映画『ANPO』より、大島渚監督作品『日本の夜と霧』(1960年)
60年安保闘争をアーティスト達はどう表現したのか、そしてアーティストにとっての創作の源泉には何が必要なのかを数多くのアート作品と関係者の証言により解き明かしていく映画『ANPO』。現在ロードショー公開中である今作の監督を務めたリンダ・ホーグランド、そして阪本順治監督が渋谷アップリンク・ファクトリーでトークショーを行った。かつて阪本監督の『顔』(2000年)の英語字幕を手がけたことがあるホーグランド監督は、良き理解者である阪本監督から今作の制作にあたってもアドバイスを得たという。リンダ監督が今作に込めたアートを通して安保の時代描くという熱意から、阪本監督が考える60~70年代の日本映画にある反骨の精神についてまで、トークの話題は広がった。
「リンダさんの個人がよく見えた映画」(阪本順治)
リンダ・ホーグランド監督(以下、リンダ):まずは阪本監督にお礼から言いたいです。この映画は編集が大変で、絵画だけで250枚、写真が800枚を使用していて、取り上げる候補となった映画が25本ありました。そして35人にインタビューしたんですが、著名な監督達も切らざるをえなくて申し訳ないと思っています。
基本的には、みなさんの国の歴史がテーマだったので非常に丁重に、そして丁寧に作っていたら、2時間10分という手に負えない尺になってしまって、行き詰って日本に持ってきました。最も信頼している阪本さんやカメラをやってくれた山崎(裕)さんに見せてアドバイスをいただいたんです。そのときにいちばん嬉しくて、そして救われたのが、阪本さんが「誠実すぎる」って言ってくださったことでした。「歴史の本にあるものは全部切った方がいい」「客をびっくりさせろ、客の心を最初の15分で掴め」と。おふたりの他にも、観た方が口を揃えて「これは僕らもみんな知らないアートだから、アートを全面的に出した方がいい」と、映画のルールについて言ってくださいました。そこから「よし、お客さんをびっくりさせることができる」とすごく開放されて。阪本さんの寛容な助言がなかったらこういう形の映画にはならなかった。具体的にこうしなさいということは一切なかったんですけど、映画のルールを教えてくれたことで、勇気を奮ってこういう構成にしました。
阪本順治監督(以下、阪本):いきなり始まって「15分で客の心を掴まれた」って、自分の映画でも最後まで掴めなかった映画もあるのに(笑)、ほんとに人の映画を観るとよく解るというか。リンダさんとの付き合いはもう15年くらいになります。彼女が日本の映画の字幕制作を始めた頃に出会って、その後僕の作品もやってもらっていました。今日は『ANPO』という映画そのものについて語ってもいいんですけど、どういう人がこの映画を作ったのか、というのも皆さん興味があるかなと思って、おこがましく登壇させていただきました。
今日は彼女のことをいろいろ暴露しようと思ってます(笑)。ある日彼女がニューヨークで日本人がやってるラーメン屋さんに入ったときに、携帯電話に何度か着信があって、日本人のマナーよろしく、お店から出て話をしてまた戻って、また着信があったら出て戻って、としているうちに、その日本人の店主が「うっとおしい外人だな!!」って言ったら、リンダがキレて「お前が外人だろ!!」って言ったんです。ニューヨークですからね(笑)。彼女は日本で生まれ育って、級友も居たと思うんですけど、"外人"と言われる中で、日本とアメリカのことをずっと考えてきたと思うんですよ。だから前の『特攻』もそうですが、今回の『ANPO』は、彼女は誰かのために作るのではなくて、自分のために作ったんです。日本とアメリカの狭間にいて、日本で外人と呼ばれ、ニューヨークに行っても外人と呼ばれて、そういう忸怩(じくじ)たる思いがどこかであったと思うんです。よそさまの映画の字幕を入れつつ、自分もその担い手として映画を作ってみたいという思いがずっとあった。そのなかで、まず自分のために、自分が知ろうとして作るということは、自分に跳ね返ってくるし、自分が問われる。それが映画を作った人間の宿命ですから、こうやってリンダがまた映画を背景にみなさんにお会いしていろんな意見を聞いて、また自分がやったことと、やれたことと、もしかしたらやれなかったことも含めて問い直す、今日はそういう会かなと思って……何をまとめとんのや、僕はという感じですね、すみません(笑)。リンダさんの個人がよく見えた映画です。
リンダ:日本に生まれて育って、日本の小学校、中学校を卒業して、先生から愛情をいっぱい注いでもらって、世界一の教育として漢字もたくさん覚させてもらいました。でも地方だったし、「外人だ」と呼ばれることが毎日で、居心地はあんまり良くなかったから、実は生い立ちの記憶はあまりないんです。でも後から思うと、子ども心に、ただのはぐれものと違う感情が「外人だ」の裏に聞こえてきたんです。ただ普通に「あなたは違う」というのではないけれど、具体的な居心地の悪さというのはあったし、山口にいたので岩国に基地があって、感謝祭になると年に一回父親がターキーを買いに行くんですけど、子どもながらに基地は嫌な存在だったし、絶対行きたくなかった。基地で米軍の子どもが英語で勉強しているのに対して、私は日本の学校で日本語と家で英語を勉強しているという優越感があったんです。だから、おぼろげですけど基地の記憶はあったし、結局大人になってからもその居心地の悪さはなんだったのかということが知りたかったんだと、完成した映画を観ながら気づきました。
私は地方だったということと、宣教師の娘として育てられた生い立ちから、恥ずかしながら60年安保も70年安保も知りませんでした。でも大人になって日本映画を観るようになって、例えば今村昌平さんの回顧展を観たときに、59年に『にあんちゃん』という貧しいけど希望はいっぱいあるという映画を作って、その次の作品が『豚と軍艦』(1961年)というどん底に暗い、米軍基地にまつわる映画だったと知った。この2年間で何が監督のビジョンをここまで変えたのかが疑問だった。それから黒澤明さんの映画の字幕を書き直しているときに『悪い奴ほどよく眠る』(1960年)を観て、政治的なことを扱わない監督がなんでこんな露骨な政治的な映画をそれも60年に作ったのだろうと思った。
逆に成瀬巳喜男さんという、究極のエンターテインメントばっかり撮っていた人の映画でも、ある映画祭で回顧展を観てると59年の映画と61年の映画ってトーンが暗くなってしまっている。そこが私のこのテーマの入口なんですよ。最初から安保を描写したかったのではなくて、自分が育った日本の背景に実は何が起きていたのかを知ることによって、徐々に日本とアメリカの歪んだ関係が見えてきて、そこから歴史の本を読んだりするようになったんです。
一番ショックだったのが、国会に警察が導入されたということ。その後に強行採決を行い条約が通ったことが合法だというのは、アメリカもいろいろな矛盾を抱えていますけど、ありえません。そういうようなことがあったらその場で内乱になります。
そして映画にそれだけたくさん例があるのなら、きっと絵画や写真にもあるだろうと引っ張り出してみたら、たくさん出てきた。なので濱谷浩さんの写真集『怒りと悲しみの記録』(1960年)と中村宏さんの絵を見たのは比較的最近なんです。そこで、アートで綴れるかなということでこの映画を作ることになりました。そして「お客をびっくりさせろ」ということでは、「娼婦とヒモ」という言葉をせっかく言ってくれたアメリカ人(『CIA秘録』の著者ティム・ワイナー)がいたので、遠慮を捨てて冒頭で使わせていただきました。
2010年9月20日、渋谷アップリンク・ファクトリーのトークショーに出演したリンダ・ホーグランド監督(左)と阪本順治監督(右)
阪本:最初に彼女が日本に来た時、2時間10分くらいのラッシュを観させてもらいました。作り手として自分の事を棚に上げて意見を言いながら、同じ映画を作る人間としては、自分の知らなさというか、歴史として安保を知っていたりはするけれども、それを映画にするときにアートを通じてそこに触るという手法を用いたリンダさんに非常にショックを受けました。最初に観たときに偉そうに「観客の心を掴め」とか言いながら、真っ先に僕が掴まれてた、ということですよ。
ドキュメンタリーというのは、人の証言とかニュースフィルム、今の問題であればいまそこに直面している人の生活や発言を拾い上げていくんですけれど、この作品を観て、60年安保のあった50年前から70年安保の40年前を触るのにニュースとか映画の引用もありましたけど、絵画や写真のような静止した作品を通して、あるエモーショナルなものを作るというその手法と構成にとても嫉妬をしました。社会派とかある程度テーマ性が高い作品は、いざ映画にする時にはそこでの構成力とか編集の仕方、あるいは音楽の入れ方とか出し方が最終的に問われるんです。今回の『ANPO』は絵を堂々と見せてる様も、音楽もとても良かった。だいたい音楽が酷い映画はいい映画じゃないと僕はずっと思っているので。いいことをいくら声高に言っても技術とか人に観てもらうためのアプローチの仕方を間違うと、それは志だけのマスターベーションの映画になってしまう。
「誠実すぎる」っていう言い方は失礼だったかもしれないですけど、一本の映画で安保すべてを理解させようとか説明しようというのは無茶だし、体験した人ではなく体験しなかった人に届けなければいけないと思いすぎてしまうと、ナレーションを入れたりしなきゃいけない。今回彼女は作り手側としてナレーションを設定しなかったところも素晴らしいと思う。
リンダ:そのご助言を受けて面白かったのが、「最初の15分で心を掴め」と言われて繋いでみたら、掴まってしまったのが私なんです。15分まで作ってしまうと、その後も同じ路線で行くしかないですから、最後までこの感じで行こうと。そして、腕のいいエディターに恵まれたことも光栄でした。アートからアートに繋いていくことでどんどん現実離れして『不思議の国のアリス』みたいになって、最初からなぜかワンちゃんが出てきたり、しまいにはポール・ロブソンみたいな黒人の歌手も出てきて。でもそれがなんとなく許されるような世界になったと勝手に私は確信しているんです。
音楽に関しても非常に恵まれていて、ブルックリンに住んでいる武石聡と永井晶子という素晴らしい2人のミュージシャンが入れてくれました。エディターによっていろんな感性があって、前回の『特攻』のときは音楽が先で音に合わせて画を切っていったんですけど、今回のエディターは音楽なしでも自分に聴こえるリズム感に従って、切ったシーンをミュージシャンに見せて彼らがアートに素直にリアクションしていくことで音楽を作っています。だからしっくり合っていると思うんです。
「東松さんの写真には被爆体験だけではなく、その後の差別までも写っている」(リンダ・ホーグランド)
リンダ:逆に監督にお聞きしたいんですが、私が字幕を入れ始めたのが15年くらいまえだったと思うんですけど、一、二世代前には戦争と向き合ってる大傑作がいっぱいあって、一生懸命観て勉強する中で、確か阪本さんから薦められた1本が『しとやかな獣』(川島雄三監督作、1962年)でした。小学校の授業で原爆投下をアメリカ人の生徒として学んだので、原爆に対する加害性とか過敏なところがあるんですよね。いまだにアメリカは謝罪してなくて私だけ謝罪したい気持ちが残っているみたいな。だから『しとやかな獣』ってどこかアヴァンギャルドなエンターテインメント映画なんですけど、私の心に残ったのは今回引用したあのシーンだった。川島監督は阪本監督にとってどういう存在ですか?
映画『ANPO』より、川島雄三監督『しとやかな獣』(1962年)の一場面
阪本:公の場所だから言うわけではなくて本当に大好きな監督です。いろいろ映画会社を渡って制作された『しとやかな獣』『幕末太陽伝』(1957年)『雁の寺』(1962年)といった作品を観て、失敗作もあるんだけど、人を見る目線は一緒で、すごくシニカルで皮肉っていて、人はそもそも邪悪であるという視点がある。
声高に時代をメッセージとして語らなくても、喜劇の中でその時代を感じさせる人なんです。喜劇であろうとアクション映画であろうと、自分がどんな時代にこれを作るのかということが意識せずともあると思うんです。だからリンダが言った『しとやかな獣』で引用している「いや、安保が決めたから」という台詞は、その時代性を受け取って自然に出てきている。撮影したそのときに、なにがあるのかということです。時代と添い寝をするということです。
映画には俳優さんを使ったストーリーというものがありますけど、絵画の場合はもっと直接的で、個人が自分の手だけで、感じた時代と感情をひとつの作品にする。写真家のシャッターチャンスもそうですし。『ANPO』を初めて観せていただいて、自分の知らない絵画や写真が出てきたときに、その時代に作家が何を考えてこれを描き、これを用いて何を言おうとしているのかということは、ストーリーを語らずとも解るんですよね。そこがすごかったし、もっと言えば自分の無知ですけど、まったく自分の知らないものを見せられたという気持ちがあります。
大島さんと深作さんはお二人とも監督協会に入っていらっしゃいますから僕も交流はありました。深作さんも『仁義なき戦い』(1973年)というヤクザ映画の中で、何を吸い込ませたかというと、『ANPO』で引用されていたあの闇市ですよね。あの時代に深作さんは中学生で、死体処理をやらされていたんです。だからヤクザ映画を作ろうがアクション映画を作ろうが、深作さんの真ん中にはその時代と自分がやっていたことというのがあった。大島監督も60年安保の時には京都の府学連(京都府学生自治会連合)の委員長としてそのなかで実際に活動をしていて、のちに映画会社に入ってデビューをしたころに、そこが根っこでものを作ることになった。自分の思春期とかその時代に覚えたこととは、必ず何年経っても作品の表に出たり裏に刷り込まれたりしている。あるいは監督ひとりだけが知っている世界というのが根っこにあるんだと改めて考えました。
リンダ:私が字幕の世界に入るきっかけになったのは、東松照明さんの長崎の写真だったんです。それを見てすごいショックで、その時はまだ制作会社で働いていて、長崎の写真は私がずっと結果的に逃げていた原爆の被害者達の姿でした。
東松さんの撮っている被爆者には、その人の顔に残ってる被爆体験だけじゃなくて、その後の差別までも写っているように見えました。誤解を招くかもしれないですが、正直に言うと、私は写真集に見開きで出てくる、ケロイドで顔が引きつっている女性に対して、東松さんは意図的に彼女を太陽に向けて眩しい表情にして、人にジロジロ見られるのがいやだっていう表情を撮っているように見えるんです。それはどうしても私が外人としてジロジロ見られていたのと、感情が似ていた。もちろん自分を被爆者に比べているわけではないです。ただ人間としてジロジロ見られるのが嫌だという感情を写真にみて、あの写真が私の人生を変えたんです。
私は東松さんにお話に行き、やがて長崎に彼女に会いに行き、写真を通して違う表現をしたいということで、思いきって会社を辞めて、字幕を入れる仕事を始めました。その延長線上で、幸いにも深作監督にもお会いできて、大島さんも一本だけ『御法度』(1999年)の字幕を入れさせてもらいました。
3人の発信している作品の迫力には、私は圧倒され続けています。あとで解ったんですが、東松さんも深作さんも大島さんも同じ15歳で終戦を迎えていたので、もちろん個人体験は違いますけど、それまで信じていたことが15歳で全部嘘だと解った世代だと思うんです。そして日本という国が違う方向に行ったかと思うと、3、4年後にまた朝鮮戦争が始まり軍需産業を発達させていくことで、またもう一回裏切られた時代なんだと思います。
映画『ANPO』より、東松照明の作品
「自然の描写はポン・ジュノの『母なる証明』に影響を受けた」(リンダ・ホーグランド)
リンダ:もうひとつ、阪本さんにいろんなアドバイスを受けてニューヨークに帰った時に巡り合ったのが、ポン・ジュノの『母なる証明』(2009年)なんです。阪本さんから聞いていた映画のルールをポンさんなりにものの見事にパワフルな作品にしていた。ご覧になった方もいると思いますが、冒頭のシーンで中年の女性が野原で唐突に長い間踊っているんです。その意味は最後の最後まで観ないと解らない。そういうこともやっていいんだ、と新たに開放されました。『ANPO』という映画で大きかったのは、全学連とか共産党、社会党と人々がいろんな党に属する前に持っていた、腹から沸いてくる普遍的な人間の抵抗の精神に興味があったことです。基地があるということは土地が奪われるということですから、戦争に対する恐怖とか岸という人間への憎悪よりも、深い大地から湧き上がってきたような抵抗だと。それを自然という形で描写できないかと思ったんです。それで山崎さんに機会があれば大地の表れとして、すごい嵐のときに山の木々が揺れるシーンや、海のシーンを撮ってもらったんです。
誠実にやっていたときは、2時間10分もあったので入れようがなかったんですけれど、ポンさんの映画を観た時に、主人公が理由無く大地の中を歩くシーンがあったんです。濃い内容の映画なので「こういうときに自然の絵をいれるんだ」とヒントになりましたね。
私は阪本さんとポンさんとの対談で何度かご一緒させていただいたことがあって、阪本さんはポンさんの作品を観てどういう監督だと考えますか?
阪本:彼のデビューの時にたまたま知り合って、僕が勝っているのは撮った本数だけなんですけど(笑)。彼の中に当然のこととして社会性があって、『グエムル』(2006年)という怪獣映画だって基本的には米軍が垂れ流した薬物で怪物が生まれるという設定で、最初の『ゴジラ』(1954年)のような作品です。在韓米軍というものも捉えながらモンスターパニックをやるという、その両だてを彼の技術でいつも成立させている。『母なる証明』にしても、日本ではまず企画が通らないですし、いくらウォン・ビンが出てるとはいってもまずお金が集まらない。おばさんが主役で殺人にまつわる話で、子どもが障害を持っている、そんな映画が韓国で大ヒットする。それは韓国の映画界のすごく豊かなところですが、もうひとつはポン・ジュノたち韓国の監督が切り開いてきたところとして、社会性と娯楽性の両方を天秤にかけ、その危ういバランスを一生懸命取りながらやるという映画つくりが客にちゃんと伝わるということだと思うんです。彼は、例えば社会的な内容の場合、自分は告発する側で、告発される側がいる、そういう映画は好きではないと言うんです。要するに、自分をまず問われる所に立たせ、自分を安全な場所には置かない。告発者という立場ではなくて、まず自分を一番危うい場所に置いてからやらなければいけないと言っていて、それをエンターテインメントのなかでやるんです。2ヶ月前もソウルで会いましたけど、自分を傷つけながらやっている人間ですね。僕よりずいぶん若いですが、勉強になります。
阪本順治監督
リンダ:深作さんと大島さんの話題に戻りたいんですが、もちろん『仁義なき戦い』は意図的にヤクザのシーンではなくて闇市で日本人の女性が強姦されつつあるシーンを選びました。実は私の中では深作さんの映画の原点は『軍旗はためく下に』(1972年)という映画で、本当に私が大好きな日本映画の3本のうちのひとつです。その3本のなかには阪本さんの『顔』(2000年)も入ってます。今回の映画の構成は『軍旗はためく下に』から頂戴させて頂いたのか真似をしたのか、ストーリーは別としていろんなキャラクターが出てきて、みんな自分の立場ばかりを正当化するために嘘をつく酷いやつ、と見せておいて最後のギリギリのところで、実はこの怪物に見えた人間もやっぱり事情があってあなたと同じ人間なんですよ、という作り方。私もこの『ANPO』で、米兵の描写は容赦なく最悪の人たちに見せておいて、最後になって石川さんが泣いてくれる。敵は個人個人の米兵ではないですよという、深作さんへのオマージュなんです。深作さんのそういうキャラクターに対する根本的な姿勢や愛情みたいなものは、阪本さんから見てどうですか?
阪本:深作さんは鶴田浩二さんがやられた『誇り高き挑戦』(1962年)でもそうなんですけど、ジャンルはなんにせよ、どこかでアゲインストなんですよ。社会と馴染めない自分がいるなかでものをつくられるんです。ご本人はファンキーな方で、一緒に飲むと自分は監督になっていても深作さんの助監督の立場ですからね。夜12時までの店に朝9時までいて、最終的には僕がタクシーで送らなきゃいけないみたいな。そうやって話が盛り上がると帰らないというかもうルール無視というか、それがとっても頼もしい人で。そういうのは映画に現れてますよね。大島さんもそうですけど、深作さんのような監督を目指そうと思ってもできないです。僕は生まれ育ちは大阪なんですけど、高校時分から映画監督になりたいと思っていて。東映の映画館の真ん前に住んでいて、いつも学校に行く時に東映の看板を見ながら行くんですよ。全部深作さんのヤクザもの映画で、「血で血を洗う」みたいなことが書いてあって。それが松竹の映画館だったら僕は『どついたるねん』(1989年)とか作ってないと思うんですよ(笑)。
子ども時代から深作欣二という名前は見ていたし、その後映画監督を目指していくときには、よくテレビで出られた大島渚に対して、あぁこういう感じの人が映画監督になるんだと思った。大島さんの本をいろいろ読むと、さっき言った京都の府学連の委員長をやっていたというんで「そうか、やっぱり学生運動はやったほうがいいんだ」ということで(笑)、横浜国大入って。そこでは前の年に学内で一人殺されていて、僕が入った年に、あるセクトの人が一生懸命オルグしてきて僕は断ったことがあったんですが、その人が僕と別れて帰る途中で鉈とバールで殴り殺されたということがあった。70年の後半は、そういう内ゲバの時代なんですよ。そう考えてこの映画をみると、闘っている人たちの顔がね、自分の学生運動を見て来た経験から言うと非常に豊かなものを感じるんです。樺(美智子)さんみたいに亡くなった人もいますし、そのときいればもっとある種悲惨めいたものもあったんでしょうけど、幸福感まではいかなくとも、自分が個々として何をすれば世の中が変わるのかというのがストレートに見えている感じがしました。
リンダ・ホーグランド監督
「戦後は終わっていない」(阪本順治)
阪本:映画のコメントにも書きましたけど、「戦後は終わっていない」。いつの間に日米安保という言い方が日米同盟になったのかということを、誰も新聞に書かないというのはなんなの?って。日米軍事同盟と言われて、陰ではそうだったんでしょうけど、でもいつの間にか物言いが変わっているということも含めて、いろんなことを考えさせられました。そして『ANPO』という映画の中には、やっぱりリンダさんの品性と自分の立ち位置、言ってみれば「これでいいのか」という自問自答が深く刻まれている。その一方作り手がただ思いのまま熱を放出すればいいというものにはなってなくて、すごくほっとしました。若い人も解らないことは自分で勉強すればいいんだから、という思いがあります。いつも「お前の映画は解りにくい」と言われている僕が、「お前等の勉強が足りないんだよ!」って言いたい……まぁそれはいいですね(笑)。
リンダ:そういう意味では、どういう人間が映画を作っているのかとせっかく聞いてくださっているので申し上げますけど、この映画の終わりにある石内都さんの「傷ついたままじゃいやだった」という言葉は、自分たちで編集して終わって2週間くらい経って「あぁ、私の言いたいことなのよね」って初めて気がついたんです。私があの言葉を意図的に選んだのは、「傷ついたままじゃいやだった」という感情こそアートの始まりだと思うからなんですよ。物の本質を追求する作品を作りたい人は、何らかの形で傷ついていなかったら、もしかしたら生け花のほうにいくかもしれない(笑)。生け花は美しいからいいんですよ、ただこういう絵にはならない。それが広い意味でのアートの始まりでもあるし、セラピーの始まりでもあるんです。私が今日こうやって比較的まともな人間でいられるのは、セラピーをやったからなんです。日本からアメリカに帰ったときに、穴から出てきたモグラみたいな感じで「この国何?」みたいに全然合わなくて、最初から原爆を投下したアメリカに対する恨みがあったし、どうしてもアメリカに自然に溶け込めなくて、日本人でもアメリカ人でもどっちでもない自分と思っていた。でも、セラピーをやったことによって、その両方だということを確信することができて、DNAなんて関係ない、というのが私の結論なんです。だからあの言葉で終えたし、「今のままじゃ嫌だ」というのが何事も始まりだと私は思います。
(取材・構成:駒井憲嗣)
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■リンダ・ホーグランド プロフィール
日本で生まれ、山口と愛媛で宣教師の娘として育った。日本の公立の小中学校に通い、アメリカのエール大学を卒業。2007年に日本で公開された映画『TOKKO-特攻-』では、プロデューサーを務め、旧特攻隊員の真相を追求した。黒澤明、宮崎駿、深作欣二、大島渚、阪本順治、是枝裕和、黒沢清、西川美和等の監督の映画200本以上の英語字幕を制作している。
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■阪本順治 プロフィール
1958年生まれ、大阪府出身の映画監督。『顔』(2000年)では第24回日本アカデミー賞最優秀監督賞、キネマ旬報ベストテン第1位などを受賞。最新作は『行きずりの街』(2010年11月20日より公開)。
映画『ANPO』
渋谷アップリンクほか全国順次公開中
全国の公開劇場情報はこちら
監督・プロデューサー:リンダ・ホーグランド
撮影:山崎裕
編集:スコット・バージェス
音楽:武石聡、永井晶子
出演・作品:会田誠、朝倉摂、池田龍雄、石内都、石川真生、嬉野京子、風間サチコ、桂川寛、加藤登紀子、串田和美、東松照明、冨沢幸男、中村宏、比嘉豊光、細江英公、山城知佳子、横尾忠則
出演:佐喜眞加代子、ティム・ワイナー、半藤一利、保阪正康
作品:阿部合成、石井茂雄、井上長三郎、市村司、長濱治、長野重一、浜田知明、濱谷浩、林忠彦、ポール・ロブソン、丸木位里、丸木俊、森熊猛、山下菊二
2010年/カラー/6:9/89分/アメリカ、日本
配給・宣伝:アップリンク