“Future Weather”撮影風景(右がプロデューサーのクリスティン・フェアウェザーさん、真ん中が監督のジェニー・デラーさん)
今学期、ひょんなことからテンプル大学フィルム・メディア・アーツ学部で自主制作映画のファンドレイジング(資金集め)の授業を受け持つことになった。
私は90年代初頭以来ニューヨークのブルックリンに住んで、相棒の上杉幸三マックス(現在は次作の撮影もあって故郷の瀬戸内に住んで、現代アートを見に来る外国人観光客用の宿屋を頑張ってやっています)と地味に実験ドキュメンタリー映画を作ってきた。子育てもあったし生活も楽ではないし、ここ数年はニューヨーク近郊(一つはフィラデルフィア。近郊じゃないか…)の5つの大学をハシゴして毎学期複数の授業を教えながらどうにか暮らしを立てている状況で作品の数は少ない。今年夏から始めた上映シリーズ(宇野港芸術映画座)用も含めて、過去10年間で、資金集めにかけた時間と労力は私の生活の大きな部分を占める。2008年に完成した長編『円明院~ある95歳の女僧によれば』(2011年夏にポレポレ東中野で公開予定!)の時は、アメリカの公立または私立の財団や公共放送関連の団体から数年かけて約10万ドル(約1千万円)を集め、完成まで足掛け9年もかかってしまった。今もカレンダーとにらめっこしながら、来夏の宇野港芸術映画座のためのプロポーザルを書いては送っている。
つまり、資金集めに関しては素人なわけでもない。かと言って、自慢できるような資金集め歴があるわけでもない。でも周囲の自主制作仲間達を見回してもそんな感じであるから、まあ、そんな感じなのだろう、と。だったら私に教えられないことはないかとも思えた。しかも、昨年あたりから火のついているネットを使った新しい形の資金集めのことも方々から耳に入ってきており、その分野のエクスパートなんてまだかなり限られているはず。自分のためにも興味のある分野でもあった。 知っているフリなどせずに生徒と一緒に勉強しよう、という気持ちで引き受けた。
その他の今学期のメニューは同じテンプル大で日本映画史、マンハッタンのハンターカレッジでドキュメンタリー史/批評のコースを教えている。今回は、その3つの授業を飛び回り生徒や現場で働くインディー映画の制作者(監督、プロデューサー)と対話しながら、この数ヶ月にデジタルについて考えたつれづれを、アメリカの自主制作メディア事情に起こっている革命の渦の中からアナログにレポートする。
クラウド・ファンディングの代表選手の一つindie GoGo
インディーゴーゴー & キックスターター
まず、アメリカの自主制作アート資金集め界(これは確かに存在する)を大変賑わわせているのが、indieGoGo(インディーゴーゴー)とkickstarter(キックスターター)である。大統領選の時にオバマがネットを使って小額の寄付を一般大衆から募り選挙資金の足しにしたことを受けて、資金集めの仕方自体を民主化しようという動きが2年前から活発になった。その後もファイスブックやツイッターなどのソーシャルネットワークサイトはますます人々(特に若い層)の生活に入り込み、誰もが自分のコミュニティを築くのにやっきになっている。そこで、それを活用して大多数の小額出資でそれなりの資金を集める“crowd funding”というコンセプトが生まれた。 indieGoGo も kickstarter も、これまで起業家や自主メディアにとってのコンセプトであった D.I.Y.「ドゥ・イット・ユアセルフ」を、D.I.W.O(ドゥ・イット・ウィズ・アザーズ)に変えて行こう、これはよいと思える事業にそれぞれができる範囲で出資し、皆の力で実際にコトを起こして行こう、というのが基本理念だ。自分で何かを作りたい・やりたいという人々が、計画を文章やビデオを使って説明し、いつまでにいくら集めたいというゴールを設定して資金集めキャンペーンをかけるサイトである。
出資者(前者ではファンダー、後者ではバッカーと呼ばれる)は一般の個人ユーザーであり、前者ではクレジットカード・ペイパル・またはユーザーの銀行口座のチェックで支払いを行い、後者ではアマゾンのアカウントを通してカードで支払う。出資者は、お金を出すかわりに、制作者側が設定した報酬(それぞれリワードとパークスと呼び方が違う)を出資金額に従って選ぶことができる。他の共通の特徴として、5ドルや20ドルから1,000ドル以上まで出資額やそれに応じた報酬の選択肢が広いこと、報酬の内容がとてもクリエイティブでパーソナルなこと(ありがとうの電話や手作りディナーへの招待からプロデューサー・クレジットや初公開日に航空券付きでVIP席へご招待など)、それに文章やビデオで出資を募るトーンがあくまでカジュアルなこと、などがある。また、運営者が小額のフィーを出資額の中から受け取り、それでサイトの運営をしている点も同じであるが、額は多少異なる。
基本的な違いは、indieGoGoはチャリティから新事業、アート・プロジェクトまで誰でもいいアイデアさえあればページを作れ、目標額や期限日に関係なく出資金が引き渡されるのに対し、Kickstarterは映画・出版・絵画といったクリエイティブなプロジェクトのみ参加が許され、しかも期限日までに目標額に達成できないと、出資者のカードからお金はひかれず、すべては水に流れてしまう。当然運営側もお金をとらない。アートは生活をかけてやるもの、実現しそうなプロジェクトのみ生き残るという仕組みだ。
クラウド・ファンディングでリアルマネーが集まるのか?
今年春頃からドキュメンタリー映像作家の友人数人からindieGoGoで幾ら集まっただの、kickstarterの締め切り日があと数日と迫っているのでヘルプ!などの連絡をもらうようになり、ふーん、そういうものもあるのか、くらいに思っていた。夏に日本に帰省中、興味本位でKickstarterを覗いてみると、直接知り合いではないが過去にアジア系映画祭などの界隈で何度も名を見かけたことのあるロディー・ボガワ(Roddy Bogawa)という監督が3年越しで作っているというドキュメンタリープロジェクトが1ページ目にフィーチャーされていた。ピンクフロイドのレコードジャケットをデザインしていたストーム・ソーガスンについてのおもしろそうな作品だ。そのゴール達成済みの金額が2万ドルを超えており、映画制作への財団等からの助成金額と張っていたので、ちょっと驚いた。ロディーは、みんなありがとう、これで数ヶ月は腕のいい編集者を雇って自分と二人フルタイムで編集作業に当たれるので、来年春までには見せられる物が作れるだろう、と書いてあった。
ニューヨークに戻ると、ロディーと友達であるという知り合いがそのことを興奮して話しており、やはり話題になっているようだった。生徒たちにそれを紹介すると、「キックスターターは友達や家族からしかお金が集まらないから、きっともともと金持ちなんじゃないか」という疑問が出た。そこでロディーに連絡を取って尋ねてみると、80人の「バッカー」のうち半数は知らない人で、しかも3,500ドルレベルの高額出資者3名のうち2名は知らない人だったということだった。つまり、フェースブックなどのソーシャルネットワークサイトの「フレンズ」にまず声をかけるが、その「フレンズ」がそのまた「フレンズ」に声をかけ…という具合に広がっていった、ということである。もうあのつまらないお役所相手のカチカチ文章の申請書ばかり書かなくても、顔の見えない選考委員が選んでくれることを祈りつつ悶々と数ヶ月を過ごさなくても、即時に結果が見え、出資者の顔が見え、そして何より同時に自分の作品に興味を持ってくれるオーディエンスと資金集めしながらにつながれるのである。これは、すごいことだ。
もう一つの代表選手Kickstarterのロディー・ボガワのプロジェクトのページ。2万ドル以上集めた功績はまぶしい。
ところで、デジタル時代の資金集め戦略を考える前に、ちょっと長くなるが、戦後から今までのアメリカの自主制作映画制作と支援状況について大まかに把握しておく必要があるように思う。何をしてインディー映画と呼ぶかは議論の別れるところだが、ここではハリウッド及びそこから発展したメインストリーム・メディアの外で製作されたものと定義しておく。
インディー映画-フィクション界隈の支援事情
戦争は撮影・録音技術を発展させるというが、第二次大戦中には16ミリ軽量カメラ、録音技術、暗くても映せるフィルムなどが開発され、平和が戻ると、世界各地の若手監督達がそれらを我れ先に取り入れ、スタジオの外の世界、一般大衆の生活の中に体ごと飛び込んで、生きた映像を撮り始める。そうした流れが、イタリアのネオリアリズム、イギリスのフリーシネマ、フランスのヌーベルバーグと呼ばれている。しかしアメリカにはハリウッドがあり、ジョン・カサヴァテス、デビッド・リンチ、ジョン・ウォーターズといった例外を除いては70年までは概してハリウッドのスタジオが若い監督(ウォーレン・ベイティ、デニス・ホッパー、コッポラ、ルーカス、スコセッシなど)を取り込む形で50年代後半の低迷(ヌーベルバーグや日本映画の台頭により)から再発展しており、それらは本当の意味でインディー映画とは言えない。
70年代にサンダンス映画祭の前身がロバート・レッドフォードとユタの地方自治体によって作られ、カリフォルニアにIFP(インディペンデント・フィーチャー・プロジェクト、現在のフィルム・インディペンデント)という支援団体も生まれ、インディペンデント・スピリット賞が開設され、80年台からそれらが花開いてジム・ジャームッシュ、スティーブン・ソダーバーグ、スパイク・リーが登場、そして90年代初頭にはロバート・ロドリゲス、ケビン・スミスなどの出現でインディー映画はモーメンタムを迎える。
インディー専門ケーブルチャンネル(IFC)も登場。99年の『ブレアウィッチ・プロジェクト』で低予算のビデオによるインディー映画(DVムービー)が受け入れられ、その後はHDやレッドカメラも登場して加速的にインディー映画が台頭、ネットを使ったホームビデオ配給システム(ネットフリックス)やストリーミング・ビデオの配給(オン・デマンドなど)も進み、映画祭の数も激増、現在では制作、配給両面でハリウッド内外でインディー映画産業が確立している。
非営利の支援システムとしてはサンダンス・インスティテュートやIFPのフィルムマーケット(ほぼできた作品や制作途中の作品を上映し、配給会社や完成資金提供者を募るマーケット)やプロジェクト・フォーラム(脚本ができた時点で配給会社やプロダクション会社とロテーション制のミーティングセッションを行い、制作/配給の可能性を拡げる会合)、またプロデューサーや監督のためのブートキャンプ合宿やメンター制度なども行われている。NYにはフィルムフォーラム、アンジェリカ・フィルムセンター、BAM(ブルックリン・アカデミー・オブ・ミュージック)といったアートハウス系劇場もたくさんあり、フィクションとドキュメンタリー両方を上映する。
インディー映画-アヴァンギャルド/実験映画界隈の支援事情
20~30年代はアメリカが社会主義化した時代であり、それまでに存在した実験映画グループやシネクラブは共産党系の団体だったりルーズベルトのニューディール政策のメディア部門に組み込まれたりしていた。また戦争中はハリウッドもディズニーも国を挙げてのプロパガンダ一色の時代だった。アートとしてのアメリカのアヴァンギャルドが活発化したのは第2次大戦後であるが、それはマヤ・デレン(NY)やケネス・アンガー(LA)が戦争中に秀作品を次々に作っており、準備万端で戦争が終わるのを待っていたためのように私には思われる。
特にマヤ・デレンは戦後になるとすぐさま自分の短編をカップリングし自ら劇場と交渉してアメリカ中で興行/レクチャーしたり、自分のアパートで若い映画人を集めて上映会をやったり、インディー映画の必要性を主張する映画理論を本や雑誌で発表したり、時代を遥かに先行していた人物で、それに刺激されて多くの若者が映画を作り始め、またNYにはシネマ16というインディー映画やドキュメンタリーのための最初の映画館も現れた。50年代ピーク時には7000年人の顧客を抱えていたという。
マヤ・デレンは若くして他界するが、60年代にはマヤの弟分のスタン・ブラケッジやジョナス・メカスなどが活躍、アンディ・ウォーホール、ニコ、ヨーコ・オノなどのアーティスト達と密接に関わりながらニューヨークのアヴァンギャルド映画の黄金期を作り上げた。NYのカルチャー新聞ビレッジボイスに長年続いていたメカスの“ムービー・ジャーナル”のコラムはもう終わってしまったけれど、そのころに作られたアンソロジー・フィルム・アーカイブ(実験映画専門の名画座/映画館, メカスが設立)やNYフィルムメーカーズ・コーポラティブ(実験映画人達の共同配給団体、メカス、ブラケッジ、シャーリー・クラークなどが設立)などは今だ健在で、それらをベースにして今でも沢山の実験映画制作者たちがNYに集まり活動している。もともと売れないだろうと思って作品を創っている彼らは、仕事を持ちながら、または後述の財団支援で制作を続けるケースが多い。
インディー映画-ドキュメンタリー界隈の支援事情
ドキュメンタリーもまた、自主制作ものは戦後に発展した。 ヌーベルバーグなどのフィクション界の一連の動きとシンクロしながら、1960年にはフランスとアメリカで自主制作ドキュメンタリー制作者たちがワイヤレス同時録音技術を自分たちで開発し、同時多発的にシネマ・ヴェリテ運動が起こる(“シネマ・ヴェリテ”-20年代ロシアのジガ・ヴェルトフのニューズリール・グループ「キノ・プラヴダ」のフランス語訳、意味は真実のシネマ。技術的には同時発生的だがその内容、意味合いは米仏ではだいぶ違っていた。またヴェリテ以前の50年代には、カナダやフランスですでにワイドアングルレンズ付きのカメラで一人のカメラマンが体当たり撮影する手法が始まっていた)。
また50年台にテレビが一般普及し始めて間もなく、現在の公共放送PBS(パブリック・ブロードキャスティング・サービス)の前身団体が登場、連邦政府の助成を受けながらもあくまで非営利の第3セクター団体として、ハリウッドとメディア大企業の作るメディアとは異なるより教育的で一般大衆のタメになるメディア製作が開始される。50年代アメリカはマッカーサー時代の赤狩りの時代、その後60-70年代はベトナム戦争、公民権運動、マイノリティー運動と激動の時代、また70年代にはビデオフォーマットが登場、それまでは“撮られる側”でお金や力のなかったマイノリティ制作者や女性達も70-80年台には作品を創れるようになる。
億万長者や大企業がチャリティーへの寄付で税金対策するための財団はもっと古くからあったが、50年代の非営利法の改定を受けて60年代半ばまでに非営利団体が急増、人のため世のためになる団体が沢山出現する。それらの変化に呼応する形でドキュメンタリー制作及び支援の状況も、被写体・撮影者・フォーマットに変化を見せながら急速に発展して行く。60年台には芸術活動を応援する様々な州で、州内の非営利芸術団体(またそれを通して非営利で作品制作する個人アーティスト)への独立支援組織が州政府の助成により整備され始める。1965年には連邦政府による芸術や人文系の様々な非営利活動を助成する基金(NEA&NEH)が設立される。また、ロッカフェラーなど大手の非営利団体も、メディアプロジェクト支援を開始する。
こうして60-80年代にかけて、多くのドキュメンタリー秀作品がインディー監督により制作された。その後も、エコノミーの善し悪しで助成額が増減しながら、ドキュメンタリー・ファンディングと言えば州・連邦政府や公立私立の財団からのグラント、という構図が確立した。そうして作られた作品の多くは主に公共放送で流されたり、大学等の教育関連の配給へと流れ、そのための非営利の配給会社も全米に多く現れた。7~80年代はそれだけで生活できている監督達も結構いたようだが、90年台になるとネコもシャクシもドキュメンタリー作家の時代になり、同じ出元を狙って助成金でやっていくのはどんどん苦しくなってくる。
もとフルタイム制作者だった人達は、全米の大学に散らばり、過去の栄誉で教授職を得ている人達が多い。デジタル革命で制作費がさらに低くなり、また2000年台に『華氏911』『スーパーサイズ・ミー』『不都合な真実』でドキュメンタリーがルネサンスを迎え、映画学校ではドキュ作家志望者の数が急増、各都市でドキュメンタリー学科が多く新設される。サンダンス、トライベッカ、また世界の大映画祭でもドキュメンタリー部門が新設・拡張され、ドキュメンタリーへの新たな資金援助プログラムも創設されている。ドキュメンタリーが一般劇場公開されコマーシャルなDVD配給網に乗るケースも今では珍しくない。
それでもやはり、ドキュメンタリーの場合、大手の配給会社から“アドバンス”と呼ばれるまとまった額(権利を売った代償)を受けとるケースは限られており(最近はインディー系フィクション映画の世界でもかなりアドバンスは減額されているそうだ)、支援状況はどう変わっているかと言うと、正直、制作者の急増には対応できていない現実が見える。ここ10年ですっかりおしゃれになってしまったブルックリンの人気地区のカフェなどでは、それこそ石を投げれば当たるほどドキュ作家が溢れている気がする。また、苦労して資金を集めて作れても、そのお金はすべて制作に使ってしまうため、できた後の配給でどうやって足が出た分をリクープしたり、自主制作映像作家として身を立てていくか、というのは非常に大きな壁である。いい作品を作り、光の当たらない人々に光をあて、世に知らしめ、その後フィルムメーカーは次の作品のプロポーザルを書きながら、生活苦でキューキューとするのである…。
非営利/営利、ドキュメンタリー/フィクションと一見混じり合わないように思われる分野が、この3~40年で細分化しつつ混じり合い、そしてここへ来てデジタル革命によって、複雑な自主制作映画支援環境のタペストリーを作り上げている。
資金集めのクラス、テンプル大学(ゲストのクリスティン・フェアウェザーさんと一緒に)
そしてその中で繰り広げられる資金集めのクラス
さて、そういったメディア環境の中で映像アートを学ぶ私の「資金集め」のクラスの14名の内訳は、4名が院生、8名が学部部生、1学期(3ヶ月半)を通して自分のプロジェクトのための資金集め戦略を練り、書類、ウェブ、過去作品見本などを整備し、インディー作家として生き残って行く術を学ぶ。コースに参加する条件は、絶対に作ってやる、というプロジェクトがあること。初回2度の授業でどれほど競争は激しく生活は辛く実は孤独な日々であることを強調しても、それでもやりたいというのだから仕方がない。そうして集まった彼らが各々持ち寄った実現したいプロジェクトは、フィクション長編4本、フィクション短編2本、ドキュメンタリー長編3本、ドキュメンタリー短編2本、インスタレーション1作品、クラスの半数がフィクション(うち学部生2名はプロデューサー志望)、半数がドキュメンタリー、インスタレーション1名。ハリウッドへつながる道としてインディー映画を作りたいという生徒、自分のおばあさんの死をめぐる謎の殺人事件を追って母親の長年の苦しみに何らかの結論を見いだしてあげたいという生徒、自分たちの世代まるごとを映画にしたいという独立精神旺盛で感性豊かな生徒、労働問題に体当たりしビデオで社会を変えたいという生徒等、目的も様々だ。
私は財団等の資金集めはやってきているからプロポーザルの書き方はわりに自信を持って教えられる。ファウンデーション・センターという非営利の資金集め界のデータベースを管理する団体を皆で訪ね、そこのコンピューターを使って各々のプロジェクトに適したグラントを探し当てる方法を学ぶ。プロポーザルの必須項目、アーティストとしての履歴書の書き方などを、クラスの皆でお互いの書類をプロジェクターで映写して批評し合いながら、それぞれが卒業後に必要になる書類を着々と用意して行く。 卒業したら皆ライバルになる。でも今は皆家族だ。恥ずかしがらずに自分のこれまでやってきたこと、自分のぶつけたいことを素直に表現できるように、自分と自分の作品を最も良く見せ理解してもらえる方法を皆でアドバイスし合い、見つけて行く。
アメリカ原住民のことを撮りたいという白人の女の子には、ナバホ族の男性と結婚して現在北海道で暮らしている私の従姉を紹介し、誰のために何にために撮りたいのかを何度でも尋ねた。皆、個性はそれぞれかなり強いけれど、芯は素直だ。非営利財団のグラントは特殊な社会問題を支援するものが多いため、フィクション映画への支援は受けにくいが、最近はドキュメンタリーが商業化され、リアリティTVやモッキュメンタリーなどの台頭により形態的にも二つのジャンルの壁が薄くなるにつれそれも変わってきている。しかし不況で減額・凍結しているグラントも多い。
他の道は、企業や商店スポンサーや個人投資家などである。申請書の必須項目は、宛先が財団でも企業スポンサーでも個人投資家でも似通ったものが多いが、彼らの目的は大きく異なる。 財団にはそれぞれの目的があり、PRのために支援する企業はどんなオーディエンスに届くかが一番の興味であり、投資家は内容がよくてもビジネスとして成立しなければ乗ってこない。それぞれのプロジェクトにはどんな資金集めが合っているかを皆で模索する。私の未経験な部分をカバーするため、学長と話し合ってゲストを招く予算を増やしてもらえたので、予算内でやりくりしてメディア支援団体のスタッフ、エンターテイメント専門の弁護士、メジャーな映画祭で受賞経験のあるドキュメンタリー作家、長年かけてハイブリッドな方法で資金を集めて処女作の長編フィクション映画をもうすぐリリースするプロデューサーなど、色んな人をクラスに招待した。これから学期末まではあと2回を残すのみだが、インディー映画を数本手がけているプロデューサーをもう一人、予算とスケジュールの都合で、スカイプでのクラスビジットを予定している。いつも制作者仲間と言えば監督またはプロデュースも自分でやってきた映像作家が多いので、私にとってもプロデューサーとのトークは刺激的だった。
ゲストで来てくれたリンダ監督
ゲストの生の声① ドキュ映画監督/共同プロデューサーのリンダ・ハッテンドーフさん
ドキュメンタリー監督/共同プロデューサーのリンダ・ハッテンドーフさん(Linda Hattendorf、『ミリキタニの猫』)の場合、普段は自らがプロの編集者であるため、自分が撮りためていた映像を自分で編集するつもりだった。しかし、ことの成り行きで自分もドキュメンタリーの登場人物の一人となる状況になったため、自分では編集しない方がいいだろうと考え、資金集めをしてもう一人、ドキュメンタリーからハリウッド映画まで幅広い経験を持つ出口景子さんを共同編集者として迎えた。どういうことかというと、日系人のホームレス画家ジミー・ミリキタニを主人公にしてアーティストと街の四季のミニ作品を撮っていたが、9.11.の晩に粉塵の中でたった一人、ソーホー地区のストリートに残り咳き込んでいる彼を放っておけず、監督はジミーを自宅に連れてくる。それをきっかけに若いアメリカ人女性監督と年配の日系人アーティスト、ジミーのユーモラスで切ない共同生活が始まる。そのうち、ジミーの日系人強制収容所での体験や広島で家族を失った過去が徐々に明らかになり…愛と友情の奇跡の物語である。
日本生まれのプロデューサー、マサ・ヨシカワと共に、アジア系アメリカ人のメディアを支援する公共放送関連団体(CAAM)、NY州の芸術基金(NYSCA)、インディー映画を支援する公共放送関連団体(ITVS)から資金を集め、あらゆる場面でチームとして一緒に作品を作った。また彼がいたために、『ミリキタニ』の日本での劇場公開が成功したという。その後国際交流基金からも助成が決まり、お金が入ればケイコさんに数ヶ月また来てもらって一緒に編集し、少人数の観客に見せてフィードバックをもらい少しずつよくして行く、という自転車操業のプロセスを経て、5年かけて完成した。プレミア上映となったトライベッカ映画祭で驚きの観客賞を受賞(ドキュメンタリーが取るとは珍しい)、その後数えきれないほどの映画祭に招待され、世界中を旅したという。ある映画祭で出会ったある人が35ミリのプリント(もとは3ccdのセミプロ用小型デジタルカムコーダーで撮影)を作る資金を寄付してくれ(!)、日本やドイツ、スカンジナビアでも公開された。内容、構成的にすばらしい作品である。
資金的に見た場合、どうだろうか。これは公立助成金及び公共放送関連団体との契約(放映料と引き換えに制作費を出してもらう)で作られた例であるが、テレビ放映用と同時にそれより少し長い尺のものを作って劇場公開している。劇場公開は非常にうまく行った例であるように思える。マックスの宿屋に泊まった客がヨーロッパで見たと絶賛していたし、東京に住む私の両親も結婚以来初めて(?)の映画デートに見たのがこの作品で行ってよかったととても喜んでいた。しかし、公開には宣伝費など多額なお金がかかり、自主制作の自主劇場公開でお金を儲けたと言う話はあまり聞かないのが現実である。現在DVD配給でリクープしているといいな、と願う。
『ミリキタニの猫』主人公、ジミー・ミリキタニさん
ゲストの生の声② 芸能関係の弁護士のジャスティン・ワインバーグさん
エンターテインメントの弁護士のジャスティン・ワインバーグ(Justin Wineburgh)さんは、普段はハリウッド映画の契約を扱う超多忙な人物だが、Volunteer Lawyer for the Arts という市民の芸術活動を支援する弁護士の非営利団体に属していて、プロボノと呼ばれる社会貢献のための慈善事業として時々時間をさいて非営利のアート団体や大学にボランティアで講義に来たり、格安で契約や会社設立業務を手伝ってくれる。
彼が私の授業にゲストとして来てくれた時には、フィクション映画の生徒たちからさかんに質問が出た。幼なじみの体験をもとに映画を作ろうと、文才のある友人に脚本を書いてもらって制作を準備しているプロデューサー志望の生徒がいるが、なんとその脚本担当の友人のおじさんから2ミリオン(約2,000万円)の出資が約束されているとの話で、監督も雇う予定だという。その場合、どのような契約書を脚本家や監督と交わすべきか。また、長編フィクションの脚本を友人と書いてすでに撮影を進めている生徒が、仲のいいバンドに楽曲を提供してもらったが、万が一映画が売れた場合、お金のことでトラブルになるのはいやなので、今のうちにどのような契約をバンドメンバーと交わしておくべきか、など。
ゲストで来てくれたプロデューサーのクリスティンさん
ゲストの生の声③ どこまでもエコな映画をもうすぐリリース予定のプロデューサー、クリスティン・フェアウェザーさん
始めての長編フィクション映画”Future Weather”(邦題はまだ未定だと思うが、『未来の天気』または『未来気候』?)を監督/脚本のジェニー・デラー(Jenny Deller)さんとチームで4年かけて仕上げているプロデューサーのクリスティン・フェアウェザーさん(Kristin Fairweather 名前もエコ)も、スケジュールを縫ってゲストとして来てくれた。自主制作ながら、先生役にリリ・テイラー(『シックス・フィート・アンダー』、『身代金』)、祖母役にエイミー・マディガン(『ロウ・アンド・オーダー』、『フィールド・オブ・ドリームス』)と大女優を配役している。しかし主人公は13歳の女の子、ラデュリー(ペリア・ハニージャーディン)、母親と二人でフィラデルフィア郊外で貧しいトレーラーハウス生活を送っている。
彼女のプロジェクトは、学校の周りのゴミ拾いやトレーラーのそばの空き地で種から育てた木々の成長を観察して地球温暖化を食い止めること。が、ある日母親がメモと50ドル札を置いて夢を追って出て行ってしまう。自活を決心するがおばあさんに感づかれ、母が育った町の小さな生家に引き取られる。しかし町で木を育てることはできず、やむなくプロジェクトをあきらめる。おばあさんはボーイフレンドとの新生活を夢見るがそれもうまく行かず、3世代の女性の微妙な家族関係の中、ラデュリーは地球の未来に心を痛めながら、新たな友人を見つけ、自分を見つけて行く…。制作過程もすべてエコを心がけ、「省エネ、ガス減、エコ製品、できるだけローカル」をモットーに、低予算でも許す限り地元の業者と提携し、撮影のセットもなるべくリサイクルや環境に優しい製品、ケータリングはなるべく地元の有機栽培系業者からと徹底して行った。
クリスティンさんのクラスでのトークの様子
こうやっても映画が作れることをアピールしたかったそうだ(ハリウッドみたいに無駄に大きな映画予算がなくても)。資金集め戦略はグラント、脚本コンクール、企業、個人投資家と様々な分野で苦労してやったようだ。エコTシャツまで売り出している。どんなに先が見えないときでも2人で毎週カフェで会って、資金集めの新しいアイデアを出しあい、どうやったら投資してくれそうな人達に知ってもらえるかを考え行動に移し、決してあきらめなかったという。まずは脚本コンクールで入選して少しずつ注目を集め、いい役者を探した。長編の“連れ”作品として短編を作り、昨年ネットフリックスというDVD通信レンタル大会社のコンテストに応募、受賞は逃したものの最終選考に残り注目を集めた(後にリンクあり)。
その後、フィルム・インディペンデンツ主催の脚本家キャンプとプロデューサー・キャンプにそれぞれが参加、ネットワークを拡げた。そして今年春に超競争率の高いトライベッカ・インスティテュートのスローン・グラントを獲得。3度目の正直だったという。
『最初はこのガールズにできるのかという感じで相手にされなかったんだと思うけど、 毎年応募して、その度に他の団体や企業から少しずつ資金を集めて、プロジェクトが先に進んでいることを見てもらえたから、最後には完成した作品を見たいと思ってもらえたんだと思う』とクリスティンは生徒たちに話した。100万ドルを目指して資金集めしてきて、現在編集最終段階で今まで集まった分はほとんど使っていると思うが、まだ目標額には達しておらず資金が少し足りないそうだ。でも、ハリウッドの映画にまるで見劣りしないきれいな映像である。この日のトークは生徒たちのプロポーザルを一人ずつ批評する個人面談の後に行われたのだが、彼女は2児の母でもあり忙しいのに生徒全員の書類に事前に目を通し、私と一緒に座って批評してくれた。感謝である。日本でも上映されることを期待する。
クリンスティンとジェニー、ロスアンジェルス映画祭で開かれたフィルムマーケット『ファストトラック』に参加して作品を売り込む
ウェブ・ポートフォリオ
さて、こうしてすばらしいゲストに恵まれた学期であったが、ゲストの話に頼るばかりでなく自分たちでも色んな発見があった。まずは今どきのアーティストになくてはならないウェブ・ポートフォリオ。自分のことを知ってもらうサイトである。生徒はお金がないから、ドメインネームを登録して毎月お金を払うことはまず考えない。無料でサイトを作るならばwordpressかbloggerが有名であるが(アメリカは特にwordpressが人気なようである)、最近はその他のプログラムでもテンプレートで誰でも簡単にサイトが作れる。
私はウェブは相棒のマックスにこれまで任せきりでどうしようかと思いながら勉強し、tumblrのテンプレートでyoutubeやvimeoから動画をはめ込める映像作家に適したテンプレートを探して生徒たちに紹介したが、あっさり一人の生徒がもっと使いでのいいテンプレート満載のweebly.comを発見、紹介してくれたため、クラスの多くがそれで自分のサイトを作り、weebly ファミリーとなって皆で笑った(生徒のサイト、後に幾つか紹介)。
生徒のキムのポートフォリオ
その他デジタルに起こっているいろいろ
また、サンダンスやIFPを組織している人達は多分おじさん・おばさん(って、私と同じ年代くらいか…)なのだろうけれど、映画を消費する層は若い。ソーシャルネットワークを活用し口コミで拡げて行く戦略を持っていないとダメ、というのが非営利・営利を超えた業界のコンセンサスなようである。ネットで資金を集めたり配給する新たな展開としては、前述のindieGoGoやkickstarterの他に、幾つか新しいユニークな動きがあることもここ数ヶ月で学んだ。
まずは自分も是非使ってみたいのが、クラウド・コントロールズ。インディー・バンドや自主映画のウェブサイトに埋め込めるプログラムで、facebookなどのソーシャルネットワークサイトを通じて宣伝し、バンドや映画がもし自分の町に来たらライブや上映会に行く!と思う人達に自分のメルアドと郵便番号を打ち込んでもらう。バンドメンバーや映画制作者はそのリストを持って、ライブハウスや劇場のオーナーと交渉し、色んな町で演奏や上映ができる、とうプログラム。これはすごい。また、従来のグラントが枯渇しつつある中、ドキュメンタリーで“本当に”社会を変えようという新しい動きが始まっている。イギリスで始まったGood Pitch(グッド・ピッチ)は社会問題を扱う大手の非営利団体(グリンピースなど)やドキュメンタリー支援団体、財団、慈善事業家、メディアなどを観客として大ホールに招待し、社会派の映画プロジェクト8つを選んでピッチしてもらい、資金集めの仲人になろうという企画。
大変な反響で、ここ数年アメリカの映画祭にも遠征して仲人業務を行っている。また、オンラインで仲人業務をしてくれる素晴らしい団体も現れている( http://www.impactpartnersfilm.com/ )。トライベッカ(グッチ・ドキュメンタリー・ファンド)やフレッジリング・ファンドといった新しいドキュメンタリーへのグラントも、社会問題をテーマにしたもの、というのを大きく掲げている。配給の世界でも変革が起こっている。インディー映画の配給といえばこれまでオルタナティブな教育関連に強い配給会社か大手に買ってもらうなどしかなかったが、自主配給するインディー監督/プロデューサーが増えてくるにつれ、配給というものがいかに時間と労力のかかる作業であるかもわかってきた。そこでインディー映画を数都市に限って劇場公開しDVDセールスにつなげる手伝いをするブックング・エージェント/配給会社も色々現れていることもわかった。これにも、ソーシャルネットワークが大活躍する。
と、色々私が調べものをしては生徒たちにお伝えしている間にも、生徒の一人はKickstarterのキャンペーンをかけ、自分のプロデュースしている友人の作品に1,000ドル(現在の換算だと8万5千円くらい)を数週間で軽々集めた。やる者勝ちである。私もfacebookの友達を増やしておかなければ…。とは言っても、複数のゲストが共通に言っていたことで、心に残ったことがある。企業からお金を集めるにせよ、グラントに応募するにせよ、支援というのは結局人と人とのつながりで、そのつなぎ目になるのは作品そのもの。最後は作品に帰ってくる。これが人生だと思って、自分以外にいいと言ってくれる人がいなくってもふんばる。これは語られなくてはならない、という制作者の情熱と作品の質がコミュニティを作って行く。
ミラー・マクーン誌主催のソーシャルネットワークやデジタル・ガジェットについての討論会
ソーシャル・ネットワーク・サイト活用の諸問題-問題、なのか?
ソーシャルネットワークサイト現象に関して、もう一つ面白いイベントに参加したのでついでにリポートしておく。11月初旬、仕事に行く前の朝8時、グランドセントラル駅すぐ近く、パークアベニューのビジネス・ビル内の広々としたイベントスペース“クラブ101”に、結構な数のおじさん・おばさん(自分もだって)が集まり、ソーシャルネットワーク現象について話し合っている。ミラー・マクーン誌(ジャーナリズムの雑誌)主催の「リアルを求めてーオンラインの世界のオフラインの価値観」と題した座談会。
ゲストはニューヨーク大学やコロンビア大学の教授、ジャーナリストなど。入場無料、ゴージャスな朝ご飯付き。私の勤めるハンターカレッジからのお知らせでいったのだが、ジーンズ姿は私一人。誰なんだろう、こういう会に来るのは…ディベートといっても、各ゲストがそれぞれの見解を話し、最後に質疑応答、という形態。ゲストの見解はソーシャルネットワークは子供をコンピューターにしがみつかせ、統計的に害ばかりだ、という心配派、大人である自分も朝起きたらすぐにブラックベリーをチェックし何を求めてるのかわからないのだから子供にどういっていいいかもわからない、という迷い派、ソーシャルネットワークは皆を結びつかせ実際に社会的にいいことを起こさせるすごい力だ、それにソーシャルネットワークで活発な人は実際のオフラインの世界でも社交的で違う価値観の人達と交わることが多いという推進派、その中間をとるバランス派、と分かれていた。
結論としては、現在の状況は混沌としていながらも前代未聞のすごいルネサンス期にいることだけは確か、自分たちは生まれたのが少し早くてアンラッキー、これからの子供達はものすごい情報をキャッチしながら毎日暮らし思考回路も脳の情報蓄積量も発達した新人類になるのだろうか、白黒、善し悪しと決めてしまうのはまだ早い、今は過渡期だ、グレーにも色んな濃淡がある、今のデジタル状況は例えて言えば1912年のラジオ、1950年のテレビ、または1996年のインターネット、これからすごいことも恐いことも両方起きるぞ、というようなことだった。子供達への影響が大きな論点の一つだったが、当の子供達は学校へ行っているのか、一人もゲストにいないのが何だか不自然に感じられた。大学生くらい呼べばいいのに、と思った。
その日はその後、2時間高速バスに揺られ、フィラデルフィアのテンプル大で日本映画の授業だった。その日に見た映画は森田芳光の『家族ゲーム』。80年代の東京にちょうど高校大学時代で、バリバリ家庭教師していた私にとっては、当時の東京のリアル感のない家族や受験の現実が強調された作風が大変リアルに感じられる作品であるが、2010年に生きるアメリカの若者達は映画は気に入ったがリアルに感じられるはずがない。そこで何が今リアルに感じられることか、というディスカッションに発展し、クラスの中で一番年少(18か19歳)の男子学生が言った言葉はなんと「『ソーシャル・ネットワーク』(facebookの創始者を題材にした映画)を見た。めちゃくちゃリアルだった。これが僕らの時代だ、って本当に思えた」。
私の104歳のおばあちゃんは何をリアルに感じて生きているんだろう、うちの両親は…と初めて考えた。現実感の違う世代がごちゃまぜに共に生きているのが人間界なんだ、と再認識する。今の時代をリアルに生きられるように、映画の資金集めのためにも私も頑張らなくちゃ、と心を新たにした一日であった。
(文章:タハラレイコ 写真:授業風景とミラー・マクーンのみタハラ、あとはウェブから転載または本人から送ってもらった)
リンク:
『円明院~ある95歳の女僧によれば』-マックスと私で作った長編映画(夏に東京で公開!皆様よろしく!):http://mrex.org
宇野港芸術映画座夏の上映シリーズ:http://mrex.orghttp://www.facebook.com/UnoPortArtFilms
インディーゴーゴー:http://www.indiegogo.com/
キックスターター:http://www.kickstarter.com
ロディー・ボガワさんのキックスターター・ページ:http://www.kickstarter.com/projects/search?term=roddy+bogawa
ウェブサイト http://roddybogawa.com/
サンダンス・インスティテュート:http://www.sundance.org/
IFP(ニューヨークの自主制作映画支援団体):http://www.ifp.org/
フィルム・インディペンデント(LAの自主制作映画支援団体):http://www.filmindependent.org/
フィルムフォーラム(ウェストビレッジのインディー映画と名画を上映する映画館):http://www.filmindependent.org/
アンジェリカ・フィルム・センター(ソーホーのアートハウス系映画館.ダラスやヒューストンにもある):http://angelikafilmcenter.com/
BAM(バム、ブルックリンのアートハウス系映画館):http://www.bam.org/
アンソロジー・フィルム・アーカイブ(グリニッジビレッジの実験映画専門映画館/名画座):http://anthologyfilmarchives.org/
フィルムメーカーズ・コープラティブ(アーティストが運営するインディー&アヴァンギャルド映画の配給組織):http://www.film-makerscoop.com/
サンダンスのドキュメンタリー助成プログラム:http://www.sundance.org/programs/documentary-fund/
トライベッカ・グッチ・ドキュメンタリー助成プログラム(最近創設された):http://www.sundance.org/programs/documentary-fund/
ファウンデーション・センター(非営利資金集めデータベース管理団体):http://foundationcenter.org/
『ミリキタニの猫』オフィシャルサイト:http://www.thecatsofmirikitani.com/
日本語サイト:http://www.uplink.co.jp/thecatsofmirikitani/
芸術活動へのボランティア弁護士団体(Volunteer Lawyer for the Arts): http://www.vlany.org/
“Future Weather”サイト:http://www.futureweathermovie.com/
“Future Weather”付属短編へのリンク:http://www.futureweathermovie.com/trailers.html
私の生徒のたちのウェブ・ポートフォリオ幾つか:
Craig: "http://craigscheihing.weebly.com/
Sarah: "http://sarahjoangreenleaf.tumblr.com/
Mark: http://mbcoffield.blogspot.com
Chris: http://chrisalbright.weebly.com
Colette: http://coletteboylan.weebly.com/
Kim: http://kimberlyburnick.weebly.com/
Santiago: trulygomez.blogspot.com(main page),vimeo.com/trulygomez(narrative & documentary),youtube.com/sucosoto(video art & music videos)
Audrey: http://asmiff.wordpress.com
Andrew: http://pabloagua.wordpress.com
Ginger: http://gingerjolly.weebly.com
クラウド・コントロールズ:http://crowdcontrols.cc/
グッド・ピッチ:http://britdoc.org/real_good/pitch/
インパクト(ドキュメンタリープロジェクトの仲人事業):http://www.impactpartnersfilm.com/
ミラー・マクーン誌主催のディベートの模様はこちらのビデオでフルで見れる:http://vimeo.com/16548379
詳しい記事:http://www.miller-mccune.com/media/offline-values-in-an-online-world-25100/
■タハラレイコ PROFILE
東京、吉祥寺出身。91年イリノイ大へ奨学生留学渡米、92年からNY。94年以降は夫の上杉幸三マックスと二人でドキュメンタリーや実験映画を製作。日本で見る西洋のイメージについての思索実験映画『レムナンツ 残片』(1994)は全米30以上の映画祭やアートセンターで上映、今年7月カナダの新世代シネマ祭でリバイバル上映される。マックスと共同監督の『円明院~ある95歳の女僧によれば』(2008)は岡山の老尼僧の人生を綴った探偵風私的長編ドキュメンタリー。ハワイ国際映画祭でプレミア後、NY、日本、スリランカなどの映画祭やギャラリーで上映、2011年夏にポレポレ東中野で公開予定、その後日本各地での展開を目指す。2007年度文化庁新進芸術家海外研修生としてデオドラ・ボイル教授(NY ニュースクール大学)のもとで先生修行、また映像作家アラン・ベルリナー氏に師事。以後、NY近郊の大学・大学院でドキュメンタリー史、制作、日本映画史などを非常勤講師として教えている(ニュースクール、NY市立大、テンプル大、ハンターカレッジ、来春からはNYUも)。2009年11月、次作の撮影のためマックスが故郷の岡山県玉野市宇野港に拠点を移し、瀬戸内海のアートアイランド直島を訪れる外国人観光客のための宿屋を開業、18年ぶりに日本に住み始めた。タハラは高校受験を控えた12歳の娘とブルックリンに暮らす。2010年夏より始まった宇野港芸術映画座上映シリーズ「生きる、創る、映画」( http://unoportartfilms.org , http://www.facebook.com/UnoPortArtFilms )は上杉・タハラの共同プロデュースで、毎年世界各地からの心を揺さぶる秀作品を紹介していく家族再会イベント。晩の野外上映では瀬戸内の島々を背景に、ビール片手にいい映画が見れる!世界中の映像作家とスカイプトーク等もあり。早稲田大学第一文学部卒、ニュースクール大学メディア学部修士課程修了。
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