リバティーンズ』が今休刊してしまう。じゃあ今の30代を中心とした知的好奇心のある層が減ってるだろうという実感、そういう今の状況で、かといってiPadに移行しているわけでもないし。

たぶんウェブですよね。ウェブの巨大な電脳空間に拡散している感じじゃないかな。

── 次の展開としてはどういう編集をしていくんですか?

そういう意味では自分としては、今回4号で休刊したことにすごく深い反省があるんです。やっぱり次のことを考えなきゃいけないと思っていて、去年の暮れからもう動き出しているんです。それは紙とウェブの両方でやりたいと思っています。

── 『リバティーンズ』はHPもありましたが、ほとんど紙の比率が大きかったですが、今回は?

能力的には紙が7、ウェブが3くらいかな。でも見た目的にはウェブのほうが見える、目立つ感じになるかもしれませんね。今は一緒にやろうという人たちを打合せをしていて、あるところにプレゼンテーションをして、そこから了解されればスタートしようかなと思っています。

── それは菅付さんがずっとやってきた、カルチャーを主体としたメディアを作るということですか。

カルチャー&ライフスタイル、もっとライフスタイル性の強いものになるかなと思っていますね。

── いま様々なライフスタイルがありますが、菅付さん自信も『エココロ』の編集にもかかわったこともあって、今次の時代メディアの編集長として菅付さんが読者に提案したいことはなんですか?

いちばんやりたいのは、僕だけじゃないと思いますけれど、美しさってなんだろうってクリエイターにとってすごく大事なことだと思うんです。例えば僕らはよく日常会話でも「これおいしいよね」「かっこいよね」と言うけれど、結局文化に関しては、古今東西最大の命題は「美しさとはなにか」ということだと思うんです。僕は編集における美しさとはなにかということを突き詰めて考えたい。だからこの2011年の東京に生きる編集者として、編集者として編集できる美しさを常に考えないといけないと思っている。つまり吉本隆明ではないですが、"編集にとって美とはなにか"ということですね。それに対するその都度の解答を本や雑誌やウェブで示していくのが僕の役割だと思っています。だから僕が今考えているのは、『リバティーンズ』の失敗を踏まえたうえでの、2011年以降に皆に提供すべき、そして共有すべき美しさとはなにかということを提示するものをやりたいと思っていて。『リバティーンズ』はあえてビジネスやメディアの規模を、ローバジェットでローリスク、ローリターンで、こういう時代にやっていける小さいことをやっていこうと思ったんです。でも小さすぎて簡単につぶれちゃった。だから今度は、簡単にはつぶれないような、大きいことをやろうと本気で思っています。ちょっとやそっとのことじゃつぶれないようなもの。それをすごく考えています。

── わかりました。最後に、今の日本を嘆くわけじゃないけれど、どう編集力で斬り込んでいくのか。美しいものというのは、ほんとうに価値観が多様化しているから、自分の美しいものと大きなメディアを持った菅付さんの考える美しいものとは違うよ、って平気でみんな言っちゃうじゃないですか。それで自分の感じた美しいものは自分のブログに写真を撮ってアップしたり、観たコンサートのことを書いて、わざわざ雑誌で紹介される必要がない。自分の価値観を記録するというのはインターネットのなかでもできるし、ツイッターでもつぶやける。あるいはお金を払わなくても有名人のコラムを読むように有名人をフォローすればいい。そういう時代に、美しいものを編集者として見つけるというのはすごく解るんですけれど、それを今度はどうビジネスとしてやっていこうと思っているんですか?

それは正解はないし、失敗はいっぱいありますけれど、やっぱり僕はプロっぽいことをしなきゃいけないと思っているんですよね。僕が考えるプロというのは、先進性と完成度があること。少なくともメディアにおいては一般人より先進的なことを高い完成度で届ける、それが僕の役割だと思っています。

── 一般の人は、マスメディアより自分のほうが感性が高いと思っていますよね。テレビのほうがぜんぜんかっこ悪いと思っているし、ほんとうにおしゃれなことはテレビではぜったい紹介されない。でも雑誌にはあったと思うんですよ。僕らも映画を紹介してもらっても、テレビや新聞は雑誌を読んで取材のネタを探したりする。だから雑誌って実は、一番最初に何かを紹介するメディアだと思うんだけれど、それが産地直送でクリエイターが直接ネットに上げたりコメントを出したりして、雑誌の編集が必要なく、読者がダイレクトに自分で編集していく。だからそこにプロの完成度というところの太刀打ちってできるんでしょうか?

どんどん難しくなっていくと思うんです。テレビも新聞もぜんぶ同じで、問題はいいネタとかいい人材にどんな人やどんなメディアがファーストハンドで触ってメディアで伝えるかということだと思うんです。例えばこの情報はどこがファーストハンドで伝えているのか、このスターやクリエイターはどのメディアで誰がつかまえて伝えているかがすごく大事。だからそれをプロフェッショナルの編集者やメディアのクリエイターがちゃんといい人材、いいネタをおいしく世の中に出していれば、大丈夫だと思うんです。最も旬な題材や人を、一流のライターや写真家やスタイリストで取材撮影して、旬な味付けで旬なメディアで出すということは、永遠になくならないプロの仕事だと思います。逆にそれをやらなかったら、プロの資格はないのではと。

── でも先見性のある編集者としては正しいけれど、つかまえた人が、次は産直でネットを使って発表しだしてしまう。すぐ自分でやっちゃう時代ですよね。

僕は料理と同じだと思うんです。いまはすごく情報がいっぱいあって、どこのお肉がいいとか、ここの養鶏所の卵がいいとか、育てた人まで解るわけですよね。そこから直接卵のパックを買おうと思えば買えちゃうんだけれど、でもどこかの話題の料理屋で料理してもらった○○さんの卵と○○さんの黒豚を使った料理は目茶苦茶おいしい、というのもある。だから僕らは家庭料理じゃなくてプロの厨房の料理を出していくしかないと思う。

── 例えばディナーで10,000円するフレンチのコースって、プロの腕を使っているけれど、食べる人はそんなにもう求めていないのではないですか。

いや、それはフレンチが全体的なイメージで損していると思う。実際においしいレストランはぜんぜん予約がとれないし、白金台のカンテサンスや池尻大橋のオギノとかまったく予約がとれないから。

── でもそれは結果マスじゃないですよね。

だから、すべての領域においてプロのすごい技を求めていく人は正直減っていくと思うんです。それは世の中の下層化が進んでいるから。そういう人たちは微妙な味はわからない。でも僕はそういう客じゃなくて、味に厳しい客をメインに向けて編集をやっているつもりなんです。

── 次の展開は大きい規模ということは、菅付さんの言う下層化が進んでいくところにプロフェッショナルの編集者が腕をふるうということは、今の仮説だと難しくないですか?

だから日本のマーケットだけで採算をとる考え方は捨てています。

── それならば勝算はちょっと感じます。

もっと早いうちにそう決断すべきだったなというのが最大の反省ですね。

── 日本から発信する、アジアに向けてのマーケットは大きくあると思います。

そういう方向をやるしかないかなと考えています。

(インタビュー・文:浅井隆、駒井憲嗣 構成:駒井憲嗣 写真:山川哲矢)



■菅付雅信 プロフィール

編集者。1964年生れ。元『コンポジット』『インビテーション』『エココロ』編集長、カルチャー・マガジン『リバティーンズ』共同編集長。出版からウェブ、広告、展覧会までを"編集"する。編集した本では『六本木ヒルズ×篠山紀信』、北村道子『衣裳術』、竹尾ペーパーショウの本『PAPER SHOW』、『東京R不動産2』など。フリーマガジン『メトロミニッツ』のクリエイティブ・ディレクターも努める。著書に『東京の編集』『編集天国』がある。マーク・ボスウィック写真集『Synthetic Voices』でNYADC賞銀賞受賞。
http://www.sugatsuke.com/

レビュー(0)


コメント(0)