映画『カンタ!ティモール』より
東南アジアに位置し、豊かな自然を持つ小さな島国、東ティモール。長きにわたるポルトガルによる植民地支配そしてインドネシアの軍事占領の後、1999年に独立を目指す国民による住民投票が行われたものの、インドネシア治安当局による暴力行為を受ける。そうした困難の末、2002年5月に独立を果たした。
音楽を通して国際交流を行うユニット「環音」が、現地に赴き地元の人たちとの交流を通して、東ティモールの民衆たちの喜びと苦しみを描いた映画『カンタ!ティモール』が11月1日(月)渋谷アップリンク・ファクトリーで上映される。想像を絶する虐待を受けながら、笑顔と人を信じるこころを忘れない東ティモールの人々の姿が胸を打つドキュメンタリーだ。「カンタ」とは東ティモールのことばで「歌」という意味だが、音楽のエネルギーを糧に世界の人々と繋がろうと活動を続けてきた監督の広田奈津子さんが、先行試写会を前に8年間にわたり見続けてきた東ティモールへの思いを語ってくれた。
東ティモールの歌の多くは、録音された媒体などないのに、遠くの村同士でも共有されている
──『カンタ!ティモール』は、広田監督が実際に東ティモールに行かれて体験したことや人々との交流から生まれたエピソードとともに、東ティモールという国が置かれている状況の報告も同時に行われることで、とてもエモーショナルでありながら、説得力のある内容になっていると思います。監督がまず東ティモールを題材にすることを決めたきっかけ、そして映画の構成について最初に構想していたことがあれば教えてください。
2002年の東ティモール独立式典にソウル・フラワー・モノノケ・サミットを招聘した際、その会場の片隅で、ある歌を耳にしたのがきっかけです。声だけが聞こえていて主は見つからず、あきらめて帰国し、その一年後同じ場所で同じ声を聞いたのです。こんどこそは!とつかまえて、歌のメロディを教えてもらい、帰国。その曲を「星降る島」としてソウル・フラワーがカヴァーし、広がり始めました。でも、原詩の意味がわからない。それで、歌っていた青年を探しに行くことにしたのです。その頃は映画を作る気はなく、ただその名も知らぬ彼を探しに。それで彼を見つけ出し、歌詞の意味を尋ねたら、彼は「詩は感じるものだから説明できない」といたずらっぽく笑って質問をかわし、かわりに自慢の村々を案内してくれました。そこで出会っていった音楽や人々の言葉に心が動き、大急ぎで帰国して撮影機材を用意したのです。構成は全くなく、幸運な偶然が重なった旅が映画になりました。
映画『カンタ!ティモール』より
──広田監督は「環音(わおん)」をはじめ、生物多様性の問題における運動などを続けていらっしゃいますが、発展途上の国との関係や環境についての意識は小さい頃からお持ちだったのでしょうか?現在のような多岐にわたる活動のきっかけとなったことはありますか?
小さい頃に母のように親しんでいた森が突然伐採され、とてつもないショックを受けたことがありました。それで高校を出た頃、アメリカ先住民チーフ・シアトルの、大地を母と呼ぶ演説を読み、涙が止まらず、先住民のいるカナダへ。そこで出会った老人が、「泣くことはない、大地を母とする民が太平洋を囲んで生きているから会いに行きなさい」と。それでポリネシアやアジアなど旅することになり、老人の言葉どおりティモール含め様々な場所に出会っていきました。
映画『カンタ!ティモール』より
──過酷な環境にありながら、東ティモールの人々の明るい笑顔が全編を通して最も胸に残ります。どんなに傷を受けても敵国の兵士を助け、諭す。監督は映画を完成させて、なぜこのような国民性が生まれたのだと感じますか?
太陽に照らされた底抜けな明るさの一方で、ほぼ全国民が持っている、深い心の傷。最初、その明暗のコントラストに頭がクラクラしてわけがわからなくなりました。決して癒えない傷を持っていながら、なぜこんなにも笑い合い、許し合えるのか。旅を続けるうち、私が得た答えは、彼らの世界観でした。大地という母から生まれた大きな家族として人も獣も生きている。敵であろうと全てひとつの生命体として存在しているという感覚です。多くの人が「自分は傷ついた。だけど傷つけなかった。だから大丈夫」と言いました。自然でも人でも、相手への行為は自分への行為と同じということです。それが根底にあるからかもしれません。
映画『カンタ!ティモール』より、おじいさんにインタビューする広田監督(右)
──また今作の大きな幹になっている東ティモールの音楽とその在り方についても教えてください。踊りと生活が密着している、そして踊ることが大きな圧力への抵抗となること。子供のために歌うこと、それはつまり未来のために歌うことだと思うのですが、そうして歌が伝えられていく、という音楽本来の根源的なパワーや意味を深く考えさせるものがありました。この作品のなかにある東ティモールの音楽は、「星降る島」にあるように、我々が普段接するアメリカやヨーロッパそして日本のポップスに近い、シンプルだけれども共感を強く覚える歌が多いですが、これは東ティモールの伝統なのでしょうか?または東ティモールの音楽のあくまで一部分なのでしょうか?
歌の多くは録音された媒体などないのに、驚くべき遠くの村同士でも共有されています。軍事攻撃を受けた24年間、人々は常に危険にさらされていました。母国語で平和を歌うなど自殺行為で、歌はひっそりと耳から耳へ伝えられました。そうするうちに、シンプルで耳に残るものになっていたのではないかと思います。まるで河を転がる石が丸くなるみたいに。だから私の耳からもずっと離れなかったのでしょう。
──長い期間にわたり、東ティモールを画面に収め続けていくなかで、広田監督の映画を作っていくことへの意識やポリシーに変化はありましたか?気持ちを新たにした部分や、変革を迫られた出来事はありましたか?
ティモールのシャーマン(神社の守り人)が、「お前の土地に帰り、まだそこにいる神々を敬いなさい」と言ってくれたんです。その通りですね、と思いました。でもその後がビックリしました。私の目を少し笑うように見て、「そうすれば人が繋がるから」と言ってくれたんです。私は自分の大事な森を切った大人たちを許さずに、地元から目をそらしていました。そのことを言っていると気付いてドキッとしました。それで帰国し、地元の町内会のおじさんたちと神社の掃除などをするご縁になり、田んぼも借りることが出来ました。外へ旅に出がちでしたが、海の向こうの平和のためにも、地に足をつけなさい、と言われた気がします。
(取材・文:駒井憲嗣)
■広田奈津子 プロフィール
1979年愛知生まれ。アメリカ大陸先住民との縁から環太平洋を旅し、2002年、東ティモール独立式典内コンサートにソウルフラワー・モノノケ・サミットを招聘、以後国際音楽交流を続ける。2003年、東ティモールで聞いたある歌が忘れられず、映画『カンタ!ティモール』制作を開始。
『カンタ!ティモール』先行試写会+トークショー
2010年11月1日(月)開場19:00 開演19:30
会場:アップリンク・ファクトリー(東京都渋谷区宇田川町37-18トツネビル1F)[地図を表示]
料金:予約/当日 1,800円(1ドリンク付)
トーク出演:エゴ・レモス(ミュージシャン/from 東ティモール 『カンタ!ティモール』出演および挿入歌を提供)
広田奈津子(「環音(わをん)」主宰)
小向サダム(ミュージシャン)
予約の詳細はこちら
愛しの東ティモール! ロロサエ・モナムール!
エゴ・レモスさん、いつか一緒に歌舞音曲で遊びましょ!
中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)
映画『カンタ!ティモール』
監督:広田奈津子
制作:小向定
監修:中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)・南風島渉(voice from asia)
2010年/110分